ドラゴンさん、幼女になる 3
セラム・スラッガートは、自分が少しだけ普通ではないことは自覚していた。
普通の子には朝の陽ざしのような淡い光をした精霊の姿が見えたりしないし、兄であるクロムや父親の友人たちとは定番の遊びの、光や音は派手だけど、熱くも冷たくも痛くもない幻を打ち合う戦いごっこもできない。
そして魔術で地面を動かしたり、なめらかで硬い石をつくったり、柔らかでフカフカな土にして母の趣味である家庭菜園を助けてあげたりもしないのだ。
特に川で水切りをして遊ぶ時なんてこれ以上に面白くて便利なことはないのに。
「それは、あなたがとても地の精に好かれているからなのよ」
と母に言われたからその時はそういう物なのだと納得したが、それができるのは魔術適性というものがあるからだとも知っていたから、同じ魔術適性のある子供なら自分と同じことが出来ると思っていたのだ。
だが、自分が少しどころではなく“大いに”普通ではないと知ったのは、父に言われて通いだした学問所でのことだった。
セラムの通う学問所は魔術適性のある子と無い子が一緒になって通っている。
通い始めは兄や父の友人たち以外で初めて魔術を使って遊べると楽しみにしていたのだが、魔術適性のある子のほうが少ないことにまず驚いた。
あまり大きくない学問所だったが、全体でも両手で数え切れる程度なのだ。
さらに、魔術適性の高い子供だけで受ける特別授業初日で、何でもいいから魔術で何かをしてみせろ、という先生の指示に“普通”を知らなかったセラムが、気楽に登校の途中で見つけた猫を校庭の砂で作ってみせたらひどく驚かれた。
初めからそこまで精密な操作ができる子供を見たことがないという。
確かに他の子供は、魔力をそのまま使って用意されていた鉄製の棒を曲げてみたり、ボールを浮かせてみたりするくらい、それもやった後はしばらく魔力が使えなくなるくらい疲れていて、それが当たり前だというのを初めて知って愕然とした。
だから、より魔力を効率よく制御できるように学んでいくのだという。
みんなしてそんな感じだったから、呪文を唱えて魔力を変換するなんてことはできるはずもない。
「あなたはあの賢者様に匹敵するような魔術師になれるかもしれませんね!」
先生が興奮気味に言ったそれは褒めたつもりなのだろうが、同じ年頃の子供と戦いごっこをする夢がついえたセラムにはまったくうれしくなかった。
そうしてセラムは初日で特別授業は必要ないと言われ若干しょんぼりしながら通うことになったが、その翌日から受難が始まった。
学問所全体にセラムが初日で特別授業を終了するほどの魔術が使えると知れ渡っていて、何とか仲良くなろうとクラスメイトの一人に勇気を振り絞って話しかけてみたりもしたのだが、恐がられたり、睨まれたり、ふと見渡せばクラス全体から遠巻きにされていた。
それでも特別授業で一緒になった、リログとだけは仲良くなったが、普通の子供たちには必要のあるとき以外話しかけられないでいる。
なぜびくびくされるのだろうと悩むセラムに、市街地に住むリログは何でもないことのように言った。
「ああ、だって魔術を使えるやつに会うほうがめずらしいんだぜ。自分にわからないものを持っているやつにどう接していいかわかんねえんだろ。セラムのは使える俺からしても別格だけどな。あきらめろ」
なんでも、普通の子はめったに魔術というものを見ないらしく、初日の特別授業をたまたま見かけた子供たちは度肝を抜かれたらしい。
その言葉でやっとセラムは、魔術が“珍しい”物だと理解して、でも結局仲良くなれそうにないとちょっぴり泣きそうになった。
セラムは自分が口下手なことを知っている。
何をどう話していいかわからずによく黙り込んでしまうのだが、それが親しくない大人からは愛想がないといわれる。
だから、クラスメイトと仲良くなろうにも何をどう話しかけていいかわからずに、ただひたすら学問所に通う日々が続き、学問所内ではリログ以外との交流がないまま半年が過ぎようとしていた。
本日もクラスメイトと話さないまま授業を終えたセラムだが、今日だけは弾んだ気分でいそいそと帰り支度を始めていると、同じように帰る準備をしていたリログが意外そうな顔で話しかけてきた。
「セラム、なにかあるのか?」
「今日は、父さんの友達が泊まりに来るんだ、だから早く帰る」
「へえ、セラムの親父って魔術師なんだろう? やっぱりその人も魔術師なのか?」
リログの質問に、セラムはカバンを背負おうとしていた手を止めた。
珍しい黒に燃えるような赤の混じった特徴的な髪をしたその女性は、セラムの物心ついたころにはすでに月に一度ほどのペースで遊びに来るのが決まりになっていた。
彼女が来るときは、必ず父の友人であるネクターも来て兄と一緒に遊んでもらうのが常だったが、そういえば彼女の名前以外、何も知らないことに気が付いて考え込んだ。
「……どうなんだろう、ネクター兄さんは魔術師だけど、ラーワ姉さんは訊いたことなかった」
「おいおい、そこは聞いとけよ」
リログが呆れたように言うのに、セラムは首を傾げた。
「なんのために?」
一緒に遊んでもらうのに必要がないことをどうして聞くのか、さっぱりわからない。
セラムがきょとんとしているのがわかったのだろう、リログはため息をついて質問を変えた。
「姉さんっていうくらいだから、そのラーワさんは女なんだろう? どうだ、美人か?」
好奇心いっぱいのワクワクとした顔のリログにセラムは大いに戸惑いながらも姉と呼ぶ彼女の容姿を思い起こして言った。
「えーと、可愛い感じの人、かな」
「へえ、じゃあセラムはその人のこと好きなのか?」
「は?」
今度こそ本気で意味が分からずにセラムは訊き返した。
「好き、って何?」
「そりゃ決まってんだろ!? 恋人にしてほしいとかそういうのだよ!!」
「まさか、僕まだ10歳だよ? ラーワ姉さんは確かに会った時からずっと変わらないけど、僕とじゃ全然釣り合わないよ。
それに姉さんは姉さんだもの。そんなこと考えたことないよ」
「なんだ てっきり年上趣味なのかと思ったぜ」
「ねえ、リログ、あんまり常識の知らない僕だって、10歳で恋をするのは早いって知ってるよ、からかうのはやめてくれないか」
「わかってねえなセラム、恋をするのに年齢なんて関係ないんだぜ! 落ちる時には落ちるもんさ。お前の今の答えだって救われた子が何人いるか!」
「なんの話だよ?」
意味が分からず訊き返すセラムの肩に、リログがやれやれと言わんばかりに手を置く。
「こっちの話だ。んじゃ、あこがれのお姉さまに会いに早く帰ると良い。俺はこれから特別授業があるんだ。あの賢者様とまではいかなくても、魔術師になりたいからな!」
「……じゃあ、また明日」
セラムは揚々と別教室へ去っていくリログの後姿を羨ましく思いながらカバンを背負った。
「よお“魔術の天才”は今日も帰りが早いな!」
学問所の玄関から足早に出ようとした矢先、不本意に浸透してしまったあだ名で呼ばれたセラムは顔をしかめながらも、つい振り返った。
セラムに声をかけてきたのは、同じ教室の少年バーニーだった。
学問所の大多数である魔術適性の無い子供だったが、同年代の少年よりも頭一つ抜けた体格と乱暴な口ぶりで、女の子から嫌厭されているが、常に同年代の少年からは慕われているようだ。
だが、例の特別授業の翌日、セラムが隣に座っていた彼に話しかけた瞬間、ものすごい勢いでにらまれて以来、何かにつけて突っかかられていた。
どう扱っていいかわからずからまれるたびに困惑しているが、話しかけてきてくれるだけましだと思うことにしていた。
「今日は、大事な用があるんだ」
「フン、きいたぜ! あこがれだかなんだかしらねえが、親父の知り合いだったらおばさんだろ? 急いで帰るなんて馬鹿じゃねえの」
良く知っているな、とちょっと目を見張りながら、セラムはバーニーにこれだけは訂正した。
「ラーワ姉さんはおばさんじゃない、お姉さんだよ」
「どっちにしたって20歳は過ぎてるだろ? そうしたら俺たちからしたらおばさんじゃねえか。つまんねえおばさんの相手なんかすることないだろ。そんなの放っておいて付き合えよ」
何時もなら聞き流して終わりなのだが、今日はバーニーの言葉にセラムはむっときて言い返した。
「ラーワ姉さんにはいつも魔術を教えてもらってるんだ。つまんなくなんかない。決めつけるのはやめてくれないか」
少しきつい言い方になってしまった、とセラムが思った瞬間、バーニーは顔を真っ赤にして声を荒らげた。
「たかだか魔術を使えるからって気取ってんじゃねえよこの野郎!!」
セラムの頭は真っ白になった。
なぜかバーニーのほうから二の句はなかったが、セラムは呆然と立ち尽くしていると、バーニーの後ろから彼と仲の良い少年数人がおずおずとあらわれた。
「バーニー、そんなやつ放っておいてさ、早く遊びに行こうぜ」
「そうだよ、ほら、ボールは確保したんだぜ」
「全然しゃべらねえし、気味悪いじゃん」
彼らがこちらをちらちらと気にするその視線に、明らかな忌避を見て取ったセラムはひゅっと息をつめた。
ああ、そうか、嫌われていたのか。
ぐっとこみあげてきた物をこらえて、セラムはバーニーにくるりと背を向けた。
「じゃあ僕、帰るから」
「お、おいお前……!」
バーニーの声を背中で聞きながらセラムは校舎を出ていった。
黙々と歩いていたら、兄の通う剣術道場の近くまで来ていたらしい。
「やっぱすげえなクロム。どうやってあんな速さで動き回れるんだよ」
「そりゃ、毎朝走りこんでるからな。……屋根の上を」
「屋根っておいおい、近所迷惑だろ!?」
「そこはあれだ。足を下す時にパフッとしてな、音が出ないようにしてるんだよ。それも含めて修行だ」
「パフッて……相変わらずお前の魔力操作の表現は意味不明だな」
ちょうど稽古を終えた兄が友人たちと賑やかに話しながら出てくるところだった。
「セラムか?」
「兄さん……」
立ち尽くすセラムに当然のようにのんびりと声をかけてきた兄のクロムはセラムよりも色の薄い茶色の髪に、繊細で物腰柔らかな雰囲気はとてもじゃないが年がら年中剣を振っている剣術馬鹿には見えない。
だが、剣を握っているとき以外はおっとりしすぎていると称される兄が、考えていることがわからないとよく言われるセラムの表情を見誤ったためしがなかった。
「へえ、これがクロムの弟か。あの賢者様に匹敵する魔術適性があるんだってな。すげえな」
クロムの友人の一人に物珍しそうに好奇心たっぷりに上から見下ろされたセラムは顔をこわばらせた。
悪意がないことはわかっている。でも、今はその好奇の視線に耐えられなかった。
「どうかしたか」
案の定兄はセラムの異変に気づき、声をかけようとしたが。
「ごめん、兄さん僕、いくから」
「ちょっ、おいセラム!?」
セラムは足に魔力を込めて脱兎のごとくその場から逃げ出した。
兄の姿が見えなくなり、セラムはようやく足をゆるめた。
走りやすい道をと選んでいたらどんどん知らない場所に進んでいったが、かまわなかった。
前々から、あんまりよく思われていないのではないかとは感じていた。
だけど、今日初めて面と向かってぶつけられた言葉の刃は、ぐっさりとセラムの心の柔らかいところを刺していった。
あんなに帰るのが待ち遠しかった気持ちも今は遠く、この腹の底にぐるぐるとたまる気持ち悪いものをどうにかしたかった。
人気のない場所、ひっそりと落ち着ける場所を探している、と
もっと嫌なものが見えた。
「ねえ、お嬢ちゃんどうしたんだい? おじさんに話てみなよ」
「うん? 人を探しているんだよ。このあたりにいると思うんだけど」
「そうなのか、じゃあおじさんも一緒に探してあげよう」
「え、そう?」
「ああ、そうそうおじさんとてもおいしいお菓子を持っているんだ。それをあげるよ」
「うわあ、マドレーヌのお店の焼き菓子だ! おじさんありがとうっ」
その不精髭を生やした見るからに怪しそうな中年の男の取り出したお菓子をもらった少女は、縁なし帽子の影でもわかるほどぱっと花のように笑った。
その笑顔に応えるように不精髭の男も笑ったが、その笑みに危険なものを感じたセラムは、考える前に動いていた。
「じゃあお嬢ちゃん、それをゆっくり食べるためにちょっとあっちに行こうか?」
「うん! 私もちょうどそっちに行きたかったの」
中年の男が無邪気にうなずく少女の細い腕をさりげなくだが強引につかみ、顔に張り付けた笑みを崩さないまま、路地の暗がりへ引き込もうとしたその背にセラムは言葉を投げつけた。
「おじさん。その子をどこにつれてくの」
「なっ……にを言っているのかな君。おじさんはこの子が迷子みたいだから親御さんのところに」
「じゃあ言葉を変える。誘拐は犯罪だって知っているかこの変態」
「っのガキ!!!」
セラムの挑発にあっけなく乗った中年の男は、図星を刺された羞恥と怒りで赤黒く染まった顔を醜くゆがめた。
だがセラムも何も考えず挑発したわけではない。
男が拳を振りかぶってきたがセラムはすっとしゃがみ込むと、男の立つむき出しの地面に両手をついた。
『泥沼』
男に声をかける前に詠唱して地精を集めていたから、古代語を唱えた瞬間、魔力の反応光と共に男が踏み込んだ足元が泥濘化した。
「うわあっ!?」
ただの泥ではない。膝まで埋まるほどの粘着性のある泥だ。
一度はまれば最後、魔術の効力が切れるまで自力で足を抜くことが出来ない。
「君、走るよ!」
「え、ちょっええ!?」
男が足をとられその場に釘づけになっている隙に驚いた表情でこちらを見つめている少女の腕を引っ張り、セラムは全力で走り出した。
少女を連れて逃げたはいいが、セラムは昂揚から冷めるとどうすればいいかわからなくなっていた。
まだバーニーに言われた言葉も、少年たちの視線も、脳裏にこびりついている。
“魔術が使えるからって気取ってんじゃねえよ!!”
セラムは少女の前で魔術を使ってしまった。
もしかしたらあの少年たちみたいな忌避の視線で気味悪がられてはいないかと不安に駆られ、後ろを振り返るのが恐ろしくなった。
「ねえ、もうあのおじさんいないよ!!」
人通りの多い建物に囲まれた広場に差し掛かったところで少女に言われ、セラムはようやく立ち止まると、思い切って腕を捕まえたままの少女を振り返った。
年は、セラムより二つか三つくらい下だろう。
縁飾りのついた縁なし帽子に髪を入れこみ、胸の下で絞られたオレンジ色のドレスを着たその少女は、ふっくらとした頬といい、ぱっちりとした目元といい、なるほど、セラムが見てもかわいいと思える愛らしい顔立ちをしていた。
セラムは我知らず息をつめたが、少女は困ったように見つめ返すだけだ。
一拍、二拍と見つめ合ったところで、セラムは恐る恐る口を開いた。
「嫌じゃ、ないのか」
「なにが?」
「なにって、僕が魔術使ったのを見ただろう? 怖くないのか」
「えっ、怖がらなきゃいけないの!?」
少女は本気で驚いたように目を丸くした後、腕を組んで考え込む。
「むしろこの場合、あのおじさんのほうが危ないし、怖がられるんじゃないのかなあ」
その言葉にセラムあっけにとられて目を丸くし、すぐに母とラーワにことあるごとに言われる「女の子は大事にする」という信念が脳裏をよぎり声を荒らげた。
「危ないってわかっていて、どうしてあんな分かりやすく危ない奴についていこうとしたんだ! 知らない人に声をかけられても答えちゃいけないってどんな子供でも知ってるよ!」
「……それはまあ、明らかに危なそうだったからちょっと処分しておこうかなと」
少女がごにょごにょとつぶやいた言葉はうまく聞き取れなかった。
「なんだって?」
「ううん何でもない。それにもしもの時はこの子たちが助けてくれただろうから、大丈夫だよ」
「この子たちって……」
少女が掌を広げてしめしたそれを、常人ならわからなかっただろう。
だがセラムは明るい日差しの中でもよくわかるほどの様々な精霊の光に囲まれる少女の姿を、あっけにとられて眺めた。
地の精霊に好かれるセラムだって、魔術を使っている時に精霊が寄ってくることはあるが、これほどまでにいろんな精霊がたくさん集まってくるのを見るのは初めてだった。
「でも、助けてくれてありがとうね」
燐光に囲まれながらにこりと笑う少女に、セラムはなぜか心臓が大きく跳ねた気がした。
思わず胸を押さえて困惑していると背後から風切音が聞こえた。
「おーい、セラム! やっと追いついたっ」
振り返ると胴着姿のクロムがほっとした顔で走ってくるところだった。
足取りが異様に軽やかで濃密な魔力の気配が足下に集まっていることからして、セラムもさっき使った魔力操作の一種『身体強化』を使っているのだろう。
「途中で『泥沼』にはまったおじさんがいたけど、お前の仕業だろ。何があったんだ?」
「えっと、この子を連れ去ろうとしてたから、足止めして逃げてきたところ。で、良いんだよね」
少女に同意を求めると、傍らの少女はこくこくとうなずいた。
「う、うん。知らない人だから!」
「そうか、よくやったなセラム。君、もう知らない大人についていこうとしちゃダメだぞ」
「はあい」
クロムの柔和な表情が一瞬引き締まり注意するのに、少女はぴっと背筋を伸ばして返事をした。
そのばつの悪そうな表情にこれで落着か、とほっとしたセラムだったが、あることに気付く。
「ねえ、君、なんであんなところに一人でいたの?」
「人を探してたんだけど、もういいんだ」
「ふうん、じゃあ、一人で家に帰れる?」
「ええと、それは……」
とたん、おろおろと目を泳がせはじめた少女の態度は、典型的な迷子にしか見えなかった。
「どうしよう、兄さん」
「どうするって……」
顔を見合わせて考え込んでいたセラムとクロムは、
「ばれてない、みたい……?」
少女がそうつぶやいたことには気づかなかった。