第11話 ドラゴンさんと伴侶の怒り
私は目の前でおじいちゃんが吹っ飛ぶのを、呆然と眺めていた。
険しい顔で拳を振り抜いているのはネクターだ。
ここは分社の裏手にある鎮守の森にある、おじいちゃんの魔術工房だった。
封印具を作るために魔力が濃くて安定した場所が必要だから、テンの要石のあった森は最適で、おじいちゃんはずっと森の一角に居を構えていた。
そして、ネクターにほぼ夜明け近くまで質問攻めにされた私は、若干へろっとした気分だったけど、アールが起きる前にとおもってその足でおじいちゃんの元を訊ねたのだ。
うはは、自分でネクターに話したらまずいことになるんじゃって言ってたのに、案の定だったよ……。
まじめな話をしに行くのだから、もうちょっと気を引き締めなきゃと思いつつも、そんな感じで張り巡らされた結界をくぐったのだが。
おじいちゃんと顔を合わせたとたん、ネクターが全力で拳を握って殴りかかったのが、今の状況である。
「ネクター!?」
止める間もない早業で、私は混乱のままネクターをみれば、彼は深く息をついた。
「避けもしないってことは、少なからず罪悪感があるという解釈でよろしいでしょうか」
そうなのだ、私のドラゴンアイはばっちり見てた。おじいちゃんはネクターの拳が見えていたのに避けなかったのだ。
「まったく容赦ないのう。老体はいたわらんか」
地面に転がったおじいちゃんは、痛そうに頬をさすりながら身を起こすのに、ネクターは鼻をならした。
「魔術を使わず、身体強化のみの素殴りだったんですからマシだと思ってください。フィセル・アルデバラン」
いや、身体強化だけでも岩くらい一撃で砕けるからっ。
というか、ネクターがおじいちゃんの名前を呼んだことに驚いていると、おじいちゃんは深くため息をついた。
「……やはり、黒竜からすべて聞いたか」
おじいちゃんの問いには答えず、ネクターは激情を押さえ込むように低い声音で続けた。
「あなたがしたことは蛮行です。どんなに切迫していようと、異界の魂を巻き込み不当に扱ったこと、扱おうとしたことは、断じて許されるべきことではない」
「許されよう、とは思わん。これはわしのエゴだからの」
「ですが!」
打ち消すような強い声音で遮ったネクターは、薄青の瞳でまっすぐおじいちゃんを射貫いた。
「ですが。あなたが呼び寄せてくださらなければ、私はラーワに会うことはできませんでした。私が救われることは一生無かった。そこだけは、感謝いたします」
ああそっか、ネクターは怒っていたのか、と今更気付いた。
私だって、大事な人が誘拐まがいのことをされたら全力で怒るだろう。
でも、ネクターは許さないと言いながらも、おじいちゃんに感謝した。それとこれとは別だと平等に判断することは、とうていできることじゃない。
殴ったのはびっくりしたけれど、それで区切りを付けたということだろう。
私は、正直、もうあんまりそのことにはわだかまりはないけれど、私もおじいちゃんを怒ったって良いんだ、と思えたらちょっとすっきりした。
よし、あとで文句くらいは言っとこう。
決意をしつつ、私は瞑目するおじいちゃんに言った。
「きっと、おじいちゃんが言った方法の方が安心で確実なのだと思う。けれど、原初の竜もおじいちゃんも、一番この世界を想っている二人が割を食うなんていやなんだ」
「かまいやしないぞ。黒竜よ。わしらが始めたことじゃ。わしらで解決する」
淡々と言うおじいちゃんのかたくなな態度に、あ、私も殴りたいと不意に思った。
けれども、殴ったら話にならないので、代わりにしゃがみ込むおじいちゃんに近づいて、腕を回して抱きついた。
「なっ!?」
ネクターが後ろで驚く声が聞こえたけど、無視して腕に力を込めた。
「何より私は、大事な家族が居なくなるのが嫌なんだよ。おとうさん」
腕の中の身体が震えるのを感じながら、ゆっくり言葉を紡いだ。
「これは、全部誰かが何かを守ろうとして生まれた不幸だ。だから私は、断ち切りたい。みんなが報われる方法を探したいんだ」
耳元で息を呑む音がして。
そっと、背中を一度だけ手が滑り、肩に置かれてやんわりと離された。
間近で見たおじいちゃんは、困ったように苦笑している。
「弟子がもの凄い顔をしているでの、離れるが良い」
振り返れば、ネクターが今にもつかみかからんばかりの形相でわなわなと震えていた。
あのねえ。
「ネクター。そんな顔しなくったって大丈夫なのに」
「それとこれとは別なのです」
でもすぐにも引きはがそうとしないだけ、かなりマシかもしれない。
それでも呆れていればおじいちゃんに頭を撫でられた。
「……人の語るような神であったらと、どれだけ思ったことか。それならば、お前さんを巻き込まずにすんだだろうに」
切なそうに、まぶしそうに深緑の瞳を細めたおじいちゃんに、先んじて言った。
「私はこっちに来て、幸せだよ」
ぼっち人間がぼっち万歳ドラゴンになって、へこんだし苦労したのは確かだけど。
色んな人が居て、願ってやまなかった友達や、大事な人までできた。
だから、ごめんって謝らないで欲しい。
そう言う想いを込めて見つめれば、おじいちゃんは深緑色の瞳をゆっくりと目を閉じた。
こらえるように、飲み下すように。
「わしはな、ただの監視者だった。神の定めた摂理の通り、滞りなく回るように。いつからかのう、ただの入れ物であるはずのこの世界に愛着が湧いたのは。この世を残したくなってしまい、気付けばこうなっておった」
深く、ため息をついて。
おじいちゃんは私を見据えた。
「わし自身を柱とすることが最善という考えは変わらぬ。それだけ、状況は切迫しておるゆえな」
私は唇を引き結ぶ。
確かにそうだ。リュートがアドヴェルサを再封印をしたことで、時間は稼げている。
けれど、確実に神のアドヴェルサへの干渉は起きているのだ。
「フィセルっ」
ネクターの咎めるような声音に、だけどおじいちゃんはしょうがないとでも言うように表情を緩めた。
「じゃが元々、封印具の調整にあと数日はかかる予定じゃった。それまでお前さん達が何をしようがわしは止めんよ」
全部を一人で決めて、一人で実行しようとしていたおじいちゃんの、初めての譲歩。
「見つけられなんだ時には、予定通りわしの助力をしてもらうぞ」
「わかった」
元々使える時間は少なかったから、当然だ。
私がうなずいて立ち上がれば、ネクターに腰をさらわれる。
そうして私を抱え込んで威嚇しながらも、ノートとペンを構えるという割と器用なことをした。
「まずは晦冥の封印の術式構造と、本来の蝕の特性と神の性質について耳をそろえてよこしてください」
「お前さんはまったく、こんなときでも変わらんのう!」
おじいちゃんの呆れた声があたりに響いたけど、ネクターはお構いなしで私を見た。
「時間は限られています。様々なことを同時にやらねばいけないでしょう、封印の現状把握も必要です」
「そうだね、実際に見に行ってみる方が早いだろう」
アドヴェルサの封印に何かするのであれば、リュートは避けて通れないだろう。
なにより、私自身がリュートと話をしたかった。
ネクターに抱えられながらも決意した私は、ふとすでに日が昇り始めていることに気が付いた。
朝日がきらきらと差し込む森の空気は澄み渡っている。
「そろそろアールが起きるころだ」
「ではラーワ先に戻っていただけますか? 少々時間がかかりそうなので!」
「わし、封印具の調整があるんじゃが……」
「世界の危機なんですから両立しましょう」
確固たる使命感と、それを全力で塗りつぶす好奇心で一杯のネクターに、おじいちゃんが顔を引きつらせた。
ふははは、私が味わった大変さを味わうが良い!
「じゃあ私は、ベルガに会ってくる」
その言葉で何をしようとしているかがわかったのだろう、ネクターは表情を引き締めてうなずいた。
もしかしたらベルガには、精霊であるネクターが言ったほうがよいかもしれないけど、ベルガは私の友達でもあるのだ。ごまかしなく分かってもらいたかった。
「ですがリュートに会う時には、かならず私も同行いたしますので」
「わかった」
不意打ちだったとはいえ、私は彼に拉致されかけたんだから、ネクターの念押しも当然だろう。
私も、少しだけ怖いから助かる。
私が神妙にうなずけば、ネクターの表情は和らいだ。
「ではお互いに」
「お互いのできることをやろう」
決意を込めて見つめ合って、私は朝日が差し込む森の中を、小走りで駆けていったのだった。





