第19話 ドラゴンさん達の長い一日 はじまり
バターの焼ける匂いで、私の意識が浮上する。
窓の外は薄暗い。昨日から蝕が上空へも登り初めて、太陽を覆い隠してしまったからだ。
一日中ただ薄暗くて、昼か夜も分からないけど、私の体内時計はまだ夜明け前だと告げている。
連日の術式の調整で飛び回ったり、溢れるほど詰め込んだ知識でのせいで、頭はまだぼんやりしていた。
けれど今日が決行の日だと思い出した私は、慌てて起き上がると、匂いのする方向へ走る。
我が家の台所では、エプロンを身につけたネクターが朝ご飯の準備をしていた。
ランプに照らされるテーブルではフォークやスプーンを並べるアールの姿まであって、私は完全に乗り遅れたと知って申し訳なさで一杯になった。
「うわああごめんよ! 今回ばかりは朝ご飯一緒につくろうと思ってたのに」
「良いんですよ、ラーワ。私が好きでやっていることなのですから」
「かあさま術式の設置で飛び回って、すっごく疲れていたでしょ」
何でもないように言う二人だったけど、ネクターだってアールでさえ、今回の作戦には欠かせない人員な訳で、山のような仕事に追われて疲れているはずなのだ。
私が承服しかねているのに気づいたのか、ネクターが朗らかに言う。
「いつもの日らしくて良いじゃありませんか。さあできましたよ、いただきましょう」
確かに知行地から帰ってくるとネクターとアールでご飯を用意してくれてるよなあ。
準備する間は、顔を合わせられない日ばかりだったけど、絶対おうちでいつも通り過ごす時間を作ろうって言い合っていた。
それが決行当日の朝になるとは思わなかったけど、かえって良かったのかも知れない。
ネクターが並べてくれたオムレツに使っている卵や、ベーコンに緑の野菜。
それらは、ご近所さんや、ネクターの薬屋の常連さんが分けてくれたものだという。
ご近所さん達は、もう私とネクターの正体を知っている。
けど、あらそうなの?的な感じで受け入れてくれて、そんな気軽なの!?と拍子抜けしたものだった。
すでにバロウ国から一斉に通達があって、これからどんなことをするかというのは周知されていて、その上で、みんな日常を送っている。強いと思う。
他愛ない話をしてネクターのオムレツは今日も絶品で。
私が洗い物を買って出て綺麗に洗ったら、アールが拭いてくれて、ネクターが片付けた。
手伝われちゃ意味ないよ、と笑いつつ、身支度を調えたら、玄関のベルが鳴る。
私がドアを開けに行けば、そこに立っていたのは、エルヴィーとマルカちゃん、そしてリグリラと仙次郎だ。
エルヴィーはハンターとして活動する動きやすい服装に、腰にはいつもの魔術銃を下げている。
背中にはバックパックのほかに、杖にも似た長い柄をしたライフル銃を括り付けたストラップをひっかけていた。
仙次郎も、東和の戦装束に身を包み、真新しい穂先の槍を携えていた。
カイルとベルガは、三体のうち一体のドラゴンを抑えるために、すでに一番近い集落へ出立している。
すでにヒベルニアのシグノス平原にまで濃霧の壁は到達しようとしていたから、本当にぎりぎりの所で間に合った。
リグリラと仙次郎、そしてエルヴィーはヴァス先輩を取り戻すために行くことになっている。
それぞれが、それぞれのやることをしにゆくのだ。
美琴とエルヴィー達はマルカちゃんの見送りに来たのだった。
「なあ、本当に行くのか、マルカ」
「いく」
エルヴィーが思いとどまるようにと言うニュアンスを込めて心配そうに聞くのに、マルカちゃんは不安そうでも断固とした顔で告げた。
「わたしは、ヴァスのためにもみんなのためにも何にもできないけど、頑張りに行くアールを応援することはできるもん」
「マルカ……」
マルカちゃんの背中に背負われたリュックに収まっているのは、昏睡状態に陥っているヴァス先輩の分身だった。
それを大事そうに抱えていたマルカちゃんに、あとから来たアールが涙ぐみながら近づいていく。
マルカちゃんは、そんなアールの手を両手で握った。
「ぜったい、一緒に居るから。最後まで見てるから。頑張ろうっアール」
「うん、ありがとうマルカ」
心の底から勇気づけられた風で、アールはマルカの手を握り返した。
それで、あきらめさせることを断念したんだろう、悄然とするエルヴィーに、アールが視線を向けた。
「エル先輩、ヴァスをお願いします」
「ああ、絶対、起こしてやるから、そっちも頼むな」
「はいっ」
アールとエルヴィーに、マルカちゃんが励ましあうなか、今日のネクターはさすがにおとなしい。
とはいえエルヴィー達の出発の挨拶はそれで終わりだった。
だってまた明日、会えるんだからね。
マルカから距離を置いたエルヴィーは、腰から下げた自分の魔術銃と、もう片方の専用の魔術銃を確かめながら、表情を引き締めて背後のリグリラと仙次郎を振り返った。
「じゃあ、よろしくお願いします。リリィさん仙次郎さん」
頭を下げるエルヴィーに、リグリラが咎めるように眉を上げた。
「あなたの面倒を見る気はありませんのよ。わたくしは、わたくしの望むことを成すだけ。友達を救いたいとおっしゃるのでしたら、勝手におやりなさい」
「つまり、えるびー殿を子供扱いはせぬ。お互いの目標を達成するために共闘するでござる、とリグリラ殿は言いたいのでござる。むろんそれがしもだ」
そんな風に言われて、はじめ戸惑った風になっていたエルヴィーだったけど、仙次郎にそう付け足されて、頬を紅潮させた。
「あなた方の足だけは引っ張りません」
けれどそれも一瞬で、表情を引き締めるエルヴィーの横顔は、いっぱしのハンターだった。
男の子はすぐ、成長しちゃうんだなあ。
そんなことを思いつつ、私は、こんなときでも華やかな服を身に纏うリグリラに視線を向けた。
リグリラにとっては、これが戦闘服なのだろう。
「リグリラ。仙さん。そっちは頼むね」
「任された。ラーワ殿も、ネクター殿もお気を付けて」
「こんな面白いこと、滅多にありませんもの。ちゃんと首級は」
「あげちゃだめだよ?」
「わかってますわ。……ついでに。心配はしてませんのよ」
むうと、ふくれるリグリラが最後にぼそりと呟いた言葉に、ほっこりあたたかくなった。
あいかわらずわかりやすいほどひねくれた物言いだ。
「大丈夫だよ。リグリラの東和と折衷な服、楽しみにしてるから」
「わたくしだって、異なる世界の服飾文化を教えていただきたいんですの! だから絶対帰ってきなさいましっ」
もしかして、私が思っている以上に心配してくれてるのかなあ。
なんだか嬉しくなったから、紫色の瞳を切なげにゆがめるリグリラに、晴れ晴れと笑って見せた。
「わかったよ、帰ってきたらベルガと交えてお茶会しようね」
「あ、いいなー。ぼくも混ぜてっ。マルカも一緒に!」
「うんっおいしいお菓子食べたい、ですっ」
そんな和気藹々とした約束をしていると、あたりにサイレンが鳴り響く。
不安を呼び起こすようなそれは、普段は魔物の出現を告げるものらしいけど、今回は違う。
「予想より数時間早いですね」
ネクターが厳しく表情を引き締めれば、リグリラはにんやりと口角を上げて笑った。
「では、参りますわよ」
「うむ」
「はいっ」
さっとスカートの裾を翻して、駆けて行くリグリラに仙次郎とエルヴィーが続く。
「じゃあ、マルカ、行こう」
「うん」
しっかり手をつなぐ二人と共に、私たちは転移室へ移動した。
そこから飛ぶのは、おじいちゃんの木……精霊樹の根元だ。
ヴィシャナ山脈周辺は私の生まれた場所だから、この周辺と湖畔の家はまだ蝕に呑まれずにすんでいた。
精霊樹の根元は初夏に来たときとは様子を一変して、幹から根元までびっしりと色とりどりの染料で描かれた魔法式で埋め尽くされていた。
隅っこで疲れたように座り込んでいるパレットが施したもので、めまいがしそうなほど精緻に術式が書き込まれた根っこに等間隔に座っているのは、エルフたちだ。
彼らはそれぞれの手に様々な楽器を握っていて、最後までリュートが彼らに指示を出している。
そんな中、私に気づいたエルフ代表のアイーハナさんがひらひらと手を振ってくれた。
少し意識の手を広げてみれば、薄もやの中で守人や巫女が魔力を振るっているのがわかる。
すぐに精霊樹の幹から現れたのはおじいちゃんだった。
「未明から蝕の魔物が活発に動き出しおった。すでに守り手達が交戦しておるが、すぐに始めたほうが良い」
アイーハナさんが呼応するように言う。
「こちらはすでに準備はできていますよー」
緊張にこくりと喉を鳴らすアールの前に腰をかがめると、私はそっと抱きしめた。
ここ最近、アールの身長が少し伸びた。もう腰をかがめるだけで腕が回せる。
そんな私ごとネクターが包み込んでくれた。
「いってらっしゃい、アール」
がんばれ、の代わりのように言えば、反射的に腕を背中に回したアールが、お腹のあたりで頷くのが分かる。
そうして、前よりも少し顔が近いアールが意志の強い黄金の瞳で見上げてきた。
「とうさまもかあさまも、いってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
「またあとでね」
離れたアールはマルカに見送られながら、おじいちゃんにつれられて精霊樹へ向かっていった。
マルカちゃんはヴァスが少しでも早く目覚めるようにと、アールの影響が一番強い場所に居るのと、なによりアールを応援したいという強い望みから、この場にきていた。
術式が始まる前から、蝕の魔物が出現するここでは、連日連夜、派遣されてきた魔術師や守人、巫女が魔物退治に追われている。
そう言う人たちの休憩の場として、炊き出しや、治療所が設置されていて、マルカちゃんはそこの手伝いとして働くのだ。
魔力抵抗値も高いから、大規模術式が発動されている中でも大丈夫だろうと思っていたけど、お母さんもセラムももの凄い決断だっただろうな、と感じる。
初めてエルヴィーとマルカちゃんのお母さんに会ったけど、すごいパワフルな人だった。
居ても居なくても変わらないと、マルカに突きつけて、でも自分とアールのために最期まで見届けたいのだと言ったマルカちゃんを尊重して送り出した。
すごい、と思うだけだったけど、今ならお母さんの心中がよく分かる。だってこんなにも心配だ。
「おじいちゃんっまたあとでね!」
やっぱり不安で、私がおじいちゃんにそう声をかければおじいちゃんは困ったように苦笑して、手を振ってくれた。
そして、アールに声をかける。
「でははじめようかの」
頷いたアールの姿が光に包まれ、大きく変化する。
亜麻色のともすれば金色に見えるような美しい鱗、細く優美な首に、頭には炎のようなたてがみが生え、長い尻尾を従える、一頭の立派なドラゴンだ。
エルフ達がそれぞれの楽器を構えた。
そして、最初の一音があたりに響いた。
弦楽器、打楽器、笛、鈴。様々な音が収束し、拡散し、美しい音楽を奏で始める。
呼応するように、魔力が増幅し、根から幹から流れるように活性化していく。
これが、エルフの技術だった。あたり一帯の空間を支配して、魔力を最適な状態に保つのだ。
この技術は、古くからエルフに伝わってきたもので、本来は舞台の場を温めるためだとか、ほんの少し気を引かせる程度のものなのだが、術式の一部として組み込むことで普段の何倍もの効力を持たせている。
精霊樹が脈動するように発光し始めた。
それは約4500年間おじいちゃんが精霊樹に蓄え続けた魔力だった。
私を召喚するときに大半を使ったと言っていたのに、まだこれほどあったのか、と驚くような魔力に、エルフ達が額に汗をにじませる。
けれど、奏でる音楽は一切乱れさせず、増幅し続けていた。
膨大な、ともすれば暴発しかねないほどふくれあがる魔力を、木精のおじいちゃんが制御する。
さらに練り上げ、研ぎ澄ませて、完璧な形で精霊樹に書き込まれた術式へと注ぎ込んでいく。
その中心にいるのは、アールだった。
薄汗をにじませなら、練り上げ、精錬し。
精霊樹が燃えるような明るさに包まれた瞬間、おじいちゃんがアールに叫んだ。
「ゆけ!」
アールが即座にドラゴンの翼を羽ばたいて、精霊樹にそって上昇していく。
アップテンポで、明るくて昂揚させるのに、不思議とさわやかな音楽の中、アールが起動の歌を唄うのが聞こえた。
『悲しみは晦冥の底。知らぬものは多く
さりとて哀愁の雫を払い、寄り添う友あり
神の眠りに 微睡みし同胞よ
我は夜を彩る炎の華
我望むは 汝の目覚め 我授けるは 流星の希望』
あたたかく染み渡るような詠唱と共に、限界まで高められた魔力が上空のアールへ集まっていく。
そしてアールは、優しく柔らかく呼びかけた。
「さあみんな起きて。朝だよ」
刹那、精霊樹からアールへ収束した魔力が、花火のように爆発した。
魔力が、空を埋め尽くすように広がり、重く覆っていた白い濃霧を吹き飛ばし、暁と黄昏が交わる藍色の空が現れる。
その空を、アールの魔力を帯びて黄金色に変わったおびただしい光の粒が、世界中へ向けて流れていった。
透き通るような藍色に、太陽のような星々が輝いて流れていく様は真昼の夜空、と称したくなる幻想さに満ちていた。
光の尾を引きながら星のように流れて行くそれは、バロウやヘザット、東和はもちろん、各地へとたどり着くだろう。
星は無数に森へいる守人や魔族に落ちていき、私たちにも、繊細な音を立てながら小さなまぶしい光の粒が降りてきた。
とたん、アールのあたたかいはつらつとした魔力が身体に広がり、心地よさで満たされる。
マルカちゃんが淡い光に包まれて、幸せそうにほうっと息をついた。
「あったかい……アールの優しい気持ちね」
このアールの魔力の宿った星の力を受け止めた人たちは、アールとゆるいつながりが生まれている。神降ろしの広範囲バージョンだった。
けれど、分け与える魔力をアールだけでまかないきることはできない。
だから、世界中に届けるために、精霊樹の膨大な魔力をありったけ増幅して、アールを通すことで広げているのだ。
蝕に対抗力のあるアールによって、流星を受け入れた人々や土地は、蝕に呑まれず、打ち払い対抗できるようになっている。
「ああもう、アールってば、私たちにも落とさなくったって良いのに」
《かあさま達にがんばれーって応援したいんだもの!》
けど、今活動している人々と土地だけでも、数え切れないほど多くの人々が対象だ。
一人増えるだけで、それだけ負担が大きくなるんだから、除外して良いよと言っていたのに、間髪入れずアールのそんな声が響いてきて、苦笑してしまう。
ふんす、としたアールは、続けて、次々に星が降る中に響かせた。
《皆さんを、ぼくたちが守ります。どうか、大好きなこの場所を守ってください》
願いに応えるように、アールによってつながったネットワークの奥から、多くの人種や年齢や性別の違う人々が応じる声が聞こえた。
少し探れば、知り合いの声を感じ取ることができる。
一つの目的のために、それぞれのできることをしようとしているのだ。
「想定よりも大量の魔力を消費しておる。急ぐが良い」
おじいちゃんの厳しい声にはっとする。
アールの負担が最小限になるように、おじいちゃんは精霊樹を巨大な杖に見立てて調整しようとしているのだ。
早くも劣化し始めている術式陣を、パレットが書き直すのが見えた。
エルフ達も交代とはいえ、演奏し続ける。アールだって、ずうっと拡散させ続けることはできない。長くて一日、早くて半日。
ここからは時間との勝負だ。
帽子を押さえながら、リュートが此方に現れると、転移陣を創り上げた。
「じゃあ、死ぬ気でやれよ。黒竜」
転移の光に包まれながら、ネクターは薄青の瞳で私を見つめた。
「行きましょう。ラーワ」
「うん。行こう」
ネクターに伸ばされた手を、私はそっと握って転移して。
そして私たちの、世界で一番長い一日が始まったのだ。





