6 ドラゴンさん、思い出す
そんなこんなで、ひと月があっという間に過ぎた。
朝と夜のご飯の後と決めた人語練習はまあまあうまくいっている。
元からニュアンスで言葉はわかったし、ドラゴンになってからもの覚えはすこぶる良くなっていた。
初めに文法の構造を解説してもらい、ネクターに古代語と現代語を交互にしゃべってもらって単語の蓄積をすると、かんたんな会話であればなんとなく理解できるようになった。
それでも発音が意外に難しく、ちょっぴり苦戦している。
もともとドラゴンが人語を発音するのに無理があるからしょうがない。こればっかりは精進である。
時間はたっぷりあるから、積極的に会話をすることで補うことにしたわけなのだが。
初めのころは私のレイラインの調整失敗談や、ネクター視点での人間の国の様子などが話題だったのだが、私が今の人間の魔術式について質問した途端、彼は立て板に水を流すように一通りの魔術体系から研究していた理論段階の魔工機械の設計まで語った。
あっけにとられた私だったが、地面を黒板代わりにちょいちょいと研究の不足部分の参考になるんじゃないかと思う古代魔術式を教えてやると、彼も目をキラキラさせて、丸一日研究に没頭していた。
ほっておかれた形になった私だったが、地面に描かれる魔術式やその仮説を眺めているうちに面白くなってきて、長年暇つぶしに考えていたレイラインから見た魔術の効率的な運用方法を語り、ネクターがそれをもとに別の研究を発展させ―――そっからはもう魔術一色だった。
だって魔術を語り合うのだって久しぶりなのだ。そりゃ共通の話題なのだから仕方ない。
それに、彼は魔術言語として古代語を使ってるから私にも理解しやすいし、意思の疎通も円滑である。
……まあちょっとオーバーテクノロジー入っちゃってるかもなあと思わなくもないし、語学学習そっちのけで白熱してしまったのは反省するが、そのおかげで彼も古代語の発音が私とそん色ないぐらいうまくなったのでよしとしよう。
抜けるような晴天の本日も、香草を煮出して作ったお茶を飲み飲み古代魔術についての解説をしていた。
『……つまり、レイラインは魔力を流す道管の役割を果たしているため、それから直接魔力を引き出せれば強力な魔術を扱うことができる、と』
『そう。それにいるのが、魔力感応ね。強い幻獣になると魔力感応はできるようになるから、その土地の魔力波に慣れた幻獣はその土地から出ていかないんだけど、レイラインぶっ壊す勢いで加減なく引き上げるからものすごい迷惑だったんだ』
『私も似たようなものです。穀倉地帯の収穫量をあげよという命令の為に私は安易に魔力の流れを固定してしまったのですから。本当に申し訳ない』
深々と頭を下げるネクターに私はまたかとあきれた。
一度レイラインの調整を視覚化して実演してみせたら時からレイラインの話になるとこの調子である。
そう、レイラインを曲がりなりにもいじったのは彼だったのである。
正確には彼が術式をくみ上げ、仲間の魔術師数百人をつぎ込んで穀倉地帯の下をたまたま通っていた太いレイラインにちょびっと穴をあけて固定したのだそうだ。
そこから漏れた魔力のおかげで最初の数年は大豊作だったそうである。
だが、最初がちょびっとだった穴が大きくなってきて周囲の森にまで垂れ流しにされた余剰魔力で増加した大型の幻獣や、最近はとうとう出現し始めた魔物の討伐で、上を下への大騒ぎになっているのだそうだ。
つまり、ここら辺の異常な魔力濃度はこの穴が原因のようでして。
しかも増加時期にちょうど重なるように私が来たから魔物を増やす親玉だと邪竜認定されてしまったと。
間が悪いにもほどがある。
私がレイラインの構造について講義をしたときから自分を責めてネクターはひどくうなだれていた。
まあそれなら責任感じるのも無理ないわな。
ん?殴るって言ってた勢いはどうしたって?
…………簡単さ。涙を流しながら頭が地面にめり込むくらい何度も土下座されてみろ。
それがマジだとわかるだけ、もういいやって気分になるから。
こういう時、現代語でどういうんだっけなあ。
「それ、わたしのいうことなんでも一つ聞くでなっとくしたはずです。もう気にしなくていいです」
「それはそうなんですが、性分なんです。……ラーワ、助詞が抜けています。私の言うことは、ですね。あとは聞くで納得、ではなく聞くことで納得のほうがより違和感のない表現です。最後の一文は綺麗です」
「わたしのいうことはなんでも一つ聞くことでなっとくしたはずです」
「正解です」
しぶしぶと顔をあげたネクターに現代語で律儀に文法の間違いを指摘される。
学生やってた頃は言語系は苦手だったけど、今はドラゴンのハイスペックさに助けられてるなあ。
『話を戻すけど、要するに魔力感応はこの世界のどんなものでもある固有の魔力波に自分の魔力を同調させることで、この世界の生物なら無意識に誰でもやっていることなんだよ。
その土地に通るレイラインの魔力波を覚えて感応できれば、意識的に魔力を多く吸収することもできるし、感応している間は自分の容量限界まで魔力を行使できる。
だから特定の幻獣は生まれた土地から出ていかないんだよね。その土地に居れば生存競争で優位に立てるんだから。あ、それでも容量越えたら魔力基幹が焼き切れて死ぬけどね』
『我が国にも、ラーワのように長時間は無理ですが、レイラインを通じて遠くのものを見る術式がありました。感応というのはもしや情報を伝達しやすくする特性があるのでは?』
『おっさすが。その通り。
魔力感応って魔力のあるものだったら何でもできるからね。幻獣同士の意思疎通は魔力感応だよ。こちらは別に思念話と呼ばれているけど。個体の魔力波はよっぽどのことがない限り変わんないから、一度覚えてしまえば力量次第で国を挟んでも思念で会話ができていいんだ』
相手に実力がともなわないと、うっかり脳の神経焼き切ったりしちゃうから人間相手にはうかつにもできなかったんだよなあ。
…………ん? なーんか忘れてるような。
頭の隅に何かが引っ掛かった気がしたが、彼が爛々と危ない光を瞳に宿し身を乗り出してきたのでそちらに意識が持ってかれる。
『それは私にも可能ですか!?』
案の定知的好奇心を刺激されたネクターに私は苦笑する。
『まあ、君は許容量もありそうだし、あれだけ細かく魔力操作ができるなら大丈夫だろうけど、慣れない君がやると思考が私に筒抜けになるけどいい?』
『ラーワに隠すことなど何もありませんから是非!』
あ、これは梃子でも動かない気だな。
まあ私が下手な干渉しなければいいわけだし、と魔術式をレクチャーした後実際に魔力感応による思念話を飛ばしてみた。
《よーしネクター、私がわかるかな?》
《くうっこれが古代に使われていた思念話ですか。文献にしかなかった魔術を体感できるとは何て貴重な経験なんでしょう!!》
入り込んできた別の意識に驚いたのか頭を押さえたネクターは興奮気味の調子で意識を飛ばしてきた。
《今んところは感度は良好だね。感情の起伏は正確に思念を読み取りづらいから気を付けてね。あとこれ脳、じゃなくて頭と魔力基幹に負荷がかかるから調子悪いと思ったら―――》
《それにしてもラーワの鱗は何と見事な漆黒なのでしょう。何物をはねつけるような光沢はいつ見ても飽きません。陽光に透ける赤い皮膜も素晴らしいですがなんといってもその金の瞳は別格です。月と太陽の光を集めてとかしこんだそれは世界中のどんな宝玉にも勝るまさに至宝! そしてこの世の奇跡ともいうべきはこの方の身に宿る深い知性と慈悲の心でありましょう。ああ私はこのようなすばらしいお方に出会えただけでなく恐れ多くも私の知識を求めていただけるとはなんと幸せなことでしょうもういっしょうついてい……はぅ》
《え、ちょっと突っ込む前にまさかの言い逃げ!?》
べた褒めに照れるより先にドン引きしている間に過負荷によって昏倒してしまったネクターを前に私は絶句する。
どれだけ私を美化しているんですかネクターさん。
てゆーかこれと似たようなことが前にもあったような…………あ。
ネクターを探してた人!
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幸い、すぐに意識を取り戻したネクターは自身の髪色のように顔を赤く染めてばつが悪そうだった。
『すみません、興味の湧いたものには歯止めが利かなくなりまして、お恥ずかしい限りです』
もっとばつが悪いのは私のほうである。
うっかり彼に一番伝えなければならないことを一月もぽっと忘れていたのだから。
『うん、それはもういいんだけど。ところでさ、今思い出したんだけど、君が眠っている間にレイラインを通じて君を探している人がいたんだよ。忘れててごめん』
『っいつのことですか!!』
『君が眠り込んだその日の夜。意識をさらった限り君と親しい間柄のようだったから君が生きて、私のそばにいる事は伝えたのだけど』
そういえばおいでといったのにあれから誰も来ないなーと考えていると、ネクターはさーっと顔から血の気を引かせていた。
うん?
『ラ、ラーワ。それ、どういう、人でしょう?』
『うーむ、面倒だったから顔までは追わなかったのだけど、彼、ではあったね。
それで「あの馬鹿ッどこほっつき歩いてるんだ!!」と言いながら―――って、どうしたんだいネクター』
『か、か隠れる、望む隠匿! いやどこか遠くへ!』
なぜか初日のようにカタコトになったネクターは滝のような汗を流しながらおろおろしはじめた。
おもいっきり動揺している反応に私は自分の失態を悟った。
相手の認識が友人だからって本人もそうだとは限らないかもしれないのだ。
それに気づくのが遅かったことを後悔しながら私は重い口を開く。
『そのね、その人が今森に入ってこちらに向かっているみたいなんだが……・』
「ぴぎゃっ!!」
妙な悲鳴を上げて固まったネクターに私は自分の失態を贖うために人間たちを殲滅すべきか真剣に考え始めたのだった。
***********
森中に張り巡らせてある監視術式に探索していた人間の反応が引っ掛かってから数十分。
他にも複数の人間の反応がありどれもかなりのスピードでこちらを目指しているので、もうそろそろこの広場にたどり着くだろう。
『なあ、本当に追い払わなくていいのかい?』
意外にもネクターは会う、と答えたので精霊たちにも手出しはするなと言い渡してあるが、先ほどから地面に正座したまま生まれたての小鹿のようにプルプル震えっぱなしだ。
今からでも遅くはないよ?という意味を込めて見つめたのだが、ネクターはそれだけは強固に首を横に振った。
『い、いえ、これは私の義務です。彼は大丈夫です。ええ死ぬわけではないのですから……』
いや、目がうつろな状態で言われても説得力無いんですが。
『……じゃあ、君たちが落ち着いて話せるように少し離れ』
『そばにいてください!!!』
『へい……』
今にも縋りつかんばかりの必死の形相に引き止められ一緒に待つこと少し。
けたたましい馬蹄と金属音をひきつれた集団は広場の手前で速度を緩めたのだが、仲間が止めるのも聴かず一騎だけはそのままの勢いで突入してきた。
そうして葦毛の馬に乗って駆け込んできたこげ茶色の短髪をした青年の魔力波は、探索魔術を使っていた人と同一人物だった。
彼は馬から飛び降りると、私には目もくれず広場中央に正座するネクターへつかつかと歩み寄る。
ネクターは悲壮な顔で待ち構え、地面に手をついて土下座の姿勢である。
「ごめん、私が……」
頭を下げる前にたどり着いていた青年に胸倉をつかまれなけなしの言葉もつまった。
そのまま殴るのか、と思って迎撃しようとした私だったが、青年の今にも泣きだしそうな表情に毒気を抜かれた。
「生きてるんなら、連絡くらいしろ、この大馬鹿野郎!!」
「っ! ごめん、ごめんよカイル」
胸ぐらを捕まえたまま涙をこらえるように顔をうずめた青年の頭に手を置きネクターは本気で泣きながらあやまっていた。
そして。
感動の再会場面に明らかなお邪魔虫である私はものすごい居心地の悪さに途方に暮れた。
とりあえずほんまもんの友達らしいし、言ってた通り問題はないのかな。
と、ドラゴンイヤーが青年がひそりとネクターにささやいた声を拾った。
「ネクター。俺が探査魔術でお前を捜索している最中、妨害を仕掛けてきたやつがいた。
おかげで本調子に戻るまで一週間以上もかかった。その上罠に誘うみてえにお前の居場所を教えられ、途中でやった探査は強固な阻害魔術で全部消去された。俺の動向がばれているかもしれん。ここに居て心当たりはあるか」
『……あの、ラーワ探査魔術を見つけた時話しかけたとおっしゃられていましたが、それって何か副作用があるものなのでしょうか。
あと、もしかして探査や魔力を遮断する魔術式を展開されていますか?』
ネクターが困惑気味に振り返り、私に妨害と阻害魔術のことを尋ねてきたので内容が知れた。
なるほど、いるかもしれない伏兵に聞こえさせないための過度の密着なのか。
いきなりネクターが振り返って古代語を話し始めたのを青年は訝しげにしていたが、その相手が背後にいる私だと気づいて目をまん丸くしていた。
にしてもやっぱりねえ。
『実は彼の探索魔術につなげて会話を試みたのだが、人間相手の加減がわからなくて、魔力基幹に過負荷を与えてしまったようなんだ。後、阻害魔術は私が掛けている。ネクター、彼に申し訳ないと伝えてくれないか』
「……おい、今の流ちょうな古代語は、もしや」
「そうだよ。カイル、妨害のことだけどそれはラー……このドラゴンがやったことだそうだ。
君が罠だという声も、この方が思念を傍受して私の知り合いだと知って私の安否を教えてあげようとしたらしい。そんな大事になったと思わなくて申し訳ないと言っている」
「何、だと?」
呆然と見上げてくるこげ茶の髪の青年に、謝る意味も込めて会釈してから、なめらかとはいかないが現代語であいさつしてみた。
「はじめまして。ネクターのともだち。わたしはラーワです」
「…………本当にしゃべった」
あんぐりと口を開けて驚く青年がぽつりとつぶやくのを聞いて思わずガッツポーズを決めた。
よっしゃ。通じたぜ!!