第21話 幕間 幼き祈りに応えるもの
マルカは、兄の友達であるエルフのイエーオリに抱えられながら、あの大きな魔物に立ち向かっていく兄の姿が見えなくなっていくのを泣きながらみていた。
わたしはまた足手まといだ。
お兄ちゃんに守られてばかり。
「うっく……」
「大丈夫だ、マルカちゃん、エルヴィーは丈夫だし、ミコトもすげえ強いってエルから聞いてる! 大丈夫!」
イエーオリに背中に手をおかれつつ、なだめられることすら情けなかった。
そんなとき、立ち止まったアールがイエーオリの手をふりほどいた。
「ごめんなさい、行けません」
「何言ってんだアール! おまえなんかが行ったって邪魔になるだけだぞ!」
さすがに声を荒げるイエーオリに、アールが泣きそうな顔で叫びかえした。
「このまま逃げて、後悔したくないから!!」
「くそっ!!!」
とたん、身を翻してきた道を戻りだしたアールにイエーオリが悩んだのは一瞬で、アールを追うことはせず、ひたすら本校舎への道を走りはじめた。
「イエーオリさん!」
「戦闘科の人間を呼んでくるのが先だ! 俺が戻っても意味ねえんだよ!!」
血を吐くような声音だった。イエーオリの悔しげな歯がゆそうな横顔に、マルカはこの人も自分と同じように無力さを感じてるのだと気づいた。
誰か、と思ってしまうのが悲しかった。
でも、でも、今のマルカには祈ることしかできない。
それでも、全身全霊を込めて、強く願った。
(おねがい、おねがい。神様、誰でもいいから、お願いします。
わたしは何でもするから、どうなってもいいから、おにいちゃんを、みこさんを、アールを、守って!!)
”……った”
はっと顔を上げたマルカを、イエーオリがいぶかしそうにした。
「どうしたっ!マルカちゃん!!」
「いま、誰かが答えてくれた気がした」
「誰って何だよ!? 誰もいないぜ」
「わかったって……」
マルカは肌をなでていった、知らないような知っているような魔力の気配に、どんどん気持ちが落ち着いていくのがわかった。
「イエーオリさん、わたし、自分で走る」
「あ、ああ」
「わたしはわたしに出来る事をするわ」
「お、おう」
急に静かになったマルカに戸惑いつつ、限界に達していたイエーオリが素直におろすと、マルカはイエーオリとともに走り出す。
あの精霊の声のように曖昧だったけれど、マルカはとても安心できた。
なら、できないことを嘆いてもしょうがない。
なら今は、お兄ちゃんたちの足手まといにならないように逃げ切ること。それから応援を呼ぶことに専念するんだ。
マルカは涙を拭いて、前を向いた。
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曖昧な世界だった。
眠っているのか、起きているのかよくわからなかった。
ただ、心地よい何かに包まれていた。
その心地よいものが魔力だ、と知っていた。
ひどく欲していることに気づいて、存分にその中に浸る。
自覚すると、今度はその流れに乗っていた。
常に揺らめき、定まらない視界には様々なものがすぎていく。
森の中であったり、見渡す限りの平原であったり、あるいは地の中であったりした。
共通するのは、そこに魔力の道が、あることだった。
ああ、確かレイラインと言っていたな。
こんな風になっているのか。
と、思考したところで、男は、ふと思った。
誰に教えてもらったのだったか。
『レイラインってのはね、魔力循環にかかせないものなんだよ』
誰かの声が、記憶から呼び覚まされた気がしたが、すぐに砂のように崩れていった。
男は一所にとどまらず、視界はどんどん変わっていく。
また、時間もなく、実体もなく、ただ、目の前に現れるものを感じ取るだけ。
それがどれくらい過ぎただろうか。
くん、と。
かすかに引っ張られる感覚。
”……けて”
泣きそうないや、泣いている声音。
男がそこに意識を向けると、それがぼんやりと形になる。
この状態であれば、どこにでも行けると、知らずとも理解していた。
気がつけば、男が作った学園だった。
男が知るより、だいぶ規模が大きくなっており、一部、街壁が森と融合している。
ずいぶんだだっ広くなったものだ。
そうして見つけた、どこかで感じた、魔力の気配。
だが、その魔力の気配は泣いていた。
(おねがい、おねがい。神様、誰もいいから、お願いします。
わたしは何でもするから、どうなってもいいから、おにいちゃんを、みこさんを、アールを、守って!!)
自分の無力を嘆き、慟哭し、だがそれでも大事な人が無事であれと叫ぶ。
その純粋で悲痛な願いに、男は揺さぶられた。
その涙を拭いたかった。
かつて、その憂いをすべて取り除くと誓った。
ああ、そうだ、愛した女がいた。
気づいたとたん、視界がわずかに鮮明になり、移ったのは麦穂色の髪に、白いリボン。
「ベルガ……」
そうだとも言えるし、違うとも言える気がした。
その魔力の気配にふれ、彼女が救いを求めるものを探す。
そこには一体の魔物と戦う、少年少女、それと小さな子供。
純粋な魔術師にとっては手強い魔物であると、男は知識で知っていた。
子供はとたん膨大な魔力を放出しながら、別の生き物へと変じ、魔物を引き連れて森の奥へと消える。
その様子は、とても持て余しているように見える。
さらには少年たちの方も、新たに現れた複数の魔物に囲まれていた。
危険だ。だが、男であれば、問題ない。
「わかった」
男の返事が聞こえたのか、はっとその瞳が見開かれる。
瞳の色は碧色だったが、男はもうかまわなかった。
ベルガにうり二つの少女と懐かしい魔力をまとう少年二人。
助けなければならない、そう決めた。
ならば、このままではいられない。
体が必要だ。
男は、自分の源に戻った。
相変わらず心地よい魔力の奔流に、また意識がまどろみかけたが、否、と命じる。
まだ早い、となにかが言う。
それはおそらく正しいのだろう。だが、今でなければ間に合わない。
その声を無視し、男は強く、思い出す。
かつての自分を、戦いに身をおいていた頃の自分を。
彼らと戦場を駆けめぐっていた頃の自分を。
決定的な何かが引きちぎれるような不快な感覚の後、
目を開ければ、雑然と草木に覆われた石畳に立っていた。
地に足を着く感覚に、戸惑いを覚えるが、長年の癖で、即座に身体のチェックを行う。
足、問題なし。胴体異常なし。
腕、問題ない、手も問題ない。
武器は――――……
意識したとたん、手には半身とも言える自分の杖が現れた。
ほかの魔術師たちに比べ、ずいぶん無骨で、よくベルガに”ハンマー”だと言われたものだ。
どういう原理かは、何となくわかった。
これはただのかりそめだ。杖も、この体も。
自分自身が、杖なのだと、男は、強く自覚した。
そして、あまり時間がないことも。
だが、今ならどんな魔術でも使える。
どの方向へ行けばいいのかも何となくわかった。
男は雷鳴をまとい、飛んだ。