第6話 少年と天才無自覚問題児の日常
広大なシグノス魔導学園の敷地内には無数の校舎、各種施設が混在している。
多くの生徒や研究員を受け入れるために、ヒベルニアの端の方にあったシグノス学園に面した街壁を、当時所属していた魔術師たちが崩して広くした、という逸話まであるほどだ。
その証拠に、現在のヒベルニアの街を上空から見ればシグノス学園のある西側が大きく張り出したひょうたん型をしている。
そのように広大な敷地故に、全学生教師を合わせて一万人ほどの大所帯ではあったが、比較的稼働率が高い施設とそうでない施設とが分かれ、ヒベルニアに近い学生寮や、主な学びの場である本校舎から遠い位置にある旧部室棟などは、自然と人数の少ない非公認の同好会、部活動の坩堝となっていた。
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「本当なのかよエルヴィー。最高位のハンターと知り合って会う約束を取り付けた、なんてよ」
シグノス学園内で最も辺鄙な場所に位置する、旧文化系部活棟の一室で机に向かって弾に込める魔術式の設計をしていたエルヴィーは、背後を振り返り、後ろで作業をしている友人のエルフ、イエーオリ・エイセルを睨んだ。
「ほんとだって何度も言ってんだろ、イエーオリ。俺は確かにノクトさんの採集依頼の道案内をして、その時に銃が完成したら教えてくれって、言われたんだ」
「でもよ、最高位のハンターだぜ? 王侯貴族や大商人の指名依頼がばんばん入ってきて、依頼には困らないような身分の人が、どうしてヒベルニアのハンター支部に一人で来て、公募依頼を物色してんだよ。更にはお前の銃に興味を持ったからまた会おうなんて約束、できすぎてるだろ?」
「それはそうだけど……ならその銃の強化に使ったカッシアの根の出所はどう説明すんだよ」
「あーそれはまあ……お前が食費を削った?」
制服の上着を脱いだ上から汚れ除けのエプロンをつけているイエーオリが、作業の手を止めてこちらを見ながら首をかしげて言うのに、エルヴィーはしかめっ面で応じる。
「あの時それをやってたら俺はとっくに飢え死にしてるよ。しかもノクトさんがアースワームの討伐報酬を折半してくれたおかげで、足りなかった資材も補充できたんだ」
「ほんと、アレは助かった。より理想の作品に仕上がりそうだ。さんきゅうなリーダー様」
「リーダーって言っても、顧問も居ないたった四人の部活動だけどな」
繊細な見た目にも関わらず、ざっかない笑顔で応じるイエーオリにエルヴィーは苦笑する。
「いや、これでも感謝してんだぜ? お前が、誘ってくれたおかげで、エルフの俺でも自由に機械いじりができるしな。ま、その分協力はしてっけど」
「ああ。そういやお前、なんでここに居るんだ? 普通に彫金部とか行けばよかったのに」
「おい、いまさらそれを聞くのかよ。お前らしいけど」
呆れた声を漏らしたイエーオリは遠くを見つめていった。
「まあ、設備もそろってるし、悪くはなさそうだったんだが、ドワーフが多いせいか職人気質の頭の固いのが多くてよ。歌って踊ってばかりの軟弱なエルフがなんでこんな場所にって目の敵にされたんだよ。せっかくいい設備や材料があっても使わせてもらえねえんなら意味ねえだろ」
「まあ、そうだな」
まさにそれを考えて、どう考えても無謀としか思えない個人部活動に踏み切ったエルヴィーとしてもうなずける。
「こっちは活動室を抑えるのも苦労したくらい貧乏だし設備もぼろいけど、俺の自由にできるからな。何より活動費の面倒見てくれるお前がいるし」
「おい」
「それに、お前が話した魔術銃を実際に作ってやれるのは、俺ぐらいなもんだと思ったからな」
あまりの言い草に、むっとしかけたエルヴィーだったが、そのまま続けたイエーオリの言葉に、思わず笑みをうかべる。
「俺も、お前とミコトを引き込めなかったら、こんな部活をやろうとは考えなかったよ」
「だろう? おまえの“目標”を聞いてまで付き合ってやるのは、俺とミコトくらいなもんだ。だからなあ、お前が『あの子』を引き込んだ時は驚いたんだぜ?」
薄い色の瞳で揶揄するように言われたエルヴィーは、素直に頭を下げた。
「ああ、相談もなしにすまん」
「お前が部長だから構わねえよ。お前が似たような特異体質のあの子を気にするのもわかるから、先生から頼まれたのかと思ったんだが。うちの活動内容があれだろう? わざわざ部活動に引き入れるほどじゃねえな、と思って。本音はどうなの?」
「それ、は……」
イエーオリに予想外に追及されてエルヴィーが言葉に迷っていると、工房の扉が開けられた。
「エル先輩イオ先輩、こんにちはー!」
「おうアール。遅かったな」
初等部と高等部で変わらない黒の制服に、教養科を表すオリーブ色のネクタイを締めたアールに、イエーオリが手を上げて応じる。
亜麻色の髪を肩にかからないくらいで切りそろえた、少女のように愛らしい顔立ちをした、約一月前からこの部活動の仲間入りをした少年だった。
「はい! 古代語文法の授業で遅くなりましたっ」
当然のように高等部の科目を上げたアールに、エルヴィーはもう驚く気にもならず、だが訝しく思って訊いた。
「お前、古代語文法は全部及第点をとってなかったか」
「そうですけど。授業で一緒になった先輩たちに、宿題がわからないから教えてって言われたので手伝ってました」
「そうか」
入学半年目にして、すでにシグノス始まって以来の“天才無自覚問題児”、という名をほしいままにしている弱冠11歳の少年の、ある意味予想通りの答えにエルヴィーはうなずいた。
「あとあと、ここに来るまでに錬成術部とか、料理部とか、色んな魔術系の部の人に誘われてたり追いかけられたりしたので逃げてきました!」
「そ、そうか」
あっけらかんと答えるアールにエルヴィーは引き攣り笑いを浮かべ、アールに続いて室内に入ってきた黒の制服に魔術科を表す赤のリボンを胸に飾る少女に目を向けた。
「で、ミコト、お前のその手に持ってるのは何だ?」
「……ドードー鳥の唐揚げ」
室内に入ってきても動じず、ひたすら手に持つ串で紙袋の中に入っている狐色の唐揚げを口に運ぶ少女の頭頂部には、獣人の証である狐耳がひくりと動いた。
さらに背後ではふわりとした黄金色の尻尾が喜びを表すように揺れている。
「みーさんが途中で助けてくれて、一緒に来たときに、料理部の人に試食だけでも持って行って! と言われたので貰ってきました。おいしいですよ!」
「料理部から、伝言。オーブンの調子が悪いから、来てだって」
「ああ、これは前金代わりなのか」
立ち上がったイエーオリが、美琴の差し出した唐揚げをつまみつつ言った。
生徒間での金銭のやりとりは基本的に禁止されているが、半ば形骸化しているし、そうでなくても部活動同士で助け合うことは慣例となっている。
役に立つ技術であれば、小さな部活動でも資金を集めやすく、協力も得やすい。
表向き「魔術機械研究会」であるエルヴィーたちも、ほかの活動団体から機械や魔道具の修理をよく頼まれていた。
「しょうがねえや。じゃあ後で行くか」
「イエーオリ、頼む」
アールがわざわざ串に刺して持ってきた唐揚げを、エルヴィーも受け取りほおばった。
香辛料の利いた外側の衣のカリッとした食感と、弾力がありつつもしっとりとほどける鳥のうまみが絶妙だ。
「やっぱりうまいな。料理部のは」
「ん、こっちのご飯はいろんな味があって面白い」
「ミコトの国ではそうでもないのか?」
イエーオリが聞くと、美琴は空になった袋を折りたたみながら、言葉を探すように沈黙する。
大洋を隔てた島国東和国からの留学生で、西大陸語に慣れない少女の癖のようなものだった。
「種類が、違う? かな」
「へえ、いっぺん食べてみたいもんだな」
「調味料、手に入ればできるかもだけど、売っているかな?」
「どうだろうなあ。王都ならあるだろうが、それよりもどこかの薬学系の部活動に頼んで再現するほうが早いかもな」
「製法、知らない」
頭頂部にある特徴的な三角形の耳を伏せて悄然とする美琴の肩に、イエーオリが手を置いて慰め、ひと段落したところを見計らい、エルヴィーはぱんと一つ手を打った。
「じゃあ、今日の活動内容だが。イエーオリは今やってる術式彫刻がひと段落ついたら、料理部に行ってくれ」
「了解」
「ミコトは弾丸の術式活性を頼む。終わったら好きにしていいぞ」
「ん、じゃあエル、後で付き合って」
「了解」
「付き合う」という言葉に全く喜べない己に苦笑しながら、エルヴィーは箱を差し出す。
こくりとうなずいた美琴は、エルヴィーの差し出した未活性の弾丸を受け取ると、空いている机に持っていった。
美琴は脇に積み上げていた専用の魔術陣布を広げ、その上にエルヴィーが術式を掘った薬莢をひとつ置く。
すっと背筋を伸ばして、儀式の一部である拝礼をした美琴は、表情を引き締めて唇を動かす。
『祓い給え 清め給え』
自国の呪文らしい、厳かな詠唱の後、パンっと、高らかに両手を打ち合わせれば、一気に周囲の魔力が活性化し、それに呼応するように魔術陣布が光を帯びる。
彼女の国特有の「魂込め」という術式なのだが、これをすることで、エルヴィーの彫った弾丸の術式に魔力を帯びさせ、術式を活性化させるのだ、と聞いていた。
本来、術式を彫刻する際に魔力を帯びさせなければいけない術式彫刻だったが、彼女の協力のおかげで、エルヴィーでもこの作業をすることができる。
東和国語でなされる詠唱と、その神秘的な金色の髪が淡い燐光を帯びるその様子を、エルヴィーが少しまぶし気に眺めていると、制服の裾をつままれた。
「エル先輩エル先輩、ぼくは何をしますか?」
わくわくと期待に金の瞳を輝かせるアールに、エルヴィーはほんの少したじろぎつつ、言った。
「じゃあ、前回おしえた術式彫刻の練習をしてみるか」
「はい!」
背中の鞄を適当な場所に置いたアールが、エルヴィーたちが貸し与えた道具を持ち出して、並びの机に落ち着く。
エルヴィーは、小さな手で作業を始めようとしているアールに向き直り、なるべく自然に聞こえるように話しかけた。
「お前、最近は高等部の授業ばっか出てるだろう? 初等部にはいかないのか?」
「いきますよー。体育とか、音楽とかは、初等部の教室です」
つまり、それ以外はほぼ高等部の科目を受講しているということか、と、エルヴィーはアールののんびりとした雰囲気からは考えもつかない、そこのしれぬ才智に舌を巻いた。
そもそもエルヴィーがアールと出会ったのは、高等部の古代文法の授業だった。
十代後半の少年少女たちの間に、頭一つ分以上小さいこの少年を見つけた時には、本気で教室を間違えたのかと思わず世話を焼いてしまったことだ。
本来なら入学して一年にも満たない11歳のアールが、エルヴィーたち高等部1年の生徒と同じ授業を受けることはまずない。
何故アールが混ざっているかと言えば、アールがひとえに一学期でほぼすべての初等部課程を終わらせしまい、特別に高等部相当科目の受講許可証を発行されたからだった。
ほかにそういう生徒がいないわけではないが、際立った一つか二つの分野に関するものがせいぜいだ。
そもそもいくつも越えて学べるほど、シグノスの授業は易しくはないのだが、アールに発行されたのは座学のほぼすべてを網羅した許可だったため、教師の間ではもとより、高等部の生徒たちの間でも話題になったものだ。
その騒ぎは、この愛らしいと言ってもいいような少年が高等部の授業に現れた日から今日に至るまで続き、同じ科目を受講する誰よりも的確に、教師と対話し、楽しげに学ぶ少年は、今や高等部に知らない者はいないまでになっている。
そして、この少年は、その特異な体質によって、共通の授業以外ではあまり交流のない魔術科にまで及んでいた。
「今日は午前中ずっと初等部だったので、お昼は初等部の友達と食べたんですよ」
続けられたアールの“初等部の友達”というフレーズに、エルヴィーは緊張を自覚しながら、注意深く聞いた。
「仲が良いっていう、魔術科の子か」
「はい、マルカです! 僕が高等部に行くからなかなか時間が合わないんですけど、今日はお弁当食べようねって約束してたので。僕の作ったお弁当、おいしいって言ってくれたんですよ」
「ふ、ふうん」
嬉しげに話すアールに、引き攣りかける表情を何とか動かしエルヴィーは平静を装っている間にもアールの話は続く。
「僕が高等部の授業受けられて羨ましいって言われました。マルカも飛び級して高等部の校舎に入れるようになりたいなって」
「そりゃ、またなんでだい?」
好奇心で割り込んできたイエーオリに、アールが答えた。
「高等部にいるはずのお兄ちゃんを探したいんだって言ってました」
その一言、エルヴィーは自制心を最大限動員して、表情を変えないように努めなければならなかった。
「へえ、お兄ちゃんねえ。家に帰ってこないのか?」
「シグノスに入って以来帰ってこないんだそうです。おにいちゃんが元気にしてるか知りたくて、マルカもシグノスに来たんだって教えてくれました」
「なるほどね。けなげというかなんというか」
「僕も手伝ってあげたいと思うんですけど、高等部にいる以外は全然わからなくて。イオ先輩『スラッガート』って名字の人、知りませんか?」
「スラッガート、ねえ」
エルヴィーはすべてを把握したようににやりと笑ったイエーオリの視線に、無言を通した。
イエーオリはその反応で確信した様子で、だが、見事に表情を困ったふうに変えてアールに言う。
「アールは覚えてるか? この学園の学園長様の名前」
「はい、セラム・スラッガート学園長です」
「その通り。お前が目立つようになる前は、スラッガートの縁者が入学してくるって、話は学園内で有名だったぜ。多分マルカって子が学園長の血縁者だろう。
――まあ、それよりも今回は、あの“万象の賢者”と“ドラゴンさん”の子供が入学しているらしいって噂のほうが有名だったが。そっちはデマだろうな」
「そ、そーなのですか」
そこで、アールがぎくりと言わんばかりに肩を揺らしたのをエルヴィーは不思議に思ったが、イエーオリの話は続く。
「つまり、そんな“目立つ”名字のやつがいたら、噂にならないわけがねえ。俺ん時も魔術科にスラッガートの子供が入学してくるって噂が立ったらしいけど、それっきりだから。その“お兄ちゃん”はもしかしたら、名前が違うのかもな」
ちらりと送られた揶揄の視線に、エルヴィーは鋭く睨みつけて応戦する。
その無言の攻防に気付いた様子もなく、アールはしょんぼりと視線を落とした。
「そっかあ。やっぱり、マルカの力にはなれなさそうだ。とても寂しそうだったから、いるかどうかだけでも教えてあげたかったんですけど」
「まあ、そんなに気を落とすな。その“お兄ちゃん”だって何か事情があるんだろうさ」
「ありがとうございます、イオ先輩」
はにかんだアールに気づかれぬ程度に小さくため息をついて、エルヴィーは机に積み重ねられた、紙の一枚を手に取った。
「じゃあ、アール、この古代文字をその金属板に移して、下書きしてみろ。俺はちょっと保管庫に行ってくる。ミコト、アールを頼む」
「はーい」
「ん」
次の刻印の準備をしていた美琴が、尻尾を振ることで了承を示す。
「あ、じゃあ俺もそろそろ料理部へ行かねえと」
同じように席を立ったイエーオリの言葉とは裏腹の逃がさぬと言わんばかりのにやにやとした笑みに、もう一度ため息をついたのだった。