ドラゴンさん、幼女になる 7
その後のゲームは、かなりの接戦になった。
もちろんクロムと少女のコンビは強敵だったが、セラムとバーニーでその行く手を阻み、リログや少年がボールを回しながらゴールを狙った。
疲れたら別の子供と交代して応援に回り、うまくできなかった子供はどこからかボールを調達してきて練習を始める。
そのボールにはもちろん、セラムと少女が力を合わせて魔術をかけた。
みるみる姿を変えていくボールを前に、目を輝かせる子供たちにお礼を言われて、セラムはくすぐったい気持ちになった。
「セラムっ! そっち行け!」
「うん!」
陣地を駆け抜けたバーニーの渾身の割り込みで、クロムから奪ったボールをセラムが受け取り、追いすがる少女を振り切ってゴールを決めた時は、思わずわだかまりがあったはずの少年たちと抱き合って喜んだ。
途中で少年たちははっと気づいたようだが、きまり悪そうにしながらもやめることはなかった。
クロムがその光景を自陣から意外な気持ちで眺めていると、恐ろしい気配が背後でふくれあがった。
思わずばっとふりかえると、そこにはオレンジ色のドレスの少女が能面のような無表情で立ち尽くしている。
「どう、か、したのか」
「……ああ、クロにい」
妙に乾く喉にごくりとつばを送って声をかけると、ぎゅっと左手首を握りしめていた少女が、ゆっくりとクロムに顔を向けた。
見て分かるほどの感情が浮かんでいるわけではなかった。
それでもクロムには一度だけ見た道場の師範の本気よりも恐ろしく思え、無意識のうちにごくりとつば飲み込む。
「君にこんなこと言うのも酷だけど、何かあった時はセラにいを守ってあげて」
そんな少女は迷うように告げたその言葉に、クロムは反射的に答えた。
「そんなの、あたりまえだ。セラムは俺の弟なんだからな」
「……そっか」
申し訳なさそうな顔をしながらも少女は近づいてきたかと思うと、ひょいとクロムの頭に手を伸ばす。
「クロにいは将来良い男になるだろーね。お父さんみたいに」
「な、何言って」
「じゃあ次の試合いってみようか!」
そのまま身長差をものともせず頭を撫でられて動揺したクロムは、その言葉の意味を飲み下すのに数拍の時間を要し。
理解して振り向いた時には少女はボールの元へ走っていった後だった。
散々走り回った広場が、いつの間にか夕暮れのオレンジ色に染まり始めていた。
それに気づいた子供たちから順に、そわそわとし出す。
そして、ボールにかけられていた魔術が解け、プシュッと気の抜けた音をさせながら、元の布を詰めたボールに戻ったことをきっかけに、子供たちは口々に別れの言葉を言い合いながら広場を去っていった。
「セラム。また明日な!」
リログがそう言って帰っていったのをセラムがほんのり寂しい気持ちで見送っていると、すぐそばにバーニーが立っていた。
「セラム」
「なに?」
バーニーはそう呼びかけた後、葛藤するように黙りこくっていたが、結局観念したようにこう言った。
「さっきの続き、だけど。俺はちょっとうらやましかったんだ。お前が、魔術を使えるのが」
「僕が、魔術を使えるのが?」
思わず聞き返すと、バーニーは夕日に照らされてもわかるくらい顔を赤くしてそっぽを向く。
「お前、“雷鎚”って知ってるか」
知っているも何も、それは自分の父の軍役時代の二つ名だ。
「魔物災害の時に、街を守って戦った軍役魔術師なんだけどさ。俺、話を聞いてからさ、あの人みたいになりたいなあってずっと思ってたんだ。だけど俺には魔術適性なくてよ。ならそういうことできるやつと仲良くなりてえな、って思ってたのに、お前、俺と同じ年ですげえ魔術使えるのに当たり前だ? みたいな顔してムカついてよ。嫌な奴だったよな、ごめん」
「そんな、それは、僕だって」
「と、いうわけで、じゃあな」
ずいぶんさっぱりした顔で、バシッとセラムの背中を叩いて去っていったバーニーを呆然と見送っていると、さっきまで一緒に遊んでいた少年たちも同じように立ち尽くしていることに気付いた。
つい数時間前まではセラムを遠巻きにしていた少年たちはそれぞれ困惑した表情で互いをけん制するようにしていたが。
元に戻ったボールを抱えた少年が、意を決したように手を振り上げた。
「セラム、楽しかったぞー!!」
それに続くように少年たちからも声が上がる。
「今度は負けねえからな―――!」
「また遊ぼうぜ―――――!!」
少年たちが晴れ晴れとした表情で大きく手を振るのに、セラムは一瞬息を詰まらせたが、大きく声を張り上げた。
「っまたね――――!!」
胸からこみあげてくるそれが何かはわからなかったけど、セラムは突き動かされるように少年たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けていると。
ぽんと、頭に手が乗せられた。
クロムだった。
「よかったな。セラム」
「うん」
「楽しかったな」
「……うんっ」
そのままクロムにくしゃくしゃとこげ茶色の髪をかき混ぜられたが、熱くなった瞼からこぼれかけるものをこらえるのに精いっぱいだったセラムは、されるがままになっていた。
「さて、あの子を送っていくか。近くの駐在所はどこにあったかな」
クロムのその言葉に、セラムはあの少女のことをはっと思い出す。
最初はめちゃくちゃだ、と思っていたけど、あの子のおかげでバーニーたちと話せた。一緒に遊べた。
「そうだ、」
お礼、言わなきゃ。
セラムはそう思って、人影がまばらになった広場を見渡したのだが、見晴らしのいい広場のどこにもオレンジ色の少女の姿は見つからない。
まるで、夕日に溶けてしまったようにいなくなっていた。
クロムも不思議そうにあたりを見回すが少女の姿は影も形もない。
「おかしいな、帰ったのか?」
そこで、あの少女の名前を聞いていないことに今更気づいた。
その事実に、セラムはぽっかりと胸の奥に穴があいたような気分で立ち尽くしていると、ふと、精霊たちが危険を感じた時に発するざわざわとした空気の震えを感じた。
二人の前に大きな黒い影があった。
「君たち! ああ会えてよかったよ。セラム君、とクロム君だね」
よく見るとその大きな黒い影は大人の男で、大きく安堵の表情を浮かべながらセラム達に歩み寄ってきた。
見知らぬ男に見えたが、名前を呼ばれた手前、クロムは返事をした。
「そう、ですけど」
「実は君のお母さんが急に倒れてしまってね。僕は意識を失う前に君たちのお母さんに言われて迎えに来たんだよ」
「母さんが!?」
二人は胸を鷲づかみにされたような気持ちで思わず顔を見合わせた。
それに勢いづいたように男はなおも言葉を重ねる。
「母さんは大丈夫なんですか!?」
「お母さんは、今お医者さんのところで治療中だよ。さあ早く行こう」
セラムは母のことが心配でとにかくついていこうとしたが、クロムに腕をつかまれた。
「兄さん!?」
セラムが声を低く訴えても、クロムは腕を捕まえたまま、怖いくらい真剣に首を横に振る。
セラムはそこで、クロムの右手が腰の木剣にかかっていることに気が付いた。
クロムは木剣にかかる手をさりげなくセラムの陰に隠しながらこわばった表情で、男に問いかけた。
「……なあ、おじさん、父さんはこのことを知ってるの」
「お父さんかい? お父さんも別の人が連絡してもうお母さんのところにいるよ! さあ、早く――――」
「嘘だ」
クロムは鷲のように鋭い目つきで、目の前の男を睨み付けて言い放つ。
「俺らの父さんは国の中枢に携わっている。見ず知らずの人が知らせるには時間がかかるんだよ。人さらい!」
「クソッ!!」
男は柔和だった表情を見る見るうちにひきつらせ、悪態をつきながらクロムたちに襲いかからんと迫った。
だが、すでに姿勢を低く飛び出していたクロムが、両脛を狙って抜いた木剣を一閃した。
十分に魔力を乗せた骨を砕かんばかりの一撃に、男が声も出せずに崩れ落ちるのを眺める暇も惜しく、クロムはセラムにどなった。
「セラム! 走れ!!」
セラムは何が何だかわからないままうなずいて、身をひるがえそうとしたのだが。
突然強い力で手首を引っ張られ、かちゃりと何かをはめられたと思ったとたん、自分の中にある魔力がごっそりと奪われた。
無理に高レベルの魔術を使おうとした時のように全身が鉛のように重く、とても立っていられなくて、足から崩れ落ちかけるのを捕まえられたままの手首に支えられた。
二人目の男は、セラムを人形のように軽々と吊り下げて、忌々しげに舌打ちした。
「ったく、手間かけさせやがって。最初からこうしとけばよかったのによ」
「セラム!!」
「にい、さん……」
剣を構えながら、血相を変える兄に急激な眠気をこらえながら呼びかけると、セラムを捕まえる男が意外そうな声をあげた。
「ん? 拘束具をつけてもまだしゃべれんのか。ガキの癖に化け物じみた魔力量だな。
さてと、向こうも魔術を使えるガキ1匹の回収も終わっただろう。まったく、こんなとこで集まっていてくれて助かったぜ。ギリギリだったが期日に何とか間に合ったな。――――おい、何いつまで転がってんだ、そのガキとっとと殺せ」
「当たり前だ、こんなことされてだまってられるか」
脛を強打された男は、何とか立ち上がると憎々しげに腰の剣を抜く。
クロムは、じっとりと掌を濡らす冷たい汗を感じながらじりと、後ずさる。
金属音をたてて抜かれた剣が、鈍く夕日を反射しながらクロムに迫るのを、セラムは涙のにじむ視界でただ見ている事しかできなかった。
(誰か、誰でもいいから、僕の兄さんを―――……!!!)
唯一自由な心でセラムが叫んだ、その時。
パチッ、と何かがはぜるような音が聞こえた。
瞬間、紺青に染まった空間を真昼の様な光輝が走り、振り下ろさんとしていた男の剣に落ちた。
「ぎいゃあああアアアアアアッ!!」
凄まじい稲光を全身に浴びた男は、剣を振り払っても感電の衝撃に悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「俺の息子に手を出すなっ!」
空から杖にまたがって滑空してきたカイルはクロムと、セラムを捕まえる男との間に降り立った。
そのこげ茶色の髪は稲光を纏い、時折ぱちぱちと音をさせながらふわりと逆立っている。
「父さん!!」
クロムは、その大きな背中を前に、剣を構えたまま歓声を上げたのだった。
「くそっ! 魔術師がもう感づいてきたか!」
杖を携えたカイルの登場に、男は焦りながらもセラムを片腕で抱え、懐から逃走用と思われる球形の魔道具をカイルに向かって投げつけて、即座に身をひるがえした。
投げられた魔道具は途中で自動的に術式を発動し、カイルを巻き込んで爆発した。
耳をつんざく爆発音と熱気で無事着弾したことを知った男はだが、光の速さで稲妻を連れて先回りしてきたカイルを信じられないとばかりに凝視した。
あの爆発に巻き込まれたようには見えない綺麗な姿で、カイルは男に杖を突き付けて言う。
「セラムを返せ」
男は何が何だかわからないまま、必死に腰のナイフを抜いて抱える頼みの綱であるセラムに突き付けた。
「お、おい魔術師!このガキがどうなっても――――?!」
瞬間、雷の速さで肉薄したカイルは杖の先端で男の鳩尾を容赦なく抉った。
ナイフを取り落し、白目をむいて崩れ落ちる男の手から朦朧としているセラムを取り戻したカイルは、セラムの手首に巻かれている淡い碧色の珠を連ねた腕輪をつかむと、一気に魔力を流し込む。
とたんパキンッと音をたてて腕輪が粉々になり、セラムの目の焦点が戻り始める。
ぱちぱちと瞬きをするセラムにカイルはほう、と深い安堵の息をつき、もう一人の我が子を振り返った。
「クロムは大丈夫か」
「平気だよ。俺、あいつに脛打ちをかましてやったくらいなんだ!」
「そうか、よくがんばったな」
胸を張って答えるクロムの頭をカイルが撫でると、安堵が押し寄せてきたのか、クロムの目に涙がにじんだ。
ぐしぐしと袖で拭うクロムを横目にようやく体に力が入り始めたセラムは、父親の腕に縋って訴えた。
「父上、大変なんだ。あの子がさらわれる」
全く要領を得ない説明だったが、セラムの父親はそれだけでわかったとでもいうように強くうなずいた。
「大丈夫だ。そっちには今ネクターが行っている。お前たちは何も心配しなくていい」
セラムとクロムは父親がそう言った時は、本当に大丈夫なのだと知っていた。
だから、こらえきれない涙を流しながらも強くうなずいたのだった。
**********
カイルが間もなく駆け付けてきた警邏隊に捕縛した犯人達と息子たちを預けた所で、懐にしまい込む鱗が震えた。
取り出して意識を集中させると、二つの思念が同時に頭の中に響き、ずっと頭が重くなる気がする。
これを自分の親友は平然とこなしているのを見ると、やはり素地が違うなと思うが、今に始まったことではないので会話に集中した。
《そちらの首尾はどうだ》
《順調だよ》
《……背後からラーワの魔力波を捕捉しています、今のところ外壁を目指しているようです。このままだと開発区域に入ります》
いつもと変わらず朗らかなラーワの思念とは違い、沈み切った思念で事務的に伝えてくるネクターにカイルは思わず苦笑する。
同じことを思ったようで、ラーワの困ったような雰囲気が伝わってきた。
《ネクター、私は大丈夫だって。簀巻きにもされてないし、こうして話せているだろう? そりゃ、はめられた劣化版の封印具を壊さないよーに気絶したふりをしてるけどさ》
《それでもわざわざ誘拐されることないじゃないですか! 根城は実行犯の一人か二人自白させればそれで事足りるでしょう?》
《それも話し合ったはずだぞ。誘拐された子供たちの安全を確保するのは、怪しまれずに潜入できる今のラーワ殿にしかできない大事な役割だ。俺たちが踏み入った時に万が一盾にとられないための安全策だよ》
《それは、わかっていますが》
やはり承服していなかったらしい不満げなネクターに、ラーワがしょうがないなと苦笑を浮かべるのがわかる。
《私はドラゴンだよ。そんじょそこらの人の集団なんて物の数にも入らないさ》
《でも今のあなたは枷をはめられているに等しいでしょう? あなたはお優しいですから、子供たちが傷つくようなことになったら自分を責められるのではないかと》
そこまで考えていたのかとカイルが若干驚いていると、ラーワも少し驚いたように言葉を止め、ほんの少し嬉しげな気配をみせた。
《まあその時は、古代魔道具を壊してでも全力を出すよ。良いよね、友人くん》
《……ああ、非常事態であれば》
ラーワにそう訊かれたカイルは、非常に不本意ながらも子供の安全には代えられないと肯定する。
《だからねネクター、信頼して待ってるよ。捕まってる子供たちのところにたどり着いたらすぐ連絡するから、早く助けに来てね》
《……はい》
思念話が切れたところで、他の魔術師や警邏隊についた魔術師たちからの伝令風精にカイルは指示を出していく。
長年の習慣で冷静に思考はまわっていたが、その間もふつふつの煮えたぎるような怒りが腹に渦巻くのを自覚していた。
その感情をカイルはむしろ歓迎し、獰猛に笑う。
よくもうちの息子たちに手を出してくれたものだ。
「タダでは済まさねえぞ」
ここが正念場だった。





