第15話 少年は悔恨する
あけましておめでとうございます。
今年もドラゴンさんをよろしくお願いいたします。
エルヴィーはあの時のことを今でも思い出す。
父についてやってきた村は、山に囲まれていて、精霊たちが沢山いた。
何が起こるかわからないからあまり村の外に出てはいけない、と父からは言われていたが、村の子供とは仲良くなれず、家の中は退屈だったから、その時10歳だったエルヴィーは父が仕事でいない間は、6歳だったマルカを引き連れて、森の中を探検して遊んだ。
『おにいちゃん、なんか、せいれいさんが、こわがってるよ』
その日も、マルカを連れて、森の中に分け入り、木の実を集めたり、木登りをしたりしていると、マルカが袖を引っ張ってそう訴えてきた。
マルカは人一倍、精霊に好かれていた。
エルヴィーよりも構われるそれが少し羨ましくもあったが、それだけマルカの魔術適性が高いということだから、誇らしくもあった。
そんなマルカが言うのだから、嘘ではないのだろう。
エルヴィーも耳を澄ませてみれば、なんだか、森の中がざわざわする気がした。
『大丈夫だろ、それよりもほら、こんなのはどうだ?』
だけど、遊ぶのが楽しくてすぐに帰りたくなかったエルヴィーは、マルカの気を引こうと風を起こして木の葉を舞いあげて見せた。
幼いマルカは空中で自由に姿を変える木の葉に見入ったが、エルヴィーが疲れて止めれば、また不安そうに言う。
『おにいちゃん、かえろ?せいれいさんが、あぶない、にげろっていってる!』
袖を引かれて訴えられれば、エルヴィーも仕方なく遊ぶのをやめてきた道を帰ろうとした時。
一斉に精霊がざわめいた。
マルカよりも精霊が見えないエルヴィーでも感じ取れるほどのざわめきは、おびえと警告を含んでエルヴィーたちを追い越して行く。
≪にげて≫
≪にげて≫
≪あいつが来るよ≫
≪ぼくらを食べにやってくる≫
そう囁きあう精霊たちの声なき声に、ざわざわと胸騒ぎを覚えたエルヴィーは、マルカの手を引いた。
「帰るぞっ」
「うん」
そうして、村へ向けて一歩踏み出した時。
ソイツは音もなく現れた。
そこからの記憶は断片的であいまいだった。
『おにいちゃっ!!』
覚えているのは手を引いて走るマルカの泣き声と、愕然とした父の姿。
転んだマルカをエルヴィーに投げた父が、ソイツの中に消えていく瞬間。
握った木の枝の感触。
『喰われた』、ときの喪失感。
地に倒れ伏した時の、土の匂い。
ゆっくりと近づいてくるソイツを、睨み付けることしかできなかった自分。
力なく横たわるマルカには、今にもあの黒い触手が巻き付こうとしている。
守れなかった、守れなかった。
助けたい、せめて、妹だけでも――――――
そのためだったら、どうなったっていいから!!
『――――小童よ、我に望むか』
『……っ!』
唐突に入ってくる、意識、断片的な声。
目の前をふさぐような、大きな影。
圧倒される、何か。
俺は、その声に、何と答えたのだろう。
**********
早朝。
一般の生徒にも開放されている屋外演習場の隅で、エルヴィーと美琴は対峙していた。
エルヴィーは訓練用の刃引きされた剣をかまえ、対する美琴は木製の身の丈ほどの杖を携えている。
一拍、二拍とお互いの隙をうかがいあっていた二人だが、先に仕掛けたのはエルヴィーだった。
上段から振り下ろされた剣を美琴は魔力を通した杖で受け止め、受け流したとたん、すかさず押し込むように杖を繰り出す。
たちまち激しい応酬が繰り広げられたが、次第にエルヴィーの動きにさえがなくなっていく。
だが美琴の杖捌きには寸分の狂いもなく、やがて、攻めの甘い剣を美琴の杖がからめとるように飛ばし、決着が付いた。
軽く息を弾ませる程度の美琴は、荒く呼吸を繰り返すエルヴィーを険しくにらむ。
「剣に心が、通っていない。意志が乱れてる」
厳しい声音に、ようやくしゃべれる程度に回復したエルヴィーはかろうじて答えた。
「すまん」
魔術科の留学生としてきている美琴が、武術も極めていると知ったのは、美琴が夜も明け切らぬうちからやっていた杖の稽古に偶然居合わせたからだった。
魔術科の受講生として顔と名前だけは知っていたものの、彼女が治癒術の専門家という噂を聞いていたエルヴィーは彼女のふるう杖の鋭さにはじめは目をむいたものだ。
その場で思い切って話しかけると、美琴の国では「巫女」というのは、幻獣や魔物討伐のサポートを行う戦闘職であり、先陣を切って高位の魔物の討伐にでるものなのだと、エルヴィーは美琴のつたない話口から知って驚いた。
どうやら美琴のつたない西大陸語でされた東和国の「巫女」説明を、こちらでは治癒術のエキスパートである「僧侶」と誤認した学校側は、美琴を魔術科の医術コースに入れたらしい。
戦闘科でこちらの危険種討伐技術を学ぶつもりだった美琴は、必要最低限の西国語しかできなかったため誤解を解くこともできず、だが何歩も進んでいるこちらの医療技術を学ぶのも悪くないか、と放置していたのだといった。
同じ年齢にも関わらず、相当の場数を踏んできたことを話の気配から悟ったエルヴィーはその場で言い出していた。
「なら、俺と一緒に部活やらないか?」
「?」
「俺、「ハンターギルド」ええとこっちの魔物討伐の互助協会に登録してるんだ。おまえさえよければ連れて行ってやるよ。なんなら戦闘科の座学も教える」
「!!」
「そのかわり、俺に君の国の戦い方を教えてくれないか」
今思えば、どうして大して話したこともないそれも異国の少女を誘えたのかエルヴィーは謎だったが、ともかく、美琴は了承したのだった。
それ以来、美琴に頼み込んで稽古に参加させてもらい、故郷の武術まで教えてもらっている。
そうして、イエーオリと二人だけだった部活動に美琴が加わって一年、彼女の助言で国の技術である「刻印術」まで取り入れてエルヴィーの魔術銃まで作り上げられた。
美琴はエルヴィーにとって大事な仲間であると同時に師匠でもあるのだ。
だから、どんな理由であれ、熱の入らないエルヴィーが悪い。
「謝って、ほしい訳じゃない。それじゃあ、稽古でも、危ない。怪我をする」
もっともすぎる言葉にうなだれるエルヴィーに、美琴はため息をついて、杖を小脇に抱えた。
「今日は、これで終わり。後は、自分の心整えて」
「……わかった」
美琴から教わった稽古を終える際の作法である「おじぎ」をして、エルヴィーは飛ばされた剣を拾う。
そうして地面においていた鞘に戻そうとしていると、美琴がぽつりと言った。
「ねえ、やっぱり、悪いことした?」
なにを、と聞かなくてもエルヴィーは一昨日のことだと察した。
じくりと、胸が痛むのを隠し、努めて明るく言う。
「いや、本当に偶然だったんだろう?」
「うん。困ってたから助けてあげようと思って」
「偶然なら、仕方ねえよ。気にすることじゃないさ」
美琴はほっとしたように耳を動かし、だが、更に訊ねられる。
「あの子、エルの妹なんだよね?」
「まあな」
「ヴィー」の発音が苦手らしく、最初に決めた愛称で呼ぶ美琴にエルはうなずいた。
「仲、よくないの?」
「……昔は、良かったよ」
そう、昔は良かったのだ。
5年前はどこに行くにもマルカがついてきて、少々面倒に思いつつもかわいがっていたものだ。
「今は、よくないの?」
更に深く踏み込んでくる美琴にいらだちを覚えてにらみつけようとしたエルヴィーだったが、美琴は一歩も引かない。
逆に、美琴の黒々とした不思議に強い瞳にエルヴィーに気圧され、言うつもりのなかった言葉がこぼれた。
「どう話せばいいか、忘れたんだ」
「……」
「マルカにとって、俺は『強い兄ちゃん』だった。俺自身結構魔術が使えたから、そんなつもりになっていてそれでいいと思ってた。でもな、そうじゃなくなったあと、それを隠していくうちに、気がつくとマルカにどう接していいかわかんなくなっていたんだ」
美琴にはすでに、ハンターの青年のノクトとアールが帰った後、大まかな事情は話してあった。
あのときは、どうも顔を合わせづらく、追い出すように帰らせてしまったが、いずれにせよアールにも話さなければなるまい。
だがそのことを考えると気が重かった。
沈黙したエルヴィーを見つめていた美琴がぽつりと言った。
「うそ、ついてたのは良くない」
「まあ、そうだよなあ」
もっともな言葉にエルヴィーが苦笑してると、
「でも、好きだからこそ、言えないってのは、わかる」
その、悲しみに満ちた声音に、はっと顔を上げたエルヴィーは、美琴の物憂げな表情を見る。
「後ろめたいってのもあるけど、傷つけたくなかってのもわかる。でも、そうしているうちにどんどん壁が厚くなる。よくない」
「もう、厚くなり過ぎたよ」
「でも、本当は、話したい」
図星だった。
「ためらってるうちに、会えなくなることだってある。謝っておけばよかったって、後悔するの、つらいよ。大事なら、なおさら」
「だが、妹は……」
「妹だって、兄のことを心配だってする。元気でいて欲しいと思う。頼ってばかりじゃない。守られてばっかりだと思うな」
他の誰かを思い出すように言った美琴が、肩を怒らせて歩いていくのを、エルヴィーは呆然と見送った。
**********
あれは、励まそうとしてくれたのか。
と、エルヴィーは一度寮に帰ってから気がついた。
急いで制服に着替えつつ登校準備をする間も、やはり考えるのは一昨日についてだ。
どうして魔術を使えなくなったことを隠すことにしたか、きっかけは鮮明だった。
目の前で父が飲み込まれるさまを見たマルカは、父が死んだことを自分のせいだと思いこみ、当時はとても不安定になっていた。
魔術を使えなくなっていると気づいた衝撃でさえ、エルヴィーの中でかすんでしまうほど。
魔物に魔力基幹を食われた影響かもしれない、魔術医師に診断された瞬間、エルヴィーは自分のことよりもマルカのことを考えた。
自分があの魔物に“喰われた”のはマルカをかばったときだった。
自分が魔術が使えなくなったと知ったら、それこそマルカが壊れると思った。
だからエルヴィーは母に頼み込んで、魔術が使えなくなったことをマルカに隠すことにした。
マルカの前では「強い兄ちゃん」のままでいることにしたのだ。
いや、マルカの中でだけは、魔術を使える自分でいたかったのだ。
どれだけ無意味か、知っていたのに。
マルカに隠すといっても、魔術が使えることが「当たり前」だったから、なにも言わずにいればそれで良かった。
さらに、エルヴィーは、その年の秋には祖父の運営するシグノス魔導学園へいくために寮に入ることになっていたから、隠すのはよりいっそう簡単だった。
本当は魔術が使えなくなったことで、魔術科へ入学義務はなくなっていたから、わざわざシグノスを選ばなくても良かった。
実際母にもそういわれて、地元の学校を提案されたが、エルヴィーの中にわずかに残っていたあこがれや意地と言うものが学校を変えることを善しとしなかったのだ。
だから、母に頼み込み、スラッガートの子が入学してくると言うのはすでに噂になっていたから、名前を変えてまでシグノスへ来たのだった。
入ってすぐは、地獄だった。
校内で魔術科の生徒がかつての己のように自由に鮮やかに魔術を使うのを目にして、何ともいえないいたたまれなさと、羨ましさと、どうしようもできないどろどろとした感情がわき起こった。
そのたびに魔術科の生徒たちにむかって、俺にだって使えたんだ!と叫びたくなった。
だが、エルヴィーにはもう使えないのだ。
そのやりきれない鬱憤はすべて、勉学へ注いだ。
今のアールほど頭は良くなかったが、誰よりも机にかじり付き、図書館に通い詰めた。
初等3年からの選択コースに戦闘科を選んだ後は、そこに鍛錬が加わった。
誰よりも走り込み、誰よりも剣を振るい、よりいっそう勉学に打ち込んだ。
戦闘科を選んだのはあのときマルカを守りきれなかった無力感を埋めたかったのと、何より、あの魔物への憎悪があったのだろう。
仮想敵は、いつだってあの魔物だった。
どうやって倒すか、手段は、弱点は?
図書館で魔物関連の資料を読み漁り、頭の中で何度となくシミュレートして。
だがどうしても勝てなかった。
エルヴィーの戦闘科での成績はがんばっても中の上。
同学年の魔術戦闘科の生徒にはかろうじて勝てたものの、そもそも本物の魔術師でさえ苦戦する魔物に、魔術の使えないエルヴィーが勝てるわけがない。
どうしても魔術が使えなければならない。
それを補うために、エルヴィーは昔祖父の家で一度だけ見せてもらった、曾祖母の魔術銃を思い出し、自分だけの魔術銃を作ることを思いついた。
魔術を行使するための回路が壊れただけで、エルヴィーに魔力はあるのだ。
ハンターギルドで魔術銃を使っていたハンターに頼み込み、古いものを譲ってもらって研究し。
魔術機械についての文献を読み漁り、前から手先が器用で、魔術機械についても詳しかったイエーオリにすべての事情を話し、頭を下げて部活動を始めた。
いつしか、あの魔物を倒すことばかり考えていた。
そうして真剣に打ち込めば打ち込むほど、マルカ宛の手紙が短くなっていった。
戦闘科へ通っていると言えば、その理由を問われるだろう。
ただでさえ、マルカの中で自分は魔術科に通っていることになっているのだ。
勉学以外では魔術銃を作り、ハンター見習いをしていると言えば、あの魔物について思い出すかもしれない。
そうしているうちに、年に一度の帰省でマルカに会うのがだんだん怖くなっていた。
会うたびに、笑顔が増えていくマルカをみるとほっとしたが、自分の嘘がいつばれるか、気が気でなく、逃げるようにシグノスへ帰ってきた。
マルカのあの虚ろな表情が、脳裏にこびりついていた。
守るためだとついていた嘘が、自分を縛っていた。
マルカが「シグノス学園に通う」と母親から教えられた時は、驚いた。
初等部と高等部、しかも学科が違えば接触はほとんどない。
会おうと思わなければ在学中会わずに済むと言い聞かせつつも、手紙の中で一言も匂わさなかったマルカがなぜ、という思いはあった。
だが、マルカが同じ学園に入学してきて気にならないわけがない。
あのうつろな表情が脳裏にこびりついているエルヴィーはどうにかして、悟られずにマルカの様子を知りたかった。
マルカは、エルヴィーと違い“スラッガート”の名を隠さずに入ってきたから、名前と存在は知られていて、噂はそれとなく流れてきたが、正確さは乏しく。
初等部から学科ごとに飛び級してくる生徒もいないわけではないが、それがマルカの様子を聞くことができるかと言えば微妙だ。
だから、アールがマルカと仲がいいと知ったとき、運命だと思っても仕方がないだろう。
断らないだろうと知って、巻き込んだ。
自分よりいくつも小さい後輩を利用するだけ利用した。
「さいてーだな。俺」
エルヴィーは寮から校舎へ重い足を黙々と動かしながら、ぼんやりとつぶやいた。
笑えるほど、自分のことばかりだ。
そこまでしたのに、結果はどうだ。
マルカを傷つけた。泣かせてしまった。
せっかく、朗らかに笑うようになったのに、楽しげに学校に通っていたのに。
あの頃のようにまた、うつろな表情に立ち戻ってしまうのだろうか。
自分は、一体どうすればいいのか。見当もつかなかった。
強くなったはずだった。
魔術が直接使えなくても、幻獣だって倒せるようになった。
それでも無力だった幼い自分のまま、変われていない気がした。
胸のうちの感情のしこりの重さを感じながら、アールの呆然とした顔が脳裏をよぎった。
アールと会ったのは、まだ、マルカと仲がいいと知らないうちだった。
新学期からちょうど一ヶ月ほどたったある日、ぽつんと、高等部の教室に場違いに出現した少女のような少年がやってきた。
その笑顔でいつつもどことなく不安げな様子が、マルカを思い起こして、罪悪感から逃れるように世話を焼いていた。
だが、そんなエルヴィーの気遣いなど無用であるかのように、アールは天真爛漫にあっという間にクラスに溶け込んだ。
それでも、アールは変わらずエルヴィーを慕ってくれた。
事あるごとに後ろをついてくるアールに、あの事件の前のマルカを思い出し。
新たな知識を学ぶたびに金の瞳を輝かせる様に、自分との違いに羨望を感じ。
妙な気後れも遠慮もなく、魔術銃に使う術式について話すことに安らぎを覚えて。
気が付けばアールと居る間は、入学から常にあった漠然とした息苦しさが和らいでいたのだ。
アールはエルヴィーに良い空気を運んできてくれていた。
あの、無邪気に明るい声音で呼ばれるたびに、守れなかった自分ではなく、魔術の使えなくなったみじめな自分でもなく、“エルヴィー”自身で、いられるような気がしたのだ。
そうか、自分は、
マルカに泣かれてしまうことと同じくらい、アールに失望されるのが恐ろしいのだ。
「馬鹿だなあ、俺」
目の前が真っ暗になったような心地で、それでも校舎にたどり着いていた。
授業は今日もある。アールと顔を合わせる授業もあったはずだ。
会う前に、何とか、どうするか考えなければ。
まずは、アールに強く言ったことを謝らなければ。
それから、追い出すように帰らせたことも。
だが、マルカのことを訊かれたら? どうして自分を部活動に誘ったか追及されたら。
そのことを考えるだけで、指先が冷えた。
一瞬考える。
少なくとも、校舎に入らなければ、会わずに済む。
すると、するりと腕をとられた。
片手が、温かいものに包まれる
手首に装飾的な腕輪をはめた、小さな手だった。
「エル先輩っ!」
光そのものような明るい声音で呼ばれてエルヴィーが顔を上げると。
華奢な体を黒い制服に包み、にっこりといつもと変わらず笑うアールがいた。