第14話 幕間 学園長の憂鬱
シグノス魔導学園学園長であるセラム・スラッガートに、休日はあまり関係ない。
緊急案件などがあればなおさらだ。
会議から戻ったセラムは、秘書からすでに来客が待っていると聞き、急ぎ学長室へ戻る。
長年使い慣れた部屋だが、今回ばかりは開ける前にひとつ息を吸い、気を静めてから、ドアノブに手をかけた。
セラムが室内に入ると、窓辺に立っていた長い亜麻色の髪をゆるく三つ編みにした青年が振り返った。
その柔和で繊細な面立ちは、自分が宮廷魔術師として働いた時代と変わらない。
当然だ、彼は、すでに人ではない。
「お待たせしました、よくいらしてくださいました。師よ」
セラムが緊張しながら右こぶしを胸に当てて頭を下げると、ネクターは薄青色の目を細め苦笑をうかべた。
「私があなたの師匠だったのはもうずいぶん昔です。そのような礼は不要ですよ」
「高位精霊へと自らを昇華されたあなたは、魔術師として尊敬すべき存在です。敬意を表すのは当然でしょう」
「まったく、変わりませんね。セラム。今の私はただの薬師です。そろそろ秘書の方がノックしますよ。ともかく座りましょう」
苦微笑の客に椅子をすすめられるという奇妙な形で落ち着いた後、ネクターの言葉通り秘書が現れ、茶器を置く。
その場に留まろうとした秘書を、退出するように言いつけ、二人きりになったところで、セラムは切り出した。
「“姉さん”は一緒ではないんですね」
話のきっかけとして選んだ何気ない一言だったが、言ってから少々後悔した。
「ラーワは、魔力循環の守護で忙しい身です。都合よく離れるということはできません。それとも、あなたの用事に、私だけでは不足ですか」
「いえ、そのようなことありません」
すっと細められた薄青の瞳が、氷のように冷えているのを見て、セラムは居心地の悪い思いをする。
当時からセラムが“姉”と慕う、ドラゴンの化身を敬愛していたネクターだったが、どうやら、セラムが一時期淡い思いを抱いていたことを察知していたようで、宮廷魔術師時代には、師である彼に大人げなく“可愛がられた”記憶が数瞬、脳裏を過ぎ去っていった。
むろん、業務に支障をきたさない程度だったが。
この傾倒ぶりまで本当に変わりがないと内心苦笑しつつ、セラムはまた一つ呼吸をしていった。
「少々、相談に乗っていただきたいことがありまして。姉さんにはあとで伝えていただければ十分ですが、それ以外には他言無用に願います」
「なにかあったのですか」
「わが父の、カイル・スラッガートの杖が盗まれました」
カイルの名を聞いた途端、ネクターの表情が厳しく引き締まった。
「初代学長である、カイル・スラッガートの杖は死後、シグノス学園へ寄贈され、展示室で保管されておりました。自分の杖を作る際の参考にできるよう、生徒たちが自由に鑑賞できるように展示されていたそれが、今から一月前に破られ、他のいくつかの博物資料と共に盗まれました。現在秘密裏にですが総力を挙げて捜索中です」
先ほどまでの会議も、そのためのものだった。
そこまで一気に言ってセラムが一口紅茶を飲むと、沈黙していたネクターが口を開いた。
「監視術式は、どうやって破られていたのですか」
「わかりません」
片眉を上げたネクターに、セラムは立ち上がって、あらかじめ用意していた資料を持ってきてテーブルに広げた。
「犯行時刻は一月前の深夜。むろん、学園で独自に開発された最新式の防犯術式は作動していましたが、何の異常も認められません。その犯行時刻と思われる時間帯に同時に沈黙し、その間に侵入して持ち出したとしか思えないのです」
秘密裏に魔術師たちにやらせた調査報告書や、当時の状況を記録した資料を流し見たネクターがひたりとセラムをみた。
「よいのですか。こちらには、シグノスの極秘情報も入っているようですが」
「構いません。魔術師の鑑ともいえるあなたが、自らの研究に利用することはあれど、どこかに流すことは考えられません。それに、知恵をお借りしたいと言っているのに、手の内を明かさないのはフェアとは言えないでしょう」
「なかなか言うようになりましたね」
「だてに歳は取っておりませんよ」
苦笑するネクターに、セラムもにこりと応えてみせる。
「それに、父の親友である、あなたがたには話しておくのが筋だと思ったというのもあります。長引けばいずれ漏れる事ですし、手詰まりなのも確かなのです」
今のところ、深夜のしかも静かな犯行だったことから、先手を取って緘口令を敷き、研究の名目で展示を取りやめたことにして事なきを得ているが、それも長く続けば怪しむ者が出てくる。最悪シグノスの名に傷がつくだろう。
早急に探し出し、対策をとらなければいけなかった。
調書を読み終えたらしいネクターが、資料をテーブルに戻して、考え込むように顎に指をかける。
「それにしても、『歌のような詠唱呪文』ですか……気になりますね」
「その時刻にちょうど、巡回で展示室を通りかかった警備員の証言ですね。それが、今現在一番のそして唯一の手掛かりです」
その警備員の証言によると、深夜、本館にある展示室に差し掛かったところ、弦楽器の音と共に、この世のものとも思えない楽の音が聞こえてきたのだという。
生徒が無断で校舎に忍び込んでいるのだと思った警備員が、展示室に向かうと若い男が丸い胴を持つリュートのような楽器を弾きながら出てくるところだった。
明らかな不審者に警備員が声をかけながら近づいたというが、不審者は警備員に気付くと笑いかけられ、初めの一音が聞こえた瞬間意識が途切れたという。
そうして展示室の前に倒れていたところを、早朝出勤してきた魔術科の教師に助けられていた。
「発見した当初意識不明の状態でしたが、治癒術医師の処置により命に別状はなし。ですが、処置に当たった医師によると、自然な眠りではなく、何かしらの術式にあてられたようだとのことです。実際、警備員は魔術による治療をうけるまで丸一日以上目を覚ましませんでした」
「なるほど。現行の魔術に魔術式と人体両方に影響を及ぼせるような術式はありません。それで、古代魔道具、または古代魔術がかかわっているのではないか、と考えたあなたは、私かラーワに意見を聞こうとしたと」
「はい。“万象の賢者”と呼ばれ、古代魔術の権威であるあなたであれば、何か該当する術式をご存知かと思いまして。犯人と対峙した際の対策を立てたいのです」
古代魔術は、その昔、古代人によって使われていたと言われる、魔術のことである。
現在の魔術でも再現できないような強力で複雑な効果をもたらす古代魔術や、迷宮と呼ばれる遺跡群などから発掘された古代魔道具などは今でも研究の対象となっている。
シグノス魔導学園が、古代魔術研究で先へ進めているのは、黒火焔竜による「黒竜の魔術集会」によってもたらされた膨大な古代魔術の知識を基礎とできたからだったが、一番の重要な資料である迷宮は強力な幻獣や魔物の巣窟になっている個所も多く、発掘は遅々として進まない。
いまだ全体を見通すには程遠い。
だが、目の前のこの青年は、黒竜に直接教えを請い、古代魔術の数々の研究はもとより基礎とする言霊魔術を打ち立てるほどの権威だった。
セラムの知る中で、一番、古代魔術に関して詳しい。
実際、早くも手詰まりを迎えている捜査の中で、少しでも情報が得られればと思ってのことだった。
ネクターは考えるようにしばらく沈黙した後、つぶやいた。
「昔、ラーワが韻をふむことで魔力を増幅し、より効果を高める詠唱法の話をしてくださいました。ですがそれも詠唱だけで、歌自体に呪的効果をもたらすわけではないようでした。とすると、楽器の方でしょうか」
「楽器のほうが、古代魔道具であると」
「断定はできません。ですが、古代魔道具のもたらす効果の不可思議さから言うと、人や術式を“眠らせる”という効果をもたらすものがあってもおかしくはないと思います」
「術式を、“眠らせる”……」
抽象的で、だが驚異的な効力にセラムは一瞬息を飲み、我を取り戻して、うなずいた。
「どちらにせよ、古代魔道具を扱えるとはただの術者ではありませんね。ですが、魔術師の世界は狭い。そのような優秀な術者であれば多少なりとも耳に入るはずなのですが。そもそも、研究棟に侵入せずになぜ、展示室の魔道具だけ持ち出したのか」
シグノスには国家レベルの機密を扱うような、またはその国にすら開示できない独自の研究室がいくつもある。
そこで研究されている魔導技術は他国や機関から見れば喉から手が出るほど欲しいものだった。
対して、展示室に保管されていたものは博物的資料としては貴重だが、実用的とはいいがたいものだ。
とくに魔術師にとって使いづらい代物である他人の杖は、有名人の使っていたものというコレクターアイテム以外に価値は無きに等しい。
「ともかく、現場に残されていた魔力波を記録し、犯人の捜索をしています。捜索に当たっている者に古代魔道具を所持している可能性があることを通達しましょう。この事態は、シグノス学園長としても看過できません。せめて、父の杖だけでも取り戻さねば」
決意をにじませるセラムにネクターは軽く息をついて言った。
「いい方法があります。確か、カイルは晩年、杖にラーワの鱗を組み込んでいました。ラーワでしたら、その足跡を今でも追えるはずです」
その言葉にセラムは目を見開いて身を乗り出した。
「師よ、よろしいのですか」
「仕方ありません。このことを黙っていたほうがラーワに怒られそうですからね」
非常に不本意そうにそう言い残したネクターが、胸元から取り出した黒い黒片――おそらくは黒竜の鱗を掌に包み込み、意識を集中させるように目をつぶる。
その間、どんなやり取りが行われたかは傍で見ているだけのセラムにはわからない。
だが、それほど時間が経たずにばつが悪そうな表情で目を開けたネクターが、竜の鱗をテーブルの上においた。
すると、鱗から淡く燐光が立ち上ったかと思うと人型に収束していき、透き通った“姉”の姿が現れた。
なんとなくデフォルメされている人型はくるりと辺りを見回した後、セラムを見上げて手を振った。
≪やあ、セラム、久しぶり≫
まるでそこにいるかのように語るその声はまぎれもなく“姉”の声で、視線が合うということは視覚と聴覚まで飛ばしてきているということだ。
最近ようやく、遠話機という長距離で音声を飛ばす技術が確立したばかりだというのに、その何世代も先にいく技術のすさまじさに、セラムは探究の徒としての血が疼いた。
それを押し殺して姿勢を正し、小さな“姉”に声をかけた。
「お久しぶりです、姉さん。労力をかけてすみません」
≪かまわないよ。今、アールと遠出中だから、こんな姿で勘弁してね≫
「いえ、十分です」
≪ほんとうは、どっかの誰かさんが正直に言ってくれれば、ちゃんと行ったんだけどね≫
そういいつつ、卓上からちらりとラーワが見上げたとたん、ぎくりと目をそらすネクターに、事情を理解したセラムも呆れ顔になる。
「いえ、その、ですね、今のアールを一人にするのも心配でしたので!」
≪まあ、そういうことにしておこうか≫
必死に取り繕うネクターを半眼で見ていたラーワは仕方ないとばかりに肩をすくめ、セラムに視線を戻した。
≪丁度、君にも話が聞きたいと思っていたし、カイルの杖が盗まれたとあっては黙っているわけにはいかないよ≫
「ありがとうございます。ですが、訊きたいことですか?」
≪ま、それは後で。さて、いきますか≫
神妙に頭を下げつつも不思議そうにするセラムに、ラーワはそう返すとぺたりとその場に座り、目をつぶる。
≪……あれ≫
だが、いくらもしないうちに小さいラーワが訝しげな声を上げたのにネクターが、問いかけた。
「どうかしましたか、ラーワ」
≪なんか、見づらい?≫
眉をひそめたラーワは目を開けると、すっと両手を前に伸ばした途端、膨大な魔力が収束し、鱗を中心に魔術陣が広がった。
≪依代越しだからかなあ。ちょっと強化してみるから待ってね≫
魔術陣が明滅と回転を繰り返している間にも、ラーワの話は途切れない。
≪そう言えば、そのリュートっぽい楽器が古代魔道具かもしれないっていうのはあってるかもね。でも、普通の人族にそこまで自在に扱えるかなって言うのが正直なところだ。あれは、古代人が使うことを前提にしてるから≫
確認できるだけで、片手に余るほどの術式を並行して展開している様にもかかわらず、気楽に話し続けるラーワにあっけにとられるセラムにかわり、ネクターがうなずいた。
「そうですよね。特に受動的な魔道具は効果が強力な分、魔力の消費量が馬鹿になりませんから。それが疑問です」
≪もしかしたら、精霊憑きか、魔族……悪魔の契約者か。まあ、それも犯人を見つければわかるわけだけど……うーん。セラム、周辺地図くれるかな≫
「は、はい」
セラムが慌てて本棚から周辺地図を取り出して、テーブルに広げる。
小さなラーワがその上を歩いていくと、その軌跡が淡い燐光を帯びていった。
≪だいたいこのあたりがカイルの杖の気配がする場所だ。ごめんよ、これ以上は依代越しじゃわからない≫
「とんでもない、とても重要な手がかりです!直ちに要員を向かわせます」
≪一応、その魔道具の対策としては、音だね。術式耐性の護符も重要だけど、一定の距離に近づかないのが一番確実だと思う。
にしても変だなあ。魔力の流れもなんか見づらい。調子悪いのかな≫
悄然とするラーワに、足跡で囲まれた場所を食い入るように見つめたセラムは熱を込めて返したが、次いで首をかしげた。
「それにしても、なぜ、シグノス平原の方へ向かっているのでしょうか。……ともかくここからそう遠くはありません。すぐに捕まえられるでしょう」
熱心に地図に見入っていたセラムは、ラーワとネクターがちらりと視線を交わしたことには気づかなかった。
数瞬視線を絡めて意思疎通をしたネクターは、声を上げた。
「セラム、その捜索隊に私たちを参加させてください」
「それは、かまいませんが」
≪私もなんとか時間を作って応援に行くよ。私には夜も関係ないから、戦力になる。生身で現場にいれば、また新しいこともわかるかもしれない≫
熱心に言いつのられたセラムは戸惑いながらも、うなずいた。
古代魔術の専門家がいるのなら、それに越したことはない。
「わかりました。現場の人間には、僕から話を通しておきましょう。高位のハンターであると言えば恐らくは受け入れるはずです」
≪ええと、ありがとう≫
少々苦笑いを浮かべるラーワを、ちょっと不思議に思ったセラムだが、ふと気づいて聞いた。
「そういえば、聞きたいことがあるというのは何でしょうか?」
≪その。エルヴィーたちのことなんだ≫
「私の孫がどうかなさいましたか」
≪ああ、君の孫だったのか≫
ラーワは迷うように視線をさまよわせていたが、意を決したようだった。
≪アールの先輩のエルヴィー君とたまたまハンターギルドで会ってね。それが縁でつい先日アールの部活動の先輩たちの部室に招待してもらったんだ。そしたら、その、偶然アールの友達のマルカちゃんが居合わせてね。そこで二人が兄妹だって知ったんだけど―――≫
歯切れ悪く濁されたことばの意味を察して、セラムは言った。
「あの子たちは、決して、仲が悪いわけではないのですよ」
≪それは、なんとなく、わかる。けど、それにしてはエルヴィーも、マルカちゃんもつらそうで。何より、アールがとても心配しているんだ≫
「はい。あの子たちの間には溝があります」
はっとするラーワとネクターに、セラムは両手を組み合わせて、話し始めた。
「エルヴィーに直に会ったのなら、ご存知ですね。彼の体外魔力の希薄さを」
≪あぁうん、私でも手を握らないとカイルの子孫だって確信が持てなかったくらいだ≫
「ですが、魔力の保有量は魔術適性をクリアしているようですし、不思議だ、と話していました」
≪しかも、昔は魔術が使えたって、本人から聞いて≫
「エルヴィーがそこまで――――その通りです」
当時のことを思いだしたセラムは、努めて平静を保って語った。
「エルはとても精霊に好かれましてね、父と同様特に風の精に好かれていました。
彼自身も、魔術がとても好きでそれは将来が楽しみな子供でした。
ですが、五年前のあの日を境にエルヴィーは魔術を繰る力を失ってしまった。
そのことが、息子の家族に特に彼と、妹であるマルカに大きな影を落としているのです」
その言葉に、何かに気付いたようにネクターが顔を上げた。
「5年前というのは、ティッセ地方で謎の魔物災害が起きた時期と重なります」
「その通りです。息子の家族たちはまさにその時期にティッセに住んでいて、巻き込まれたのです、……エルヴィーはその被害者の一人です」
「そうでしたか……」
≪何が、あったんだい≫
姉の問いかけに未だ、己も癒えぬ傷を思い出し寂寥に支配されるセラムが、答えられずにいると代わりにネクターが応じた。
「五年前、バロウ国内でも最北に位置するティッセ地方で精霊が減少するという現象が起ったそうです。
専門家を派遣して調査に当たったそうですが、その調査中に原因であった第一級の魔物に襲われ、派遣された専門家4名が死亡、その場にいた幼い子供一人が重症という被害に見舞われました」
「その、専門家の一人が私の息子で、重症の子供がエルヴィーです」
セラムが付け足せば、ラーワが息を飲む気配がする。
「当時、精霊に関する専門家であった私の息子は、家族を連れて、ティッセ地方へ赴任しました。ですが息子は原因である魔物精霊喰いに襲われ命を落とし、エルヴィーは魔力基幹を“喰わ”れ、一命をとりとめたものの、魔術が使えなくなりました」
セラムは、気を落ち着けるように、無意識に組み合わせた手に力を入れた。
「そして、マルカは、父は自分を庇って死んだのだと思い込み、そして、エルヴィーは父とマルカを守れなかったと悔やみ―――あの魔物に、今でも囚われ続けているのです」
今年は、ドラゴンさんを楽しんでいただき、ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。