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第23話 ドラゴンさんとはじまりの竜



 アールの応援が聞こえた気がした。


《アールの声が聞こえましたね》


 背中からネクターのそんな思念話が聞こえて、私は確信してほっこりしてたら、呆れた声が響いた。


《何言ってんだよ、ここは晦冥の封印の中だぞ、聞こえるわけないじゃないか》

《なんとなくってやつだよ》


 横やりを入れるリュートの言うとおりなんだけれども、本当にそんな気がしたのだ。

 まあ、言いたいこともわかると、私は下を眺めてみれば、そこは一面真っ白な蝕の海だ。

 私達が転移してきたのは、真っ先に蝕に呑まれて消失した海域付近だった。


 かろうじて星の降る空が見えるものの、伸ばした手がすぐに見えなくなってしまいそうなほどの蝕の濃霧で、私の対蝕結界でなんとか呑まれないですんでいる。


《巡り祈るは 万象の理》


 ネクターの詠唱が響いたとたん、側面から現れた牙を持った海獣型の蝕が木の枝に包まれ霧散した。

 さらに眼前に現れた大きな魚型の蝕は、私のブレスで焼き払う。


 こうして蝕の魔物が現れても寸前まで気づけないにもかかわらず、入れ替わり立ち替わり現れる蝕の魔物を蹴散らしながらすでに数時間、私達はこの蝕の海を突き進んでいた。


 レイラインはおろか魔力なんてほとんどない。ただ清冽で純粋な虚無だけがたゆたう場にぞわぞわとした気味悪さが先に立つ。


 蝕の密度は恐ろしく高く、霧のはずなのに水の中をかき分けているような気分になる。

 上か下かも分からなくなりそうだ。

 けれど本番はこれからだっだ。


《リュート、あとどれくらい!》

《距離感がつかめないから全然わかんないけど、たぶんここら辺! もーいいやここでやろうっ》

《そんないい加減なことをしないでください!》


 ずっとあたりを見渡していたリュートがうんざりした調子で言うのを、ネクターが咎めたけど、彼はまったく意に介した風はなかった。


《だってしょうがないじゃないか。あの野郎に教えられた座標が役に立たなかったんだから。アドヴェルサを封じた海域を呼び覚ますことで、異空間を特定するなんて力業、元々無謀なんだからこんなもんで良いんだって》

《だからこそきっちりやらねばっ、って話を聞きなさい!!》


 ネクターの抗議を意に介した風もなく、リュートが私の背で何かをばらまく。

 正体は知っている。私の涙の結晶だ。高密度に魔力の凝った、魔石よりも純度の高いその粒を惜しげもなく使ってやるのは、彼にしかできない魔法だ。


《もっと大事に扱ってくださいっ》

《うるさいなあ! 僕だってこんなの使うのやなんだからお互い様だろ》


 ……こんなのは、さすがにちょっと傷つくぞ?


 うんざりとした調子でネクターに言い返したリュートは、私がしんねりしていることにも気づいているのかいないのか、じゃらんと、楽器の弦を鳴らした。


「さあっ、全力の僕の歌を聴くが良い!」


 複雑な重音を響かせて、リュートの演奏が始まった。

 すると私の涙の結晶から、魔力が立ち上り増幅し、練り上げられていく。

 それはドラゴンの竜気から生じた精霊であるリュートにしかできない、土地や物に宿った記憶を目覚めさせ実体化させる夢の魔法だった。


『さあ、過ぎ去った時よ、つかの間の目覚めを。あるべき姿へ あるべき機能へ』


 リュートが歌い上げたとたん、音が奔流となって辺り一面に広がった。

 蝕を押しのけた空間に、おぼろげに列柱がみえ隠れするが、けれど音に纏った魔力の光が弱い。

 あれだけの魔力結晶でも足りないか。消耗するのを避けるために温存していたけれど、第一段階すら突破できないのは本末転倒だ。


 私が魔力を分け与えようとしかけたとき、蝕の濃霧を祓うように、黄金の星が降ってきた。

 蝕を切り裂き光を散らして、真っ直ぐリュートへ落ちてきたのは、アールが振りまいている星の魔力だった。


「……大きなお世話だっての」


 忌々しそうに呟きつつも、険は少なくて。

 陽気さと哀愁が同居した音色が、よりいっそうの力強く響き渡った。


 奏でることで紡がれる魔法は、蝕ですら押しのけるように広がっていき、豊かにたゆたう海面が戻る。

 そうしてわずかに戻った海を割るように現れたのは、ふるびた建造物群だった。


 所々壁が崩れ落ちたり、風化しているけど、整然と並ぶなめらかな石造りの街は、今以上に高度な文明を築いていた名残が見て取れる。


「むかし、ここにあった、アドヴェルサが異空間へ封じられる直前の、古代の街だっ。僕も、外から見るのは、始めて、だけどっ切り離される前の封じの間もここにあるっ」

「十分だったよ、リュート休んでて」


 彼の魔法である「夢見」で、アドヴェルサを封印した当時の環境を再現し、どこにあるか分からなくなっている晦冥の異空間と封印への道筋をつけることは、彼にしかできなかった。

 けれど、街一つを呼び覚ますのは、限界以上の魔力行使だっただろう。


「誰が休めるかっ! 異空間に飛ぶ作業があるんだ、早くアドヴェルサの元へ行け! あんまり持たないんだぞ!」


 ぜいぜいと苦しそうに話すリュートをねぎらったら逆に怒鳴られた。

 リュートの言葉も最もだ。蝕は早くも古代の街を飲み込もうと浸蝕を始めている。


「建物の大きさからして、あの中心にある施設ですっ」

「了解、捕まっててくれよ!」


 ネクターの言葉に応じて、力強く羽ばたいた瞬間、目指そうとしていた建物が盛大に壊れた。

 そこから白銀の翼をはばたたかせて飛び出してきたのは、雄々しく優美な体格と、首筋には青みを帯びたたてがみが生え、頭部にはするどい角をもつドラゴン。


 あの晦冥の封印にいた白銀鱗の竜だった。


「アドヴェルサ……!」


 リュートが呟く声をかき消すように、目の前のドラゴンは咆哮した。

 とたんにあたり一帯に、大量の水流と、嵐が巻き起こる。


 濃密な磯の匂いがした。 

 まだ距離があるのに、暴風域にいるような強風にさらされて、私は飛行姿勢を崩しかけた。

 弾丸のような雨でぐしょ濡れになった側から風で乾くけど、どことなく鱗がべたべたとする気がする。


「海水!?」

「だってアドヴェルサは大洋から生じたドラゴンだよ! 彼が司るのは大洋と嵐! こんなの序の口だっ」


 リュートの若干自慢の混じった説明を聞きながらも、蝕すら吹き飛ばされている大嵐の中で体勢を整えようとした。


 視界のはしに白銀の鱗がきらめく。


「うわぁ!?」


 私は強烈な風圧と共に突っ込んでくる白銀竜を、紙一重で避けた。

 けれど強靱な白銀の尻尾がしなって私の身体に当たり、全身が揺さぶられるような衝撃が走る。


 姿勢だけは大きく崩さなかったけれども、やっぱり殴られたら痛い。

 それでも魔力で強化された一撃じゃなかったから、堪えられる。


「大丈夫ですかラーワ!」

「だい、じょうぶぅ」


 ネクターにそう返しつつ、私は自分の表情が険しくなるのを感じた。

 蝕が無事な土地へ積極的に送り込もうとしていることから、元凶を探知できるんじゃないかと考えていた。


 いまアドヴェルサに攻撃されたのは、やっぱり蝕への耐性をつけさせている私を排除しようとしているからだろうか。

 ともあれ次の攻撃に備えなければ、と白銀の鱗を見失わないように旋回すれば、近くにいるはずのドラゴンの姿がなかった。


 えっ?


「アドヴェルサの様子が妙です」


 ネクターの困惑の通り、白銀の竜は私の側にいなくて、錐もみしながら眼下の街へと突っ込んでいた。


 墜落した? でも何で、と唖然としているさなかにも、がれきから身を起こしたアドヴェルサの身体から蝕が吹き出してくる。

 けれど、また咆哮すると翼をはばたたかせて舞い上がり、海水混じりの大嵐を巻き起こして蝕を洗い流した。


 がれきの中でのたうち回る、一貫性のない行動は、まるで苦悶してるみたいで。

 黄金の瞳に宿る葛藤に気づいて、まさかと思った。


「アドヴェルサは乗っ取られてない!?」


 リュートの歓喜の混じった声音が響く。


「身のうちに蝕を封じ続けようとするアドヴェルサが自分の意思と、神の干渉が衝突して暴れ回っているのかもしれません。蝕の拡大が不規則だったのは今まであの竜が抵抗していたからではないでしょうか」


 ネクターの感情を押し殺した指摘に、私はぐっと思いを飲み込んだ。

 ここにたどり着くまでに一週間ほどが経過している。

 その間中アドヴェルサはあの暗く冷たい空間で、のたうち回っていたのだろう。


 自分が自分でなくなる感じは、私もテンを乗り移らせて経験している。

 あれは私の意思でやったことだけれど、それでも怖かった。

 アドヴェルサは意に染まぬ干渉のはずだ。百パーセント負けると分かっている戦いの中でもなお、抵抗しようという意思の強固さには、感嘆するしかない。


「僕が呼び覚ましたことで、アドヴェルサの努力を無駄にしたのか……」


 顔を紙のように白くしているのが分かる声音でリュートが呟くのを、私は強く否定した。


「違う、必要なことだったんだ。今回私達がやろうとしていることを思い出してくれ」


 私達がこれからやるのは、晦冥の封印の譲渡だ。

 おじいちゃんは、神の干渉は、アドヴェルサの封じている根源の蝕を通じてのものだろうと考えた。

 5000年前に断ち切ったはずの干渉が、蝕という神の物を内包していたせいで再開されてしまったのは悲しいことだ。

 けど晦冥の封印ごと蝕を私に移せば、そのまま神にコンタクトが取れると言うことでもあるのだ。


 やめてもらうために、話しに行ける。 


 アドヴェルサは失敗している。おじいちゃんがやれば、元は同じ物だから、なすすべなく取り込まれてしまう可能性が高い。

 ドラゴンであり、異界の魂をもつ私なら、神に乗っ取られることなく会えるだろうと、ネクターたちと何度も意見を交わして結論したのだ。


 だから、ネクターはおじいちゃんが準備していた晦冥の封印の譲渡術式を、丸三日かけて覚え込み、私もあらかじめ準備できる術式を自らに施して、さらに魔力を用意できるように奔走した。


 だってどうしたってあらかじめ設置はできなかったから。


「アドヴェルサの意識が残っているのでしたら、術式の譲渡がやりやすくなったとも言えます。膨大な術式の大半が、抵抗する対象者への拘束と強制の術式でしたから。ただ……」

「これでどうやって、近づくかだよね」


 咆哮が響いた。


 海水とがれきの混じった竜巻の嵐で覆い尽くされ見えなくなるアドヴェルサを前に、私達は一端距離をとった。

 あれだけ暴れていたアドヴェルサは、大嵐の中に閉じこもることを選んだらしい。


 自分を封じるように、一切の干渉を断ち切るみたいに。

 彼が力尽きれば晦冥の封印という鍵がなくなり、深い蝕の氾濫が始まるだろう。

 その姿は、悲壮感すら漂っていて、見ている方がつらかった。


「ネクター、封印の準備はどれくらいかかるかい?」

「10分で終わらせます」

「おーけー。それまでに、あの竜巻の中からアドヴェルサをひっぱりだして、一時期でも正気に叩き戻す」


 アドヴェルサの海水は私の炎の属性を打ち消してしまうから、相性がめちゃくちゃ悪い。けど真っ正面からやり合わなくてすむだけマシだと思おう!


 言い聞かせることで気分を奮い立たせていると、ネクターから返事がこなかった。

 なぜか、はなんとなく分かった。 


「ネクター。その晦冥の封印は私を封印するためのものじゃない。送り出すものだ」

「それは、分かっております。ですが、あなたが万が一にでも目覚めさせられない状況になったらっ……」

「それでも、君にしか任せたくないよ」


 ネクターが息を呑む気配を感じながら、私はこの気持ちをどうやって伝えたら良いか考えた。


「私の帰る場所はアールと君の所だ。だから君の声で送ってもらって、君の言葉で迎えてもらいたいんだよ」

「ええ、分かりました。あなたの好きなマドレーヌを作りましょう」

「楽しみにしてる」


 ようやく声音を緩めてくれたネクターに私が嬉しくなっていると、リュートがいらだった調子で割り込んできた。


「あの封印の間が一番魔力的に安定してる! さっさと行くぞ」


 ネクターとリュートを半壊した教会っぽい場所に降ろし、再び舞い上がる。

 私は、今も暴威を振るう竜巻へと対峙した。

 この凝縮した台風のような暴風を突破するのは難関だ、こうやって飛んでいることすら難しいのだから。

 けれど、彼を閉じ込めるのは、もう終わりなのだ。


「とおりゃあっ!」


 私はぐんと、首を上へ向けて上昇した。

 うがたれそうな大雨に体力を削られながらも、時々飛んでくるがれきを避けながら、暴風域の上へとたどり着くために飛んでいく。


 見えない壁を押しのけているような下降気流によろけるのを尻尾でなんとかバランスを取り、ぶっちゃけ翼がもげそうだ。


 上りきった、と思った瞬間、私は蝕の濃霧の中にいた。


 未だに大嵐の中にいる上で、ぞわりとした削れるような不快感に襲われる。

 けれどここの蝕には、私にはなじみ深いとも言える深い嘆きが混じっていた。


 やっぱりこれは、アドヴェルサの悲哀だったんだ。

 寂しさと、悲しみと、後悔にさいなまれながら眠り続けていた。

 それが長い年月をかけて、蝕へとしみ出していき、乗り移ったのだろう。

 神様に干渉されたことで薄まっているけれど、それがさらに悲しかった。


 このままじゃアドヴェルサが浮かばれない。

 壁のような暴風圏の中心に、白銀の竜がいるのが見えた。

 首が上向く。その金の瞳には、いらだちが混じっている。


《邪魔をするなあぁ!!》


 晦冥の封印の間で聴いたのとは違う、苦しげな若い、青年の声だった。

 だけどその声をのむように、たちまち背後の蝕が凝り、いくつもの手を触手のように伸ばしてきた。


 五本指だったり、虫のかぎ爪だったり、イソギンチャクみたいな吸盤だったり一定しないけど、うねうねと追いかけてくる姿は一貫してめっちゃ気持ち悪い!


 ひいいと、顔を引きつらせ根がらも翼をたたんだ私は、台風の目へ飛び込んだ。

 半回転して、追いかけてくるおびただしい蝕の手に向けて魔力を練り上げる。


 この大雨の中炎はアウトだ。ならっ。


『我侵スハ 虚無ノ暁暗!!』


 私と蝕を隔てるように広がった光すら通さない虚無の闇は、蝕の手を飲み込んだ。

 これで時間が稼げる。

 私は眼下へ視線を戻して、翼を羽ばたき、加速しながら呼びかけた。


《私は、君を助けに来たっ! アドヴェルサッ》


 黄金の瞳が驚愕に見開かれたが、怒りのままに白銀の竜が咆哮し、水流の壁が襲いかかってくる。


 そうだ、当然だ。彼は一人で背負うしかなかった。それしかなかったのだから。


 けど今は違う。私は沢山の人に助けられてここにいる。一人で背負わなくて良いと言える!

 この暴風は拒絶だ。闇では払えない。


 ならっ!


『我願ウハ 光華ノ焔!』


 巨大な水流と暴風の壁に、私は大量の炎の華をぶつけた。

 彼には武器を向けたくなかった。結局は火だから意味ない気がするけど!


 暴風雨と炎の華がぶつかったとたんおびただしい水蒸気が生まれ、爆発する。

 すさまじい音と熱風の嵐を突き抜けて、私は白銀のドラゴンに突っ込んだ。


《はーなーしーを聞けー!!!》


 狙い違わず、アドヴェルサの脇腹に激突し、そのまま一緒にごろごろと地面を転がる。


 すんごい痛いけど、彼の引き起こしていた暴風雨が霧散した。

 私は直ぐさま身を起こして、うずくまっている白銀竜の翼の付け根を後ろ足で握り込む。


 そうして、思いっきり翼を羽ばたいて彼ごと空へと飛び立った。


 んぐぐ、体格的には向こうのほうがちょっと大きいから、やっぱめちゃくちゃ重いけど、アドヴェルサを確保できた。

 あとはネクターの所へ行くだけ、と思っていると、アドヴェルサからいらだち気味の思念が伝わってきた。


《そなたは、なんだ。離れるが良い、俺にはなすべきことが……》

《私はラーワ! 神様と話がしたい、私に晦冥の封印を移してくれ!》


 思念話の利点を存分に生かして、私達のやろうとしていることをたたき付けるように伝えれば、深いあきらめと諦観の思念が返ってくる。


《話をしてどうする。これだけのことを平気で成す、神に今更》

《実際に話してみなきゃ分からないだろう!》

《わかりきって……ぐぅっ……》


 またアドヴェルサの気配が揺らぐ、蝕の色が濃くなる。

 意識が混濁しているのが嫌というほどよく分かった。私は彼にドラゴンネットワークをつないで引き留めようとするが、彼自身に拒絶された。


《もういい、俺は疲れたのだ。なかったことにする。意識があるうちに、これを道連れに消滅する》


 生きようとする意思の感じない、あきらめの思念が伝わってきて焦った。

 それはものすんごく困るけど、私に止められる手段がない。

 くそう、尻尾アタックで無理矢理気絶させるか……!?


 そう考えた矢先、澄んだ声が響き渡った。


大洋(オケアヌスギグ)創りし(ネーレベネフィ)恵みの(キエンティア)天災(アドヴェルサ)!』


 暴風の代わりに、蝕の浸蝕が忍び寄ってくる教会の一角でリュートが叫んでいた。


『僕は来たよっ。あなたにまた弾いて欲しくて、あなたとまた話がしたくてっ』


 懇願したリュートが、構えた楽器の弦を鳴らす。

 蝕に浸蝕されかけている大地に響き渡り、蝕を押し流した。


『お願いだ、僕を側に置いてくれっ』

《っ……》


 アドヴェルサが、決定的に変わった。

 彼らの間に、どんな交流があったのかは知らないどんな関係だったのかも推し量れない。

 けれど、かたくなだった気配が、ほどける、消える、崩れて行く。


《俺は、》

《君はもう一人じゃないんだよ、アドヴェルサ。沢山の人が君の存在を知っている。守ってきたことを知っている。もう閉じこもらなくていいんだ!》

《そう、か》


 こみ上げる物を押さえ込むような、思念。

 白銀竜の姿が、光に包まれた。

 つかんでいた翼の付け根が消え失せ、代わりに白銀の髪と黄金の瞳をした、線の細い青年が現れた。


《君が、なせるかは分からないが。頼む》


 とたん、彼の眼前に複雑な魔法式が現れ、砕け散る。

 そこからどろりとしたいっそう濃密な蝕があふれ出した。

 あれが、アドヴェルサがずっと封じ続けてきたものだろう。


「ネクター!」


 それだけで、眼下に大きく描かれた魔法陣の中央に、触媒の山に囲まれて立つネクターが、杖をついた。


『我 この地に根を下ろし 我が故郷となさん』


 とたん、杖から見る間に根が伸びて大地をうがち、あっという間に枝葉を伸ばして行く。

 そしてネクターがまき散らすのは竜の涙晶(ドラゴンティア)

 膨大な魔力を吸いながら、ぐんぐん伸びていく精霊樹に触れた彼は、亜麻色の髪の薄紅を揺らめかせながら、さらに詠唱を続けた。


『はぐくみしは豊穣なる大地 願いしは永久(とこしえ)なる微睡み 我、晦冥(かいめい)にして冥界のゆりかごを揺らす者』


 広がりかけていた濃密な蝕が、術式から溢れるように伸びた魔力の糸に絡め取られて行く。その渦巻く勢いに吸い寄せられるように、周辺の蝕も凝っていった。


『汝 夢幻へ揺蕩い 世界の礎 安らぎと守護の要とならんことを!』


 ネクターがあとは結びの一文を唱えるだけと言う所で、球体のように凝った蝕を捉えていた術式の帯が、パキンと、割れた。


「なっ」


 今拡散したら、術式が不完全に終わってしまう! 肝を冷やした私だったけど、蝕はそのまま私へ向かってきた。


 その意思があるかのような動きは不気味だったけど、僥倖だ。

 もう一つ描かれた術式陣の上に降りた私は、目の前のネクターの青の瞳と視線を合わせる。


「行ってくるね、ネクター」

”行ってらっしゃい、ラーワ”


 脂汗をにじませるネクターの、唇だけがそう動いた。

 私は精一杯の笑顔を浮かべて、白の濃霧を受け入れたのだった。




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