20 そしてドラゴンさん達は
ネクターの生存報告の為にカイルの家に行ったら、案の定ネクターはカイルに跳び蹴りでふっとばされていた。
ちょっと根に持っていた私が自業自得だもっとやれーと応援したのは言うまでもない。
それを終えてから嬉し恥ずかしの結婚報告をすると、やっとかという具合に呆れられた。
何故に。
「お前たちが恋愛的な意味で互いを想いあっていたのは、周囲から見ればすぐわかるようなレベルだったってことだ。独りもんには拷問のような桃色空間を作り出しておいて気づいてなかったのはお前たちだけだよ」
そういえば私達を見る皆さんの見る目がなんとも生ぬるいものといわゆる「リア充死ね」的な反応に別れていたような……。
「あの新年祭の時にネクターがあなたの服を注文したと聞いた時にはとうとう告白かと思ったんだが、まさかあんな紆余曲折があるとはな」
「どういうこと?」
「あ、えとそのそれはっ……」
あわあわと意味もなく手を振り始めたネクターをさらっとスルーしてカイルに聞くと、にやりと笑われたじろいた。な、なに?
「この国では確かに新年祭に身内に服を贈る習慣があるが、独身男から女に衣装を贈るのはプロポーズの意味があるんだよ。ついでに揃いの耳飾まで用意していたからなあお前」
この周辺の国々でおそろいの耳飾は地球での薬指につける指輪と同じ意味がある。
その証拠に、カイルの片耳にも奥さんと揃いの耳飾が光っていた。
ああなるほど、先にネクターを連れてリグリラのところへ顔を出した時に、ネクターが平謝りをしていたのはそういうわけだったのか……。
ちなみに、ネクターの顔を見るや否やリグリラがその場で王都が焦土にするんじゃないかというくらいの魔圧でネクターに攻撃魔術を放ち、それが半分本気の小手調べだったもんだからひやひやしたが、ネクターは冷や汗をかきながらも何とか防護魔術を編んで対応しきり、リグリラが舌打ちをして手を引くというひと悶着があったのは余談である。
「カイル、お願いですからそこまでにしてください……!」
私たちの知らない間に恋人認定されていていつくっ付くのかとやきもきされていたとは、こちらはひたすら恐縮するばかりだ。
両手で顔を隠しながら懇願するネクターと一緒に真っ赤になった私だった。
なんだかんだ言ってもカイルも奥さんも喜んでくれて、数日後、方々へ散らばっていた旧部隊の人たちも集まってささやかというには賑やかな祝福パーティを開いてくれた。
みんな、わかっていたのだろう。
だって古代魔術を教えたのは私だ。その中に精霊化の原理も入っていたのだから。
半精霊になったネクターが彼らと同じ時を過ごすことはもうないのだと。
別れは突然であるが必然だ。
かつて彼らの味わった痛みを考えれば、悲しみに暮れるよりは喜びのまま祝ったほうがいい。
そのせいだろう、にぎやかなどんちゃん騒ぎになったのだった。
『これはお祝いなんかじゃないんですからっ。そうたまたま! たまたまできたから持ってきただけなのです!! あ、あなたが幸せなら……そこの精霊見習いっ、今度ラーワを寂しがらせたら八つ裂きにしますからねっ』
リグリラにも良ければ来てねと誘ってはいたものの、あの様子じゃこないだろうと思っていたのに、新作だという私の鱗の色である紫がかった黒の生地に、ネクターの髪の色のような花弁の先が紅色に染まったクリーム色の薔薇のコサージュを付けた素敵なドレスを持って参加してくれて、それを着た私とネクターはその場で簡単な結婚式までした。
そんな事全く考えていなかっただけにびっくりしたが、みんなに祝福されるのがこんなにうれしいとは思っていなくて。
しかもリグリラが一緒に作ってくれていた竜の涙のはめ込まれたそろいの耳飾は、ネクターがくれたブルートパーズの耳飾と一緒に付けると、まるで初めから一対だったようにしっくりときた。
耳飾りを片方ずつ交換し、ネクターにつけるときは手が震えたのは内緒だ。
ネクターの片耳に柔らかい水色の石と、淡い金色をしている私の涙の結晶が寄り添うように並ぶのを見ると、ネクターのすべてを貰ったようで胸が熱くなった。
『これはあなたの……』
ネクターは私の石を身につけて、初めてそれが私の涙だと気づいたようだ。
それがいつ流されたものか察したらしいネクターの表情が陰る前に、背伸びをして顔を近づけた。
『これで、君は私のものだ。こうなったからには手放すつもりはないから、覚悟してくれよ?』
そっと囁きながら耳飾を付けた耳朶をなぞり、ついでにちょっと浮足立った気分のまま、頬に唇を軽く寄せて、至近距離で嫣然と笑ってみせた。
言葉に一切の嘘はないものの、ネクターが動揺するのを楽しみに仕掛けたのだが、すぐに後悔した。
ネクターが硬直したのは一瞬だけで、途端、妖艶に微笑むと噛みつくように唇に口づけられて息も絶え絶えになったのだから。
『もちろん、この身、この魂、この想いのすべてはあなたのものですが、私の石をつけていただいているということは、私もあなたの想いを独占しているとうぬぼれてもいいんですね?』
『あ、当たり前だろう?! ―――――ちょっとまって、ちょっとタンマっ!!』
予想外の事態の上、ちょっと腰が抜けかけたのをネクターに支えられたのが悔しくて、でも否定するのも嫌でリグリラみたいな言い方になった。
するとさらに顔中に唇を落とされて慌てていると、仲人として場を取り仕切っていたカイルの冷ややかな言葉が割って入った。
「……ネクター、やっとできた嫁がかわいいのはわかるが、衆目の前だ、それ以上はよそでやれ。あとラーワ殿、こいつを煽るんじゃない」
「「はい」」
兎にも角にも、うれしいことには変わらず、ちょっぴり出た涙を結晶になる前に純水で希釈して瓶に詰めた物を参加してくれた全員にあげた。
言葉にすると安っぽいが、濃縮された魔力のおかげで呑めば万病回復、かければちぎれた腕でも生えてくる万能薬である。
「このままこいつらを野に放っていいのだろうか……」
中身を知った途端、カイルが呟きながら頭を抱えていたけど、まいっか。
あとはお決まりの酒飲み宴会になった。
リグリラはいい具合に酔っぱらってカイルの奥さんと一緒に時折高笑いをしていたし、母親の変わりように目を白黒させるお子様たちは彼女たちに絡まれてなぜか女装までさせられていた。ちなみに結構似合っていたのでこっそり紙に念写して亜空間にしまっておいた。
仲間内ではネクター以外はほとんど結婚していても、通過儀礼だとネクターは次々に呑み比べを挑まれていたが、全戦全勝である。
このまま逃げ切るのかと思いきや、後日文句言いがてら報告に行こうと思っていた木精のおじいちゃんがネクターの杖を依代にイケメン青年バージョンで顕現して、周囲を騒然とさせながらもネクターと呑み比べガチンコ勝負をして大いに場を盛り上げていた。
だが、二人とも私をそっちのけでやっていたのにムカついて、私が飛び入り参加して潰してやった。ざまあ!
主役の一人がつぶれてもにぎにぎしく続く宴会を楽しく眺めていると、復活したらしい白い髪に褐色の肌をしたイケメン青年のおじいちゃんが横に座ったので、もうついでだからと恨みごとを言っといた。
『私、何度かネクターについて心当たりがないか聞いてたよね。言わないなんて相変わらず意地悪だね、おじーちゃん』
『悪かったよ。あんまりにも二人がじれったくての。だがなにぶん人の生は短いゆえに気がうつろいやすい。人の子の気の迷いでお前さんが傷つくのも見たくはないしな。あやつの覚悟を試したんじゃよ。許してくれ』
『いつまでも子ども扱いして。……ったくもう』
結局は私のためって、だったらこれ以上言えないじゃないか。
乱暴に髪をくしゃくしゃとかき混ぜていると、飄々としていたおじいちゃんがふいに真剣な雰囲気を帯びた。
『坊やには言っておらぬようじゃな。お前さんが子を産めることを』
『……まーね』
ネクターは一つ勘違いしている。
私の体は魔力のかたまりではあるが、実体はある。
変身術はその実体を変異させているのであって変身した生物の肉体機能の再現具合も調節できたりする。
つまり真似っこしているのは皮だけじゃなくて中身もだよってことで。
だから、細部まで再現した人型ならば出来る事もできちゃうし、まだまだドラゴンが必要な世界の許可もあれば私の眷属という形で子供を作ることもできたりするわけでして。
まだ半精霊状態のネクターとなら成功率は低いができなくはないだろう。
さんざん赤ん坊がかわいいかわいいって言っていた私がなんで言わないのかといえば、
『いや、だって恋心自覚して一気に旦那様だよ?恋愛初心者の私にはもういっぱいで』
こう、数百年もそういう話から遠ざかっていた手前、ちょっと照れくさいというか。
もじもじとしていると、おじーちゃん(イケメン青年)に白い目を向けられた。
『そんなこと言ってどうする。
人族の男の性欲を舐めるでない。わしのもとであやつの見ておった煩悩入り混じった夢をおしえてくれようか。むしろお前さん一色で呆れたわ』
『ぎゃー! やめて―――!!!』
ネクターの意識を覗いた時に私への気持ちにそっち方面が混じっているのはわかっていたけどっ!
その時ああネクターも一応人間の男だったんだなってかえって感心するくらいR-18指定のアダルトな世界も見ていたけど。
さらに言えば最近のネクターの激しいスキンシップにドキドキもしたけど!!
今は聞きたくないっほのぼの路線でひたっていたいんだよ――――っ!!!
『そういっている間に今のお前さんらでは100年くらいあっという間に過ぎそうであほらしいわ―――どうやら起きたようじゃな。わしが直々に話してやる』
最悪のタイミングで身を起こしたネクターのところへ早速歩いていくおじいちゃんを止めるべく慌てて魔術を走らせたが、一足遅く。
ネクターはひどく驚いた後おじーちゃんの後ろにいる私を見つけて、ゆるりとしたたり落ちるような甘い笑みを浮かべた。
そして気が付いたら腕に収められていて、あ、こりゃもう逃げられないと諦めた。
私だって産めるもんなら欲しくないわけじゃないのだ。
でもドラゴンの私と、今はまだ人間とはいえ半精霊のネクターの場合どちらに似るにせよ、生まれた子は相当の長い時間を生きる。
それなりの苦労を背負わせることになるとわかっているのだから、きちんと考えて生んであげたい。
まあ、私とネクターの子なら結構なんとかなる気がするから、そんなに気負わなくてもいいかもしれないなと、あったかい腕の中から柔らかい微笑を浮かべるネクターを見上げて思った。
とりあえずネクター、私初心者だから初夜、とかちょっどこつれて、手がやちょっまっ……!
そのあとは聞かないでほしい。
ただ、宴会は朝まで盛り上がり、私たちが途中で抜けたことに気づく人はいなかったと付け足しておこう。
友達が欲しかった女子大生の生を終え、ドラゴンに生まれて幾星霜。
紆余曲折あったものの、恋人を飛ばして伴侶に恵まれた幸せは、これからも増える予定のようです。
……体、持つかな。
**********
大陸で最高権威の名門魔導学校を有し、魔導史に名を残す偉大な魔術師を幾人も輩出するバロウ国には、魔術師の復権を為した賢王時代の人相書きが、主要都市の互助協会や場末の酒場まで、今でも残っている。
特徴は炎のような赤の混じった黒い髪と、月の光を溶かし込んだような黄金の瞳。
絶世の美女の時もあれば、勇壮な青年であることも、平凡な町娘の時も幼子の時でさえあるという奇妙な但し書きのついたそれを、この国に初めてくる人間はその古さもあいまって、その店の冗談かいたずらかと本気にはしない。
店主も地元の人間も意味深に笑うだけだからなおさらだ。
だが、目ざとい者ならばその張り紙の隅に押されている意匠化されたドラゴンの印字に気付き、それが国王から出された勅令だということに、更にはそれが更新され続けていることに目を疑うことになるだろう。
そしてそこの店主がおしゃべり好きなら、話のきっかけにこんなことをいうかもしれない。
「外の人間には賢王だと褒められているが、俺たちからすれば“ドラゴンさん”の好意を無下にしちまった、ただの阿呆だよ」と。
曲がりなりにも自国の王だった人物に対する暴言に目を向くだろうが、その話が聞こえていたらしい常連がその通りだとうなずき、彼らが得意げに披露する話に耳まで疑うことになる。
その昔、この国を襲った未曾有の魔物災害の収束に、伝説の古代神竜の一体、黒火焔竜の助力があったことは知られた話である。
詳細はいまだに不明であるが、レイラインの破損によりあふれだした魔力によって大量発生した魔物の大群が魔術師たちの奮闘もむなしく街を飲み込もうとした時、若き日の“万象の賢者”の懇願に応じた黒火焔竜が現れた。彼の竜は平原を埋め尽くすおびただしい魔物を、天を焦がすような灼熱の業火によって焼き尽くし、たった半日で事態を収束させたという。
何せ当時はお伽噺でしかなかった人族以上の知能を持つドラゴンの存在自体、その直後に起こった政権交代に携わった主要人物であり、現代魔工学の祖とも、万能の天才とも称される“万象の賢者”によって編纂された魔力循環と古代神竜の文献によって広まったものだ。
それが黒火焔竜から直接聞き取った情報をもとに書き上げられたと言うのは、魔力循環研究者の中では周知の事実だという。
それでも、あの人相書きが黒火焔竜の仮の姿で“万象の賢者”と連れ立ってよく街中を歩いていたなどというのは荒唐無稽にもほどがある。
その後、文献が大陸中に広まったと同時に、バロウ国の繁栄を見た他の国々によって競うように古代神竜を“確認”しようとしたが、古い史実では十数万の大軍を単体で撃破したと伝えられる彼の竜でさえ人族に“好意的”であると言わざるを得ないような燦々たる有様だった、というのも良く聞く噂だからだ。
持ち帰られた彼らの言葉はただ一つ『我らの邪魔をするな』。
強大な力を持つがひどく排他的な種族であると痛感した国々は関係を持つことをあきらめたという。
確かに、バロウ国の国旗にドラゴンの意匠が加えられたのもそのころであるし、そのせいか、この国ではよくドラゴンの意匠をよく見る。ドラゴンと“万象の賢者”の種族を越えた友情をモチーフにしたお伽噺も根強い人気だ。
更に同時期に活躍し、ドラゴンとも関係が深かった“魔導の導き手”は魔導学校の設立場所に王都ではなくドラゴンによって平定された平原近くの都市を選んだ。そして入学した際、一番初めに教わるのはドラゴンとの対話の仕方と彼らの使う古代語の習得だという。
それほど、数々の古代魔術をもたらしたドラゴンに対し敬意をあらわしていることからして、この国に一時期黒火焔竜がいたのは事実であると推測できる。
しかし、バロウ国の公式の歴史書でさえ黒火焔竜の記述が出てくるのは賢王の在位一年目までだった。
彼らの口ぶりでは黒火焔竜の目撃頻度は十年では利かない月日にわたっているからそれでは計算が合わない。ただこの国ではごく初期にドラゴンの加護を受けた国として周辺国家に圧力をかけていた歴史があるため、その時の流言の一つなのだろう。
だが、そう納得しようにも彼らの祖父母や縁者の体験として語られる話はどれも生々しくあまりに人間的で、妙に人間臭いドラゴンと、未だ謎に包まれている”万象の賢者”の姿に幸運な旅人は思わず聞き入った。
ある日の早朝、赤い皮膜を大きく広げて上空を飛行する黒いドラゴンの姿を見た、というのは序の口だ。
時々城壁を越えて王都を訪れるドラゴンさんを見ようと城門の警備に人手が殺到した。
あそこの酒場には時々青年の姿で酒を飲みに来ていて、たちの悪い傭兵崩れを叩き出してくれた。
ひい婆さんは娘の頃、通り魔に襲われそうだったところを助けてもらった。
新年の祭りの時に、賢者と娘姿のドラゴンさんが仲睦まじそうに歩いていた。
王都名物のマドレーヌは王宮につかえていたメイドがたまたま出した焼き菓子をドラゴンさんが気に入って名づけたものだ。そのおかげでメイドの実家である菓子屋が再興した。
少年の姿で近所の子供たちと一緒に遊んでもらった。その時に教えてもらった遊びは今でも流行っている。
当時幅を利かせていた誘拐組織にさらわれたが、その中に幼子姿のドラゴンさんがいて励ましてくれたから、捕まっていても恐ろしくなかった。その後すぐ賢者が乗り込んできて家に帰ってこられた。
まるで近所の知り合いの事のような口ぶりにあっけにとられ、そこまで姿を見ておきながらどうして通報しなかったのか、と旅人は問いかける。
すると、店主や常連はあきれ顔で口をそろえた。
「自分ではなくとも、知り合い親戚には必ずドラゴンさんに助けられたものがいる。何にも悪いことをしていないどころか、助けてくれた恩人をどうして突き出さなきゃいけないんだ」
「あの竜は口癖のように言っていたらしいよ。“私は平和な街を楽しみたいんだ”とね。当時の王様が王宮に招こうとして失敗していたことは知っていたからな。下手に声をかけちまったら逃げちまうんじゃないかと思って、気付いても知らないふりをしていたらしい。だが俺たち人の生活になじんで楽しんでいる姿はどう見てもどえらいことを為した恐い竜には見えん。俺たちが内輪で話す時ぐらい敬称はいらねえよなってことで、親しみを込めてドラゴンさんって呼ぶのさ」
更に、これはあくまで噂なんだが、と店主は期待の表情を浮かべる旅人に秘密の話でも打ち明けるように声を潜めて言う。
「“万象の賢者”殿が失踪した理由だがな。ドラゴンさんに惚れて国も地位も名誉もぜーんぶ投げ捨てて追っかけたからって話だ。精霊になってドラゴンと一緒になって今でもどこかで暮らしているらしいぜ」
数々の功績が語られる“万象の賢者”の晩年は謎に包まれている。
国を出奔したとも、暗殺に遭ったからだとも、そもそも一人ではなく複数の魔術師による合同研究の合名であるとも言われたくらいだ。
無二の友人だったと伝えられ、賢者と双璧を為すとうたわれる“魔導の導き手”ですら既に亡きいま、いくら魔術師が長寿とはいえ生きているわけがないから、精霊という話が出たのだろう。
あまりにもロマンチックで馬鹿馬鹿しい仮説だ。
それでも今までの話から信じかけた旅人だったが、半笑いの店主や常連客の表情に気付きからかわれたことにようやく気付く。
そしてほんの一杯二杯のつもりだった酒が話に引き込まれて多くなってしまったことに更に顔をしかめつつ、金を払って去っていった旅人を今日も見送った店主はふと、カウンターにほど近い隅のテーブル席に目がいった。
席に着く三人ともフードをかぶっていて年齢性別はひと目にわからなかったが、一人の背格好は明らかに幼子であることからして、旅の途中の親子だろうか。
そのうちの一人、フードをかぶっているが小柄なことからして女性であろう人物が小刻みに震えながらテーブルに突っ伏しているのに、もしや気分でも悪くなったのかと、店主は声をかけようとしたのだが。
「……全部まるっと気づかれていたなんて。やばい、今なら羞恥心で死ねる気がする」
「言ったでしょう?みなさん私にではなくあなたにお礼が言いたかったのだと。ですがあくまで別人としてふるまっていましたから、言い出しづらかったんでしょう」
「だからって、知らなかったのは当の私だけって―――ちょっとそこらへん飛んできていいかな」
「私は構いませんけど、ドラゴン好きが受け継がれているようですから下りてきたら最後、きっと取り囲まれますよ」
「それものすごく嫌だ。……いいや、メイドさんのとこのお店がまだあるみたいだし、マドレーヌやけ食いしてやる」
交わされている会話の内容が耳に入り、店主の動きが止まった。
「かあさま人気者?」
黙々と店名物の煮込みを食べていた幼子が、小首を傾げて問いかけた。
その拍子にフードが落ちて覗いた髪は柔らかい亜麻色だったが、肩口で切りそろえられたその髪には不思議なことにところどころ燃えるような赤が混じっていた。
背の高い人物―――声からして若い男性がさりげなくフードをもどし、笑みを浮かべるのが気配で分かった。
「ええ、そうですよ。あなたのかあさまは私とこの国を救ってくれた英雄なんです。今でも世界を支えるお仕事をしているんですよ」
「うんっ!早くかあさまを手伝えるようにあやとりがんばるの!」
「ちょっとそれは言い過ぎだよ。私は自分が任されたことをしているだけだし――何より、私を孤独から引っ張り出してくれたのはネクターじゃないか」
「ラーワ……」
低い声で言った男性が、幼子越しに女性の小柄な体を引き寄せて額に唇を落とした。
「あんまり可愛いことを言わないでください。抑えが利かなくなってしまいますよ?」
「と、ところで、良かったよね。カイルの学校が試験受ければ推薦状無くてもはいれるようなところでさ」
飛び上がるように離れた女性は必死になって広げた話題転換をする。
「心配ですか?魔力測定機を誤認させるための術式と魔力の一時制限は腕輪に仕込みましたし、この子なら筆記も実技も問題ありませんよ」
「デレデレのおじいちゃんにあれだけ仕込まれていたもんね…。今の学長はカイルんとこのお子様その2だし、今年はカイルのひ孫も入学してくるはずだから私まで楽しみだよ。化けて出てこないかなあカイル。こんだけ名前を連呼してるんだから出てくればいいのに」
「そうですね。最後まで私たちのことを心配していましたから、せめてこの子の顔だけでも見に来てくれればいいのですが」
「最後は人間全盛期のネクターに匹敵してたんだから手順を踏めば精霊になれそうだったのに、向こうで奥さんを寂しがらせるわけにはいかないって断られちゃったもんね。でもさあ、埋葬されたのがあの平原近くの街でしょ?しかもあそこの街ではいまだにカイルは英雄扱いで大きく祭られてるっていうし……なんかあるんじゃないかなあと結構楽しみにしてるんだよね」
「かいるって、かあさまととうさまの友達だった人?」
「そう、とってもお世話になった人で、私とネクターの一番の友達だよ。その人の子供の子供の子供が一緒に試験を受けるはずなんだ。見て仲良くなれそうだったら話しかけてみて」
「うん!」
「学長も話の分かる人ですから、困ったときは頼るんですよ」
「うん、とうさまとかあさまみたいに友達たくさんつくる!」
食事を終えさっと立ち上がった彼らは、凍ったように動かないでいる店主に少し面食らったようだが、店主の前に立った女性は懐の財布から代金を差し出した。
それを店主は慌てて受け取ったのだが、フードからはらりと零れ落ちた燃えるような赤の混じった黒髪とフードの陰から覗く金の瞳に息をのむ。
下を見れば、同じ金の瞳がこちらを見上げていて愛らしい顔でにっこりと笑っていた。
「ごちそうさま。昔はトマトとチーズを挟んだパンがおいしかったけど、店主の煮込みもおいしかったよ」
「おいしかったっ!」
「っ……!」
声をかけようとした店主だったが、女性の背後に立つ男性が人差し指を唇に当てているのを見て思いとどまった。
ぽっかりと空いたように閑散としているとはいえ、それでも数人の客がいた。今騒いでしまってはすべてが終わってしまう。
「さてと、じゃあこれからリグリラのお店行って制服を頼みに行こう。きっといいのを仕立ててくれてるよ」
「わーいくらげのお姉さまのところだ!」
亜麻色が毛先に行くにつれて薄紅に染まる髪をゆるく編み込んだその男は、店主に感謝するように軽く会釈をすると、幼子と手をつなぐ女性を促して店を出ていった。
店主はいま起きた出来事が信じられない思いでその後姿を見送ったあと、同じように呆然とカウンターに座る常連に辛うじて声をかけた。
「……見たか」
「……おう」
「初代の名物料理を覚えている人間なんてそうそう居ない」
「……おう」
「子供がいたな」
「……おう」
「与太話だと思っていたのが、本当だったとは……」
「……おう」
「……お前、さっきからおうとしか言ってないぞ」
「……その、だな」
常連はためらいつつも、切り出した。
「試験を受ける、って言っていなかったか。そこで魔力測定器を誤魔化すと言っていたよな」
「いっていたな」
「これって通報すべきなんだろうか」
確かに、不正行為や犯罪につながる計画を見聞きした場合、密告するのも国民の義務である。
店主と常連の間に沈黙が下りたが、口火を切ったのは店主だった。
「……別に、魔力を過大評価して入ろうってわけじゃなかったよな」
「……おう、それにあそこは試験に一切の不正を許さねえことで有名だ。合格すれば自動的に身の潔白を証明できるって塩梅だぜ」
かつて幾人もの市民がそうしてきたように彼らはいたずらっぽく笑いあった。
「俺の店の2代目は迷子になった時にドラゴンさんに送ってもらったんだと。……それに、煮込みを褒められた」
「実は、今娘がマドレーヌで働いてんだ。娘の店の商品を贔屓にしている客を疑うのは忍びねえ。……それにひい婆さんが通り魔に襲われて死んでたら俺生まれてねえんだよな」
理由は、それで十分だった。
「ドラゴンさんに助けられた身だ。俺たちは何も見なかったし聞かなかったことで、いいな」
「おう!」
「今日は特別だ、一杯奢ってやるよ」
店主がいそいそと秘蔵の酒を取り出したの見て常連は目を輝かせた。
新たな杯を二つ用意して酒をなみなみといれると、店主と常連はそれぞれ杯を掲げた。
「ドラゴンさんたちの幸せを祝して」
「乾杯!」
そうして、彼らが旅人に話す噂の中に「ドラゴンさんと“万象の賢者”の子供が魔導学校に通っている」という話が加わった。
おしまい
これにて完結です。
皆様には本当に夢のような時間を頂きました。
活動報告にて、後書き的なものを同時更新しています。
そちらもよろしければどうぞ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。