第29話 ドラゴンさん達は大団円
落ちて、落ちて、落ちたと思ったらぐるぐる回ったり、なぜか上ってたりして振り回されたけれども、叫んでいるうちに、唐突に身体の感覚が戻った。
瞬間、私はこの行き場のない怒りのままに叫びながら跳ね起きた。
「この馬鹿神めええええぇぇぇぇえ!!!!」
「……――ーわぶほっっっ!!!!????」
辺りを見回せば、あたりは夜で、あの封印を施した教会の中だった。
がれきが片付けられていて、広間の隅には色んな荷物が丁寧に積み重ねられている。
んだけど、ネクターがその荷物の山に突っ込んでいて青ざめた。
なんか吹っ飛ばした感覚があったと思ったら!
「うわああごめんネクター大丈夫かい!?」
「ラーワ、できればそのままでお願いしますっ!」
人型に姿を変えかけた私だったけど、ネクターに制されて反射的に止まった。
代わりにぐっと首を伸ばして近づけば、痛そうなそぶりすら見せずに立ち上がったネクターに、確かめるようにじっとのぞき込まれた。
薄青の瞳が、潤んで揺れる。
「あなたの瞳です。ずっと見たかった、黄金の瞳です」
そうして、こみ上げる涙のまま私の顔に抱きついてきた。
「本当によかったっ……目覚め、ないかと、不安でっ」
「ごめん、ね」
視界がネクターの胸で埋まり、ぽたぽたと塩辛い雫がいくつも落ちてくるのに、私はあのチャラ神の言葉が本当だったことを思い知った。
せめてとそっと額をすりつければ、ますますかき抱かれる。
「私は、どれくらい眠っていたんだい」
「っ、あれから、五年がたちました」
嗚咽を漏らしながらも、ネクターは大まかにその直後から今に至るまでのことを話してくれた。
私の体感ではほんの数時間だったにも関わらず、世界ではそれほどの時間が経過していたとはと絶句する。
廃墟とはいえ、全体に漂う清潔感や、長い間過ごすことを考えて整えられた室内からして、ネクターはずっと、ずっと私のそばで待ち続けていたのだ。
やっぱりあのチャラ神、もう2,3発くらい殴っておけば良かった。
そうは思うものの、どう言葉をかければ良いか分からなくて、せめてネクターが気の済むまでそのままにしてようと思った。
ネクターが頭や角を撫でていく手つきが微妙になるのも、甘んじて……。
「く、くすぐったいよネクター」
「ああ、久しぶりに動くラーワですね。鱗の手入れで堪能しておりましたが、やはりまったくちがいます」
うふふふ、と変に笑うネクターがちょっとあれな感じでさすがに気味悪かったから、私はさっさと人型に変わって、彼のそばに腰を落とす。
うん、赤の房混じりの黒髪もそのまんまだ。まあそうだよね。
これで大丈夫だろう。と思っていたのだが残念がるどころか、薄青の瞳がとろけた。
ひえっ。
「あなたをこの腕に納めることができるのも、久しぶりですね」
柔らかく頬を撫でられ、ごく自然にキスを落とされた。
なあネクター、色々なたががはずれてないかい!?
恐れおののいていれば、ネクターの瞳から涙がまたこぼれ落ちた。
「本当に、ごめんなさいラーワ。あの時の苦しみの一端が、ようやく分かりました」
何をさして言っているのかが分からなくて戸惑ったが、連れ添う前にネクターがいなくなった時のことだと気がついた。
確かに、今の状況は私が10年間待ち続けてきた時と似ている。
そっか、ネクターは5年間ずっとその悔恨と向き合い続けてきたのだ。
「もう良いよ、ネクター。それは終わったことだ」
「ですが……」
いつもより情緒不安定なネクターの頭を、なだめるように撫でてやった。
「だいじょうぶ。私はここにいる。君が、そうやって理解して、涙して、それでも投げやりにならず待っていてくれたことが嬉しい。ドラゴンたちみたいに感情を制限しちゃわないか心配だったから」
あのチャラ神に時間差があると言われて一番心配だったのは、ネクターが自暴自棄になって感情を無くそうとしてしまうことだった。
だって、今のネクターなら簡単にできちゃうし。
アールがいたものの、それくらいには愛されている自覚はあった。
だけど、ネクターは面食らったように瞬いた。
「それは、思いつきもしませんでした」
その反応が、どれだけ嬉しいかネクターには分からないだろうなあ。
「君は本当に、変わったね」
「もし、そう思ってくださるのなら、あなたのおかげです」
「だから、許すよ。だってちゃんと、君が迎えてくれた」
私は、断固として言えば、目尻に涙をためたまま、ようやくネクターは微笑んでくれた。
ようやく、ようやく終わった気がして、安堵のため息をついていれば、さあっと風が吹いて、はらりとなにかが落ちてきた。
惹かれるように見上げてみれば、背後では、抜けた天井から降り注ぐ月の明かりに透けるように、淡い薄紅を帯びた花の木が枝を広げて咲き誇っていた。
その花は、見覚えがある。ずっと古い記憶が、鮮やかによみがえる。
「桜……?」
「ええ、節目の季節に咲く花だとあなたが話してくださったので。樹木の花だとおっしゃっていましたから、あなたの見せてくださった記録からこの姿を選びました。この時期に目覚めてくださって嬉しいです」
呆然と呟けば、ネクターがちょっと誇らしげにそう話してくれた。
魔力の供給源になる、大事な自分の分身だって言うのに私になじみ深いからってそれを選ぶのが、ネクターらしくて嬉しいのかおかしいのかよく分からない気分だ。
けれど、前世ではなんの感慨も湧かなかったこの花なのに、また見られて嬉しいと胸が一杯になっていることだけは確かだった。
「あれから色んなことが起きましたが、大地も無事です。あなたのおかげで、世界は救われましたよ」
「ううん。みんなのおかげだ。私達全員で全部を守ったんだよ」
訂正すれば、ネクターは薄青の瞳を細めておかしそうにした。
「あなたなら、そう言うと思いました」
そっか、ネクターもお見通しか。
おかしくてくすくす笑っていれば、沈黙が降りて、見つめ合って。
「あとで、みんなに知らせに行かなきゃいけないね」
「そうですね。――ですが、その前に。良いですか?」
ネクターの主語のない、熱を帯びた問いかけに、私は間髪入れずにうなずいた。
「いいよ」
かすかに混じる哀願の色もそうだけど、何より私もそばに感じたかった。
どちらからともなく顔が近づく。
ひどく久々な気がする口付けは、甘くて。
拾った全力疾走の足音に、反射的にネクターを引きはがしていた。
その直後、赤い房の混じった亜麻色の髪を乱れさせながら駆け込んできたのはすらっとした肢体を寝間着に包んだ10代後半の少女だった。
男の子とも取れるだろう中性的な美貌を呆然とさせているその子は、見る間に黄金の瞳を涙で潤ませた。
「かあさま―――――っ!!!」
「アールッ!!」
あっという間に走ってきたアールを、私は抱き留めた。
幼げなところがほとんどなくなって成長していたけれど、見間違いようもない。
「すっごい大きなかあさまの声が聞こえたからねっ、まさかと、思ってっ」
「うん、心配かけてごめんねえ。大きくなったねえっ」
泣きじゃくるアールは覚えているままだったけど、抱く感触が全然違った。
今更ながら、五年の歳月の重みを感じつつ、アールの背中を撫でていれば、もう一人小走りで駆け寄ってくる女の子がいた。
麦穂色の髪をゆったりとまとめ、柔らかさの中にも意志の強さを感じさせる碧色の瞳をしたその女の子は、
「マルカちゃんかい?」
「はい。えと、ラーワさん、おはようございますっ」
寝間着にカーディガンを羽織ったマルカちゃんは、嬉しそうに微笑んでくれながらも、ほんのりと頬を赤らめていた。
うん、マルカちゃんは若干わかってたな。触れないでいてくれる大人の対応がとっても身にしみるよ……。
「会えて嬉しいんだけど、どうしてここに?」
「私、実は医療魔術師になるために今ネクターさんに弟子入りしていて。今はこの精霊樹の近くの家に住んでるんです」
そうかあ、5年と言えば、すでに彼女たちは将来を考える時期になっているんだ。
にしてもマルカちゃんがネクターに弟子入りとは、と驚きながらもその師匠になった人を横に見る。
「ええ、仕方ありませんよね。アールだって寂しい思いをしていたんですし……ですがこのあとはかならずっ」
アールが大きくなっていたとしても、やっぱりアレな場面を見せつけるのは気恥ずかしいと言う私の微妙な女心的なものの犠牲になったネクターは、吹っ飛ばされた隅で、涙の海に沈みながらもあきらめてなかった。
けど、さらに沢山の懐かしい魔力波の気配がするぞ?
業風が吹きすさび、桜の花びらが舞い散った。
「ラーワ――――っ!!」
そんな叫び声と共に、空いた天井から舞い降りてきたのは、金色翅海月なリグリラだった。
触腕の一本に捕まって大きく手を振っているのは、灰色の狼耳の仙次郎だ。
その不自然な体勢はもしかして、リグリラに思いっきり巻き込まれた感じ?
とはいえ珍しいくらいに、灰色の尻尾が大きく振られているのがここからでもよく見える。
虚空で光に包まれたと思ったら、いつもの金砂の巻き髪の美女になったリグリラは、私に詰め寄ると指を突きつけた。
ちなみに仙次郎は、放り出されていたが器用に体勢を整えて、地面に着地している。
「お・そ・い・で・す・わっ!!!」
精一杯顔を怒りにゆがめているけれど、目元や耳が真っ赤になって紫色の目がちょっぴりうるんでいるので、たいそう心配してくれていたのはよくわかった。
「ごめんよ、リグリラ」
「罰として、今の流行の服を全部試着しなさいましっ」
「うわあ、そりゃあ大変だ」
リグリラが、本格的にやる着せ替えごっこは丸一日がかりだから覚悟しておかないと。
「ラーワ殿、元気そうで何よりでござった」
彼女の横に並んだ仙次郎は、30に手が届く位になっていると思うんだけど、外見上はほとんど変化がなかった。
あくまで外見上は、だ。
「仙さん、もしかして」
「う、うむ」
照れたように笑う仙次郎の反応で、彼がとうとうリグリラの伴侶になったことを確信した。 そもそも仙次郎に色濃く混じるリグリラの気配でもろわかりなのだけれども!
「うわー! おめでとうっ! とうとうだねっ」
「決定事項でしたし、それほど騒ぐことでもありませんわ」
ぷいと、顔を背けつつも、仙次郎の腕を抱き込むリグリラにますます笑みが深まる。
すると、私の胸に顔を埋めていたアール離れて、ぱっとこちらを見上げた。
「そうなの! お祝い事沢山あるんだよっ。みこさんとイオ先輩が結婚するんだよっ」
「なんだって!?」
美琴とイエーオリ君が付き合っていたことすら初耳ですでに結婚確定なんて、どこから驚いて良いのかわからないぞ!?
「ついでにいいますと、この間、リシェラの結婚式に行ってきましたわ。相手は婚約していた侯爵の青年ですの」
「ええぇ終わっちゃったの!?」
「あなたが眠っているのが悪いんですのよ」
リグリラに追い打ちをかけられて涙の海に沈みかけたけれども、リシェラがヘザットに受け入れられているのならそれ以上に良いことはない。
見たかったけど、見たかったけど!!
涙目になっていれば、また新たな転移の気配を感じた。
転移陣の中から現れたのは、焦げ茶色の髪を相変わらず短くしているカイルと、寄り添うようにいる、ベルガの姿だ。
「ラーワ、相変わらず派手な帰還だったな」
「カイルにベルガ!?」
苦笑気味に顔をゆがめつつカイルはこちらに歩いてきた。
まさか彼らまで現れるとは思わずに面食らっていると、カイルの影に隠れるようにいたベルガは、そっと私を見る。
「ラーワ様、その、お会いできて良かったです」
えちょっと待って。今名前で……!?
驚きが追いつかずに絶句していれば、ベルガが気まずそうに、あるいは申し訳なさそうな表情で続けた。
「全部は思い出せてないんです。呪いの影響だけじゃなくて、精霊化の影響でこぼれ落ちたものもあるみたいで。でも、その、色々ご迷惑かけました!!」
勢いよく麦穂色の髪を揺らして頭を下げたベルガに、私は湧き立つ感情のまま立ち上がって、彼女の手を握った。
「また名前を呼んでくれて嬉しいよっ」
「あうっ、えと、そのっ」
目を白黒とさせるベルガの頭に、ぽんと大きな手が乗った。
もちろんその主は、カイルだ。
「杞憂だっただろう。そんな気構えなくても良いって言ったんだがな」
「しょうがないでしょうっ。気になってたんだから」
呆れた風に言うカイルの腕を、迷惑そうに振り払う感じや昔と比べ格段に気安い言葉遣いは違いを感じさせた。けどそれが悲しいわけではなくて、ただただこうして二人がならんでいることが嬉しかった。
「うわあ、と言うことはまた女子会できるんだねえ」
「その、はい、また」
お祝いしなきゃいけないこと沢山ありすぎて、わくわくが止まらないんだけれども。ふと疑問が湧く。
「というか、なんでみんな私が起きたのがわかったんだい?」
近くの家にいたアールとマルカは、私の叫びが聞こえたんだと納得はできる。
けど、私が起きたのはついさっきな訳で、そこからほとんど時間がたっていないのに方々にいた彼らが気づける要因が見当たらなかった。
首をかしげて彼らを見やれば、みんなしてすごく妙な顔をしていた。
けん制していた彼らだったけど、代表するように、カイルが言った。
「……薄々気づいていたがやっぱり無意識だったのか」
「なにがだい?」
「さっき、おそらく目覚めたときだろうが、思念話を通じてお前の魂の叫びがな」
「要するに寝言でたたき起こされたのですわ。おそらく一定の魔力を持った生物には聞こえているのではないかしら」
リグリラの追い打ちに、私はあんぐりと口を開けることしかできなかった。
つまり、私があの神様に罵詈雑言をぶつける声が人様にまで及んでいたと?
「一応、お前のことは、各国に伏せておいたんだが、今ので完全にばれたな。……まあとりあえず、大変だったな」
カイルのいたわりの眼差しがとてつもなく痛くて、私は健康なはずなのにふらりとした。
「もう一回寝込みたい」
「や、やめてください! 眠られるのは困りますっ」
肩を支えてくれたネクターが慌てて言い募るのに、ほんのちょっぴりだけ癒やされた。
「冗談だよ、もう寝ない。だってもったいないもん」
方々に謝って回りたい衝動とか、うわあああと叫んで逃げたい気分とかになるけれども。
それ以上に楽しいことが多すぎるのだ。
「もーいいや、もうしょうがない! こうなったら美琴とイオ君の結婚式に潜入するよ! リシェラにもお祝いを言いに行かなきゃっ。そんでもって女子会しなきゃねっ」
「そう来なくっちゃかあさまっ」
私が拳を握って宣言すれば、アールは目を輝かせて乗ってくれる。
「それからベルガの復帰祝いと、リグリラと仙さんの結婚祝いとああもう祝い事多過ぎないかい!?」
「せっかく集まっているんですし今から宴会でもしたらいかがですの?」
「わ、私食事作りますよっ」
リグリラが気のない感じでも提案すればベルガが腕まくりして、そうしたらやっぱりネクターが乗ってきた。
「もちろん私も腕によりをかけますよ」
「やっほい!」
ベルガの手料理も何百年ぶりって感じで楽しみすぎるし、ネクターは言わずもがなだ。
正直な私のお腹がぐうっと鳴った。
「ではそれがしらは酒の調達でござろうか。うむ、皆飲んべえでござるからな腕が鳴る」
「おいおい、俺を入れないでくれよ?」
かなりいける口の仙次郎がわくわくとするのに、カイルが顔を引きつらせた。
その横で、マルカちゃんとアールが話し合っていた。
「ねえねえ、バロウは今お昼よね。おじいちゃん誘っても良いかな」
「いいんじゃないかな! ヒベルニアならドアが使えるからひとっ飛びだし」
「で、アールはお兄ちゃんを迎えに行くのよね?」
「ええと、うん」
アールがエルヴィーを話題に出されて顔を赤らめるのに、おやっと思ったけど、みんなが段取りを決めていくのに言い出しっぺの私が何もしないわけにはいかない。
「なら私は……」
「「「「「おとなしくして」ろ」てね」なさい」ください」
「ふえっ」
一斉に言われてびくっとなっていれば、幾分和らいだ調子でネクターが続けた。
「とりあえず、ラーワは準備ができるまで家にいてくださいね」
「はあい」
いや、わかってるんだよ、たぶん今町中に出たら、大騒ぎになることぐらい。
でも、楽しそうな準備に加われないのがちょっと寂しいんだ。
しょんぼりとしつつ、連れ立ってみんなと講堂から外に出た。
ぱあっと広がった夜空を何気なく見上げて驚く。
満天の星々と共に、絵画に描かれるような銀河に似た魔力になる前の世界の力が、まぶしいくらいに流れていた。
今まで気づかなかったけど、踏みしめている大地も、以前よりもずっと力強くなっていた。
この世界は、こんなに変わった。けれど、ここが私の故郷だ。
「そうです、大事なことを言い忘れていました」
私が圧倒されて立ち尽くしていれば、そんな声が聞こえて。
視線を戻せば、かけがえのない友人達がこちらを振り返っていて、満面の笑みを浮かべるネクターとアールがいた。
「ラーワ、おかえりなさい」
「ただいまっネクター、みんなっ」
私はこみ上げてくる喜びのまま、とびっきりの笑顔で応えて、ネクターの手を握ったのだった。
地球の日本と呼ばれる異世界で、女子大生をやっておりました我が前世。
友達が欲しかったまま、バナナの皮をすっころがって死にまして。
ぼっちドラゴンになって数百年。
なんだかんだで世界を救ったりもしましたが。
願いに願った友達は、いつの間にやら沢山出来まして。
さらには愛しい我が子と、最高の伴侶に恵まれて。
これからも賑やかな幸せが続くのでありました。
次話で最終回です。





