7 ドラゴンさんは蚊帳の外
「先ほどは失礼した。俺がここに居ることは誰も知らないことになっているから警戒していた。黒竜殿、俺はカイルという。友人を救っていただいた上、保護していてくれたようで感謝する」
その後、再起動した青年は早口にネクターと情報交換した後、自己紹介をしてくれた。
ところどころ古代語の「誓約」や「言語」という単語が聞こえたから、私と誓約を交わしたことも話したのだろう。魔術師が誓約の内容を話したということはネクターはこの青年のことをかなり信頼しているんだろうね。
しかも、ネクターの通訳付きにもかかわらずゆっくりとしゃべってくれた上、私の愛称とはいえ名前を呼ばないこともポイントが高い。魔術師としても優秀ないい人かもしれない。
「あなたのおかげでネクターとであえました。ありがとう。
あなたに傷つけてしまってごめんなさい。ちょうしは、だいじょうぶですか」
「あ、ああ。気遣い痛み入る。
……おい、ネクター。これ本当にあの邪黒竜か? 印象が違いすぎるんだが」
「ラーワが言うには、その時はレイラインの整備をしていたから意識が無くて、体が勝手に迎撃していたらしいですよ。私もよくわかってないのですが防衛の設定を変えることができて、追い払う程度にとどめておいてくれたらしいですから。死人がほとんど出なかったのはそのおかげですね」
「……まじか。まったくもって国の独り相撲だったってことか。
それよりもレイラインってやつの話だ。お前の研究は一通り知っているが、それ以上なんだろ」
なんかいろいろ衝撃的なことが含まれていたらしいけど、青年カイルは気を取り直したのか情報交換を提案してきたので、ネクターを通訳に立てて人の国の情勢を教えてもらう代わりにそれに乗る。
彼が話す限りでは、今んとこバカヤロウ(もうこれでいいや)国は頻発する魔物被害の対応に追われて邪竜退治に来る余裕はないらしい。助かるわあ。
一方ネクターと同じようにどっかりと地面に座ったカイルは、レイラインの存在とその機能と、ドラゴンがしている役割を聞いていくうちに、眉をひそめ、しまいには頭を抱えていた。
「……よく、わかった。信じられないと言いたいところだが、それですべてのつじつまが合う」
それでも一切の否定をしなかったのが意外だった。
こう、もっと馬鹿な! とか、そんなわけあるかっ! とか言われると思った。
『信じるのかい? 君たちにとって私はいわゆるぽっと出の得体のしれないものだと思うのだけど』
『ラーワは素晴らしいドラゴンなんですから、自分を貶めるのはやめてください!』
『あーうんごめんごめん。わかったから通訳してね。友達君がハトが豆鉄砲くらったような顔をしているから』
不服そうなネクターをカイルは珍妙なものを見るような顔をしていたが、ひとまず置いておくようだ。
「俺も軍役とはいえ魔術師だ。ここの魔力の整い方が尋常ではないことはすぐわかった。ついでに、十年前黒竜殿が現れてからドラゴンに関する資料は調べるだけ調べている。何分伝説のような生き物だから混同も多かったが、面白かったぞ。
ドラゴンが去った後の地域はどこも多かれ少なかれ土地は富み繁栄しているんだが、住み着く前は魔獣、魔物の多数出現地域であったり、逆に魔力の枯渇地帯であったり、どこも人が住むには適さない場所だった。
肥沃な大地を独り占めにしていたドラゴンを追い払ったと締めくくられていても、その前の荒れ地ぶりがたかだか十数年で肥沃にもならないし、魔獣が勝手に減少もしない。
そこから導き出されるのは、ある特定の種類のドラゴンが意識的か無意識かは別として、土地または魔力の根幹への干渉力を持っているのではないかと。
それが黒竜殿の言う、レイラインという魔力の道ってことなんだろう?」
素晴らしい論理展開である。思わず拍手を送ったが、はたりと気付く。
あれ、十年って言った?
確かネクターが王宮の研究所に入る前に従軍してたのが十年だったよね。
魔術学校が何年かは知らないけど二桁にもならないうちから戦場に出るとも思えないし、最短でも30以上ってことになるんだけど。
『……えーと話の腰を折ってすまないが、君たち今いくつなんだい?』
『年齢ですか? 私は魔術学校に入るのが早かったので、まだ40をいくつか越えた位です。カイルがもう少し上でしたっけ?』
「は、年齢……?」
彼は面食らったようにネクターと私の間で視線を泳がせていたが、ネクターがもう一度現代語で聞くと、慌てて言った。
「ああ、たしかそうだが。今の話で気になるのはそこなのか……?」
最後の言葉は早口でドラゴンイヤーでもうまく聞き取れなかったが、ネクターが大体自分と同じくらいだと補足説明してくれた、けど…………二人ともどー見ても二十代前半にしか見えない。
いや、魔力が多ければ寿命が伸びるとは聞いてたけど!!
まさか老化まで止まるとはなんという異世界マジック。
寿命どころか、生まれてから死ぬまで同じ姿という珍妙さで言えば私もどっこいどっこいなことは適当な場所に放っておいて異世界の生命の神秘に感動していると、どこかげんなりとした様子のカイルがコホンと咳ばらいをした。
「話をもどさせてもらうが、何より、この馬鹿が黒竜殿の話を全面的に信用し、事実だと認めている。こいつはこれでも我が国の最高頭脳なんでな。危険にも目端が利く。こいつが黒竜殿になついている時点で凡人の俺が疑う余地はないんだ。まあ、まさかドラゴンが本気で言葉を理解するとは思っていなかったわけだが……」
潔く受け入れた背景にはネクターへの全面的な信頼があったのか。
こうして自分の危険を顧みずに助けに来るのもなかなかできることじゃない。
……いいなあ。ぼっちの私には眩しいよ。
にしてもと私は微妙な気分で、のほほんという形容詞が似合うネクターを眺める。
これが、最高頭脳、かあ。
確かに話しているだけで頭の回転の良さは分かるけど、才気走った感じは皆無だからなんか納得しづらい。
むしろ馬鹿となんとか……おうふ間違えた天才と何とかは紙一重とかいうほうだよねえ。自分の研究を強固に主張して権威を集めましょうって思想とは無縁だというのは一緒に過ごしてわかったし、どーしても投獄よりは研究所の片隅でほっておかれるタイプに思えるんだけど。
研究内容がまずかっただけでそこまで行くかなあと思うのは平和な国の記憶しかないからかな。それとも本気でなんかやらかしたの?
「…………黒竜殿の言いたいことは何となくわかる。
こいつは魔術のことになると見境がなくなるが、最後のラインは踏み外したことはない。
今回の処刑はこいつの研究を先走って試した挙句、副産物による被害の責任を欲の皮の突っ張った考えなしのクソどもにそっくりそのまま被せられた結果だ」
渋面のカイルに、ネクターがなぜか焦ったように言葉を投げかけた。
「いや、カイル。あれは私の研究が間に合わなくて生態系への影響を最小限にすることができなかったから」
「それは欲を出した奴らが理論段階だった術式を実用レベルにしろと甲種命令を下したからだろう! しかも研究資料は全部奴らの息のかかった魔術師に盗まれた上、一番危険な魔力調整を押し付けられて自分の杖を壊されたのはどこのどいつだ!!」
「…………」
いきなり口論を始めたと思うとにらみ合う彼らに、私は目を丸くして見つめるしかない。
沈黙したままうつむくネクターに、カイルは確信を持ったようだった。
「……やっぱりお前、ドラゴンに食われて死ぬ気だっただろ」
「!!!!」
「おかしいと思っていた。
いつもなら研究を続けるためにいくらでもうまく立ち回るお前がどうして簡単に連行されて一切釈明をしなかったのか。そのまんまだったら一生軟禁だっただろうが、魔術研究は続けさせるために国は生かしておくだろう。国自体にお前を処刑するメリットはどこにもなかったはずだ。
―――お前に恨みを持つ宮廷魔術師長を筆頭とする貴族数人が、わざわざ特別房にまで会いに行った挙句、お前に神経を逆なでされた復讐としてドラゴンに対する学術調査という名の処刑を強行しなければな」
「…………そこまでわかっているなら、どうして私に会いにきたのです?」
呆然とするネクターに対し、カイルはさっぱりと笑った。
「いろいろ考えていたはずなんだが、お前の顔見たら全部忘れたよ。あの辛気臭い顔が妙に生き生きしてるし、あの竜に子犬のように懐いてる。覚悟してた俺が馬鹿みてえじゃねえか」
「カイル……?」
「黒竜殿のおかげで、隷属の呪いは解除されたんだろ?ちょうどいい。
国のやつらにはもうドラゴンにかまっている余裕はないから、俺たちが帰った後はもう確認は来ない。このまま厄介になってろ。俺たちが余分に持ってきた食料も分けてやる」
「でも、魔物被害は治まっていないでしょう?しかもいまだにあの土地から魔力が漏れ出ているはずです」
「ようやく国もこの事態のヤバさに気付いてな。これから俺たちの部隊も応援に行くことになっている。総力戦になることは間違いない。開いた穴については魔術師長率いる研究室が不眠不休で解決策を練っているからせいぜい頑張ってもらうさ。
というわけで、しばらくは国境の警備も手薄になる。杖がないとはいえ、今のお前なら出入りし放題だろう。黒竜殿との契約を終えたら自分で何とかしろ。こっちには戻ってくるな」
「なら私も討伐に参加……っ!?」
語気を荒らげようとしたネクターはカイルの鋭い一瞥に思わず息をのむ。
「いいか。お前はもう死んだ人間なんだ。この国にお前の居場所はない。だからここから先この国に何が起ころうがお前には関係ない。わかったらもう関わるんじゃねえ。
……ほら、このままじゃ黒竜殿にわからないのだから、通訳しろ」
そうして彼らの話し合いが終わり、通訳された内容が会話していた分より短いのは置いておこう。
ネクターにかかった罪は冤罪で、死んでいることになっているからもう国に追われることはないのは理解した。
けど、顔をこわばらせるネクターと、飄々としたまんまのカイルとの間にある重い空気の理由くらい、教えてほしかったなあ。
そうしていろいろ端折った通訳が終わると、カイルは真摯な表情で私を見上げてきた。
「我らの道理で黒竜殿を害そうとしたことは誠に申し訳ない。
そして、黒竜殿の好意によりネクターが生かされていることは重々承知している。その好意に甘え、せめてあと2週間ほど彼を庇護していただければ幸いです。彼は、俺たち魔術師の希望だ。どうか、お願いします」
『言われずとも、精霊を介した誓約は絶対だ。私もネクターにはまだまだ教わりたいことがたくさんある。それくらいあっという間に過ぎるさ』
ネクターから通訳された私の答えにカイルはきちっと背筋を伸ばすと、腰に剣の代わりのように差していた杖を引き抜いて持った右腕ごと後ろに回し、空いた左の拳を腹部にあてる―――古来に魔導大国によって定められた魔術師にとっての最敬礼をした。
その敬意の表し方はお爺ちゃんに教えられた通りで、今も変わらないんだな。
「感謝します」
『その、』
「隊長!ご無事ですか!」
「それよりも筆頭殿にお怪我はありませんか!?」
「うわっそんなに痩せられて……髪もごっそり切られちゃってるじゃないですか!!」
そのすべての覚悟を決めてしまったような、どこか肩の荷が下りたような様子に、せめて理由ぐらい聞かせろと言おうとした矢先、ようやく覚悟を決めて出てきたらしいお仲間さんたちがどやどやとやってきてかれらを取り囲んだので声を掛けるタイミングを逸してしまう。
「ああやっと出てきたか、おそいぞお前ら」
「いや、強心臓の隊長と比べないでください。俺たちこれに挑んで地獄見ましたよね!? なんで平然と傍にいられるんですか!」
「大丈夫だ、国の馬鹿どもよりもよっぽど話が通じる。こっちの言ってることはわかっているはずだから話してみるといい。ついでに古代魔術の使い手だそうだ、頑張って英知を分けてもらえ」
「それマジですか!!」
私を見上げてびくびくとする彼らの不安を笑い飛ばすように部下の彼らを鼓舞するカイルに、その影は見当たらない。
素晴らしいほど切り替えの早さである。
それが、彼らが置かれている厳しい環境を物語っているのかもしれない。
「さあて、ネクター」
妙にイイ笑顔のカイルにがしりと襟首を捕まえられ、知り合いらしい部隊の人たちと再会を喜び合っていたネクターはびくりと肩をすくめた。
「な、なんでしょう?」
「俺は、お前を護送する兵を買収して馬車に食料と野宿用具もろもろと一緒に伝言も仕込んだはずなんだが、まさか読んでないとは言わないよな」
「それはその、」
「そこには兵の監視が弛んだらとっとと国境付近に逃げ込めと、できないまでも連絡しろと書いてあったはずなんだが」
「いや、でも護送中魔封じ付の拘束具でがちがちでしたし! それは無理かと……」
「黒竜殿に解いてもらった後は別だろうが!言い訳は聞かん!
慣れない探索魔術まで使って探してやってたのに俺が昏倒して生死をさまよっている間ゆるゆるスローライフしやがって! しかも古代魔術まで習ってただあ!? 羨ましすぎるだろこの恨み思い知りやがれ!!」
「待ってくだちょっギブギブギブギブ!!」
目にもとまらぬ速さでネクターを引き倒し、関節を極めだしたカイルたちの騒ぎについていけずにポカーンとしたのは私だけだった。
取り囲んでいたはずのカイルの部隊の皆さんは巻き込まれない距離なんだろう、いつの間にかちょっと離れたところにいて、ほほえましさとあきれの混じった何とも言えないぬるい表情で眺めていたので、ちょっと話しかけてみた。
「ネクターと、たいちょうどののこれは、いつものことですか」
案の定びくう!と恐がられ、どうするというように仲間内で顔を見合わせていたが、その中の一人、髭を生やした50がらみのおじさんが意を決したように進み出てきた。
「その通りです。筆頭……ネクター殿が不注意や、厄介ごとを持ち込むたびに隊長どのが締め上げるのがもはや恒例でして。筆頭殿も逃げられないわけではないのに甘んじていますから、彼らなりのコミュニケーションの一環なのでしょう」
髭のおじさんの呆れとも苦笑ともつかない表情は二人の気安い関係を容易に想像させ、思わず笑ってしまった。
「なかがいいんですね」
「はい」
ドラゴンの含み笑いなんて怖いだろうに、おじさんは怖がらずに同意してくれた。
あーでもこのおじさんももしかしたら70いや80越えの可能性があるんだよなあ。
妙に感慨深い気持ちになっていると、固まって縮こまっていた集団の中からおずおずとした声が上がった。
「あの、黒竜殿」
話しかけてきたのは明るい栗色の髪の女性だった。へえ、女の子もいるんだ。
「なんでしょうか?」
「そ、の、この森にかけられていた魔術阻害は魔力を余計に遮断せず指向性を持たせた魔力のみに反応し、術を阻害する態をなしていました。いったいどういう術式がくみこまれているのか概要だけでも教えていただくことはできませんか」
おっそろしく勇気を出した様子で一気に言い切った反動でぜえはあする彼女の後ろで「いいぞ、よく言った!」「さすが特攻のベル!!」と仲間たちからのやんやの喝さいが贈られる。特攻ってえ……。
えーと、といっても弄られた魔力とない魔力を選別するのってドラゴンには標準スキルなんだけど。
本当に思考の隅っこでできる事とはいえめんどくさいから、私はそのアルゴリズムをコピーしていちいちやらなくて済むよう術式に組み込んだんだが、それをどうやって説明しよう。
「……うーむ」
「っ!!! 申し訳ありません過ぎたことをせめて命だけはお見逃しください……!」
思わず考え込んだ私だったが、気が付くとそばかすの散った顔が今にもへたり込みそうなほど極限までこわばっているのを見て慌てた。
すでに「調子に乗ってすみません!」とか「に、睨まないで!!」とかすでに土下座する勢いの隊員もいる。ちょ、これ私のふつうだから! 睨んでないから!!
「わたしの知っている単語だけでおしえられるかなとかんがえていました。かれらのあそびがおわるまで時間がありそうだし、式をかくのでみんなでといてください。こだいごは読めますか。すこし? ではわからない単語があったらしつもんしてください」
空中に光精を並べて術式をかき出したのを彼らは呆気にとられて眺めていたが途端、目を輝かせて没頭し、仲間内で情報を交換しながら解読をする姿は、会話の中で思わぬヒントを見つけた時のネクターと一緒で、少し親近感を持つ。
だが、青年とネクターたちのやり取りが頭の隅に引っかかり、それを忘れることはできそうになかった。