第24話 ドラゴンさん神さまに会う
いつの間にか、意識が飛んでいたらしい。
気がつくと、真っ暗な何もない空間に浮かんでいた。
大きく口を開いて、蝕の濃霧をぱくんと食べた所までは覚えている。
……いや、受け入れるって言ったってどうしたら良いか分からなかったからさ。
とりあえず、蝕はあまくないわたあめを食んでいるみたいに無味だった。
けれど、取り込んだとたん、すごい勢いで何かに引っ張られるような感覚があったんだった。
直ぐさま身体を確認すれば、黒い鱗に裏が赤い翼に、良い感じな尾っぽもちゃんとついていてどこにも異常はない。
ただこんなに真っ暗なのに、黒い鱗まで見えるのがおかしいと言えばおかしかった。
さて、予定ではちゃんと晦冥の封印を譲渡されて、蝕を取り込んだことで、神とやらにもアクセスできるようになっているはずなんだけど、具体的にどうしよう。
「すみませーん。誰かいませんかー」
だから声を出したのも、とりあえず音が響くかなーとやってみただけのつもりだった。
だって何にもないし、何にも見えないし。
まさか、虚空が揺らいだかとおもったら、金髪褐色の美人が顔を涙と鼻水でぐっちゃぐちゃにしながら手を広げて現れると思わないじゃないか。
「君ぃっ! やっと会えたよおおおおおおおおおぶほっ!!!!????」
だからさ、反射的に避けちゃうのもしょうがないと思うんだ。
彼だか彼女だかが素晴らしい大回転で地面を転がったあげく、べちゃっと顔面強打するさまを見送った私は、若干しまったと青ざめた。
勢いがめちゃくちゃ怖かったとはいえ、避けるのはまずかったかも知れない。
恐る恐る様子をうかがってみれば、彼だか彼女だかはむくりと顔を上げた。
「ひええ、痛い。久々に痛かった……」
あの涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった顔でも美人だと思ったけど、改めて顔を合わせば、絶世の美人だった。
黄金をより合わせたような金色の髪はゆるく波打ち、カフェオレのような褐色の肌は張りと艶を持っている。
男性とも女性ともつかない繊細な面立ちは、熟練の人形師が何年も時間をかけて創り上げた最高傑作でもこうはいかないだろう。
細身の肢体は起伏はないものの、やわらかな曲線を描いているようにも見える。
そして深緑色の瞳は、深く吸い込まれそうな透明感ときらめきで私を捉えていた。
以前見た、若者バージョンのおじいちゃんにそっくりだ。
要するに語彙が吹っ飛ぶような顔面凶器な超絶美人なのだけど。
その人は、ゆったりとした膝丈のズボンにタイツをはき、同じくゆったりとしたジャケットを羽織っているという、とても現代ちっくでふぁっしょなぶるな服装をしていた。
ファッション雑誌で特集されている、原宿で見つけたおしゃれな人って感じで、実際見てくれがすごく良いものだから、奇抜ともいえるそれがとてつもなくよく似合っている。
と、思っていたら気を取り直したように、大変友好的にその人は再び声をかけてきてくれた。
「はろーぼんじゅーこんにちは! どの言語で話しかければ良いかな。いやあ、ほんとに見つかって良かったあ」
しみじみという声は、子供のようにも大人のようにも、男性のようにも女性のようにも聞こえる。
それはあの封印の間で聞いた思念話と印象が一致していたし、何より地球の言語で話しかけられた。
日本語自体、記憶の彼方でちょっと合ってるか心配になるけれども。
もはや確信に近いけど、念のために確認だ。
「あなたが、あの世界を創った神様ですか」
「創った者を神と呼ぶんならその通りだよ。君には迷惑をかけたよー。ごめんねっ」
あっさりと肯定された私だったけど、ほんの少しだけ身体を引いた。
なんというか、軽い。とっても軽い。
とても友好的なのはほっとするんだど、ぐいぐいとくるような感じがしてすんごく苦手だ。
ずいぶん前に忘れていたはずの、コミュ障コンプレックスが刺激される感じだけども。
大きく息をついて、私は便宜上彼とよぼう、その人を見下ろした。
「迷惑をかけた、というのはどういう意味でしょう」
一応この世界の神様だからと、言葉を丁寧にして聞いてみれば、その人は表情豊かな顔を申し訳なさそうにゆがめた。
「うん。それなんだよ。僕が目を離した隙に、あの世界に残していた端末が別の世界の君を引き寄せてしまったみたいでね。あぁそうだ、君のその姿も本当にごめん、今、戻すから」
「え、」
私が問い返す間もなく、その人が手を一閃したとたん、身体が変わった。
彼を見下ろしていた視線があっという間に逆転する。
かざした手はいつもの女性型に戻っていた。
なんの痛みも無く、違和感もなく変化させられてしまったことに驚く以上に、愕然とする。
なぜなら視界で揺らめく髪はすべて黒で、何より、前世の全力でおしゃれをしたときの服装をしていたのだ。
とっさに胸元を触ってみれば、あるはずの竜珠の感触すらなかった。
「地球の人間の女の子は、そんなにドラゴンが好きじゃないんだろう? あっちゃあ影響がまだ残ってるなあ。それも綺麗に洗い流さなきゃ」
「まって、待ってくれ、話が見えない」
憐憫の表情で再び手をかざそうとした彼を、私は動揺する心をなだめながら全力で止めた。
洗い流す、と言う言葉にもの凄く嫌な予感を覚えたからだ。
高めヒールも健在だったが、けん制しつつそっと足を引っこ抜いて裸足になる。
バナナの皮で滑ったことは若干トラウマなのだ。ついでにいざというとき動けない。
「君は、今の状況をどこまで知ってるんだい?」
動揺のせいで、私の言葉が崩れたにもかかわらず、彼は気にした風もなかった。
むしろはっとすると、いたわるような表情になる。
「そっか、そうだよね。混乱するよね。また僕は忘れたみたいだ。無神経すぎるっもっと他人の気持ちを考えろってほかの人にもよく言われるんだよね」
それはほんとにそうだと思う、と口に出さなかった自制心を褒めてやりたいと思った。
でもさっきの変化で、私はおそらく、ドラゴンの力を奪われている。
身体が妙に重かったり頼りないのはそのせいだろう。
それだけの力を有している相手には慎重にならざるを得ない。
もう、誰の助けも借りられない。私の力だけでなんとかしなければ。
「簡単に説明するとね。僕は僕の手伝いをしてくれる仲間を育てるためにこの世界を創ったけど、十分に手伝ってくれる子が育ったから、閉じたはずだったんだ。だけどなんでか閉じ切れてなかったらしくてね。別の世界で亡くなった君の魂を呼び寄せてしまっていた」
そのあたりは、おじいちゃんに聞いた話と変わらなかった。
それでもやっぱり向こうの世界で私は死んでいたのかとか、今更だけど突きつけられて軽くショックを受ける。
けど、だけど……。私はいまどんな表情をしているんだろう。
ふーっと息をついた彼は、やれやれとでもいうような気配で続けた。
「ほんともうびっくりしたんだよ。あっちの担当から怒鳴り込まれてさ、でも全然心当たりないから、片っ端から担当している世界を探し回ってたんだよ。まさか閉じ切れてなかったこの世界に紛れてたなんてさ。残っているはずの端末も見つけられなかったし、仕方なくドラゴンたちを仮の端末にして手を伸ばしたんだけど。でもようやく見つけ出した」
朗らかに言った彼は、普通の人間ならうっとりとしてしまうようなほほえみを私に向けた。
「こんなことに巻き込んでしまって本当にすまない、だけどもう安心だ。僕が責任を持って洗い流して、君をきちんと元の世界に送るから」
「洗い流すって」
自分でも声が震えているのが分かったけど、彼は目に入っていないみたいにごく当たり前のような調子で言った。
「君は一度、僕の世界の者に、しかもドラゴン……つまり調整者として半分僕の側の存在になってしまったから、完全な人には戻れなくなっている。だからここで過ごした、えーとそう五百年くらいの時間を消去するんだ」
この世界の記憶を全部なくして、あっちの世界に戻される。
どんどん自分で話を進めていってしまう彼は、軽すぎるかも知れないけど、彼の表情も態度からも善意しか感じられない。
けれど、私は腹の底からわき上がるような衝動に、わなわなと震えていた。
でもちゃんと疑問をほどかなきゃ、その義務感だけで、私は言葉を紡いだ。
「つまり、蝕は君が私を探していたせいで氾濫していたのかい?」
「しょく? なるほど、そう呼ばれていたんだね。そうだよ、ついでにもう怒られないように片付けもきちんとしようと思ってさ。異世界の気配を頼りに探していたんだけど、すんごく沢山あって迷っちゃったよ。僕がかかわったものじゃないから、間違えて飲み込む心配はなかっただろうけど、君のほうから来てくれて助かったくらいだ」
ああつまり、あの蝕が私や、私が関わった土地や人へと入り込もうとしていたのは、この神が私を探していたせいだったんだ。
でも、この神は、もしかして。
もう色々許容量がいっぱいになっていて、あふれる気持ちに何を言っていいのかわからなくなっているうちに、彼はどんどん続けていく。
「君の来歴を少し見せてもらったけど、人として、女の子として一歩踏み出そうとしていたんだろう? やり直すにしても人間の方が良いよね。あの時期に戻すことはできないけど、似た境遇になるまで記憶を封じて思い出すようにしてもいい。あそこの担当の子、生き物がよく異世界に飛ばされるらしいから、きっと融通してもらえる」
彼は、心底落ち込んでいる風に肩を落とした。
「他の人にもすごく怒られてしまったんだよ。計画が雑すぎるとか、僕が育てた彼らをせっせとさくさく引き抜いてくれちゃったくせにさあ。僕だって寂しいのに……まあそれはともかく、さあ、早く行こうか! お詫びに君には最高に幸福な人生をプレゼントするからっ」
いつの間にか私の目の前に立っていた彼の手が、とんと私の肩に乗る。
とたん、指先からほろほろと崩れて行くような感触を覚えた。
洗われているのだとすぐに気づいた。
「やっ……!」
「ごめんね。しんどいかも知れないけど、必要なことだから」
身を引こうとする私をあくまで優しく、やんわりと彼は押さえ込む。
それだけでまったく抵抗できなくなってしまう。
その間にもどんどんどんどん無くなっていく。
まるで汚れのように、いらないものとして。
砂のようにほどけてこぼれていく。
”私”があっという間に削られていく。
あの世界で過ごした500年が古い記憶がどんどん思い起こされては消えていくのに、なぜかそれでいいような気がしてくる。
誰にも受け入れられない時間が長かった。嫌なことも沢山あった。
そうか、もう覚えてなくても、いいんだ。
もう、あきらめ、て……
「ん、ちょっとなにか、食い込んでるかい?」
最後に、わたしの一番、やわらかいところに、ふれられ、て。
胸にかっと熱いものが灯った。
薄い亜麻色の毛先に薄紅の乗った髪と、薄青の瞳が鮮明に浮かび上がる。
”溶岩より生まれし夜の化身! 私はここにいますっ”
魂に刻んだ大事なヒトが、呼ぶ声がした。
「うわっふ!?」
鮮明な光に拒絶されたかのように、彼が飛び退いたことで、私は解放された。
魔力を大量消費したような虚脱感の中でも、急速に崩れかけていた記憶が戻ってきた。
大丈夫、おじいちゃんもリグリラも、カイルもベルガも仙次郎もエルヴィー君もマルカちゃんも美琴もイエーオリ君もヒベルニアのみんなもヘザットで出会った人も、東和国の人々も、今までであった全員。何よりアールもネクターも覚えてる。
そのことにたまらなく安堵を覚えながらも、私は腹の底から湧き立つ衝動に突き動かされていた。
「び、びっくりしたあ。世界の理を擬似的に再現してたのかい? これは取り除くのに時間がかかるぞ」
「……けるな」
「うん?」
身体が熱い。心が焼け焦げてしまいそうだ。
ふわりと揺らめく黒の髪に、炎のような赤が混じるのが見えた。
私は彼の吸い込まれそうな碧眼を睨み付け、右拳を握り込む。
驚いたように見開かれた碧色の瞳には、黄金の瞳を憤怒にきらめかせる私の姿が映っていた。
「ふぅざぁけるなぁぁあぁぁぁぁっっ!!!!!!」
私は燃えさかるような怒りのまま、彼の秀麗な顔に、渾身の右ストレートを叩き込んだのだった。