第17話 幕間 災厄の予兆
シグノス魔導学園、魔術戦闘科で教員をしているバルザーは、ひと月前に起きた盗難事件の捜査が進展したことを喜ばしいことだと思っていた。
事が事のため、大々的な捜査もできないためか、犯人の足取りもつかめず、正直手詰まりを迎えていたため、新たな情報を歓迎したが、それに伴い学園長から秘密裏に外部からの協力者を入れると通達されたときは、おもしろくなかった。
捜査のプロではないが、探索、予知などの魔術を駆使しての捜索ならば、どこよりも高い水準で遂行できる。
相手が魔術師や、魔術を行使したというのであれば現役の魔術師や、研究者である自分たち以上にわかることなどないと思っていた。
ハンターだという、その人物の専門は薬師だという。
実際、ネクター・フィグーラは優男という言葉がひどく似合う柔和な青年だった。
魔術も扱うらしく、腰には汎用品の短い杖を帯びており、長い亜麻色の髪を緩く編んでひとまとめにしていたが、ハンターと言うには頼りなげだ。
なぜ学園長はそのような人物にこのような重大機密をあかし、参加させるよう要請してきたのか、わからなかった。
だが、それが命令とあれば仕方がなく。
その青年を渋々シグノス平原、及びその周辺の捜索の人員に加え、バルザーとコンビをくんで、早朝からの捜索に挑むことになった。
青年は森に入って早々、眉宇をひそめた。
「……おかしい。魔力濃度が濃いですね」
「このあたりは魔力濃度が高い値で安定してるのだ。おかしいことではない」
その言葉に、バルザーはなんでもないように返しつつ、軽く驚いた。
この地域は、約百数十年前の魔力災害以来、魔力が高い濃度を指している。
森の中、シグノス平原の中心は今でも人族が立ち入れる魔力濃度ではないので、一定区画は進入禁止になっているほどだ。
だから、ほど近いこの森の中が濃度が高いのは驚くことではない。
10日前に測定されたばかりの魔力濃度の値は、平均より少々高い程度だったはず。
だが、この青年はそれを感じ取れるほど魔術師としての修練を積んでいるらしいというのが意外だった。
「いいえ、これでは……」
だが、青年は更に何か見えないものでも追うように周囲を見渡していると。
瞬間、亜麻髪の青年は鋭く振り返ると、腰の簡易の杖を振りぬいた。
『風刃』
魔力を乗せた古代語が唱えられたとたん、生み出された複数の風の刃は、今にも襲いかからんとしていた、魔物を切り刻んだ。
おそらく第3級相当の魔物は耐えきれず、魔石を残して霧散した。
バルザーでもかろうじて察知できたほどの素早い魔力操作で魔物を滅したネクターは、杖を握ったまま、なんでもなかったかのようにバルザーに言った。
「これは百数十年前の魔力災害並の魔力濃度です。この浅瀬で出会うのであればほかにも何体か発生している可能性があります。ほかの捜索隊にも確認し、学園側に警報を発令するよう、要請しましょう」
「何を……」
「魔物は、生きた魔力のある地に惹かれます。シグノス学園は格好の餌場です」
あんぐりと呆気にとられていたバルザーはその言葉にあわてて他の捜索班に風精を飛ばし始めた。
黒火焔竜によって魔力循環を整えられたこの地は、魔力が高濃度でも、ほかの地域に比べて魔物の出現がきわめて少ない。
強力な幻獣ならば日常茶飯事だったが、魔物は半年に一体現れるか否かだ。
バルザーも学園にきて数十年、いまだ見たことがないほどだった。
目の前で魔物が倒されても、まだ半信半疑だったが、ほかの仲間からどんどん魔物との交戦中という返答が返ってくるにつれて自分でも血の気が引いていくのがわかった。
「直ちに捜索を中止、学園に緊急連絡をする」
「それがよろしいでしょう」
風精の声は聞こえていただろうに、全く表情を変えない青年の冷静な態度に、バルザーは自分の動揺ぶりを恥じる。
すぐさま報告事項を持たせた使い魔を学園に向けて飛ばしたバルザーは、しゃがみ込んでいたネクターから、小指の爪ほどの魔石を手渡された。
「持っておいてください。交戦時において魔力切れが一番恐ろしい。少ないですが、お守りになります」
その、淡々とした言葉の内容に、今すぐシグノス学園へ帰るつもりだったバルザーは驚いた。
「まさか、探索を続行するのか」
「はい、この魔力濃度の急激な上昇には、何らかの原因があるはずです。今、探っていましたが、魔力の流れてくる方角は例の杖のある方向です」
思わずそちらをみたが、バルザーには、魔力が濃いという以外に何もわからない。
先ほどの手際と言葉からするに、すでにバルザーはこの青年をただの薬師とは思えなくなっていた。
「あなたは、一体……」
「時間がありません。この不自然な魔力上昇は、自然には収まらないでしょう。元をたたかなければ魔物は増加します。せめて拠出位置だけでも特定しなければなりません」
その言葉にバルザーははっとした。
そうだ、自然なものであればシグノス学園の経過観察に引っかからないわけがない。
人為的な要因の可能性があるとするならば、一刻も早く原因を特定しなければ。
悔しいが、この青年の方が、魔力の流れを感じる、という点では明らかにバルザーより勝っている。
「魔力が流れてくる方向へ進めばわかるだろう。案内をお願いする」
「はい」
杖を引き抜き臨戦態勢をとったバルザーに、ネクターがうなずく。
「まさか……あの施設は、完全に破壊したはずです。杞憂だといいのですが」
そうして警戒しつつ進み始めたバルザーは、ネクターのわずかなつぶやきと、厳しい表情には気づかなかった。