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ドラゴンさん、幼女になる 10

 


 魔力伝導の高いインクを含ませた羽ペンで、長期保存のために特別に作られた羊皮紙にすらすらと何度となく繰り返した文言を書き込んでいく。

 その際に微弱な魔力を羽ペンを通して馴染ませることを忘れない。


「うむ、ぱーぺき」


 出来栄えを確認した私は、魔術でインクを乾かして傍らの箱に封印の札を積み重ねた。


 あの誘拐事件から数日たった現在、私はカイルの家で自主的に反省文ならぬ反省呪符書きに精を出していた。


 お子様たちも無事助け出せて誘拐犯も首謀者である悪魔崇拝の参加者も捕まった。

 だがその代りに、私はオリジナルの封印具を粉々にしてしまったわけでして。

 とっさにとらわれた子供を助けるためだったとはいえ、私の過失には間違いない。


 まだまだ頭に血が上っていた私が封印具を壊したことに気づいたのは、こっそりとあの場から脱出する最中で、カイルと合流してすぐあやまり倒したのだが。


「……まあ、壊れたものは仕方ない。劣化版は押収できたし、設計図も残っているだろう。あまり気にするな」


 本物の古代魔道具(アーティファクト)なんて絶対詳しく調べたかっただろうに、

ごちんと、軽く頭に拳をあてるだけで許してくれたカイルには、思わず兄貴!と呼びかけたくなった。


 それでも私のしでかしたことが帳消しになるわけじゃない。

 せめてもの罪滅ぼしに何をするかと考えた結果、こうして呪符を生産中なのである。


 一日目はオーソドックスに防御の呪符を。

 二日目は簡易の結界用の呪符。

 三日目の今日は魔道具封印用の呪符を増産中なのである。

 呪符なら保管さえ適切ならいつでも使えるからね。

 そんな感じでカイルの部屋に置かれていた魔道具の木箱を思いだしつつせっせと書いているわけだ。


「むう、そこにあったやつから考えると、もうちょっとあってもいいかな」

「ラーワ殿。それ以上はいらないぞ」


 箱の中がいっぱいになるかならないかのタイミングで、部屋にカイルが現れて止められてしまった。

 カイルの後ろにはネクターもいる。

 どうやらようやく事後処理が終わったらしい。


「おお、友人くんネクターお疲れ様。じゃあほかに必要な呪符はないかい? 封印具(あれ)を壊してしまった分はきちんと働くよ」

「もう十分ですよ。これだけの呪符があれば大助かりですし、むしろ用法が違うので勉強になります」

「えーそう?」

「私としては、それよりもラーワにもう一度幼くなっていただきたいのですが……」

「そ」

「それは却下だ」


 薄青の瞳を爛々とさせるネクターの言葉を、私が断る前に一刀両断したカイルは、念を押すように私に言った。


「ラーワ殿も、こいつの前であの子供型は禁止だ。いいな」

「わかってるよ。ネクターの前ではやらない」


 今回の件で唯一カイルと約束したことだからというのもあるが、あの時のネクターのヤバさが、一番目に誘拐しようとしたおじさん(変態)と大差ないと気づいてしまった私はカイルの鳶色の瞳を見つめて真剣にうなずいた。

 ちょっぴり手遅れかもしれないが、ネクターを変な態にするわけにはいかん!


 カイルと私がそんな感じで団結していることも知らず、ネクターはがっくりと落ち込んでいた。


「うう、小さいラーワも素敵でしたのに……」

「元気だしなよ、ネクター。この呪符の制作方法(レシピ)を書いとくからさ」


 すると、案の定ばっと勢いよく顔を上げたネクターに「是非に!」と言われたので、新しい羊皮紙を一枚を取り出して書き始める。


「それにしてもずいぶん早く帰ってこれたんだね。ひと段落させるのにも二週間はかかりそうって言ってたのに」

「あの儀式参加者が包み隠さずしゃべってくれたおかげでな。いっそ、不自然なくらいに」


 最後だけ強調された私はちょっぴりぎくりとしたが、カイルはそれ以上追及する気はないらしい。


「だがそのおかげで思ったよりも早くめどがついた。あの中にはかなり高位の貴族も混ざっていたが、別の余罪についても追及できそうだ」

「そりゃあよかったね」


 あの参加者一人一人に「聞かれたことは素直にしゃべる」という魔術をかけたかいがあったよ。

 正確には聞かれたことに、本当のことしかしゃべれなくなる呪いだ。

 嘘は絶対に吐けないし、一度質問されれば自分で止めようとしても口は勝手に回る。

 一応善行を積むたびに、ちょっとずつ呪いが解けていく仕様にしておいたが、彼らが善行をする機会があるのか、私は知らない。


 ついでにさっきリグリラからも連絡が来て、魔族の奴もヒイヒイいながら魔物狩りをしているそうだ。

 人の体に入っている分だけ死にかけやすいらしいけど、そこら辺はリグリラの絶妙な手加減で何とかなってるらしい。

 まあがんばれーと言っておいた。


「子供たちも、親御さんのところに帰れたんだろう」

「ええ、監禁されていた子供たちは一日だけ治療院に泊まってもらいましたが、みんな、多少の衰弱はあっても元気でしたよ。封印具をつけられている間の記憶もないようで、親御さんとの再会を喜んでました」


 ネクターの話に私も顔がほころぶ。


「兄君たちが誘拐されかけたって聞いた時はどうなるかと思ったけど、見ている限りではトラウマにはならなかったようだしね」


 結局元に戻れたからいつもの人型でお子様たちと会えたし、一日ぐらい休めばというベルガの気遣いも大丈夫と、二人とも事件の翌日から学問所に行ったのだ。

 まあちょっとクロムの私を見る視線が微妙だった気はするが、セラムのほうはいつもと変わらないようである。


「これで一件落着かな?」

「その……ちょっといいですか」


 と、私が締めくくろうとした時、ちょうどティーポットとお茶菓子を乗せたトレイを持ってやってきたベルガが困ったような顔で、そう声を上げた。


「奥さん、どうかした?」

「あの、セラムの様子が」

「何か異変があるのか」


 カイルが真剣な表情で身を乗り出したが、ベルガは慌てたように言いつのった。


「あ、いえ。後遺症とかではないんです。ただ―――……」


 ベルガが困ったように、だがどこか微笑ましげに言ったそれに、カイルは片眉を上げ、ネクターは複雑な表情になり、私は目を瞬かせた。


「……そういえば、しつこく聞かれたな」

「……なんでしょう、そこはかとなく胸の内がもやもやと」


 何か思い当たることがあるのか、カイルが遠い目をしている脇で、ネクターは胸に手を当てて首をかしげていた。

 テーブルにティーセットを並べながら、ベルガはさらに続ける。


「なんだか学校でいいことがあったようで、そのことだけは教えたいって言う顔が何だかびっくりするくらい凛々しくて。男の子ってあっという間に成長するんですね。

 きっと、会えなければ会えないでいつかは折り合いをつけるんでしょうけど、何とかしてあげたいとちょっと思います」


 母の顔でうれしそうに話すベルガの言葉に、がりがりとこげ茶色の髪をかき回したカイルは、まだ理解が追いついていない私に言った。


「一つ、頼まれてくれないか」








 **********








 教室の窓の外、そのすぐ下に花壇があることに、セラムは初めて気がついた。

 授業の合間の休み時間中すっとまっすぐ緑の茎をのばし燦々と太陽を浴びている花の、その艶やかなオレンジ色の花弁をぼんやりと眺めていると、背後から肩を叩かれた。


「セラム! 今日は何して……って、どうした?」

「いや、なんでもない。ちょっとぼーっとしてた」


 そう返したセラムに不思議そうな顔をしていたリログだったが、窓の外に見える花を見て、ニヤリと笑った。


「ああ、また思い出してたのか?」

「いやっ別にそんなつもりで見てたわけじゃっ!」


 セラムは慌てて立ち上がって言ったのだが、リログはにやにや笑うのを止めない。


「別に隠さなくったっていいんだぜ? まだ小さかったけどかわいかったもんなあ、あの子。でもなあ、結局どこの誰かも、名前も何も知らないんだろ。誰にもわかんないうちに帰っちゃったしな」

「……うん」


 セラムはしょんぼりと肯定する。

 ちょっとからかうだけのつもりだったリログはその落ち込み様にしまったと思い、慌てて言いつのった。


「ま、まあ、わかんないものは仕方ないよな! ちゃんと家に帰ってるだろうし、気にすんな」

「そう、だね」


 やっと淡く笑みを浮かべたセラムにリログもほっとしていると、教室に面した廊下から、呼ぶ声が聞こえた。


「セラム!居るか!」


 出入り口を振り向くと、バーニーが仁王立ちで待ち構えている。

 バーニーが一方的にセラムを敵視していることを知っているクラスメイトの少女たちは不安げにバーニーとセラムを交互に見ていた。

 だからこそ、セラムが当たり前の様にバーニーの元に歩いていったことに、教室内はざわついた。


「なに?」

「これから仲間を集めてサッカーの練習をするからお前も来い。あのボールを回転させないで蹴るってのやってみたくてよ。お前に教えて欲しんだ」


 その、いまだかつてないほど友好的な言葉に、耳をそばだてていたクラスメイト達は一様に驚きの表情になった。

 事情を知るリログはふふんと自慢げに笑っている。


 セラムはバーニーの誘いに自然と微笑んだ。

 幸運な位置にいた少女たちは、その今まで見たことのない柔らかい笑みに見とれた。


「うん、わかった。行くよ。リログはどうする?」

「もちろん行くさ! そうだ、あのボールを膨らませる魔術、教えろよ!」


 そう答えたリログは自分とセラムのカバンをひっつかんで教室を出ていく。

 そうしてクラスメイト達は呆気にとられて、彼らがまるで昔からの友人のように肩を並べて歩く姿を見送ったのだった。




「また明日なーセラム!」

「うん、またね―バーニーっ!みんな―!」


 広場で他の少年たちと合流し、カバンを放り出して遊びまわれば、日が傾くのは早かった。


 ボールを片づける役を自ら買って出たセラムは、家に帰っていく少年たちを見送った後、ふとボールに目を落とした。

 そこには、まだ少女の描いた魔術陣が色濃く残っている。

 そのおかげで今日もセラム達はボールを膨らませて遊ぶことが出来たのだ。

 広場を見れば、あたりは夕焼けの橙に染まっていた。

 一昨日、いつの間にか少女が消えていなくなってしまっていた時のように。


(言いたいな。このことを)


 あの誘拐未遂の翌日、母が休むように言うのを聞かず学問所に行ったら、バーニーと仲のいい少年が待ち構えていたこと。

 勇気を振り絞ってあいさつしたら、挨拶を返してくれたこと。

 休憩時間中にバーニーがやって来たかと思ったら、当たり前のように話しかけてきたこと。

 そうしたら、いつの間にか放課後にサッカーをしていたこと。

 今日、クラスメイトの女の子が話しかけてくれたこと。


 全部、あの少女のおかげだった。


 この劇的な3日間のせいで誘拐されかけたことすらもはや遠い過去のようだったが、それでも、少女の記憶は鮮明だった。

 あの後、少女のことを知っているらしい父親に彼女のことを聞いたが、曖昧にはぐらかされた。

 誘拐はされておらずに無事、ということは確かだと言われたから、それだけで満足すべきかもしれない。

 でも、セラムはあのオレンジ色のドレスの少女にもう一度会いたかった。


(会って、お礼が言いたい)



 そして、その後は―――――……



 ボールを返し終えたセラムが帰るために広場に戻ると、、誰かを待つように人が立っていた。

 長く影を伸ばして佇むその身にまとうのは、夕焼けの橙に溶け込むようなオレンジのドレス。

おとといとは違い、麦わら帽子をかぶったその後姿に、セラムは走り出した。


「あ、セラに―――ッ!?」


 風が少し強く吹く中、足音に気が付いたらしい麦わら帽子を押さえつつ振り返った少女にセラムは腕を回しその小さい体を抱きしめた。


「な、ななにどうしたの!?」

「……よかった」


 少女の驚く気配を肩越しに感じながら、セラムは安堵のままに言った。


「誘拐、されてないとは聞いてたけど、確認はできなかったから。良かった」


 少女の安否を直接確認できた。そのことにほっとした。

 しばらくそのままでいると、少女のちいさな手が背にまわりセラムをなだめるように背中をぽんぽんと叩いてきた。


「急に居なくなって、ごめんね」

「次はちゃんとお別れぐらい言わせて欲しい」


 ふいにぞわりと背筋が粟立ったセラムは、ばっと少女から手を離した。


「どうかした?」

「いや、なんでもない」


 振り返っても遠くに茂みがあるだけで何もない。

 内心首を傾げながらもセラムは、少女に視線を戻した。

 言いたいことが、伝えたいことが沢山あった。


「なあ、僕バーニーと仲良くなったんだ」

「うん」


 勢い込んで唐突になってしまった言葉にも、少女は柔らかく微笑んで相槌を打ってくれた。


「他にもあの時一緒にサッカーしたやつらが、話しかけてくるようになった」

「うん」

「今までごめん、って謝ってくれたんだ。僕のほうこそ、とっつきにくくてごめんって言った」

「うん」

「また遊ぼうな! って言ってくれるんだ」

「うん」

「今日なんて遠巻きにしてたクラスの女の子が、手紙をくれたりしたんだ! 話しかけづらかったけど、今なら渡せるって言ってさ」

「うん……うん?」


 少々首をかしげている少女に、セラムは一番いいたかったことを口にした。


「ありがとう」


 僕の前に現れてくれて、踏み出すきっかけをくれて。


「うん、良かったね」


 少女が柔らかく微笑むのに、セラムはこみあげてくるものをぐっと飲み込むためにうつむくと、少女の編み上げ靴が視界から消えた。

 はっと顔を上げると、すでに少女はセラムから数歩離れた位置にいる。


「私もあの時は楽しかったよ。じゃあ、お別れだ」


 ドレスの裾を風に遊ばせながら手を振る少女に、セラムは慌てて言った。


「バーニーもリログも、また君と遊びたいって言ってた。なあ、ここの近くの子なんだろ、また一緒に遊ぼうよ!」


 少女がどんな顔をしていたかは夕日の影になってしまっていてセラムにはわからなかったが、ただ、少女がひどく困っていることは分かった。


「だめ、なのか?」

「うん、ごめんね。ばいばい、セラにい」


 そう言い残した少女が、くるりと踵を返した。


「まって、せめて名前を……っ!?」


 あっという間に遠くなっていく背にセラムが叫びかけたその時。

 一陣の強い風が広場を吹きすさび、少女のかぶっていた麦わら帽子を天高くさらっていった。

 セラムは舞い上がる砂ぼこりに顔を庇って立ち尽くしながらも、腕の間からその光景を見る。


 ぱっと入れ込まれていたその夜の闇のような黒髪が背に広がり、吹く風がその黒髪をもてあそぶ。


 セラムがはっと我に返った時には、少女の姿はすでになく。

 ただ、黄昏の藍色が広場を染めていた。






 **********






「……ただいま」

「あら、セラムお帰りなさい」


 帰り道をとぼとぼと歩いて家の戸を開けると、母のベルガが笑顔で迎えてくれた。


「晩御飯はもうちょっと待ってね」

「うん」


 こくりとうなずいたセラムは、着替えるために自室のある二階へ向かおうとしたのだが、途中にある居間から声をかけられた。


「あー弟君、お帰り―」


 ぱちくりとそちらを見ると、黒髪に赤い房の混じった不思議な髪をした父親の友人である女性、ラーワがソファでのんびりとくつろいでいた。


「おう、セラム。遅かったな」

「お邪魔してますね」


 よく見れば、父親であるカイルも帰ってきており、もう一人の友人であるネクターも居て、3人で何やら話し込んでいたようだ。


「どうかしたかい?」


 黒髪に赤い房の混じった不思議な髪をしたその人が、返事をしないで立ち尽くすセラムを、不思議そうに見ながらそう声をかけてきたのに、はっとして慌てて首を横に振った。


「何でもない。着替えてくる!」


 不自然にならない程度にセラムは急いでその場を離れていたかから、その後の彼らの会話は聞こえなかった。


「気づかれた、と思う?」

「……微妙なところだな。黒、というのはわかっても、夕日の中でそれもあの一瞬で、黒髪に赤い房が混じっていたかまでは見て取れるかどうか」

「ううむ、ちょっとお別れを言うだけのつもりだったんだけどなあ。あんなところで帽子が飛ぶとは思わなかったよ」

「まあな、そもそもあれは本当にただの風だったのか?」

「……っですから、私は何もしてません! 本当にただの風ですよ!」

「まあ、隣にいた俺でもお前の魔術の気配は感じ取れなかったから納得してやろう」

「でも一応お別れ言えたけど、弟君、あんまり元気なかったのが心配だなあ」

「そこは、セラムの問題だ。ラーワ殿、無理をいって悪かったな」

「ん、どーってことないよ。私の正体がばれようとばれまいと、いい思い出にしてくれたらいいね」

「そうですね。……カイル、やっぱりもう一度くらいラーワの幼い姿を観察――」

「だめだ」

「……はい」





 **********






 二階の自室にたどり着いたセラムがのろのろと着替えた後、ぼんやりと椅子に座っていると、扉をノックされた。


「セラム、入っていいか?」


 セラムは少しためらった後、扉を開けてクロムを招き入れた。


「どうしたの?」

「あーと、その」


 クロムは座るでもなくそわそわとしていたが、意を決したように切り出してきた。


「なあ、あの子のことだけど」

「今会った。学問所の前で」


 セラムが被せるように言うと、クロムは驚いた様に顔を上げ、次いで複雑な表情でセラムを見つめる。


「もしかして、お前」


 その次を言葉にできないクロムに、セラムは曖昧に笑った。


 あの時見た光景は、夕焼けに紛れて確かではなかったけど。

 黒髪に混ざった鮮やかな炎のような赤が、まるで燃え立つようにちろりと夕焼けの光で煌めいていた。


 それは、セラムが姉と慕う女性と同じ色彩で。


 セラムは学校に通いだしてから、クラスメイトが時折ひそりと話す、この国を助けてくれたドラゴンの話を耳にしたことがあった。


 黒い髪に鮮やかな赤が混じる金の瞳の人間は、そのドラゴンの化身で、性別も年齢も自在に変えて時折街にあらわれるのだ、と。


「姿変え」はとても高度な魔術だ。

ただの魔術師がそう簡単にできることではないとセラムでも知っている。

でも、セラムが姉と慕う女性が、ドラゴンなら?


 そう考えた瞬間、少女と過ごす間に感じた数々の引っかかりや違和感が、すべてつながった気がした。


 “学校、楽しいかい? 何かあったら言うんだよ。私が相談に乗るから”


 あの人は、事あるごとにセラムにそういってくれた。

 でもセラムは学校でのことを素直に打ち明けられなかった。

 父にも母にも言えなかったことというのもあったが、何よりあこがれの人になさけない姿をさらすことを、自分自身が許せなかったのだ。

 でも、セラムのちっぽけなプライドで隠していたことをあの人はちゃんと気づいていた。

 姿を変えてまで、助けに来てくれた。

 そのままにしておく、という選択肢もあったのに、今日会いに来てくれたのだって、セラムのためを思ったのだろう。


 嬉しかった。

だけど、あの少女が手の届かない、幻のようなものだとわかって。

無性に泣きたいような気持ちになったのだ。


あれはきっと、雲一つない晴れた日の黄昏にしか見えない、特別に赤い夕焼けのようなものだったのだ。


 そうしてセラムは、形をとる前に淡くなったその思いを胸の奥の大事なところにしまい込み、もう暗くなってしまった窓の外に視線を投げて言った。


「僕、もっと勉強する」

「セラム……」

「もう心配かけ無くて済むように。いつか、今度は僕が助けてあげられるように」


 セラムがそう宣言すると、クロムはびっくりしたような顔をした後、ポンポンと肩を叩いてくれた。


「おう、がんばれ。剣ならいくらでも教えてやる」


 それがあんまりにもやさしくて、ほんの少しだけ涙がこぼれた。

 その時、部屋の中にそよ風と共に風精がやってくる。


 《セラム、クロム、そろそろご飯よ! 降りてらっしゃい》


 運ばれてきた母の声に、セラムは袖で目じりをぬぐい、クロムとともに部屋を出たのだった。





 




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