「ドラゴンさん」発売記念SS ~賢者ネクターの不憫な(あるいは自業自得の)夜~
こちらは、書籍版「ドラゴンさんは友達が欲しい!」発売記念SSです!
※注意! ネクター無自覚変態警報発令! 苦手な方は読まないことをお進めします!
※単品でも楽しめるようになっておりますが、よろしければ書籍版挿入の書下ろし「ドラゴンさん、女子会をする」の後に読んでいただけるとよりにやにや度が増すかと思われます。
応援してくださった方、そしてご購入いただいた方、本当にありがとうございます。
王立研究所所長兼、宮廷魔術師筆頭ネクター・プロミネントは、深夜の静まり返った研究塔内を足早に移動していた。
早朝から夕方にまで及んだ視察に加え、無二の親友であり現魔術師長であるカイルに押し付けられた残業を片づけた後のため、さすがに重い疲労があったが、明日、いや既に今日予定されている、黒竜の化身ラーワとの外出を考えれば気にならなかった。
便宜上彼女と呼ぶが、彼女との思念話は三日と空けずにしていたものの、実際に会ったのは二ヶ月前、さらに泊まりがけで来るのは実に半年ぶりだ。
そのためにネクターは明日からは彼女の滞在に合わせて全面的に有休をとり、彼女の行ったことのない近隣の観光地まで足を伸ばそうと計画していた。
絶対に、何が何でも楽しむのだ。
そういうわけで、久しぶりの外出を存分に楽しむために少しでも休息をとろうと、急ぎ足で研究塔内にある自室へ帰ろうとしていたのだが。
扉の前に立ったところで、室内に張り巡らせていた結界の一部がわずかに書き換えられていることに気付き、瞬時に警戒態勢に入った。
魔術師として最上の称号である「賢者」を歴代最年少で贈られたネクターが施した術式を破るなど、よほどの術者だ。
かつてない事態に警邏隊を呼ぶことも考えたネクターだったが、それほどの術者であるなら足手まといになるだけだと即座に結論付け、何時でも魔術を行使できるよう準備を整えた上で、精霊樹の杖に手をかけながら、万全の態勢で室内に踏み込んだのだが。
「うにゅ……」
「……っ!?!?」
そこには、
自身の使っているベッドに横たわる、娘 姿 の ラ ー ワ が い た 。
その特徴的な赤の混ざった黒髪をシーツの上に無造作に散らし、ネクターが贈った白のドレスを身にまとったラーワは、こちらに顔を向ける形で体を丸め、ほんのりと頬を桃色に染めて実に幸せそうな顔ですやすやと眠っている。
窓から入る月明かりによって浮かび上がる、その寝顔はあどけなかったが、自分でくつろげたらしい襟元から見える鎖骨や、乱れたスカートの裾から覗く白い太ももはひどく艶めかしく。
目の前に広がる衝撃的な光景に、千年に一度の天才とうたわれるネクターの明晰な頭脳は大混乱に陥った。
(お、おかしいです! ラーワは人族の様に定期的な眠りや休息を必要としないと言っていましたからこうして眠っているはずありません!! ――――ですがラーワなら空間転移が使えますし私の張った結界など簡単に解けるはず。それならなぜベルたちと食事とお酒を楽しんでいるはずのラーワが私の部屋に、はっもしやこれは私の願望が見せた幻覚!?……いえ、たとえ幻覚でも構いませんっ、今ラーワが目の前にいるとすればやることは一つです!)
0.3秒で結論付けたネクターは迷わずラーワの眠るベッドの前に腰を下ろしじっくりと観察する体制に入った。
普段は長く見つめていると照れて逃げられてしまうが、今であれば見放題だ。
この頑張った後のご褒美ともいえる機会を逃す気はなかったネクターは、間近で見ても人族の娘と変わらない造形に陶然と見入った。
ラーワはこの国以外の人族の女性を参考にしたらしく、全体の骨格がひどく華奢だ。
小作りな桜色の爪にふさわしい小さい手は貴族令嬢のようになめらかで、強く握れば壊れてしまいそうだったし、うなじや首筋にかけては思春期の少女を思わせる線の細さだ。
なのにその体は服の上からでもわかる女性らしい稜線を描いていて、これを基本形として創ったラーワの美意識の高さには全力でサムズアップしたい気分だった。
全体を終えたネクターが詳細の観察のために顔を近づければ、アルコールの匂いと共にほのかに甘い香りがした。
(うわあ、ラーワの睫毛って長いんですね、肌は白粉なんていらないくらいすべすべそうですし、この黒髪なんて絹のように艶やかでっ! 金の瞳が見えないことが残念ですけど、本当にラーワの「変身」はドキドキするくらいスキがありません!)
その時、こてんとラーワが寝返りを打った。
唐突に動いたラーワにびくっとしたネクターだったが、ほのかな甘い香りと共にあおむけになった服の襟が開いて胸の中央を飾る紅玉よりも深みのある珠がのぞき、視線はいやがおうにもそこに惹きつけられた。
ラーワは自身が「竜珠」と呼ぶそれで、己の魔力を抑えているだと以前話してくれたことがあった。
そこだけが人とは違う異質な部分だったが、紅玉よりも高貴な輝きを放つそれをネクターは素直に美しいと思っていた。
一度、触ってみたいと思うほど。
(わ、わわ私は何を考えているのですかっ! 今のラーワは女性体です、意識のない女性に触るなどっ―――……ですが、以前ラーワは自分に性別はないと言ってましたし、竜珠は鱗を集めて加工をしたいわば爪や髪と同じようなモノらしいですし、べ、別に胸に触るわけではないのですし。……はっそうです、これは学術的興味なのです!)
0.5秒で正当化に成功したネクターは、それでも我知らずごくりとつばを飲み込み、吸い寄せられるようにそこに手を伸ばす。
「んぅ……」
あと少しで指が触れる寸前、ラーワの桜色の唇からこぼれた吐息のような声にネクターは音速で手を引っ込めた。
早鐘のように打つ心臓を抑えていると、桜色の唇からさらに不明慮ではあるものの聞き取れる言葉がつむがれた。
「ねくたーおかえりぃ。おつかれさま……」
ラーワのまぶたはしっかり閉じられているため恐らくは寝言だろう。
だが。
まさにその言葉を言うためにこの部屋を訪れたのだと、理解した、いや、してしまったネクターは、長い沈黙の末、ぎくしゃくと足元に丸まっていた毛布をラーワにそっと掛けた。
そうして、悲壮な覚悟であどけない表情で眠るラーワに背を向けて床に座ると、
「古代における呪文字の使用法は文章ではなくその状況下で最も適した文字を選び正確に刻むことである。呪文字を使った魔術は八つの要素から成り立ち、刻印、解読、染色……」
己の煩悩を一掃するため、基礎魔術教科を片っ端から暗誦し始めたのだった。
その暗闘は早朝、ラーワが目覚めるまで続くことになるのだが。
賢者ネクターの夜は、まだ始まったばかりである。