16 ドラゴンさんと彼らの日常 下
そうしてネクターに付き合ってもらったのはリグリラの服屋だった。
あの時リグリラが妙に早く都合をつけてきてくれたのは、この国の王都の店で働いていたからでして。
最近店を任せられるようになったとリグリラから聞いた私は、つい最近きゃー絶対行く!とはしゃぎながらと約束したのだが、後になって金を持っていないことを思い出した。
ネクターもカイルも全部おごってくれるから忘れていた…………
この世界の服は全部手作業だ。しかも大抵は自分で布を買って作るから、古着ならいざ知らず、新品の服はかわいいかわいくないどころの値段ではない。そんなものを買ってくれとおねだりできるほど私は面の皮が厚くなかった。
でも、財布持たないで服屋に行くって悲しいじゃないか。
しかもあの夜色ドレスは素敵だった。そんなリグリラならいい服作っているに決まっている!!!
買わないなんて元女子の名折れだー!!
これではいけないと決意した私はひそかに危険種討伐専門の傭兵協会に青年型で登録し、魔獣、魔物狩りに怪しまれないように参加しつつお金を稼ぐことにしたのだ。
目指せ、脱ニート!である。
参加したパーティで勃発した痴話げんかの仲裁したら余計悪化したり、受付のお嬢さんと世間話をしたらなぜか決闘を申し込まれたり、ごついおじさん達にやたらとギルドに勧誘されたり、大型の危険種を討伐したお祝いだと花街に連れ込まれ色っぽいお姉さま方の流し目にドキドキしたり…………討伐任務よりも人付き合いに苦労したが、暇を見つけては依頼を受け、せっせとお小遣いを稼いだのである。
アルバイトなんて前世でもしたことなかった私、よくやった。
そうして貯めたお金をもって、リグリラの店へやってきたわけである。
……だが、ちょっと無理かもしれない。
私は貴族街にほど近くの、一等地からは少し外れているとはいえそれでも趣ある立派な店構えにあんぐりと口を開けた。
これってじょーりゅーかいきゅうのオジョウサマのためのぱーてぃで着るような服しかあつかわないお店では。……やばい、お金たりない以前の問題かも。
一歩二歩と下がった私は、同じように気圧されていたネクターと顔を見合わせてこそこそ作戦タイムに入った。
『あの、ラーワ本当にここなのですか? その知り合いの魔族殿がされている店は』
『……そのはずなんだけど、住所も合ってるし』
『ええと、こういうお店では普段の服は取り扱わないというのをカイルの奥方から聞いたことがあるのですが』
『私もそう思う。そもそも一見さんお断り臭が漂ってる』
思った以上に超高級店であきらめようとした矢先、突如出てきた人物に店内へ引きずり込まれた。
こんなことするのは一人しかいない。
金砂の髪をお洒落に結い上げた上化粧によっていつにも増してド迫力の美女はやっぱりリグリラだった。
『なぜ目の前まで来て下さったのに去っていくんですの!?』
『いや、だってこの店構え紹介状ないと入れてくれなさそうだったし、私が欲しいのは街歩き用の服だし、ここ主に夜会服用の店でしょ?』
『いいからわたくしに作らせなさい!!』
涙目になったリグリラに圧されて、ぶいあいぴーとか付く人が通されるのだろう豪華な応接間に通された。
ネクターは紹介もそこそこぽいっと放っておかれ、私はその部屋専用の試着室に連れ込まれて、とりあえず試作品だという意外にも大人しいデザインのドレスを着せられたのだった。
なんで試作品なのにぴったりなのかと思ったら、夜色ドレスの時に必要になるだろうと予想して私の為にいくつか人間用の服をあつらえてくれていたのだと言う。
しかも、女性用の散歩着はもちろん子供サイズから、はては男性用の夜会服まで網羅されていた。
『布地自体に加工を施していますから、魔力を通せばある程度の体形変化は問題ありません。あなたがよくやる部分変化にも対応できますわ』
『ほんと、何から何までありがとう!』
耳を真っ赤にしてそう説明してくれたリグリラに思わず抱き着いて再戦を約束してしまったのは不覚である。後悔はしていないが。
そしてライトグリーンを基調としたドレスを着せてもらった私は、うきうきと試着用の個室からネクターの待つ応接室へ移動した。
『お待たせネクター、一人にさせてごめんね』
『いえ、お気遣いな、く……』
ソファから振り返ったネクターは私を見た途端立ち上がろうとしていた動きを止めてしまった。
せっかくだからとリグリラはドレスに合わせて私の髪も化粧も整えてくれていた。
全身鏡で見せてもらった本日の女子大生顔も服飾マジックで二三割増しになっていて、わかっていてもどんな魔術を使ったのか真顔で聞いてしまったほどだ。リグリラの女子力は天井知らずだった。
久しぶり過ぎるおしゃれにテンションMAXだったが、目を丸くして見つめるその視線に我に返り、急に気恥ずかしくなって頬を掻いた。
『そんなに見つめられると照れるわぁ』
『す、すみません。あまりにもラーワに似合っていてつい見とれていました』
『でしょう? さすがリグリラが作ってくれたドレスだよね!』
『いえ、そうではなくて……』
やっぱオーダーメイドは違うんだねえ。
嬉しくなって一緒に部屋から出てきたリグリラを振り返ると、彼女はなぜかものすごくざまあっ! な顔をして妙にしっくりくる悪役の微笑を浮かべていた。
『黒熔の。そのまま着て帰って下さいまし』
『ありがとうリグリラ、お代は悪いけど分割払いで』
この布の質感も着心地も、とてもいいものだ。たぶん今持ってきた分では足りないんじゃないかな。
と、恥ずかしいながらも正直に言ってみたのだが。
『大丈夫ですわ。そこの魔術師が払ってくださるそうですの。ねえ?』
『…………っ! は、はい、もちろんです』
リグリラが問いかけると、ネクターは慌ててうなずいていた。
そこに紛れたアイコンタクトに気付いたものの意味は分からなかった。
初めに自己紹介をしたもののリグリラはネクターのことをあんまりよく思っていないみたいだったのに、急にどうしたんだろう?
『いやでも、自分の物の代金を払わせるなんて』
今、持ち合わせがないだけで傭兵協会に預けているお金を引き出せばきっと足りるんだけど。
『黒熔の、人族の男というものは見栄を張りたい生き物なのです。男に気持ちよく貢がせてやるのも女の器量というものでしてよ』
『ええと、言いたいことがよくわかんないんだけど?』
『構いません、ラーワ。もともとそのつもりでしたので、ぜひその衣装は贈らせてください』
『で、でも…………』
なぜか結託したリグリラとネクターに説き伏せられ、結局いくらだったのかわからないまま、私は王都の女性のあこがれ(らしい)リグリラのオーダーメイドの服をゲットしたのだった。
何か釈然としないながらもドレスを着たまま、当初の目的通りメイドさんのお店に行ってお茶とマドレーヌを堪能した。
王城でお茶を入れてくれたメイドさんが実家であるこの店に戻ってきて発売して以来、爆発的にマドレーヌが市井に広がりいろんなお店で競うように売られているのだが、やっぱメイドさんのマドレーヌが一番だと思う。
あ、いや、あの焼き菓子に名前はなかったらしいんだけど、私が連呼したせいでそうしようと正式にマドレーヌにしたらしい。
ただ名前を付けるきっかけになっただけなのに、メイドさんは私が来ると必ず出迎えてくれるとっても律儀な人だった。実際入れてくれるお茶もとてもおいしいから街に来た時はほぼ必ず寄っている。
きっとマドレーヌの味が変わらない限り通うだろうな。
リグリラの所でゆっくりしたこともあって、お店を出るころには日もとっぷり暮れていた。
ネクターの開発した魔力供給なしで輝く街灯が道沿いにぽつぽつとともるが、それも予算の関係上主要な道路だけで路地裏は結構暗い。と言っても、私には昼間と同じように見えるんだけど。
「ラーワ、今日は泊まっていかれるのですか?」
「うーむ、レイラインの整備も終わってるわけじゃないから、今日は帰るよ。もうちょっとしたらまとまった時間でこっちに―――」
急に言葉を止めた私をネクターは不思議そうに見下ろしていたけどそれよりも。
「どうかしましたか」
「悲鳴がした」
「っ!!」
意識を集中させれば一キロ先で落ちた針の音さえ聞き取れる耳が、もつれるようにして走る音とそれを追いかける足音を聞き取った。
少なくなったとはいえ、こういうのはまだなくならない、か。
「ネクター先に行ってる。私の魔力波を追ってきて」
「お気を付けて」
あたりが暗いのは助かった。
ドレスに魔力を込めると、意識に従って布が動き、服を破らずに赤い皮膜の翼だけを出すことができた。
ものすごく便利だ。リグリラ、ありがとう!
表情を引き締めて杖を取り出したネクターを目の端で確認しながら、その場から一気に上昇して悲鳴が聞こえた先へ飛ぶあとはいちばん魔力が澱んでいるところを見つければいい。
生ごみや生活排水の匂いに交じって漂っていたかすかな血の匂いをかぎ取ると、人気のない路地の暗がりでもみ合う女性と大柄な男を見つけた。
男の手には大ぶりなナイフ。血は、女性の腕から流れていた。
それだけわかれば十分だ。
私は翼をたたみ、彼らのいる建物の同士の隙間にできた路地の一本へ急降下した。
魔術を走らせながら、その際、足を下にして綺麗にそろえることも忘れない。
『ドォ~ラ~ゴォ~ンン――スペシャァァァルッ!!!!』
ドゴガシャドゴンッ!!!
私のドロップキックをもろに浴びた男は面白い様に吹っ飛んで近くのゴミ箱に突っ込んでいった。
ナイフはあらぬ方向へ飛んでいったが、直前に張った結界にはじかれて対象の女性は無傷である。
女性は左腕の傷を押さえて涙に濡れた顔で呆然としていた。
本当はその涙をぬぐってやりたいのだが、私はくっさいのを我慢して、まだ意識があるらしい生ごみまみれの男に近づく。
「ったく、私は平和に街を楽しみたいだけなのにわらわら出てきてなんなのさ」
だって直前の会話が聞こえたのだ。
「大人しくしねえと顔に一生消えねえ傷つけるぞ、まあ、どうせヤった後はあの世行きだがよ」
そうして女性に馬乗りになった男は今にも自分のズボンに手をかけようとしていた。
…………女子の敵決定であります。
「ラーワ、大丈夫ですか!」
こんなの潰しといたほうが世のため人のため、魔力の循環にもきっと役立つ!と、足を振り上げようとした直後、現場の路地に杖に乗ったネクターが飛び込んできた。
「こっちは大丈夫、ネクターはそこのお嬢さんの傷の手当てしてやってよ。私じゃ腕の一本ぐらい余計に生やしちゃいそうだし」
「ラーワ、何をしようとしているんですか?」
「んー? 世界の為に変態にはなくていいもの潰そうと思って」
結界を解いて触れられるようになった女性を抱き起しつつ、専門でもないのにあっという間に治癒の術式を展開させるネクターに、先ほど見聞きしたことを簡単に説明したらむっつりと黙り込んでしまった。
どーも最近人族の常識と倫理観がおろそかになっているからなあ。
一応ここは人族の領域だし、ネクターがだめだというんなら止めるか。
「ば、化け物!!??」
そうこう考えているうちにどうやら変態が起きてしまったらしい。失礼な、今の私はどっからどう見ても人ですよーだ。
「まあ、ほんとはドラゴンですけ、どっ?!」
再度沈黙させようと拳を入れようとしたら、私のそばを通るように魔術が飛んでいったかと思うと変態が吹っ飛び、壁に張り付けになっていた。
見ると女性の治癒を終えたネクターが、いつの間にか精霊樹の杖をかまえてゆらりと立ち上がっていた。
いつも忘れがちだが、整った顔をしているネクターが能面のような無表情になると迫力があり、ちょっとビビった。
あれなんか目が据わってない?
「……ラーワの手を煩わせる必要はありません。男の風上にも置けない上、あなたを愚弄するようなクズは相応の報いをくれてやりましょう」
いや、手じゃなくて足を使おうと思っていたんです、という冗談は到底言えない雰囲気の中、ネクターは妙に長い呪文を唱えた後、精霊樹の杖を男の下半身に向け複雑に組み上げられた魔術を発動させた。
「その、なにしたの?」
「性行為に及べなくなる術ですよ。事に及ぼうとすると、その行動が自動的に停止します。昔、とある貴族の依頼で制作したのですが、こんなところで役に立つとは思いませんでした」
避妊じゃなく不能にする術なんてなんのために必要だったのかは絶対聞きたくない。
「ただ問題がありましてね、性欲は消えないんです」
「つまり……」
「いくらたまっても自分で抜けないままよがり苦しむことになりますね!」
恐ろしくイイ笑顔でのたまうネクターに、それはまずいんじゃないかという勇気は私にはなかった。
だって同じようなことしようとしたわけだし。
女性が身を起しているのに気付いた私は幸いと彼女のそばに膝をついて話しかけた。
現実逃避ではない。ええもうけして。
「痛いところはない?」
「え、ええ」
「たまたま近くを通ったから助けられたけど、これからは陽のある内に出歩くんだよ?」
「はい、その―――」
衝撃を受けたせいかぼんやりと虚空を見つめている女性に、せめて忘却の魔術でもかけてやろうかと思った矢先、警笛の甲高い音と共に大勢の足音が響いてきた。
足音はともかく警笛は聞こえたネクターが、残念そうに私を見た。
うーん、しょうがない。
「私がいるといろいろ面倒だし、今日はこれで帰るね」
「はい、あとはお任せを」
魔力の循環が澱んでいるところを中心に歩くから、どうしてもこういうことに出会いやすいんだけど、毎回のようにこういう形で別れることになるのはネクターに悪いと思う。でも、見て聞いたからには放っておけない性分なんだ。
申し訳なさそうな顔をしていたのだろうか、ネクターが気にするなとでもいう様に微笑んだ。
「大丈夫ですよ。見てみぬふりをしないあなたを私はとても好ましいと思います」
「ごめんね。ありがとう。今日は楽しかったよネクター」
「私もですラーワ、お気をつけて」
私は風精をまとい皮膜の翼を広げて上昇を始める。そういえば出しっぱなしだったわ。
……ん? てことはあの女性はこれを見ていたかっ!!
失敗したなあ、そりゃ恐がるよね。ネクターに丸投げするしかないのが本当に申し訳ない。
意気消沈していると、背後から女性の叫ぶ声が聞こえた。
「あ、ありがとうございましたっ助けてくれて!!」
驚いて振り返ると、ネクターの隣でこちらを必死に見上げる女性がいて。
ちょっとうれしかった私は、上空でいったん止まって彼女に手を振ってから、術式を展開させて姿を隠すと王都の外へ進路をとったのだった。
そのあと、警邏隊に事情聴取の後、女性は無事帰宅したそうだ。
その場で逮捕された変態の末路は、知らない。
後日、ネクターは警邏隊経由でその話を聞いたカイルにしぼられたらしいが、術を解けとは言われなかったというからそういうことなんだろう。
そんなこんなで今までの300年とはずいぶん違う、濃密な時間が数十年経っていた。