第8話 ドラゴンさんと天絶舞
咲間さんのご両親や使用人の人々を目覚めさせた私は、村中の人々を起こした後、その顛末をカルラさんに報告した。
その翌日から、私は方々の村を巡って眠ってしまった人々を起こして回ることになった。
カルラさんは、ほかの調査でも体内魔力の停滞までは特定できたのだが、それを取り除くことがどうしてもできなかったと教えてくれた。
盟約者を目覚めさせようとして、逆に眠りに引きずり込まれてしまった魔族もいたらしい。だから、確実に目覚めさせることのできる私が行った方が良い。
一気に忙しくなる中で、こっそりおじいちゃんとテンに眠り病の原因になった蝕について話をした。
「カルラさんには、ごまかして話したから分からないと思うよ」
「そうか。気取られることも避けたいのう」
平静なおじいちゃんの言葉に、私は複雑ながらうなずくと10代前半位になったテンが表情を暗くしていた。
「ごめんよ。手伝いたいのは山々なんだけど、君に任せるしかできない。あたしに資格がないのが悔しい」
テンが歯がゆそうに拳が白くなるまで握るのに、首を横に振って見せた。
「しょうがない。おじいちゃんは術式の構築があるし、君じゃ取り込まれてしまうだろうからね。私が適任だ」
けど、どうにも疑問に残るのが一つ。
「何で私の魔力で起こすことができたんだろう。だって、この死出の眠りって二度と起きないんだろう?」
「わしにもそれは分からぬ。じゃが、お前さんのこの世界への影響は未知数な部分が多い。あれの干渉が弱かったために、引き戻せたのやも知れぬ。それでも、干渉を完全に阻むことはできなかろう」
「そう、だよね……」
一瞬、もしかしたら大丈夫なのかも知れないと思ったのだけど、おじいちゃんの言葉に肩を落とした。
するとおじいちゃんは、表情を柔らかくした。
「そろそろリュートが晦冥の封印を上書きを終えた頃じゃから、死出の眠りは収まるはずじゃろう。今すぐ飲み込まれることはあるまいて」
私を慰めるような言葉に、私はもやもやしたものを覚えつつもうなずいた。
ネクターには言えなかったけど、今蔓延している眠り病――死出の眠りは、5000年前にも起きたことだった。
おじいちゃんが抱えていた秘密は、うかつに話せば、相手を消滅させてしまう危険をはらんでいた。
ドラゴンたちでさえ、いやドラゴンたちだからこそ、存在を忘れていなければ、取り込まれてしまう恐れがあったほど。
だから話すにしても、相手を吟味しなければいけなかったのだ。
なんだけど、ある程度冷静に考えられるようになった今では、あの夜にはできなかった質問が口をついた。
「そういえば、ドラゴンたちはこれを聞いたらまずいんだろう? けど、なんでテンは聞いても大丈夫だったの?」
「ドラゴンのあり方は忘却したことで、本来のものから変質しているけれど。眠ってるやつも、知らないやつでも、まだ外側との接続が切れてないから”覚えている”ことがくさびになっちゃう。だけど、あたしはもうドラゴンであってドラゴンじゃないからね。影響は薄いしあたしの時繰りでかわせるんだよ」
ただ、とテンは不思議そうににぎにぎと自分の手を動かして続けた。
「それにしては、なんかすんごい楽なんだけどなあ」
「ともあれ、要するにこやつは盛大に爆死して弱くなった結果、きゃつの眼中になくなったということじゃな」
「うわあフィセルひどい! お前あたしの後輩のくせに口悪くないか!?」
「そもそもの、いつからわしがお前さんの後輩になったのじゃ」
「この世界の生き物としては、あたしのほうが断然長生きだもんねー! 控えおろう控えおろう!」
どやあっと、小さな身体で胸をはるテンに、おじいちゃんの深緑の瞳が心底呆れた風になった。
「お前さんよ……わしの前身を覚えておってよく言えるのう」
「ふっふんあたりまえだろう? 君はその前を捨てて今になったんだ。友達なら、全力で歓迎してやるのが筋ってもんさっ」
楽しげに嬉しげにのたまったテンと、おじいちゃんの気安さには新たな一面を垣間見るようだった。
だけどテンはふと遠くを見るような眼差しになる。
「彼も、そうだったんだけどね」
「気にしても仕方あるまい」
テンはもの言いたげだったけど、淡々と口にしたおじいちゃんは私を向いた。
「そろそろ、封印具に詠唱演奏を読み込ませるめどが立ったぞ。あと1週間もかからなかろう」
「……そっか」
とうとう、明確な期限を告げられて、それでも私は平静を保とうとしたけれど、おじいちゃんにはバレバレだったらしい。
困ったように眉尻を下げつつ、おだやかな表情で言った。
「最後までお前さんを巻き込んですまないの。最後まで苦労をかけるが、もう少しの辛抱じゃ」
「それは、もういいんだ。きっかけはバナナの皮を踏んですっころがったって死因だけど。最初はどうあれこっちに来れて、今はすごくしあわせだから」
「バナナの皮とな?」
「ええと、こう言うの。地面に白い面が下になっていると、めちゃくちゃ滑りやすいんだ」
確かどれくらい滑りやすくなるかってのが研究されて、表彰されていたなあ。
思念話経由でバナナの皮を見せれば、おじいちゃんは酢を飲み込んだような変な顔になった。
「……なんというか、すまぬの」
「ばっ、バナナのっ皮っそれは、浮かばれない……っ!」
もの凄く神妙に謝ってくれたおじいちゃんの隣で、同じく思念話でバナナの皮を見たテンが、割れた要石をばしばし叩いて笑い転げていた。
我ながら情けない死に方だし、もはや笑い話にしかできないんじゃないかって思うけど、改めて他人の反応を見ると切ないなあ。
すると、おじいちゃんが間髪入れずぽかんっとテンの頭をはたいた。
「笑いすぎじゃ、テン。それこそ後輩を笑いものにするのは先輩の所業としては最低の部類に入るのではあるまいか」
「うぬぬ、ご、ごめん」
わかりやすいくらいに反省するテンに、私は肩をすくめるだけで応じる。
おじいちゃんは息をつくと私を見た。
その深緑色の瞳は、凪のように静かだ。
「わしには500年悩む時間があったのじゃ。お前さん達の未来を得られるのなら、十分すぎる見返りじゃよ」
私はおじいちゃんの意志の固さを改めて目の当たりにして、のど元まででかかった言葉が、迷子になってしまった。
「アール坊の神楽舞を見られるのは行幸じゃ。後は頼むぞ。黒竜や」
おじいちゃんが上機嫌に言うのに、テンがぎくりと肩をふるわせたのも突っつく余裕はなかった。
それでも、言葉をかき集めて、私はおじいちゃんに言った。
「……私はさ、ちょっと嬉しかったんだ。おじいちゃんと実際に縁があったってことが。だから私はこの世界を守るよ」
だからこそ、こんな風に踏ん切りがつかないのかもしれないけれど。
でも、この中で覚悟を決めていないのは私だけだ。
こうしてひょうひょうとしているテンだって、納得して沈黙している。
胸の奥に沈殿している澱のようなものは、私が未来を勝ち取るために背負わなきゃいけないものなのだ。
だからぐっと飲み込んで笑えば、おじいちゃんは少しの間瞑目したあと、目を細めて微笑したのだった。
そんな会話もあったとはいえ、朝早くに飛び立って、村での治療を終えたらとんぼ返りする日々は目まぐるしかった。
え、行った先で泊まれば良い? アールの顔を見ないことには一日が終わらないから却下で!
というわけで、アールに舞のお稽古の話を聞いて一緒にご飯を食べる時間は確保していたけれど、自然と
ネクターとの会話の機会は減る。
アールが大変そうでも楽しげだったり、ネクターが試しにと作ってみた東和風の料理を食べたりするのは心がほぐれたけれど。
話す時間の少ない忙しさが、ほんの少しありがたくて。
そうして、私は魔鎮祭の当日を迎えたのだった。
*
鮮やかな夕日の橙と、幽遠な紺青が混じり合う黄昏だった。
炊き出しやら配給があった分社の広場は、今は綺麗に片付けられ、まっさらな板の舞台がしつらえられている。その四隅の柱をつなぐようにまっしろの紙手が下がった縄が張り巡らされていた。
舞台の周囲や満員の観客席の間には、魔力によって明かりが揺らめき、あたりを照らしていたけれど、所々暗がりが残り夜の気配を忍ばせている。
日差しが隠れて夏が潜み、涼やかな風が流れる中、私は観客席の最前列に座って、となりのネクターと共に、今か今かと演目の始まりを待っていた。
……用意された席が帝さんのすぐそばだったのは気にしない!
カルラさんに、治療の代わりに良い席を用意してくれないかと交渉したのがまずかったのか。
いや、でもね、しょうがなくはある。
私を知っているだけでも、眠り病への耐性ができると分かってからは、帝さんは積極的に私が妖魔大災害の功労者であり、竜神……つまり、大社の神と同格の存在であると広めるようになったのだ。
いちおうテンにも私にも許可を取ってからだったし、ネクターも人助けだからとしぶしぶながらも了承したし。この良い席もその一環だろう。
ただ、それを知ったリグリラがめちゃくちゃ張り切って、突貫で作った東和風とバロウ風の折衷な服を着せられていた。
相変わらず磨きのかかった可愛いデザインなんだけれども、私一人だけ目立っている気がして死ぬほど恥ずかしい。
まあ、帝さんもカルラさんも正装だし、ネクターも西大陸の人ってことで注目浴びてるし、気にしない方向でいた方が精神安定によさそうだ。
だから四方を囲む東和の人たちから視線をもらう気がするのを努めて無視してしていれば、観客席の間にもうけられた通路から、上等な衣装を着た人々が歩いてきた。
「どうやら、始まるようですね。アール、大丈夫でしょうか」
「さっきの様子からすると、緊張はしてないみたいだから大丈夫だとおもうけど」
隣に座るネクターの心配そうな声にそう答えた私だったが、彼の手にきっちり撮影機が構えられているのを見て苦笑した。絶対記録するんだ、と帝さんにまで交渉していたからなあ。
そうしている間にも、舞台のそばにもうけられた所定の位置に腰を落ち着けた彼らが、それぞれの楽器を構える。あたりに静寂が満ちて。
宵闇を透き通るような音色が通った。
高く伸びやかな笛の音が、始まりを告げる。
様々な弦楽器、鳴り物が重なるその音楽は、前世で聞いた雅楽のような雅さがありつつも、太鼓でつけられるリズムは心が躍るような高揚を感じさせた。
そして、舞台に現れたのは、黄金と白の髪と狐耳をした少女二人。
美琴と真琴だ。
それぞれ巫女服をより彩った華やかな衣装を身につけ、手には鍔にいくつもの鈴がついた短剣を片手に掲げている。
矛先鈴、と言う祭具の、束についた引きずりそうなほど長い色とりどりの細い布をたずさえ、しずしずと舞台に上がる二人はこの世のものではないように美しい。
手を滑らせ、五色の布を揺らめかせる彼女たちの寸分乱れぬ動きに、観客が陶然と魅入るのが分かった。
しゃん。
手首がひるがえり、矛の鈴が鳴ったとたん、周囲の魔力が鳴動した。
これが、儀式の真骨頂なのだろう。
この天絶舞は、古いふるい、物語を元にした儀式魔術なのだ。
四人の巫女は、人族役と、神様役に別れて、神との決別までを描いた物語をなぞることによって、魔を絶つ、つまり大地に残った蝕の影響を断ち切るのだという。
今回、美琴と真琴は人族役を、テンとアールは神様役をやっていた。
実は、最近の忙しさのせいで、最初から最後まで通して見たことがないから余計に楽しみにしていたりする。
しばらく美琴と真琴が舞台を巡るように舞うと、すうっと、舞台に現れたのは小さな人影。
羽衣のような布を肩にかけ、美琴達とはすこしデザインの違う華やかな巫女服を纏っているのはアールだ。
赤の混ざった亜麻色の髪を結い上げて、化粧を施した顔を真摯に引き締めていた。
額を花のような紅を塗って飾るのは、人あらざる者であることを表すのだという。
アールは美琴達に見守られるなか、滑るように中央へ歩くと、捧げるように持っていた深緑の葉のついた枝を片手に取る。
しゃん。
枝についていた鈴が鳴った瞬間、魔力が鳴動した。
そのまま、アールは美琴たちと楽しげに舞い始めるのに魅入っていれば、ずびっと鼻をすする音が聞こえた。
ちらりと横を見れば案の定感動の涙を流すネクターで、私は用意していたハンカチをあげる。
こうなると思って、何枚も準備しておいたのだ。
「あ、アールがこんなにっ、せい、成長してっ」
「そうだねえ。こんなに綺麗な魔力操作ができるようになってるとは思わなかった。でも、涙で見えなくなったらもったいないよネクター」
「わ、わかってますっ」
ハンカチでぬぐいながら、目に焼き付けるかのように凝視するネクターを可愛いなあと思いつつ、私もアールには感心していた。
今、舞台の術式を起動させようとしているのは舞台に上がっている三人だ。
だけど、身体の奥まで震えるようでいて、浸っていたくなるような心地よい魔力の流れは、アールが作り出している。
テンやおじいちゃんに魔法のいろはを教えてもらえるように願ったことは知っていた。
けれど、この短期間で、見違えるように上達していたのかと素直な驚きと感動がわき上がった。
ちょっと泣きたいような気分は、全部ネクターに先越されちゃったけどね。
舞台上で仲良くするように舞っていた三人だったけれど、不意に曲調が替わる。
テンポが速まり、躍動感に溢れた、けれど不穏な音色に。
そう、これは四人で舞う演目だ。
現れたのは、アールと同じくらいの背丈のテンだった。
けれど、ほかの三人と比べて、衣装は色味を抑えて硬質な雰囲気で、さらには美しいけれどどこか恐ろしい面をかぶっていた。
しゃん。
鳴らす鈴は、手首と足首についた輪っかだ。
手首を翻し、一歩、足を踏みならすたびに鳴る鈴は、脈動するような太鼓の激しいリズムとも相まって、周囲を圧倒するような恐ろしさをもたらしていた。
神様役にふさわしい迫力である。
神様ってことは、魔族だよね。東和でも、昔はこんな風に怖く思われていたのかもしれない。
ん、いや、でもこれは……。
私が何かをつかみかけている間も、仮面を付けたテンが、人族役の美琴と真琴に迫る、その時。
しゃんっ。
深緑の枝を翻して阻むのは、もう一人の神様役であるアールだ。
そうして、美琴と真琴を巻き込むような、四人の舞が始まる。
彼女たちが音楽に合わせ一歩足を踏み出すたびに、手を翻すたびに、そして鈴を鳴らすたびに、魔力が鳴動し、術式が活性化する。空気が震える。
いつしか可視化するほどの濃密な魔力の光があふれ、彼女たちを彩るように舞い散った。
舞台で激しく立ち位置を入れ替えながら舞う彼女たちに魅入っていた私は、不意に悟った。
ああ、これは戦っているのか。
アールが深緑の枝を、テンに向けて一閃する。
断ち切ったのだ。
瞬間、膨大な魔力が術式を通じて拡散していくのを肌で感じた。
音によって清められ、舞によって練り上げられた清涼な魔力が天高く上っていき、花吹雪のように舞い散った。
まぶしいくらいの魔力光のなか、テンが舞台上から降りる。
いつしか音楽もゆったりしたものに変わり、いたわるように美琴と真琴が囲むなか、アールが枝を舞台中央において。
音楽が終わった。
誰もしゃべらない。誰も動かない。
顔を上げたアールが、不安げな顔をする。
沈黙を破ったのは、となりの帝さんだった。
『見事な舞を見せた巫女達に、敬意を』
朗々と声が響いたとたん。
観客から、爆発のような拍手と賞賛の声が上がったのだった。





