第12話 銃の精霊は過去と向き合う
喧騒が耳に響いて、ベルガはのろり、と膝に埋めていた顔を上げた。
あたりは夜のとばりに包まれているが、遠くには熱気の伴ったおびただしい灯と、聞こえてくる賑やかな声は、ベルガのいる鎮守の森の木の上にまで祭り特有の気配を運んでくる。
そういえば、今日が祭りの本番だとあいつが言っていた気がする。
そんなことを考えつつ、ベルガは待機状態だった四肢を無意識に確認していった。
魔力の充填は問題なし、四肢は自由に動く。
肝心の、自身の本体は――……
ベルガは魔力を3つの拳銃に変えて解き放った。
狙うのは頭上、背後、そして一拍遅れて正面。
思うままに動くベルガの分身は、忠実に弾丸を放つ。
連射された魔力の弾丸は、足下に居た大柄な男に軒並みはじかれた。
そこまでは予測済み、ベルガはさらに柄の長いライフル型を生み出し、殴りかかった。
「うおわっ!?」
はじめて驚きの声を上げた男だったが、銃口の先についた剣は避けられる。
ベルガはがら空きとなった懐に飛び込んで、内ポケットにある己の本体へ手を伸ばした。
だが。
紫電のはじける音と共に男の姿が消える。
瞬間、ベルガは腕を取られて夜空を見上げていた。
投げられたのだ、と気付いたときには、軽い衝撃と共に地面に転がっていた。
「いきなりで驚いたぞ、若干危なかった」
「くっそ」
今回も失敗した己の本体の奪還に失敗したベルガは、涼しい顔でのぞき込んでくる男、カイルを睨み付けた。
ベルガが仲間を逃がすために撹乱し、この男に意識を失わされて、目覚めたときには本体を奪われていた。
精霊は本体から一定距離以上離れられないため、物理的に拘束されていないベルガでもリュートの下へ帰ることは叶わない。
さりとて本体に戻るのも癪なため、ベルガはあの日に囚われて以降、ずっと実体化していた。
なじみ深い身体で煩わしくないのが、不幸中の幸いか。
この男が持っているのは分かっている。
ベルガは本体からのびる霊的なつながりを感じられるからだ。
だが拘束しているにもかかわらず、彼らはベルガに何をするでもない。
ただ側に居ることを喜び、憐憫の眼差しを向けてくることが解せなかった。
ベルガはリュートに目覚めさせてもらった精霊だ。その昔があるわけがない。
だというのに、あの黒い髪に赤い房のまじった女の姿を取るドラゴンを始め、仲間らしい者たちが親しみのこもった態度を取る。
一番不可解なのは、カイル・スラッガートというこの魔族だった。
敵であるはずの自分にあっさり真名を開かしたかと思うと、本体を握っているのであれば、いくらでも自分を拘束できるにもかかわらず、何度も本体を取り返そうとするベルガを止めない。
どころかベルガが反抗することをおもしろがっている節すらあり、理解に苦しんだ。
もう一人の金砂色の髪の魔族のように向こうから仕掛けてこないし、側に置いてのばなしにする。
さらに自分が、いつまでも子供扱いされているようで無性に悔しい、と思うのが不可解で。
「とりあえず、気は済んだか。なら次は俺に付き合え」
考えても仕方がないので、差し出された大きな手を、ベルガは取って立ち上がった。
ベルガが一本を取られた後の、いつもの出来事だった。
せめてもの嫌がらせとして思いっきり体重をかけてやっても、片手で悠々と持ち上げられてしまうのが悔しい。
立ち上がったベルガは、カイルがひどく驚いた様子で、焦げ茶色の瞳を見開いているのをいぶかしく思った。
「どうした」
「いや、ちゃんと手を取ってくれたな、と」
そこでベルガは、今までこの男に差し出された手を無視していたことを思い出した。
とっさに手を取り戻したが、羞恥と混乱で勝手に頬が熱くなる。
なにより、嬉しそうにするこの男がひどく気に触った。
「たまたまだ……で、どこに付き合うんだ。また魔物退治か」
ここ数日、この男は、周辺地域に出る魔物を退治しに遠征を繰り返していた。
離れられないベルガも必然同行していたから、またそれかと思ったのだ。
ベルガの乱暴な話題転換に、カイルは素直に乗ってきてくれた。
だが、ベルガにとっては不可解すぎる方向で。
「いやちょっとばかし、祭りを見に行くぞ」
「は……?」
この男は、一体なにを言っているのだろうと、本気で思った。
明かりの灯る下は、遠くで見ているのとは別世界のような喧騒だった。
道の左右には所狭しと出店がならび、様々な食べ物の焼ける匂いが混じり、道一杯に行き交う人々でごった返している。
ともすれば行きたい方向に行けないのではと危惧するほどだったが、獣人たちと比較しても立派な体格であるカイルは、相手から避けて行くので、ベルガは背中を追いかけるだけで良かった。
だが、すれ違う人間たちはみな、彼を一瞬驚いた顔で見送るものの、明らかに東和国人ではない顔立ちに服装をしているにもかかわらず、ほとんど関心は持たない。
それはベルガも同じで、必要以上に注目を浴びるのが煩わしかったベルガには僥倖だったが、疑問に思った。
「リリィ殿に、認識阻害の幻術を教えてもらってな、俺くらい器用貧乏ならできるだろうってよ。早速役に立ったぜ」
リリィ殿。というのが数日前にいきなりベルガに襲いかかってきた魔族だと気付いたベルガは、無性にいらだちを覚えた。
だが、同時にこの男が全力でベルガをかばったことを思い出して、不自然に胸が跳ねた。
あの日から、自分はますますおかしくなったと思う。
既視感が重なり続け、この背中を見上げるたびに、焦燥感がこみ上げてくのに戸惑っていた。
知らないはずなのに。青と赤と白の軍服が目にちらつく。
しかもあの魔族について楽しそうに話をされるのが無性に気にくわなっかった。
「あの魔族とは親しいのか」
「一方的に喧嘩を売られる仲が親しいんなら、そうだろうが」
その無造作な言葉に、勝手に安堵する心が分からなくて、ベルガは眉間にしわを寄せた。
「ああ、だがいくら誘われてもリリィ殿と二人きりになるのはやめとけよ。嬉々として喧嘩ふっかけてくるからな」
「お前から近づかない限り好き好んで会いはしない」
大まじめに言う男に呆れて返せば、今度は周囲を見渡しながら問いかけてきた。
「なあ、ベルガ、なんか食べてみたいものとか、やってみたいものとかねえか」
「食べる必要もないのに、欲しいとは思わない。というかさっきからなんだ気味悪い」
まるで、ベルガのために祭りへ来たみたいじゃないか。
少し残念そうにしていた男は、歩きながらも気まずそうに頬をかいた。
「まあ、前は、俺が忙しすぎてこういう所に連れて行ってやれなかったからな。罪滅ぼしみたいなもんだ」
罪滅ぼし。またベルガの胸がじくりと痛んだ。
たいしたことでもないし、気にしたこともないのに、この人は覚えているんだ。
初めて出会った迷宮内でも、この男はベルガの名前を迷わずに呼んだ。
殺そうとするどころか、守ろうとする。
なぜ、がふくれあがる。
ベルガには今しかない。過去なんてないのに。
とうに気付いていた。ここに居る人々は、誰も自分を害する意志がないことくらい。
あの金砂と紫の魔族と、悪であるはずのドラゴンですら歓迎の言葉を告げてきた。
何よりカイルと名乗ったこの男が、自分を見下ろす眼差しは。
もしかしら、もしかしたら。
「おまえ、は」
絞り出した言葉に、男が振り返る。
焦げ茶色の髪に、同色の瞳をした、見上げるような巨躯の男だ。
彼を見ているだけで、心が溢れそうになるのは、なぜなのか。
「私のことを、知ってるのか」
とうとうはき出したその問いに、男は困ったように苦笑した。
「正直いうとな。よく分からないんだよ」
「は……?」
思わぬ返答にベルガは、思わず立ち止まった。
なんだそれは、あれだけ思わせぶりな言動をしておいて分からないとは。
無性に腹が立ってきたベルガが罵詈雑言を浴びせようとしかけたが、カイルは懐あたりを抑えた。
そこはちょうどベルガの本体が納められている位置だろう。
「だけどな、この魔術銃を作ったのは、俺で間違いない。そんで大事なやつに贈ったんだ」
初めて聞く事実に、ベルガが目を見開く間に、懐かしむカイルは続けた。
「新しいのを作り直してやるって言っても、これが良いって聞かなくてなあ。贈った本人が修理して、改造して、大事に大事にしてたんだよ」
「改造したやつは、誰だ」
「俺の妻だよ」
お前だよ、といわれている気がした。
ほんの少し寂しさの混じった、柔らかい表情に、胸が鷲掴まれたような心地になった。
信じられなかった。なぜ、思い出せないのだろうと、感じるなんて。
何をしてでも追いつきたい。どんな形でも助けになりたい。
それが、この身を得たときからある衝動だった。
だから仲間になってくれと言ってくれた、リュートのために生きようと思ったのだ。
けれど、それは本当に彼に対しての感情なのか。
もっと前、今のベルガになる前ではなかっただろうか。
わからない、分からない。
リュートの役に立つ、それだけで十分だと思っていたのに。
ベルガはぐっと唇をかみしめて、目の前のカイル・スラッガートと名乗る魔族を見上げる。
この人のことを、もっと知りたいと願う自分がいた。
衝動的に、声を上げようとしたが、言葉にはならず。
ベルガはくるりと方向転換した。
「帰る」
「そうか」
唐突な行動にも、カイルは隣を歩いてくれてベルガはぎゅっと顔に力を入れた。
と、大きな手が頭に乗り、そのまま髪をかき混ぜられたのだ。
すぐに振り払ったが、麦穂色の髪が乱れてしまっていた。
「!? なにするっ!?」
また勝手に赤くなる頬に自分で苛立ちつつ抗議すれば、カイルは嬉しそうに破顔していた。
「ありがとうなベルガ」
返答は求めず、そのまま歩いて行くその背中を、ベルガは髪を直すのすら忘れて呆然と見つめた。
この感触を、知っている。
子供扱いが悔しくて、追いつこうと必死になるほど、想ったひとがいる。
ベルガが興味を示しただけで、礼を言われる筋合いなんてないのに。
大事な人であれば、なおさら思い出して欲しいだろうし、色々器用なのに、こういう部分は不器用なのだ。
ベルガはこみ上げるものをこらえながら、意地で男のとなりに並んだ。
「馬鹿なやつだ」
「知ってるよ。んじゃあ、部屋で飯でも食おうぜ」
そんな悪態にも軽く返され、ベルガはカイルの横を歩いたのだ。
翌朝、ベルガはカイルとは違う生体反応を探知して待機状態から目が覚めた。
この特徴的な気配は、あの黒竜だ。
一度、会いに来たときに敵意を向けてから、この離れには近づこうとしなかったが、自ら訪ねてきたらしい。
耳を澄ませば、カイルと深刻そうに話をしているのが聞こえた。
「……だいぶ怪しいとは思っていたが、そんな、裏があったとはな」
カイルの忌々しげな声音に、黒竜の声が続いた。
「これ以上は君を危険にさらすかもしれないから語れない。けど、私は多くの人の知恵が必要なんだ。君に力を貸して欲しい」
「もちろんだ。世界が終わるかもしれないなんざ。昔ならずいぶん大仰だと思っただろうが、先の妖魔災害を体感した身としては、ぞっとしねえ」
「ありがとう」
心底安堵したように息をついた黒竜は、さらに続けた。
「私は、おじいちゃんだけじゃなくて、アドヴェルサも救いたい。だから、リュートがほんとは何を思っているのか知りたいんだ。だから会いに行きたい。戦うんじゃなくて、話をしたいんだ」
リュート、の単語に、ベルガは硬直した。
彼女は話がしたいという。
そして、リュートが何よりも焦がれる原初の竜を救いたいとも。
リュートは、「竜は彼を見捨てた」と吐き捨てていた。
だからこんなところに閉じ込めて、誰もアドヴェルサを助けてくれないのだと。
けれど、なにか誤解があるのでは?
「それで、ベルガに話を聞きに来たか」
「彼女なら、彼の今の居場所なり本拠地なりを知っているだろうから。協力をしてもらえないかと思ったんだ」
「わかる、だが。虫のいい話だがベルガに無理強いはして欲しくない。あいつはリュートを創造主として慕っている。しゃべるくらいなら舌をかむ位はしそうだ」
きっぱりと言い切ったカイルに、ベルガは救われたような心地がした。
託しても良いのだろうか、願っても良いのだろうか。
たとえ何かを隠されていると分かっていても、リュートを嫌いになれなくても。
助けて欲しいと、言っても良いのだろうか。
「確かにしそうだ」
「まずは、俺から話を持ちかけてみる」
「うん、じゃあ」
ベルガは、今まで殺していた気配を全開にして、会話の場に足を踏み入れた。
案の定、焦げ茶色の髪の男と赤い房の混じった黒髪の女が黄金の瞳を丸くしてこちらを見ている。
「ベルガ、聴いていたのか」
「リュートの、所に、行きたいの」
腰を浮かすカイルの問いには答えず、ベルガは、二人を見つめれば、黒竜は、表情を引き締めてうなずいた。
「行きたい。リュートの助けたがった大事なひとを、私も助けたいんだ」
まっすぐな黄金の瞳に、ベルガは息をつく。
もしかしたら怒られるかもしれない。余計なお世話だと言われるかもしれない。
けれど、とベルガは焦げ茶色の瞳をした男を見る。
「わかった」
この人とリュートのためになることならば、なんだってしたいのだ。
了承の声を上げたとたん、二人の瞳が大きく見開かれるのに、ベルガは胸の奥に大きな満足を感じていたのだった。





