第20話 ドラゴンさん達の長い一日 それぞれ1
黄金の流星が流れる空の下、エルヴィーは必死に走っていた。
アールの魔法が始まってすぐ、エルヴィーは金砂の美女、リグリラに抱えられたと思ったとたん、見渡す限りの蝕の濃霧の中に転移していた。
蝕の濃霧に呑まれればどうなるかは、シグノス学園の志願部隊訓練で聞かされていたから一瞬肝が冷えたものの、影響は全くない。
己をよく見れば、転移する前に降ってきた黄金の光が防護膜のように己を覆っていた。
アールの応援の思念がまだ耳に残っていたが、浸っている暇は全くなかった。
「あははは! 魔術が効くのならこっちのものですのっ。さあっどんどんいらっしゃいまし! まとめて消滅させてさしあげましてよ」
紫の瞳を爛々と輝かせ、艶を帯びた哄笑をあげながら、続々と現れる蝕の魔物を蹴散らしていくのは、金砂髪の美女だった。
蝕の魔物は転移したとたんエルヴィー達一行に襲いかかってきたのだが、リグリラの一方的な殲滅によって道はどんどん開けている。
時折奇跡的にすり抜けてくる蝕の魔物もいるのだが、仙次郎の槍の一閃によって軒並みつぶされていた。
これだけの蝕を屠っているにもかかわらず彼女たちの足は緩まず、エルヴィーはほぼ全力疾走で彼女たちについていくことだけで手一杯だ。
ヴァスを自分の手で救うためとはいえ、この化け物のような二人についてゆくと言ったのを早くも後悔し始めていると、また一体、魔物を吹き飛ばしたリグリラに声をかけられた。
「坊や、方向は合っておりますの?」
「だいっ、じょうっぶっです! そっちがめちゃくちゃ気になるんでッ」
ぜいぜいと息を吐きながら言えば、リグリラが心底面倒そうに続けた。
「あなたにへばられては困りますの、抱え上げた方がよろしくて?」
「ちゃんと走りますっ」
ほかのドラゴン救出に向かっているほか2つのグループが一個大隊以上で構成されているにもかかわらず、この場がたった三人で構成されているのは、この二人がそれだけの実力を有しているからだ。
どうしたって不釣り合いなエルヴィーが、なぜここにいるかと言えば、道案内と最後の決定打を撃つためだった。
知らされているドラゴンの現在位置は蝕に呑まれる前のものだ。
浸蝕によって位置関係は大きく変わっている可能性が濃厚で、蝕の濃霧の中に転移したあとは、自力で探し出さなければならない。
だがエルヴィーとマルカには片やヴァスと契約し、片やヴァスによって治療された影響があるのか、彼の位置をわずかに感じ取ることができたのだ。
確実に位置の分かるエルヴィーは貴重なため、今回特別にドラゴン救出に同行させてもらえていたのだった。
明らかな足手まといであるエルヴィーに、彼女たちが意識を裂き、命取りになる可能性は、極力廃さなければならなかった。
ふん、と鼻をならした金砂の美女がどこか満足げなのは、エルヴィーが彼女の信念にかなう回答をしたからだろう。
エルヴィーがひそかにほっとしていると、唐突に二人が今までにない緊張を帯びるのを感じた。
殺気にも似たそれは、ハンター稼業で慣れたエルヴィーだから堪えられたが、普通の人間なら卒倒していただろう。
「向こうから来てくれたようですわよ」
空からは次々に黄金の流星が降ってきて、蝕の濃霧が薄もやに変わって行くことで、あたりの様子が見えてきていた。
歩いて来た道で、荒れた大地だというのは理解できていたが、実際に目の当たりにするそこは、草木一本生えない荒野だった。
草木は蝕によって消滅した可能性があるが、蝕に浸蝕されきらずまだ残った大きな岩石がところどころ柱のようにそびえている。
薄暗かったのはそのせいか、と今さながら気がつき、エルヴィーは大地の震えるのをようやく感じた。
なにか、重い質量を伴ったものが歩いているような。
そうして、岩柱をなぎ倒すように現れたのは、巨大な堅牢な外観をしたドラゴンだった。
エルヴィーはその姿を何度か見たことがある。
だが、本来の大きさで実際に邂逅するのは初めてだ。
黄砂色の鱗に岩を削り取ったような強靱な四肢を持つ、堂々とした風格のあるその竜は記憶にある通り。
だが決定的に違うのは、全身から白く清冽な蝕の霧を吹き出していることだった。
「ヴァス……!?」
あまりの変容ぶりにエルヴィーが呆然と呼べば、ヴァスが鎌首をもたげてこちらを向く。
静かで理知的だった金の瞳は白く濁っており、無機質な敵意をはらんでいた。
悪寒を覚えた刹那、エルヴィーは空にいた。
眼下ではヴァスが大地を踏みしめ、強く翼をはばたたかせただけで、いくつもの岩柱をなぎ倒していた。
「エル殿、放つでござる!」
やっとエルヴィーは仙次郎にバックパックをごと引っ張られて助けてもらったのだと気づいたが、その言葉に反射的に背に背負っていた柄の長い魔術銃を構え、引き金を引いた。
銃口全面に円環の術式が展開し、弾丸に込められた術式が音速を超えて飛び出す。
空中で照準が合わせづらくとも、これだけ大きければ当て所には困らなかった。
射出した反動で、姿勢が崩れる。
自分の中から魔力がごっそり抜けていくのを感じたが、対ドラゴン用の特別製の弾丸が狙い違わず吸い込まれていった。
だが、黄砂色の鱗に当たる寸前、蝕の濃霧に飲み込まれて砂塵と化したのだ。
「なっ!」
エルヴィーが驚く間もなく、体勢が崩れて降下が始まる。
同時に眼下のドラゴンが、大きな翼を広げ、その外観からは想像もつかないほど素早く空へと迫ってきた。
蝕の霧ごとドラゴンが襲いかかってくる寸前、おびただしい数の鋭利に尖った氷の杭がドラゴンに襲いかかる。
霧によって杭の勢いは減衰したものの、ドラゴンの軌道はそれ、エルヴィーと仙次郎は地面に降り立つことができた。
すぐに顔を上げれば、氷の杭を放ったリグリラが空中にたたずんだまま、陶然と微笑むのが見える。
「ふん、正気を失っていてもなお、ドラゴンとしての性能は変わらず維持されていますのね。ついでにその蝕を引きはがさないと弾丸も届かない……最高ですわ」
エルヴィーはその嗜虐に満ちた笑みに、ぞっと背筋が泡立つのを感じた。
とたん、華奢な女性の身体が膨張する。
光が散ったあとに存在するのは、淡い金色を帯びた巨大な海月だ。
傘に虫のような翅が三対ついている姿は、異質でいながら美しい。
だが、このドラゴンと相対するには大きさとして見劣りしていることは否めない。
それでも、エルヴィーにすら、彼女の闘争心がまったく衰えていないことが分かった。
よろめいただけのドラゴンは、淀んだ瞳でリグリラを捉えたとたん、周辺の岩石を含んだ砂塵が暴風となって舞い上がる。
体が飛ばされそうな大砂荒らしにエルヴィーの視界が奪われかけ、慌てて用意していたゴーグルを付けていれば、熱をはらんだリグリラの声が響いた。
「坊や、弾はまだありますわね!」
「は、はいっ! あと3つです!」
通常の魔術師でも2つ放てば倒れる所を、魔術銃に慣れていた上、魔力の多いエルヴィーは倍放つことができた。だが、無駄にはできない。
「確実に仕留められる場を用意して差し上げますから、そこで仙次郎に守られていなさい!」
「はいっ」
仕留めてはいけないのだと言ったら殺されそうだったので、エルヴィーは必死に返事をする。
するとリグリラは赤の筋を仙次郎に向けた。
「仙次郎、邪魔したら殺しますわ」
「うむ」
その言葉を残し、触腕を揺らめかせる海月は、三対の羽を震わせて暴風の中へ突き進んで行った。
「センジローさんほっといていいんですか!?」
エルヴィーが反射的に仙次郎を見上げて問いかけたのだが、彼は一切不都合を覚えていないようだった。のどかに頭頂部の狼耳をひくつかせている。
「もとよりその約定でござるからな。少々うらやましいのは確かだが、リグリラ殿が楽しいのは良いことでござる」
あれがうらやましい!? とエルヴィーが絶句していると、仙次郎の姿が消えた。
次いですさまじい衝撃音と共に、エルヴィーに襲いかかろうとしていた蝕の魔物が吹き飛ばされていた。
槍の一振りで蝕の魔物を消滅させた仙次郎に、棒立ちになりかけたエルヴィーだったが、それを皮切りに薄もやが凝固し、次々と蝕の魔物が現れだした。
敵意は感じられず、ただ、異様な熱意を以てこちらに向かってくる様は不気味の一言に尽きる。
「エル殿、いつでも撃てるように準備をお願いするでござる。貴殿の安全はそれがしが守るゆえ」
これだけのおびただしい蝕の魔物を相手に、無茶だ、と言いかけたエルヴィーだったがその横顔をみて言葉を飲み込んだ。
腕を飾る刺青と、刻まれた文様が淡く発光する槍を構える仙次郎の横顔は、厳しく引き締められているものの、愉快げに口角が上がっていたのだ。
ちらりと腰を見れば、灰色の尻尾も泰然と揺らめいている。
この狼人の青年は、この状況に何ら困難を覚えていないのだ。
「こういった状況は、それがしにとってはまことに慣れた状況でな。守人というのは、何かを背に守るときこそ真価を発揮する。今回のエル殿は、機を待つことが役目にござる。なにがあろうとそれがしに命を預けてもらわねばならぬ」
できるか、と灰色の目線で問われて、エルヴィーはつばを飲み込んだ。
これだけのハンターに、これだけのことを言われるならば、駆け出しのエルヴィーに言えることは一つだ。
「まかせます」
リグリラも仙次郎も、魔術銃を撃てる魔力はあったものの、残念ながらまったく的に当たらなかった。
だから、最後の決定打を与えられるエルヴィーが居る。
自分に任されていることをやり遂げないことは、ハンターとしてあるまじきことだ。
再び魔術銃に弾を込め始めたエルヴィーに、仙次郎が無造作に口角を上げた。
「承った」
灰色の髪が揺らめいた瞬間、背中が消える。直ぐさま確実に第一級であろう蝕の魔物を屠って行く仙次郎に、エルヴィーは彼が高ランクのハンターであり……金砂色の髪の魔族のパートナーなのだと理解した。
お互いのお互いに対する実力の絶対的な信頼感はもとより、戦うことを是とする、根っからの武人気質を理解している。
だからこその、あえて手を出さないと言う選択が、何人たりとも割り込ませない、強い結びつきを感じさせたのだ。
ならばエルヴィーには何も言うことはできない。そして自分にできることをするだけだ。
仙次郎の走る音や、槍を振るう風切り音、蝕の魔物の気配を努めて無視し、エルヴィーは持ってきていた二脚を立て、腹ばいになって特製の銃を構える。
魔術で視力を強化すれば、遠くで巻き起こる暴風の中から聞こえるすさまじい爆発音や、時折光る派手な魔術反応光の中に、二つの影が交錯するのがここから見えた。
遠くへ届かせることに特化させた魔術銃は、反動も強く、両手で撃つことさえ難しい。
だから三点で固定できるように考えた。
エルヴィーは強化した視界に映る黄砂色のドラゴンに、先ほどの様子を思い出して、不安になる。
あのような状態から、正気に戻せるのか。自分の力で。そもそも弾は少ない。一発撃つごとにおびただしい魔力を消費するため、外してしまえばそれだけ消耗し次の照準も合わせづらくなる。
できるのか、自分に。
不安に支配され駆けたとき、黄金の魔力のぬくもりに包まれた。
《エル先輩なら、届きます》
亜麻色の髪の後輩が、脳裏に浮かんだ。心の奥が熱くなる。
「そうだよな。あいつが頑張ってるんだもんな」
そらしかけた眼差しを戻し、目まぐるしいドラゴンと魔族の攻防に目をこらし、引き金の側に指を置いた。
真名は、何度も練習した。今なら言える気がした。
「荒野に息吹きもたらし育む者」
荒野を恵みの大地にする、不器用で、頭が固くて、世話のかかる竜だった。
だが、
「友達だもんな。今度は、俺が助ける番だ」
視界を強化してもなお、麦粒のようにしか見えないドラゴンの動きが、わずかに鈍った。
気のせいだったかも知れない。
それでもエルヴィーは強く呼びかけながら、ひたすらその時が来ることを待つのだった。





