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ドラゴンさんは友達が欲しい  作者: 道草家守
原初の竜編

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第22話 ドラゴンさん達の長い一日 それぞれ3


「はいっご飯ですっ。魔力回復薬が必要だったら出せますっ」

『ありがとう、お嬢ちゃん』


 森人(エルフ)の言葉は分からなかったが、青年にお礼を言われて、マルカ・スラッガートはぺこりと頭を下げたあと、また別の人間の世話のためにその場を離れた。


 その間も、背中に負ったヴァスの分身に語りかける。


「ヴァス、ヴァス、みんな頑張ってるよ。お兄ちゃんにはもう会えた? イオ先輩はすんごく頑張ってヴァスを戻すための魔術銃と弾丸を作ってたし、みこさんはヒベルニアを守るために結界を張ってるし、アールはね、みんなが消えてしまわないように、力を沢山分け与えてるんだよ。わたしもね、できることを頑張ってるの」


 マルカは、今回の騒動について、普通の人が知っていることより、少しだけ詳しくしか知らない。


 この白い濃霧が、蝕と呼ばれる存在であること。

 飲み込まれてしまえば、植物でも大地でも人でも消えてなくなってしまうこと。

 ずっと昔に同じことが起きて、本来ならその時にこの世界がなくなっていたこと。

 当時のドラゴンたちが、この世界を守ろうとしてくれたから今になっているのだと。


「ヴァスも、守ろうとしてくれた一人、だったんだよね」


 マルカは、ほんの少し熱の移ったドラゴンの重みを感じながら呟いた。

 ずっと世界を守り続けていたドラゴンは、今倒れてしまっている。


 そんな彼らを救い出すために、様々な人々が、それぞれの戦いをしていた。

 魔力を持たない人でも彼らのために、ドラゴンさんのことを願って祈ることで、力になると言われた。

 戦うすべを持たない街の人々は、自分たちの家で、祈りを捧げていることだろう。


 マルカもそうしているように言われたが、無理を言ってアールの側に居ることを願ったのだ。

 だから、マルカはこの”目覚めの祈り”の場に治癒補助要員として居させてもらっている。 アールが震えているのを知っていたからでもあるけれど、祈るだけはもう嫌だったから。


 魔術医療科を志望していて心底良かったと思う。

 もちろん実際に治療するのは巫女や、本物の医療魔術師だったが、この膨大な魔力の質量に堪えられる人間は少ない。

 小さな傷程度しか治せないマルカでも、詠唱を交代したエルフ達への食事と魔力の補給や、引き寄せられてくる蝕の魔物を討伐する兵士や守人達への手当てなど、やることは山ほどあった。


 くるくると働きながら、それでもマルカが眠っているヴァスを離さずに語りかけるのは、聞こえている気がするのだ。

 なんとなく、本当になんとなくだが、彼が意識の向こう側で奥でもがいているように思えて、だからマルカはここに居るよと分かるように呼びかけ続けていた。


「だって、前はヴァスがわたしを助けてくれたんだもん。こんどはわたしが助ける番なのよ」


 語りかけるように呟いたけれど、自分に言い聞かせているようなものだった。

 マルカが何も言わずとも側に居くれたヴァスは、マルカが話倒しても、最初から最後まできちんと聞いてくれていた。

 兄ともアールとも違う不思議な安心感が、今は希薄で、それが寂しくてたまらなかった。


 けれど、ヴァスも今頑張ってるのだ、気を強く持たなきゃいけない。

 マルカがぱたぱたと簡易の炊き出し場が設置されている区画へ走る間も、エルフ達の詠唱は続いている。

 藍色の空に流れる、無数の黄金の星はすべてアールが振りまいているのだ。

 マルカは自分に落ちてきた、星のかけらに向けて、話しかける。


「頑張れ、アール」

《頑張るよ、マルカ》


 すぐに返してくれたけれども、苦しそうなのが分かって、マルカもぎゅっと胸が苦しくなりかけるが、こらえた。

 伝わってしまえば、アールの気がかりが増えてしまうのだから。

 すでに半日。星は降り続けている。

 エルフ達が2度も交代しているほどの負担を、アールともう一人の精霊は単独で持ちこたえていた。

 その役割ができる者が二人しか居ないせいで仕方ないとはいえ、つらい。とてもつらい。


 それでも、アールがきっとやり遂げてくれると、マルカは信じている。

 一体でもドラゴンが解放されれば、アールの負担は軽くなる。

 だから、マルカは願って、呼び続けるのだ。


「ヴァス、ヴァス。起きて。……こわい、よ」


 ふと、向かっている方向が、騒がしいことに気がついた。張られた天幕が引きちぎられる、何かが叩き付けられる音。混じる怒号。

 そして激しく魔術が打ち出される魔力の反応光。


「絶対に術式陣には行かせるなっ!!」

「空からも来たぞっ!」


 そうして、森の木々の間から見えたのは、全身白の濃霧で構成された蝕の魔物だった。

 生えている木々に匹敵する長い胴体にはおびただしい数の節足が並び、止めようとする兵士をなぎ倒し、吹き飛ばす。


 その姿に、マルカは生理的嫌悪感を覚えて心がおびえるが、その百足型の魔物がこちらに向かってきてはっとした。

 マルカが来た方には、身体を休めている戦闘能力のないエルフしかいないし、何より術式陣がある。

 ほかにも大小様々な蝕の魔物が現れており、兵士達も守人も魔族も対処が追いついていなかった。


 応援が必要だ。行かせてはいけない。

二つの思考が瞬時に巡る。

マルカは、反射的にこみ上げかける涙をこらえ、震える身体を叱咤し、持っていた荷物を百足に向かって投げつけた。


 マルカの細腕では威力なんてものはない。本当にただ当たっただけ。

 だが、注意は引けた。


 足を止めて首をもたげる百足型の凶悪な顎を精一杯睨み付けて、マルカは声を張り上げた。


「こっちよ!」


 薄もやのかかる森の奥へ入っていけば、幸いにも百足が追ってくることが音で分かった。


 無謀だと思う。でもこちらの方向には守人達が休んでいる区画がある。

 この騒ぎに駆けつけてくれているはずだから、それまでに追いつかれなければ大丈夫だ。


 マルカは唇をかみしめて、足に力を込める。

 けれど、すぐに身体が浮き上がって宙に浮かんだ。

 背中に負っていたひもがちぎれる感触がして、青ざめる。


「あぐっ……」


 近くの木に叩き付けられたマルカは、強制的に全部の息を吐かされた。

 糸の切れた操り人形のように地面に転がり、かろうじて頭は打たなかったものの、全身が痛くて息がうまくできなかった。

 側にはリュックサックの残骸が転がっている。


 どこだろう、どこだろう。ヴァスは自分が守らなきゃいけないのに。

 指を一本も動かせない。


 影がかかったと思ったら、百足型の魔物が、凶悪な顎を開いていた。

 空にも居るって言っていた。アールを助けなきゃいけないのに。

 ラーワさんもネクターさんもリグリラさんもカイルさんも居ない。


 おじいちゃんよりも、みこさんよりも、お兄ちゃんよりも、アールよりも。

 どうしてだろう、脳裏に浮かぶのは、砂色の竜だった。




「ヴァスっ……」

「応答」




 巌のような声が響いて、マルカは百足の居る地面が大きく隆起するのを見た。

 鋭く生える幾本もの岩の杭によって、蝕の魔物は串刺しとなり霧散する。


 やっと息ができるようになったマルカが顔を上げれば、そっと身体を抱え上げられた。

 大きな手は、お兄ちゃんとも、おじいちゃんとも違って、片手でマルカを支えてしまう。


 黄砂色の髪を無造作に流し、理知的な黄金色の瞳で見下ろしている男性は、マルカに申し訳なさそうに口を開いた。


「謝罪、遅くなった」

「ヴァスぅぅぅっ!!!」


 マルカが今までこらえていた感情が溢れるままに、その首にかじりついた。


「汝の声が、導になった」


 大きな手がなだめるようにぎこちなく頭を滑り、かえって涙は止まらない。

 けれど、知らせなければいけないことがあった。


「ヴァスッあの、あのね、アールがっ」


 涙をこらえながらも言い募れば、ヴァスは分かっているとでも言うように頷いた。


「我の本体と我が友が向かっている」


 我が友、彼がそう表すのが誰かマルカは知っている。

 それがどれだけ安心なことかも。

 マルカの胸が沸き立つのを感じながらそっと問いかけた。


「ヴァス、まだ動ける? つらくない?」

「救出の弊害により本体には多少の手傷はあるものの、この端末の魔力量は良好。望みがあるか」


 そう問いかけてくれる表情が、少し柔らかくなるのが、無性に嬉しくなる。

 ヴァスはすごく変わった。

 けれど浸るのはあとだ、とマルカは涙を拭いて、力を込めてその丹精な顔を見上げる。

「ヴァス、炊き出しの人たち助けに行こうっ」

「諾」

 そうして、マルカは、疾風のように走り出すヴァスの首に捕まったのだった。







 あと少し、と考え始めてからどれくらい立っただろう。


 おびただしく流れてくるあまたの人々の思念を感じながら、アールは精霊樹のてっぺんでぎりぎりの魔力操作を続けていた。

 意気堅剛に蝕へと立ち向かうもの、逃げ遅れた人々を誘導するもの、また一つ反応が消えて、アールは歯をかみしめた。


 分かっていたはずだった。そうなる人が居るかも知れないことを。

 全員が無事に帰ることはできない。けれどこの世界がなくなってしまえば、お仕舞いなのだから。


 おじいちゃんは、はじめすべてを一人で成し遂げると言ったのを、アールが半分引き受けることにしたのは万全を期すために必要だったからだ。

 アールだって、みんなを助けたかったから。


 けれど、とてもつらい。さっきまで元気だった人々が傷ついて消えてしまうのが苦しかった。

 それでもアールは星を降らせる。

まだ戦っている人たちはもちろん、消えかけている人たちにも、ありったけの祝福を授ける。

 それがアールに任されたことで、アールにしかできないことだったから。


 ラーワとネクターの反応はすでにない。

 アールが探知できるのは、この“目覚めの祈り”の有効範囲内、つまりアールの降らせる流星が届く場所だけだ。晦冥の封印に入れば、蝕に阻まれて見えなくなる。

 二人が生きてることすら分からないことが初めてで、アールは急に世界にぽつんと一人残されたような心細さに襲われていた。


《アールや、制御が不安定になっておる》


 フィセルの声が聞こえて、アールははっと魔力の流れを整え直した。彼の声音に活力がなくなり始めている気がしたが、問い返す余裕はなかった。

 フィセルと、テンと、何よりラーワに教えてもらった技術がある。


 やり遂げなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。

 アールが倒れたらすべてが水の泡になってしまうのだから。


 そう、自分を励まし、くらりと来るのをこらえながら、下から聞こえてくるエルフの歌に耳を澄ませた。

 一人じゃない。自分だけでやっているわけではない。

 こうしてエルフも、フィセルも全力で術式を維持している。だからこの孤独感は気のせいだ。

 言い聞かせて、消えかける土地へと星々を降らせ。


 ふと眼下に降らせた星のかけらから、騒がしい気配が伝わってきた。

 視線を降ろすまえに、遠くの空から現れるモノに気づく。

 それは空すら覆い尽くしてしまうほどの、おびただしい数の白の魔物だった。


 一つ一つ姿が違い、群れることなどないはずの様々な幻獣の姿をした蝕が、なにより真っ直ぐアールの下へ駆けてくる。


 アールにはうすうす分かっていた。

 この蝕の魔物は、この止まった世界で活動している者、特にラーワの影響が強いものに引き寄せられてくることを。


 とはいえ、アールは例えあの濃霧に包まれようと影響はない。

 けれどあれだけの実体化した蝕の魔物に呑まれれば、確実に術式を乱され、星の魔法は崩れるだろう。

 一度崩壊すれば、構築し直すのに膨大な時間がかかり、何より加護を失った沢山の人々が蝕に呑まれることになる。


 迎撃しなければならない。そこまで分かっていても、アールは動けなかった。

 術式に大半の演算能力を取られている今、新たな魔術を構築する余裕なんてなかったからだ。


「っ……!」


 アールは苦肉の策として、術式の一部である流星を蝕へと向けた。

 黄金の星の魔力は、蝕への耐性をつけると同時に、蝕を消滅させることができる。

 何十体かの蝕の魔物は消滅したが、それでも勢いは衰えない。

 これ以上そちらに裂けば、今蝕のまっただ中で戦っている人たちに届かなくなってしまう。


 考える時間が命取りだった。

 呑まれる覚悟を決めた。



「アールッ!!」



 居るはずのない人の声が響いて、一筋の光芒が上空へ広がる蝕の魔物を貫いた。

 アールが驚いている間にも、視界を黄砂色の巨体で覆い尽くされる。

 重厚な翼を羽ばたいた黄砂色のドラゴンは、砂塵を生じさせ、一斉に蝕の魔物へ襲いかからせ一掃した。


「……まじかよ、通りで魔力をごっそり取られるわけだ。なんてもんをつくりやがるんだイエーオリ」


 その背中で、顔を引きつらせながらも魔術銃を構えているのは、ゴーグルを付けていても分かる、焦げ茶色の髪の少年だった。


「える、せんぱい」


 アールの心をあれほど凝り固まらせていた暗い孤独感が、あっという間にほどけていった。

 呆然と呼べば、エルヴィーは励ますように矢継ぎ早に言った。


「もう大丈夫だぞ、アールッ。ヴァスは戻った! こっちはどうにかするから、頑張れっ」

「感謝する。アール。全体の4割ほど機能が低下しているが、眼前の敵性勢力を迎撃することは可能」


 よく見れば、エルヴィーもヴァスも全身傷だらけだった。

 何より額に大きな傷とエルヴィーの魔力の名残が残っている。

 それでも黄金の瞳には理知的な意思が宿り、蝕の影響は一掃されていた。


 アールが流星をヴァスへ落とせば、感謝の意思と共に声が響いた。


「これより迎撃を開始するため、エルを地上へ避難させる」

「じゃ、じゃあっエル先輩。ぼくの背中にっ」


 なぜそんなことを言い出してしまったか、アールにはよく分からない。

 その間も、術式制御は乱さなかったものの、落ち着かないでそわそわとしてしまう。

 面食らっていたエルヴィーだったが、ヴァスの身体を軽く叩いて降りてくると、アールの背中に重みがかかった。


「なんか知らねえけど、居てやるから。魔術銃でも効くみたいだし、魔力もまだあっからお前に近づかせねえよ」


 そっと首筋を撫でられて、ぬくもりが全身に広がるのが分かるが、次いでエルヴィーの声に苦笑が混じった。


「ただ、ヴァスだけでなんとかなりそうだけど」


 エルヴィーの視線の先には、蝕の群れを掃討するヴァスの姿があった。

 確かにその姿は頼もしい。エルヴィーが魔術銃を使う必要はないかも知れない。けれど。


「いいんです」


 魔力の譲渡などはない。けれど、枯れかけていた活力が戻ってくるのをアールは感じていた。

 その重みが嬉しくて。

アールが危ないときにも、困ったときにも、飛び込んできてくれる。迷いなく、こんなところにまで来てくれた。


 ぽうっと、心の奥に、明るいぬくもりが灯る。


「先輩が、居てくれることがぼくの力になります」

「お、おう」


 心の底からそう言えば、エルヴィーの動揺する気配がした気がするが、アールは流星を通じて意識の手を伸ばしていた。

 また一つ竜の気配が戻った。

 続々と、命の輝きが灯っていく。


 こっちはきっと大丈夫だと、ラーワとネクターに胸を張って言える。


「せんぱい。ぼく、頑張りますねっ」

「ああ、頑張れ、アール」


 エルヴィーに勇気づけるように首筋を叩かれたアールは、よりいっそうの輝きを以て、星を降らせ始めたのだった。




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