5 ドラゴンさんは使い魔(仮)を観察す
日も暮れかけていたので、ネクターを馬車の中で休ませた。
早速言葉を教える気満々だったらしくしぶしぶといった態で馬車の中に入っていったが、横になった途端スイッチが切れたように深い眠りに入る。
無理もない。
私がほんのちょっぴりこのあたりだけ魔力を濃くしていたから倒れなかっただけで、何時昏睡状態になってそのまま死んでもおかしくなかったのだから。
長年人とかかわる生活をしていないが、長い竜生で観察力はべらぼうに上がったつもりだ。
あの過剰ともいえる拘束具はもちろん、痩せ細った手足やそげた頬、濃い疲労の浮かぶ顔、枯渇しかけている魔力基幹の弱弱しさからどういう扱いを受けていたかは明白だった。
彼の意識が完全に寝静まったことを確認してから、私はぼろ馬車自体に強化と防護、防音の魔術を掛けた。
ドラゴンの気配が色濃いこの場所に近づくような幻獣や魔物はあらかたかたづけていたが、人間は来るのだ。少なくとも、彼の国の人間は彼の生死を確かめに来るはずだから、その時は私の出番だろう。
穏便にお引き取り願うときの余波で、彼の貴重な回復時間を奪ってしまっては困るのだ。
完全な宵闇に包まれても、私には関係ない。
やり残したレイラインの調整を進めつつ、余った思考でこれからのことを考える。
人ってやつはドラゴンよりも脆弱で繊細だ。
雨や外気を遮断する家が必要だし、健康でいるためには栄養バランスの整ったご飯も必要である。身体を守るための衣服も心もとないし、こういったものをドラゴンの身でどうやって調達するか。
一応お金に換えられそうなものもあるからお金には困らないだろうが、彼にそれを渡して調達してもらうのは論外だ。彼はそもそも国に帰れば殺される身の上である。国内で人里に出したらどうなるか火を見るよりも明らかだった。
うっかり押し売りをされたようなものだったが拾ったものは最後まで面倒を見るたちなのである。
出来れば快適に過ごしてほしい。
『最悪リグリラに一戦と引き換えにお願いすればいいんだけど、やっぱ最終手段にしたいしなあ…………と、あれ?』
ものっすごーく弱いがレイラインに干渉されていた。
この感じだと魔力の流れを通じて探索に使っているのか。どうやらこのあたりを覗き見ているらしい。
誰だかわからんものに覗かれるのは困るなーとすばやく自分と馬車の周囲だけ魔力の干渉を断ち切って、気付かれないよーにその"目"から逆探知を仕掛け術者を調べると、案の定人間だった。
こーゆー技術はあるんだなと妙に感心しつつ、一応意識に侵入して目的を探ってみた。
レイラインの修復調査に比べれば人間の意識なんてちょろい。
人権?何それ私ドラゴンだもーん。
やはりネクターを探していたようだが、彼を殺したいわけではないらしい。
この人の意識にあるのは焦りといら立ち、思念を読むのに言葉はいらないけど意訳するなら、
『あの馬鹿ッ! 一体どこに居るんだ!! まさか死んでいるんじゃ……!?』
だろうか。明らかに身を案じているのである。
人の身でレイラインに同調し続けるなんて下手すれば魔力に飲まれて廃人になるのに、この人は怒りと不安を繰り返しながらずっと森中を魔術で探索していた。
意識を読む限り、ネクターと親しい間柄のようだ。
このままじゃ下手すると死んでしまうしもしかしたら協力してくれるかもしれないし、生きてるのを教えるくらいならいいか。
思念話なら、言葉が違っても関係ないし。
そう考えをまとめるや否や私はつかんだ術に意識を同調させて話しかけた。
『ネクターなら生きてるよ。朝になったらドラゴンの住処に来るといい』
あれ、切れちゃった。まあ、伝えることは伝えたからよしとしよう。
そう思って、私は星を数えながらのレイラインの修復作業に戻ったのだが。
夜が明けても起きなかったネクターにやきもきして、すっかり忘れてしまった。
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失った魔力を取り戻すためにはある程度時間が必要だろうと思ってはいたが、ネクターは時々生きてるか確認してしまうくらい死んだように眠りこんでいた。
初日の夜は43万5962個星を数えて日が昇り、周囲の森で人間が食べられそうな木の実や果実を精霊にさがして持ってきてもらっているうちにまた夜になって、昏々と眠るネクターを前に強制的におこすか悩みつつ星を37万2361個数えて迎えた朝にようやく起きだしてきた時にはものすごくほっとした。
『しばらく、馬車使う。大丈夫 野宿慣れてる』
これからどうするのか、と聞いた私にネクターはそうあっさりと答えてそのまま馬車で生活し始めた。
私はせめてなぎ倒された木や岩で簡易の家でも作ってやろうと思ったのだが、そのために魔力を動かそうとした途端、真っ青な顔をして止められたので断念した。
どうも動かした魔力の量がまずかったらしい。
一面を更地にする気かと思った、というのが意思の疎通がより円滑になった後に聞いたネクターの言葉だった。
……確かに久しぶりに気合い入れてたから、動かした後になってちょっとまずいかなあとは思った。
ログハウス的なものを想像してたのだが、これじゃお屋敷規模になりそうじゃねとか。
結局、本人に全力でいらないと言われたので動かした魔力は付近の整地に使ったところ地球の高速道路並みの平面になりましたとさ。
地精、すまんね。
眠っている間に集めていた果物の山を見て彼は飛び上がって喜んだ。
『料理、する!』
ネクターは馬車から様々なものを出してきた。
携帯用に固く作られたパンや果物から布団や簡易の衣類まで、野営に必要なものは一通りそろっているようだ。
『……なんで鍋まで護送用の馬車にあるんだい?』
『友人、用意、これ、逃げろ』
初日に四次元ポケットのように出てきた鍋と食材で料理を始めた彼は私の質問にそう答えてくれたが、なぜか罪悪感をうかがわせるような表情浮かべた。
が、それも一瞬のことで彼が始めた料理に釘づけになった。
包丁や火打石の類は入ってなかったようでいったいどうするのかと思ったのだが、その心配はいらなかった。
風を起こして食材を刻み、土を動かしてかまどをくみ上げ、掛けた鍋に水を入れ、指を鳴らせばくべた薪から火が上る。
完璧な魔術操作である。
人族は元来の保有魔力量が少ないから技術で補うのだろうが、消費量も最小限で一切の無駄なくコントロールする様は芸術のようである。
私だったら食材を刻む時点で粉みじんだから、かえって尊敬する。
…………一度料理したものが食べたくて頑張った時期があったのだ。
レイラインの調整中に漏れる魔力で十分とはいえ食べられないわけじゃないし。
ほんと火を操るのは自分の属性だから完璧なんだけどなあ。
言葉以外にも教えてもらうものが増えたようだ。
鍋からはいい匂いがたちのぼってきておいしそーである。じゅるり。
ものほしそうな顔をしていたらしい。
彼は出来上がったスープを木を削って作っていた皿によそると、まだ半分以上入っている中華鍋のような鍋ごと私にくれた。
三階建てアパートほどの大きさがある私にはほぼ味見の量だったのだが、
ま じ う ま か っ た !!
うまいと言ったらそのあとから、私の味見用のご飯を作ってくれるようになった。
ネクター青年、マジ良い人である。
そんなこんなで奇妙な共同生活が始まったのだが、ネクターは繊細な見た目に反して、意外にたくましかった。
私との朝と夜の会話以外は好きにしていいと初めに言い渡していたのだが、たまにちょっと森へ出かけていったかと思うと夕方には獣や幻獣を仕留めて帰ってくる。
それを即席で作ったらしい氷のナイフでさくさくと解体して鍋にしていた。
私ももらったが森でひょいひょいと採ってきた香草と一緒に煮込んであってとてもうまい。
服も体も近くの川でこまめに洗って(決してのぞき見したわけではない)森の中だというのにこぎれいだし、馬車での寝起きも全く苦にしていないどころかむしろ生き生きしているようにも見えて、私は一週間生活を共にするころにはすっかり感心してしまったのだが、それでも困ることは少々ある。
『ずいぶん慣れているようだけど、魔術師というのはいろんな技能が必要なのだね』
『私、従軍経験。くえるものは自分で調達。基本』
何でも、ネクターの国―――えーとバロウだっけかバカヤロウだっけか、では魔術師はたいてい軍で管理されているそうで、魔術師になったら一度は従軍しなければならないそうだ。
その期間最低でも10年。
高魔力保有者はたいてい普通の人よりも長生きとはいえ10年は長い。
ネクターはその10年を終えて王立研究所で働いていたと、起きてから改めてした自己紹介で聞いた。
『それでも私にはできないことだからねえ。この料理の味は嫁さんに欲しいくらいだよ』
『嫁……』
そういうや否や、ネクターの目がきらりと光ったことに気付き、しまったと思う。
案の定ネクターは考えるように顎に手を当てていたが、ぶつぶつと呪文を唱え掌に魔力が集まり始める。
『……私、女違う。しかし、願い叶える、男無くなるのやむなし』
『いやいやどこに手をかけようとしてんの?! その氷のナイフは何?! むしろナニ!? ただの冗談がてらの褒め言葉だから私性別無いから”ネクターやめなさい”!』
仮とはいえ使い魔誓約のため、大慌てで魔力を込めて発した声でも効力を発揮し、今にも下履きを下ろそうとしていた姿勢のまま止まったネクターを前に私はほっと息を吐いた。
……下半身露出+自主去勢を止めたことを恨めしそうに睨まれる謂れはないのだが。
これが、最近困っていることである。
ネクターはいつも打てば響くような明確な会話をしてくれるのだが、なぜか時々ぶっ飛んだ理解の仕方をして、私がその行動を主特典である命令権限を使って止めなくてはいけない状況になるのだ。
はじめは遠慮しているのか恐がっているのかと思った。
私が人間にとってはとても恐ろしいものだという自覚はあるから、少しでも機嫌を損ねれば殺されてしまうとでも考えているかなと。
今まで国にかけられた呪いに縛られていたことも考えて、使い魔としての誓約があっても命令権限を使おうと思わなかったんだ。必要もないし。
そのことを伝えてなるべく命令口調も避けようと気を付けていたのだけど、2日ほどたったころのことだ。
昔も今も黒い私には明るい色というやつにあこがれがあり、その時ネクターの幾分色艶のもどった髪を眺めていた私は何気なく髪色を褒めた。
『君の髪は綺麗だね。私の鱗も君のような明るい色が欲しかったなあ』
それを聞いたネクターは初め面を食らったような顔をしていたのだが、得心がいったようにうなずいたかと思うと肩口ほどしかない髪をまとめて握りしめてこう聞いてきたのだ。
『ラーワ、髪、どれくらい、いる?』
それはもう、清々しいまでの笑顔でにっこりと。
私はすぐに彼が言葉の解釈を間違えていることに気付いたのだが、誤解が解けても氷のナイフでためらいもなく根元から剃ろうとするネクターを悲鳴を上げて命令権限を使わざるをえなかった。
だって、あの素早過ぎる行動をドラゴンの量力で殺さずに止めるなんて無理だったんだ……。
『ラーワ、の鱗、私、髪以上。うらやむ、なし』
『君の髪も綺麗なんだから全部剃るなんてもったいないむしろもっと伸ばしなよ!!』
落ち着いた後で聞いたところによると、要するに自分の髪が無ければ私がうらやむ必要がなくなる、と思ったらしいのだが、そういう問題じゃない。
魔術師なんだから魔力のもとになる髪はもっと大事にしようよと声を大にして言いたかったが、その時点でも素直に聞いてくれそうもない事は何となく理解していたので、何とか言葉を尽くして”美しさをめでたいから髪をのばせ”という方向に持っていくことに成功した。
初めは命令権限を使ってしまったことを後悔したが、彼は全く気にしていない上、なかなか頑固なところもあるのでそうでもしないかぎり止まらないこともあり、今では彼が自傷? 行為に走ろうとするときだけ使うことにした。
下履きから手を離すことで拘束を解除したネクターはそれでも納得できないと言わんばかりの顔をしていた。
『でも、嫁欲しい言った。私ラーワのもの。ずっといるなら、私男違うのがいい』
『全然わからん論理展開っ。いずれ恋人作ったり子供作ったりするには必要になるでしょ!? ともかく、契約のあいだはわざわざ切り落とさなくったってネクターを傍に置いておくんだから、今のまんまでいいよ!?』
私の必死の説得に非常に不本意そうだが氷のナイフを溶かしたネクターに、改めてほっと息をつく。
まさか、切り落としたがりがそっちまでいくとは……
男にとっては沽券に係わることじゃなかったっけ?
彼が極端な行動が私の役に立つようなことがしたいだけらしいと気付いたのはつい最近である。
ドラゴンと人間の関係としては割かしうまくいっているとは思いつつも、異世界人はようわからんとげんなりする今日この頃だった。