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ドラゴンさんは友達が欲しい  作者: 道草家守
幼女編

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ドラゴンさん、幼女になる ~エピローグ~

 



 シグノス魔導学園学長室での書類仕事の最中、目に疲れを覚えたセラムが顔を上げると、室内はすでに薄暗くなっていた。

 窓を見れば、先ほどまで青々としていたと思っていた空が、凄味さえある優艶な橙色に染まっている。


 己の没頭具合に苦笑しつつ、皺深くなった指で眉間をもみながら、セラムは埋め尽くすような橙色に染まる窓の外をぼんやりと眺めた。

 外から聞こえていたはずの子供たちの歓声も今はまばらで、そろそろ寮への帰宅時刻だと教えてくれる。


 こんな夕焼けを見るたびにあの少女のことが脳裏をよぎる。

 思えばあれが初恋だったと、今や老年となったセラム・スラッガートは幼い自分に思いをはせた。


 たった一度、それも一日にも満たない間の邂逅だったが、正体があの優しい姉で、更にはこの国を救った黒火焔竜である、と気づいた後も、あの少女と過ごした時間は色あせることはなく、むしろ強く心に焼き付いていた。


 そのことを生前の妻に話したときは「初恋も、失恋も、特別ですからね」と呆れたように笑ってくれたものだ。


 “彼女”の正体に気づいてしまえば、色々分かることもあるもので。

両親の奇妙な誤魔化し方はもちろん、“彼女”と街中を歩いていた時に、町の住民たちの何人かが妙にやさしかったり、声をかけてきたりするのは、彼女自身が危難の大小にかかわらず住民たちに気軽に手を差し伸べ、助けた数々の事柄に対しての感謝の念からであることなどが理解できた。

そして、そんな住人たちに“姉”が毛ほども気づいていないことも。


 兄であるクロムが士官学校に入学できる年齢になると、さすがに年を取らない彼女のことを誤魔化せないと思ったのか、改まった様子の父に“やさしいお姉さん”が“ドラゴンさん”であると打ち明けられた。

 だがセラムが兄とともに驚いた様子がなく、その後も彼女といつも通り接した自分たちを見た両親が、ほっとした表情をしていたのをよく覚えている。


 正直、自分たちもいきなり明かされていたら驚き、裏切られたような気持ちになったかもしれない。

 自分で気づけて、段階を踏んで徐々に理解を深めていったこと。

何より“彼女”が悲しい顔をするのが嫌だというくらいには“姉”のことが好きだったというのがあったから、兄もセラムも受け入れられたのだろう。


 そうして兄は軍人になるために士官学校へ、その数年後にはセラムも本格的に魔術師を目指すために王立の魔導学校へ入った。


 はじめて親元から離れた寮生活は苦労が多かったが、同じ学校にリログもいたし、幸いにも授業で困ることは全くなかった。

 なにせ、家には国内の魔術師を統括する父と、元軍役魔術師の母、更には千年に一度の天才と称されるネクターがごく当たり前に出入りしていたのだ。

ただ疑問を投げかけるだけで、最高レベルの答えが返ってくるそこは、願ってもない恵まれた環境だったことに学校生活を送る中で気付いた。


 唯一の不安要素は、セラムが入学したころから科目に追加された「古代語」と「古代魔術」、更には、それを現代魔術と融合させた新たな魔術体系「言霊魔術(ソウルワード)」だったが、同年代の少年少女たちが難解な古代語の文法に苦慮している中で、セラムは“姉”に習った魔術が全て古代語で操る「古代魔術」とそれを高度に応用した「言霊魔術」だったと気づいた時の脱力感は何とも言えなかった。


 後で“姉さん”が、賢者と呼ばれていたネクターですら師と仰ぐ古代魔術と古代語の使い手で、当時の魔術師達がこぞって参加を熱望した、伝説の「黒竜の魔術集会(ドラゴンシナゴーク)」で英知を分けられたからこそこの科目が出来た、という噂を聞いたときは、顔をひきつらせてしまい、友人たちに心配されたほどだ。


 だが、そのおかげで余った時間を自身の興味の赴くままに魔術の研究やハンターギルドでのアルバイトを通しての実践的な訓練につかえたのは有意義だった。


 どこまでも“姉さん”や両親に助けられている、ということを強く自覚していたセラムは思い上がることもなく、かけがえのない友人と共に学校を首席で卒業した後、宮廷魔術師として王宮に伺候した。


 魔術研究所の所長をしていたネクター・プロミネントの元で、研究に明け暮れる毎日は濃密で刺激的で有意義だったが、徐々に“魔術を作り上げる”ことよりも“魔術を教える”という方向に気持ちが傾いていった。


 “万象の賢者”と呼ばれ出したネクターの偉業に圧倒された、というのもある。

 だが、それよりも、学校生活の中で同年代の学生たちに乞われて「古代語」や「古代魔術」を教えたことや、もっとさかのぼれば学問所時代にリログやバーニーたちと“サッカー”を教え合った記憶が、セラムに誰かに教える喜びや楽しさを気づかせてくれたのだ。


 その想いは日に日に強くなり、魔導学園に教師として出向しないかという話が来たときに、父が学園長だということも頓着せずに即座に受け入れた。


 マニュアルなどない手探りの授業に悪戦苦闘しながらも、充実した日々が過ぎていき、気が付けば父の跡を継ぐような形でこのシグノス魔導学園の学長になっていた。


 母も父もすでに亡く、妻には先立たれたが、子供たちはすくすくと育ち、孫が就学する年だ。

 だが、どこに入学するかというところで、娘と孫はずいぶんもめているようだった。

 あのようなことがあれば無理もない、とセラムも思う。


 自分も、軍で将軍の地位まで上り詰めて退役した兄のクロムも、結果的に父の背を追うような形になったが、ただ自分の好きなことを追い求めた結果だった。

 この学園で学んでくれたら嬉しいとは思うが、孫たちは望む道を歩いて健やかにいてくれればそれで十分だった。


 この学園にも思い残すことはない。

 最近、体の衰えも顕著に感じていたセラムは、そろそろ学園長の座を辞するべきか、と考えていた。


 孫がシグノス学園に入学するのであれば、孫が卒業するまで待とうかと思っていたが、入学しないというのであれば準備を始めてもよいかもしれない。


 つらつらと考えていると、書斎机の脇に設置してある遠話機(えんわき)が控えめな音と光を発して着信を知らせてきた。


 遠話機は、風精での会話のように距離でのタイムラグもなく、ほぼ顔を合わせているのと変わらずに会話ができる優れものだった。

 本来なら、旅行鞄ほどの大きさの魔道機械と、その遠話機専用の番号さえ知っていればどの遠話機にもつなげられるらしいが、何分試験機であるため、ごく限られた場所、それこそ重要人物の屋敷や国家施設などにしか設置されていない。

 ゆえに遠話機(これ)を開発者本人から押し付けられたセラムは、送信者が誰か魔力波を読み取らずともわかった。


 教えられた通り操作すると、ほどなく、遠話機から低く艶やかな女性の声がした。


《あら、こちらにかけて応答するなんて、相変わらず仕事熱心なのね、学園長様?》

「その言葉そっくりそのままお返しするよ、魔術師長殿」


 学校時代からの気安さで軽口に応じると、クスリと笑う気配が遠話機の向こうからした。


 《その感じだと元気そうね、セラム。良かったわ。あなたが隠居すると同期が居なくなってしまうもの。ただでさえ、私を煙たがっている若い子は多いのに、“魔術界の妖怪”なんて二つ名が付くのはごめんだわ》

「歴代初の女性魔術師長が何を弱気なことを言っているんだい? イーシャ。“氷華の賢者”の名の通り、君の実力も、美しさも昔と何ら変わりがないはずだよ」

 《……その、無意識に口説き文句が出るところ、本当に変わらないわね》


 魔術師長イーシャ・ソムニスが苦笑の気配と共に懐かしげに言うのに、セラムも思わず苦笑いをした。


「妻にもあきらめられたくらいだからね。正直、今になっても自覚はない」

 《あらまあ、それは末期だこと》


 イーシャは一つ下の後輩だったが、監督生の特権で、下級生を指導する代わりに使役するファギング制度で彼女を指名したのが最初の縁だった。

 王立魔導学校で中流階級にもかかわらず学年次席となり、貴族階級が多かった周囲からの反感を買っていた彼女を守るためだったのだが、利発な彼女とは妙に馬が合い、指導すべき後輩としてよりも、良き仲間として、他の悪友たちと共にさまざまなことをしたものだ。


 のちに彼女があの連続誘拐事件の実際の被害者で、少女の姿をしていた“彼女”とネクターに助けてもらったのだと打ち明けられた時には驚いたが、同じ秘密を知る同志として妙な連帯感が生まれ一層親しくなった。


 そのせいか、一時期は恋人同士と間違えられ、妻を口説く障害になったこともあったが、彼女とは地位のある身分になった今でも良き理解者であり悪友であることには変わりがなかった。


「ところでイーシャ、遠話機(これ)を使うくらいなのだから、急ぎの用事なのだろう。王宮で何かあったのか」


 遠話機越しとはいえ何カ月ぶりかの会話に話すことは尽きないが、相手を気遣い、余計な魔力消費をさせないために、セラムは本題を促したのだが。


 《ええ、とっても重要なことよ。実はね、今さっきとても懐かしい方が訪ねてらしたの》


 冷静沈着なイーシャにしては珍しいほどはしゃいだ声音に、セラムは面食らった。


 《ああほんと、長生きってするものね。こんな素敵なことが起きるんですから》

「イーシャ、誰が来たんだい?」

 《うふふ、教えてあげようと思ったけど、やっぱりやめたわ。

 あの方の話では、あなたのほうにも来るらしいから。本当は私も会いたいのだけど、まあ、今度はお子さんと一緒に会いに来てくださると約束させましたから、一番は譲ってあげる。お茶の用意でもして待っていると良いわ。そうそう、お茶菓子はマドレーヌが良いわね》

「イーシャ、何を――……」

《じゃあ、良い時間を》


 イーシャにまるで幼い童女のように笑いながら一方的にまくし立てられたセラムは、問い返すに切断された遠話機を前に茫然とした。


 イーシャは周囲には器用に隠していたが、その実“彼女”の話には人一倍敏感だった。

 自分でも情報を収集していたがセラムの家に“彼女”が出入りしていたことを知ってからは根掘り葉掘り聞きだされたものだ。

 その一つが、“彼女”の好物だ。


 まさか、という思いが脳裏をよぎったその時、コツコツと、扉に取り付けられたノッカーが叩かれた。


「失礼いたします、学園長。そろそろ終業のお時間です」


 次いで扉を開けて入ってきた秘書官の姿に、意外なほど落胆する己に苦笑した。

 一体何を考えていたのか。


「ああ、わかったよ」


 そんな心中を綺麗に隠して秘書官に答えたセラムは、ふと、魔が差した。


「そうだ、君、マドレーヌはあるかね」

「あ、はい。ヒベルニア店の物なら丁度ございますが」

「帰る前に一服しようと思ってな。持ってきてくれないか」

「かしこまりました」


 頭を下げて、退出していった秘書官を見送った後、セラムは立ち上がって、壁際に設けてある給湯コーナーへ向かった。

 学校時代に覚えて以来、秘書には任せず自分で入れることが習慣化していた。

 自分でも何を馬鹿なことをと思ったが、茶を飲みつつたまには思い出に浸るのもいいかもしれない。


 魔力を込めれば自動で沸く薬缶に水を満たし、沸騰するのを待っている間に、ポットに茶葉を用意している、と。


「あれ、お茶の準備中かい?」


 ごく自然に声をかけられたその声に、セラムは総毛だった。

 その軽やかな声を、忘れるはずもない。


 二三度大きく深呼吸をしたセラムは、ゆっくりと背後を振り返り、瞠目した。


 わずかな光源の中に立つのは、セラムの記憶と寸分たがわぬ姿。

宵闇に浮かび上がるような黒に燃えるような赤いひと房の混じった髪、異国的な顔立ちが愛らしい、幼い少女。

 朗らかに、親しみのあるまなざしでセラムを見つめるその黄金の双眸に、これが仮の姿と分かっていていても、鮮やかによみがえる想いに思わず顔がほころんだ。


「久しぶりだね―――……“姉さん”」


 胸中に広がるなつかしさのまま、あの頃と同じ口調で応じたセラムに、少女はほんのりと目を見張った後、いたずらがばれた子供のように決まり悪げな顔をした。


「あーやっぱりばれてたのか。ちょっと驚かそうと思ったんだけど」

「そりゃあ、姉さんは隠すのが下手だからね。でも、また、その姿で会えてうれしいよ」


 本心からのその言葉に、少女は照れ臭げに微笑んだ。

 湯が沸いたので、沸騰しすぎないうちに茶葉を入れたポットに移しながら、セラムは言った。


「今、秘書官がマドレーヌを持ってくる。姉さんも食べるだろう?」


 途端、少女の表情がぱっと輝く。


「うわあ、弟君はやっぱり気が利くね! ……ん? というか、もしかして私が来るってわかっていたのかい?」

「まあ、それは秘密で」


 驚いた様子の少女に、セラムは意味深に微笑むだけにとどめた。

 この姉を驚かせることが出来るとは、長生きはするものだ。


 ちょっと残念そうに肩を竦めた少女の輪郭がふいに曖昧になる。

その次の瞬間にはセラムがよく知る“姉”の姿になっていた。


 彼女が実際に姿を変えるのを見たのは初めてだったが、凄まじく高度な魔術の行使にもかかわらず、そのあまりの静かさ、素早さに息を飲んだ。


「なあ、弟君。実はね、子供が生まれたんだ」


 セラムが立ち尽くしていると、さらに姉にそう言われ、再度驚いた。


「そ、れは、おめでとうございます」

「ありがとう。と、いっても、もう数年たつんだけどね」


 セラムの咄嗟の祝辞にも姉はにかむように笑った後、続けた。


「でね、今日は君にお願いがあってきたんだ」

「良いですよ」


 未だ驚きと衝撃が冷めないセラムだったが、反射的に答えた。

 間髪いれぬ承諾に、案の定姉は目を見張り、案じるようにセラムを見返した。


「内容を聞かないうちから、そんなに簡単に承諾していいのかい?」

「良いんです。だって、姉さんの頼みですから」

「いや、でも」

「僕の夢は、いつかあなたの助けになることでしたから」


 姉はぱちぱちと瞬きをした後、子供の成長に改めて気付いたようにまぶしげに目を細めた。


「まったく、良い男になったね、セラム。じゃあ、手を貸してくれるかい?」

「はい」


 “姉”が万象の賢者以外の名を呼ばなかった理由をすでに理解していたセラムは、はじめて“姉”から名を呼ばれ、まるで子供の頃に戻ったかのように胸がいっぱいになった。

 この年になっても感動できるのは嬉しいものだと思いつつ、セラムは遅いティータイムを楽しむために“姉”をソファに促したのだった。








おしまい


ご愛読、ありがとうございました!

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