第16話 ドラゴンさんはあきらめない
《すまなんだ》
すぐさま転移室にとって返して思念話をつなげば、おじいちゃんは聞いたことのないほど深い悔恨と苦悩の声音で謝ってきた。
《わしが読み違えておった。まさかこうも早く、深く、神がアドヴェルサへ干渉し終えるとは思っておらなんだ》
その思念の深刻さと言葉で、私はネクターの推察が正しいことを知った。
《そちらの詳しい状況を教えていただけませんか》
ネクターの問いかけに、おじいちゃんは私に思念を向けた。
《黒竜や、レイラインを探ってみい》
言われたとおり、私は魔力の手を伸ばして周辺のレイラインを探ってみる。
よく使うレイラインはちょっと魔力は少なめだけど問題なし。シグノス平原は相変わらず魔力が多い。
バロウ国はそんなに変わらないけど一体……え。
「レイラインが消えてる!?」
バロウ国の外にまで意識を伸ばしたところで思わず声に出してしまえば、同じようにやっていたらしいアールとネクターも驚きに愕然としていた。
私と同じように、あるはずのレイラインが一切感じられなかったからだろう。
バロウとその周辺以外の土地がまるで消失してしまったように、あるはずの流れがなくなっていた。
その思念が向こうにもつながったのだろう、おじいちゃんが静かにうなずく気配がした。
《やはりな。わしも東和国の一部はもちろん、海域が消失したことを認知した。晦冥の封印があった深海の異界を中心としてじゃ。おそらく、アドヴェルサが飲まれた時点で、ドラゴンネットワークを経由し、要の竜はすべて機能を停止しておる》
ヴァス先輩と連絡が取れなかったのはそのせいか、と納得したけれど。
ドラゴンが全機能を停止するということは、レイラインと魔力循環が放置されるということだ。まずい以外の何物でもない。
消失したレイラインにつながっていたレイラインから魔力があふれ出し、魔物がどんどん生じる。そこから無事なはずのレイラインもダメージを受け悪循環に陥るのが容易に想像できた。
《これより神は、アドヴェルサの封じている蝕を解放し5000年前の業を再開するじゃろう。世界の理に干渉するには、この世界の者でなければならぬ誓約がある。とは言え、この広がり方から見るに、要の竜が蝕への経由地点とされておる。すべてが飲まれるのも時間の問題じゃ》
《具体的に、何が起きるのですか》
《生物が死出の眠りにつく。咲間村とやらで起きた現象の強力なものじゃ。当時、肉の器を持たぬ魔族や精霊は真っ先に眠った。蝕に触れずとも、蝕に囲まれれば都市などひとたまりも無かった。当時はわしとアドヴェルサと神々を拒否した原初に近い竜達のみが残ったものじゃ。第二に、蝕に呑まれた土地がレイラインごと無かったことになる》
《どういう意味?》
《文字通りじゃ、三つの都市があったとして、その真中の都市が蝕に呑まれる。するとはしの二つが隣り合ってしまうのじゃ。空間ごとなくなっての》
距離がかなり離れているはずのおじいちゃんとこうも簡単に思念話がつなげたのは、それが理由なのだろう。
さっきおじいちゃんは海が消失していると言っていたから、なくなった海分、距離が近くなっているのだ。
それは、つまり。そこにいた生物も植物も物質も消えてなくなってしまうと言うことで。
数時間前に送り出したカイルは、今どこに居るのだろう。
順調に空間転移を使っていれば、西大陸につくかつかないかという所だ。
「……っ」
連絡係だからと同じ話を聞いていたベルガが、青ざめて立ち尽くしていた。
あきらめたようなおじいちゃんは、吐き捨てるように告げた。
《おおかた、慈悲のつもりなのじゃろう。眠らせることで痛みの無いように苦しまぬよう、無かったことにすることで、影響を最小限に。ありがた迷惑も良いところじゃ。じゃが仕方ない。あやつらは別の次元の存在じゃ。わしも同じものだったでようわかる》
《あり方が違いすぎる、と言うことですか》
《その通りじゃの。個は全であり全は個じゃ。終わりというものを実感できぬ。ゆえに何かを大事にするというのが分からぬ。小さな一つ一つにそれぞれの想いがあるのも分からぬ。そもそも時の概念すら違うでな。神の分体であるわしとて、肉の殻を得て、人として暮らさねば分からなかった。それをあやつらに理解せよ、というのはどだい無理な話じゃの》
話の端々からのぞく、異質なあり方に、私は胸のそこが冷えた気がした。
ネクターも厳しく顔を引き締めている。アールも硬い顔で目をつむっている。
《話がそれたが、こうなれば、蝕に呑まれぬ土地が残っている間にアドヴェルサを倒して、神の干渉を断ち切り、蝕を再封印せねばならぬ。再びの神の干渉という万が一のことを考えれば、わしが行くのが一番じゃろう》
おじいちゃんのあっさりとした言葉に、私は黙り込んだ。
私が横やりを入れなかったらやろうとしていたことなのだから、覚悟は当に決めていただろう。
ドラゴンの助けは望めない。どんどん広がっていく蝕の海、遠からず飲まれる。
明確に突きつけられた、世界の終焉。
追い求めようとした直後に道を阻むように、あるいはだめだと突きつけるような絶望が立ちはだかるのに、ほんの数時間前まであった希望が潰えそうだった。
リュートにだって約束したばかりだったのに、アドヴェルサを消滅させて、おじいちゃんを人柱にして、世界はぼろぼろになって。
……本当に? 本当にそれしかない?
《……えるせんぱい? まるか?》
どろりとしたあきらめが忍び寄る中、幼さの残る思念が響いた。
振り返れば、不思議そうな顔で呆然と立ち尽くしていたアールが、即座に身を翻した。
おじいちゃんとの会話に夢中になっていたから、私は気付かなかったけど、今の今までアールは魔力の糸を伸ばしたみたいだ。
急に転移室を飛び出していったアールに戸惑った私たちだけど、玄関の来客ベルが鳴るのを聞いてアールに続いた。
私が追いついたのは、アールが玄関扉を開けるところで。
そこに立っていたのは、私服のエルヴィーとマルカちゃんだった。
「アール、帰ってきて……うお!?」
「エル先輩っ! マルカっ! 無事で良かったのですっ」
エルヴィーはまさか、いるとは思ってもみなかったという感じで、呆然としていたけど、飛びついてきたアールをよろけながらも受け止めた。
そのそばには感極まったように涙ぐむマルカちゃんもいて、アールに抱きついていた。
「アール会えて良かったようっ」
「心配かけてごめんねマルカ」
アールも涙ぐみながらマルカの手を握った。
そんな二人の頭をエルヴィーがなだめるように撫でてやっている。
カイルからはある程度事情を打ち明けていたとは聞いていたけど、突然いなくなった友達がなんの前触れもなく帰ってきたのだ。驚きもするし、ほっとするだろう。
……私の後ろで若干めらっと燃える何かがいるのはさておいて。
二人とも、元気そうで、蝕の影響なんてなんにもなさそうだった。
そう、本当に普通だったのだ。
ネクターの視線に気付いたのかいないのか、ぞわぞわっと背筋を振るわせたエルヴィーは勢い込んでアールにまくし立てた。
「と言うかお前がいないうちにやばいことになってんだよ。ヴァスが全然起きなくなったと思ったら、バロウ国の周りが分厚い白い霧に覆われて、外の国と連絡が取れないんだ! 数日前から、王都もヒベルニアも調査と対策で大騒ぎなんだよ」
時間の感覚が日にち単位でずれていることや、先輩が昏睡状態に陥っていることとか聞き捨てならないことがてんこ盛りだったけどなにより!
「エル君、バロウの人はみんな起きてるのかい?」
エルヴィーの話に割り込めば、エルヴィーはようやっと私に気付いた様子で顔を赤らめつつも、質問の意図が分からない様子だ。
「え、その。国境から白い霧は入ってこないんらしいんですけど、白い霧の中に入っていった人が帰らなかったとは聞きます。あとは薄もやが日中も立ちこめるようになって気持ち悪かったり、その頃から外国の人が眠ったまま目覚めなくなくてヒベルニアの病院が一杯になってたりはありますけど、町の人は元気ですよ。あと噂ですけど、ヘザットの王城とは連絡が取れたらしくて、そっちとメーリアスって街は生きてるらしいです」
聞き覚えのありすぎる都市の名前に、私とネクターは顔を見合わせた。
「バロウのほかにも、まだ都市機能を維持しているところがあるのですね」
ネクターの怖いくらいの念押しに、エルヴィーはおびえながらもうなずいて続けた。
「じいちゃんから言われてて、ラーワさんがいるのは俺たちしか知らないから、一刻も早く聞けるように家を訪ねてくれって。……俺も心配だったから」
「ラーワさん、ネクターさん何が起こってるの?」
エルヴィーとマルカの不安そうな問いかけに応えてやりたかったけど、私はエルヴィー達の脇をすり抜けて外に出てた。
確かに、わずかにだけど、清冽で異質な蝕の薄もやが立ちこめている。
けれど、少ないながらも道には普通に町の人が歩いている、のどかな日常が広がっていた。
一体全体どういうことだ。
薄もやがあるのにみんな普通に歩いているなんて、咲間村の時の咲間さんと榛名さんみたいな……え、まさか。まさか!?
にわかに信じがたい気持ちで、となりに立ったネクターを見れば、薄青の瞳に灯っていたのは希望の光だった。
そう、新しい魔術を閃いた時みたいな高揚感の伴う表情だ。
「エルくん、マルカさん。よくぞ今訪ねてきてくださいました。あとで聞きたいことが山ほどありますので勝手にお茶でも飲んでてください!」
「えっ、ネクターさん!?」
即座に身を翻したネクターを私も追えば、向かったのは転移室だ。
ネクターはもどかしげ簡易転移陣を起動させ、ふたたびおじいちゃんと思念話をつなげた瞬間まくし立てた。
《フィセル、東和の多くが蝕に呑まれたっておっしゃっていましたが、もしや、お城のある華陽や、私たちが世話になってた分社など、ラーワが訪ねたことがある土地が残っているのではありませんか》
おじいちゃんは少しの沈黙のあと、にわかに信じられない様子で返事が返ってきた。
《……さらに黒竜とアール坊が調整したレイラインを持つ土地も無事なようじゃ》
《こちらは、バロウ国全域が、さらには以前に騒ぎがあったヘザット国の一部も平常通りの生活が送れているそうです。ほかにも現存している土地があります。つまりラーワの耐性はこの状態でも有効です!》
そうなのだ、私は、東和に蔓延した眠り病……死出の眠りを私の魔力を振りまくことで目覚めさせた。
あのときは理由が分からなかったけど、私の影響によって何らかの変化があったのなら。
《おそらく、ラーワが異界から来訪した魂であること。そしてフィセルによって血肉を与えられたこの世界の竜である彼女の影響で当時と世界を変質……いえ、進化させているのではないでしょうか。同じくアールもその変化の一つなのです》
《……確かに説明はつこう。じゃがなおのこと残酷だ。死出の眠りは防げども、蝕の濃霧に呑まれれば消滅する》
《強化すれば良いのです、この世界全体を! 東和国の神懸かりの術式でラーワの存在と今現在残っている土地を感応させれば、影響は行き届き、濃霧でも呑まれなくなるはずです!》
確信のこめて言い切ったネクターに、おじいちゃんが絶句するのを感じた。
ネクターの横顔に迷いはない。頬を紅潮させ、薄青の瞳を爛々と輝かせるその表情は、術式について、すでにとっかかりも見つけている証で、何より私が一番好きな表情だった。
ネクターがあきらめてないんだから、私があきらめるのはまだはやい。
私が言い出したことなんだから考えるんだ。
目まぐるしく思考を回転させ始めた私だったのだが、きりっと格好良かったネクターの思念が一気に動揺にくずれた。
《や、やっぱりなしです! これだと、ラーワがみんなのラーワになってしまいます! そのようなこと私は堪えられるか分かりません!》
《ネクター世界の危機なんだから、それで救われるんだったら私何でもするよ!?》
《うう、これが一番確実に世界を存続させられる手ですしこれしか思いつかないんですけど。待ってください、もうちょっと考えたら良い案が生まれるかもしれません》
めちゃくちゃ画期的な発想なのになんで捨てようとするかな!?
自分で思いついておきながら渋るって、私でもさすがに呆れるぞ?
話が進まないのでネクターに思いとどまらせようとしたら、おじいちゃんの硬質な思念が響いた。
《じゃが、世界規模となるとひな形はあろうと術式を一からくみ上げるに等しい。準備にもおびただしい時間と人員がかかるぞ。間に合うかの》
《それは大丈夫だ。当てはある》
《今の術者はなかなか粒ぞろいですよ。彼らをフルに働かせれば、術式も編み上げられるはずです。一番の問題は、そのあとですね》
《こ、根本を断つことだね》
ネクターの思念から漂ってきた修羅場にはちょっと怯みかけたが、私だってきっちりやらなきゃ。
《一つ思いついたことがある。できるかはおじいちゃんの意見を聞かないといけないし、やっても良いかは、ネクターに聞きたい》
相談するって決めたからね。
片眉を上げるような気配のおじいちゃんと不安げなネクターに、現実で息を吸って吐いて、言った。
《こうなったらもう、神様に直談判するのが良いと思うんだよ》
《おぬし、なんと……うぬ!?》
案の定おじいちゃんの愕然と驚く思念が伝わってきたのだが、途中で別の思念が混じってきた。
《ラーワ! この濃霧は蝕でしょう、ずるいですわっ。わたくしを置いて一体なにをしていらっしゃいますの!?》
《リグリラ!?》
思いっきりご立腹な様子のリグリラに続けて、また思念話がつながれようとする気配を感じた。
《……おい聞こえるか、お前たち生きてるか!?》
《カイルっ。それは私たちの台詞ですよっ!》
ついさっきまで生存が危ぶまれていたカイルだった。
若干よれた様子の彼の思念だったが、それでも元気そうで一気に安堵する。
《大陸にたどり着いた瞬間、あの濃霧に追い立てられたが、バロウにはたどり着いたぞ。イーシャに連絡を取ろうとしているところだ。この蝕は今までのとは違うようだが、この間の結界式で防げるのは確認した。特別な防備をしなくとも、薄もや程度なら影響はない》
非常事態にもかかわらず抜かりのなさ過ぎるカイルに、私たちが唖然としていれば、彼は肩をすくめるような思念を向けてきた。
《何かするんだろ。サポートはきっちりしてやるから、そっちの状況を教えろ》
《仙次郎もできることがあれば、いつでもかり出して欲しいと言ってますわ。……まさか、わたくしをのけ者にするつもりだったとか、言いませんわよね?》
私は思わず笑ってしまった。
お願いする前から、こうして助けの手を伸ばしてくれることが嬉しくて。
リグリラのじろりとにらまれるような念押しの思念に、私は気楽に応じた。
《まさか。のけ者にするどころか、君たちにも大いに手伝ってもらわなきゃいけないんだ》
《でしたら重畳。できるだけ暴れられるところでお願いしますの》
《ぼくも手伝うからねっ!》
さらに居間から思念が飛んできて、私とネクターは苦笑いだ。
アールってば盗み聞きしていたな。
息をついた私の脳裏には、きっと協力してくれるだろう人たちの顔が浮かぶ。
ぼっち万歳種族のドラゴンで、実際私もずうっとぼっちだったはずなのに、こんなに沢山の人と知り合えた。
大事な人との永遠の別れになろうとしてる。沢山思い出がある世界が崩壊しようとしている。
世界の危機は変わらないし、細い細い希望が見えていると言っても、問題も山積みだ。
けど、なんとかなる気がしてしまうのだ。それは、支えてくれる人たちが、そして何より大事な人が居るからだろう。
私はとなりの大事な人の手を握ると、にやりと唇の端をあげて見せた。
《じゃあ、ちょっと世界を救おうか!》





