第13話 ドラゴンさんと精霊の館
早朝、私はカイルに協力を求めに行った。
漠然とした話だけにもかかわらず、カイルは気にした風もなく快諾してくれたのがすごく嬉しかったんだけど。
話が聞こえてきたらしいベルガがいきなり現れて、リュートの本拠地である屋敷にまで案内してくれると言い出したのだ。
カイル共々驚いた私だったが、ベルガは意外にも平静だった。
「私は鍵を開けて招くだけ。リュートはずっとずっと願っていた。けどどうしても届かなくてずっとずっと悩んでた。あなたが、そのきっかけになってくれるのなら良い」
そう、言い切ったベルガは、そっとカイルを見やった。
「役に立つか」
「十分すぎる。ありがとうなベルガ」
カイルが声をかければ、ベルガは耳を赤くしてそっぽを向く。
そのやりとりがなんだか昔の二人を思い起こさせて、私は不思議な気分になった。
ベルガの魂にかけられた呪いは、とても深い物だった。呪った本人にもほどけるかどうか分からないくらい。
なのにこうして見るベルガは、バロウの王都で一緒に遊んだ頃とそう変わらないように思えた。
いつかまた名前で呼んでくれる日が来かもしれないと思えて、嬉しくなるのだ。
まあともあれ、これでリュートの元へ行く手立てができた、と私は早速ネクターに報告し、ベルガが連れて行ってくれると言うので、早々と支度を調える。
けれど分社を離れるのであれば、アールに話さないわけにはいかないわけで。
現在私とネクターは、仁王立ちでにっこり笑顔なアールの前で、神妙に正座をしていた。
素敵に完璧な笑顔とは裏腹に黄金の瞳は怒りに燃えさかっている。亜麻色の髪に入っている赤色が、炎のように揺らいでいた。
うわあ、やっぱり怒り方がネクターにそっくりだよう……。
そりゃあ、これから忙しく動くのなら、アールにはちゃんと話さなきゃいけないとは思っていた。
けど、まさかおじいちゃんが封印の要になろうとしていたなんて、とてもじゃないけど言えない。
どうしたものかと悩んでいるうちに、ネクターに話しに行った時点でアールに気付かれてこのにっこり笑顔で迫られてしまい、なし崩し的に吐かされたのだった。
おじいちゃんが一人でいなくなろうとしていたことに、さすがにショックを受けていた様子のアールに私は話したことを後悔する。
けれども、泣きそうな顔になりながらも、アールの金の瞳からは強さが失われなかった。
つまり、全力お怒りモード継続中である。
「とうさま、かあさま。またぼくをのけものにしようとしたね」
「そ、そんなことはないんだよ?」
「そうですとも。ただアールに話すにはちょっと……」
「ぼくも連れて行って」
言い訳めいた言葉は、アールの主張にかき消された。
「アール!?」
「リュートさんの所に行って、リュートさんの大事なヒトを助けるための方法を考えるんでしょ。ならぼくも手伝いたい」
「だめです。リュートの下へ行くのは話し合うためですが、相手は私たちに敵意を持っています。何が起こるか分からない中で、あなたを守る余力はありませんし、あなたを連れて行く必然性がありません」
そこだけはきっぱりと否定をしたネクターの懸念は分かってる。
リュートは代わりになれる竜を探していた。なら、私がだめならアールを狙うんじゃないかと考えているんだ。とても低いけどあり得るかもしれない可能性をつぶしたいのだろう。
ネクターの厳しい言葉に、アールはぐっと怯んだ顔をするけれど、視線はそらさなかった。
「リュートさんが歌ってくれた歌がア……原初の竜さんのことなんだって分かったの。とても綺麗な歌だったけど、とっても悲しくて。ぼくはただ泣いてるだけだった」
大社の中で、アールがリュートに会ったことは本人と美琴から聞いていた。
けれども、歌を聴かせてもらうほど深い交流があったなんて思わず、私はただ必死なアールを見上げた。
「けど今ならリュートさんに言える。ううん言わなきゃいけないことがあるんだ。リュートさんは半分精霊のぼくには甘いみたいだから、そんなに積極的には狙ってこないよ。そうじゃなくても、ぼくはぼくを守るから」
「ですが……」
「ぼくはリュートさんと友達になりたいんだ」
お願いします、と頭を下げてきたアールに、私は沈黙した。
ここで怒鳴ってわがままを言うんじゃないとしかるのは簡単だ。
まだ幼いアールを連れて行くなんて、危険なことなんだから。
「わかった。つれていく」
「かあさまっ」
「ラーワッ!?」
ぱあっと表情を輝かせるアールと、驚愕に顔色を無くすネクターの視線を私は受け止めた。
これが吉と出るか凶と出るかは分からない。
けど、その人に寄り添いたいと願うアールの気持ちを、手を伸ばそうという気持ちを、無碍にしたくなかった。
だってアールの誰かとつながりたいと言う気持ちは、私がずっと大事にして来たことで。それを否定したら、私でなくなってしまうからだ。
だから、若干の非難が混じるネクターに私は少し表情を緩めて見せた。
「あのね、私たちにとってはリュートはまだ敵でも、アールには友達になりたいヒトなんだ。そう思ったアールの目を信じたい」
「ですが……」
「それにね、私たちだってリュート達に喧嘩を売りに行くわけじゃないんだ。それなら順序が違うけど、アールがお世話になりましたって言いに行こうよ」
ぐっと言葉を飲むネクターから、今度はアールへと視線を移した。
金の瞳と合ったとたん、アールの表情が引き締まる。それだけ、私が真剣なのだと分かったのだろう。
「リュートが何をしてきたか、聞いていたね」
「うん」
「何が起こるか分からない。もしかしたらリュートは君をひどく傷つける言葉を言うかもしれない。何より物理的にも傷つけようとするかもしれない。私たちも守ってあげられないかもしれない」
「……うん」
「私とネクターは、自分が傷つく以上にアールが傷つくのが嫌なんだ。だからもし、私たちに何があっても、自分の身を守ると誓えるかい」
その問いに、アールは目を見開いたけれど、ぐっと息をつめてうなずいた。
「ぼくは、ぼくのために。そしてかあさまととうさまのために、身を守ることを誓います」
厳かに宣言したアールは、もう守られるだけの子供じゃないことを、自分の意志で考えて行動できるのだと感じさせて。
そうして、アールも同行することになったのだ。
「……ねえ、本当に行って大丈夫なの」
集合場所だった分社の広場で、ベルガが珍妙な顔をしていた。
その麦穂色の視線の先には、ずもーんと沈んでいるネクターがいる。
うん、ネクターにも不承不承ながら納得してもらったんだけど、アールから手が離れていく寂しさを実感して嘆いてるのだ。
私も寂しくはあるけど、ネクターが未練たらたらな感じを見るとこう、気持ちよく送ってあげなよと言う気分のほうが強い。
「アール。そんなに早く成長しなくて、良いですのに」
少々未練がありげなネクターにアールが困った顔をして、さすがに止めようとした時。
口を開いたのはベルガだった。
「子供はいずれ手が離れるもの。気兼ねなく旅立てるように送り出すのも親の役目ですよ筆頭」
「ぐうっ……すみません、アール」
「い、いいんだよ、とうさま」
毅然とした声音でばっさりと切られたネクターが謝れば、アールは慌てて首を横に振った。
「なあ、本当に思いだしてないのかい?」
「の、はずなんだが……」
私は、あんまりにも往年のベルガらしい口調に、側にいたカイルにこそっと話しかければ、カイルも感じていたらしい。
かくいうカイルは今回は別のことを頼んでいてついては来ない。
ついて行きたがっていたが、西大陸でも眠り病が蔓延していないか心配だったのと、正しい情報を伝えるために、一足先にバロウへ帰ってもらうことになったのだ。
一息ついたベルガは、私に話しかけてきた。
「もう始めて良い?」
「うん、座標を教えてくれ」
分社の門ではなく、広場を選んだのなら、空間転移で行くのだろうと思ったのだが、ベルガは首を横に振った。
「ちがう。鍵はあるから」
言うなり、ベルガが懐から取り出したのは、手のひらに収まるくらいの木製の何かだった。
木は弓なりになっていて、その間をぴんと張った糸のようなものが何本かつながれている。
「ハープ……?」
アールの言葉になるほどと思ったとたん、ベルガはその小さなハープの弦をはじく。
思ったよりも高く澄んだ良い音がしたとたん、ベルガは唄った。
『常闇の朝に、真昼の夜、我、楽園に誘われる者』
その柔らかな歌に呼応するように魔力が渦巻き、虚空に現れたのは扉だった。
洋風の瀟洒で精緻な装飾のされたその扉からは、テンが創り上げた大社の出入り口である“門”と似たような性質を感じ取る。
「リュートとパレットはここであってここでない所に、自分たちの家を作った。どこにでも行けるように、どこにいても休めるように。私にも鍵をくれた」
少し後ろめたそうに言うベルガの頭を、カイルはくしゃりと撫でた。
「そうか、あいつらはあいつらなりにお前を大事にしていてくれたんだな」
ベルガはほんの少しだけ顔を赤らめて、こくりと頷いた後、扉に手をかけて私たちを振り返った。
「扉はあんまり持たない。早く行くよ」
うながされた私は、ぎゅっとアールの手を握って、うなずいたのだった。
扉から一歩踏み入れると、そこは玄関ホールにつながっていた。
貴族の屋敷を参考にしているのか、走り回れそうなほど広いけれど、壁を埋め尽くすように所狭しと家具が並んでいた。
様式とかデザインとかも関係なく、とにかくおけるだけ置きましたみたいな。
壁にも絵画やタピストリーが埋め尽くすようにかざられていて、空間が広いせいで圧迫感はないけれど、どこかものさびしげな雰囲気が漂っている。
扉の脇についている窓の外には田園風景が広がっていたけど、絵画のように現実味がない。
まずはじめにネクター、次に私とアール。そしてベルガが入ったところで、扉はぱたりと閉まった。
そうして、私たちが全員入ってきたのを見計らったように、脇の廊下から人影が現れた。
「ベルガ。戻ってきたの」
白い衣装に色んな絵の具が散っている服に、薄い色の髪を無造作に垂らす女性型の精霊には見覚えがあった。
リュートが私をさらおうとしたときに、一緒に居た精霊だ。
ネクターがすっと杖を構えて警戒態勢に入る。
けれどそんな様子なんて目に入らないように、彼女はふわふわと浮いているような足取りで私たちの前に姿をさらした。
武器になるはずの腰に巻かれたベルトから、絵筆さえも抜き取らない。
「パレット……これは……」
ベルガが後ろめたさの混じったような声音で呼んだのだけど、彼女、パレットは順繰りに私達を見たかと思うと、すいと、身体を半身にしたのだ。
まるで、奥へと招き入れるみたいにだ。
「来ると良い。リュートは奥だ」
その印象が間違いではないことを証明するように、パレットに告げられて、私たちは顔を見合わせた。
彼女の意図が分からなかったからだ。
「なぜ、私たちを招き入れるのです。あなたはリュートの命令に従うのでは」
一度交戦したことのあるネクターが警戒のままに問いかければ、パレットは顔色すら変えず、淡々と答えた。
「私はリュートが望むことを叶える。そしてお前達が叶えるきっかけになると考えた」
「私たちが敵対者ではないと、はじめから分かっていたのですか」
「……リュートは悲しみにおぼれていたから」
そこだけ、わずかに悲しみの色を乗せたパレットに、うろたえるベルガが訊いていた。
「じゃ、じゃあ私に肌絵を先に施してくれたのも」
「お前が、連れてくる可能性が高いと判断した。正解だった」
このパレットという精霊は、独自の判断で行動を起こすほど、自立した思考を持っているのか、と私はあらためてリュートと彼女の特異さを目の当たりにした。
「君の名前は? なんの精霊か訊いても良いかい」
「私はパレット。晦冥の封印を描き続ける、絵筆が私だ」
おじいちゃんが言っていた、晦冥の封印を守る二つの古代魔道具のうちの一つが彼女だったのだ。
そしてアドヴェルサの封印を守っているうちに、竜の気によって精霊化してここにいる。
何でもないことのように告げたパレットは、すうと手をさしのべた。
「さあ、こっちだ」
廊下の両端には、まるで美術館のように所狭しと壺や置物、アクセサリーのたぐいが飾られていた。
開いているドアからのぞけた室内には、おびただしい数の杖やら武器の類いも丁寧に保管されている。
これほど数が多いのに雑多な感じがしないのは、大事に扱われているのが伝わってくるからなのだろう。
しかも、そのすべてから魔力が漂っていた。
「古代魔道具や、年を経た魔道具ですね……魔道具泥棒はあなたたちでしたか」
ネクターがそうつぶやくのが耳に入ってきて、ベルガが応えた。
「リュートが仲間をほしがったから、色んな所から集めてきたんだって。けど起きてくれる子は少なかったから、こうして飾ったり使ったりしてるの。いつかは目覚めてくれるかもしれないから」
仲間を集めたのは、竜に対抗するためなのか、それともアドヴェルサを目覚めさせるための手立てを作るためだったのか。
もしかしたら、純粋な善意だったのかもしれない。
「けど、仲間だった魔族が人間を使って集めさせたのはどれも血なまぐさくて、しかも傷ついてしまったのもあるから。パレットが壊れてしまった道具を修理してる」
「私は、描き直しているだけだ。元には戻していない」
ベルガの言葉に淡々と訂正したパレットの隣を歩いていた私は、彼女の眼差しが揺らぐのを見つけた。
悲しみのような、悔恨のような。けれどすぐに消えてしまい、私たちはリュートがいるという、屋敷の一番奥へたどり着いたのだ。





