2 ドラゴンさんはミノムシを拾う
いつものように上空から魔力の流れをたどり、治す必要のありそうな場所に目星をつけて降り立ったのは珍しく人族の国近くの大森林地帯だった。
ちょっとは未練があるものの、ドラゴンに生まれてからは厄介ごとしか起きなかった人族が近いのは不安要素だが、魔力の流入が異様に多いこの地域を何とかしないと、遠くないうちに森が魔窟化してエライことになりそうだったのでほうっておけない。
魔力はちょっとした劇薬だ。
魔力の流入が多ければそれだけ土地は富み、動植物が幻獣化精霊化しやすくなる。
それ自体には何にも問題はない。
ただし、その土地の処理能力を超えると過剰な魔力が凝り出し、疑似的に生き物のようにふるまい出すのだ。
そうなったやつは魔物と呼ばれ、自分の体の維持に必要な魔力を集めるため、他の生物に襲い掛かるようになる。
やつらは体内にある核をつぶして魔力を散らさない限り永遠に存在し続け、手当たり次第魔力を吸い上げようとするから居るだけで魔力過剰を引き起こす。
ちなみに魔族は世界に事象の一つとして定義され、魔力の性質を固定されている生命体だから魔物とは根本的に違う生き物であると説明しておく。
しかも、幻獣も魔力を取り込むほど強くなると本能的に理解しているため、下剋上闇討ち何でもござれのバトルステージだ。
そうしてだんだんと派手になっていく闘争の中で攻撃手段として固有の魔法を覚えるやつも出てくるわけで。
さらに、植物たちは自分たちの自衛と成長のために土地に更に魔力を流入させようとする。
そうすると通常より魔力の流入量が多くなり、過剰になった魔力で魔物が生まれて……その無限ループを私は勝手に魔窟化と呼んでいる。
一度そういう癖がついた土地を治すのは困難を極める。
ありとあらゆる生物が幻獣化精霊化し、てんでバラバラに魔術につかわれ植物には魔力を吸い上げられてぼろぼろになったレイラインをやたら好戦的になって襲い掛かってくる動植物をちぎっては投げ踏み潰しては蹴り飛ばしながら修復しつづけ、あっ先に燃やし尽くして更地にすればよかったんじゃと気づいた時の絶望感はもう二度と味わいたくない。
ええい仕方ないこうなったらなるべく早く終らせて離れてやる!
私はその土地の霊脈に意識を半分同調させ、スピードアップを図った。
こうすると格段に処理能力をあげることができるのだが、半分寝ぼけた状態でいるのと同じだから、現実の本体におこっていることがぼんやりとしか感知できないのが難点だ。
まあ、ドラゴンの私を傷つけられるものなんてめったにないし、意識がない体は自動的に迎撃モードになるから問題ない。
そうしてぼんやりとした状態でせっせと魔力を逃がす道筋づくりに精を出していると、案の定人族の大群が何度かやってきてわらわらと仕掛けてきたようだが、適当に追い払う。
だが、どうも今回の人族は良く魔術を研究しているようで、子供につつかれている程度であるが何か”当てられている”感覚があってうっとうしい。
おりしもものすごく固いしこりのようなものを除去している最中で集中したいのに気が散って仕方がない。
あーもう!
『これ終ったら出ていくんだから放っておいてくれればいいのに』
その想いが通じたのか、その後はぱったりと攻撃がやみ大いに調整に打ち込めたのだが、魔窟寸前の森はなかなか手強い。
それでもなんとか大きな山場を終えてちょっと息抜きにその辺を飛ぼうかなあと何年かぶりに意識を本体に引き戻した私は、その場でうーんと伸びをする。
予想通りというかなんというか、木々に囲まれていたはずの周囲は、私を中心に見事になぎ倒されちょっとした空き地になっていた。
焦土にならないだけましだろうと一応自分を慰めていたが、ドラゴンの知覚に複数引っかかり、それが人族の集団とわかったらさらに気がめいってきた。
金属音をまき散らして集団で行動する生物なんて人間しかいないですよねー。
だけどなんか妙だった。
物々しい武装をしている兵士はいつもと同じだが、幌があるだけのボロッちい馬車が一緒にやってきている。
しかも私のいる空き地まで兵士にひきつられながらやってきたかと思うとボロ馬車をその場において、御者役と張り付いていた兵士は来た道を戻って行ってしまった。
い、いったい何がしたいの。
あっけにとられて見送った私だが、その馬車から転げ落ちたものを見てさらに首をかしげる。
『……ミノムシ?』
それは頭の先からつま先まで白い布と革ベルトでできた拘束衣で包まれた人間だった。
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拘束は物理的なモノだけではなく、衣の上から何重にも魔術による封じが掛けられていた。
さらには一切の魔術が使えないように頭巾には縫われた瞼と口のような封印のための図形が刻まれている。
ドラゴンになって300年以上たった今でも女子大生だったころの道徳感覚は残っていたが、そのあまりの執拗さに私は忌避や嫌悪を通り越し感心してしまっていた。
これを施した人族はどれだけこの人を逃がしたくなかったのだろうか。
その割には捨てていったが。
落としていった人族が何をしたいのか全く分からないが、捨てていったんだからこちらが何をしようと自由だよね?
私はとりあえず顔でも見てみようと頭巾を外すためにそっと魔力を送ったのだが、力を入れ過ぎたようだ。
バチンッッッ!!
大きな音とともに掛けられていたすべての魔術が消滅し、拘束衣が縫い目ごとバラバラになってしまった。
あーもう、レイラインの修復以外の細かいことは全然上達しないなー。
幸いにも中の人はちゃんと別に衣服を着ていたので気まずい思いはしなくて済んだ。
ただの布になった拘束衣を億劫そうにのけながら起き上がったのはまだ若い人間の男だった。
憔悴しきっていたが、優男という形容詞がよく似合う整った顔立ちの青年は、目の前にいる私を見つけると、その薄い雲のかかったような空色の瞳を真ん丸に見開いて固まった。
不思議な髪色だった。
根元のほうは少し白みがかった亜麻色なのだが、ゆるく波打つ毛先に行くにつれ淡い鴇色から薄紅に変わる。肩のあたりで乱雑に切られているのがもったいない美しさだ。
それにこんなに魔力が多い人間を見たのは初めてだった。
髪や体色、というのはとても魔力に影響される。
私の場合、赤い皮膜と黒い鱗は私がマグマの炎と夜と闇の属性をあらわしている。
さすがに人間にそういう属性が現れることは少ないが、彼の毛先の色が変わっているのは本人の保有する魔力がとても大きいからだろうし、切られているのは少しでも溜めこまれる魔力を減らすためなんだろう。
それでも下位精霊に匹敵しそうである。
髪を伸ばしていたらどれくらいだったのだろう。
さて、どうしよう。
まずどういう状況なのか教えてほしいのだが、ニュアンスだけしか通じないのが痛いよなあ。
せめてそっちが攻撃しないんならこちらにも敵意はないってことをわかってもらえればいいんだけど。にしても、
『……そう長く見つめられるとちょっと照れるわー』
さっきっから彼は私を見つめたまんま目を離さないのである。
瞬きもしてない。
出会い頭に攻撃または逃走されたことは数あれど、こういう反応は初めてだから気まずくてついつい声に出してしまった。
反応は期待していなかったが、青年ははっと息をのんだかと思うと、
『非礼、わびる。私、ドラゴン、話、来た』
たどたどしいが確かに私にわかる言葉で謝罪を返してきたのだ。
ドラゴンに生まれて数百年、初めて人類との意思疎通に成功した瞬間だった。