第43話 ドラゴンさんは後を知る
目が覚めると、そこは柔らかな布団の上だった。
板張りの天井は知らないものだし、眠るなんて何年ぶりだ?と思いつつ、体を起こしてみれば、慌ただしい足音ともに襖が開けられた。
「かあさまっ!」
「ラーワ!」
飛び込んできたのは、アールとネクターで、心底安堵した顔になると、私に飛びついてきた。
え、え? どういうこと?
「あれから丸3日眠られていたんですよっ。今までになかったことなので心配しましたっ」
「何にもなくて良かったあ」
矢継ぎ早に話すネクター達に、ようやく私の頭が再起動して、蝕の竜のこと、リュート達のこともそしておじいちゃんのことも怒涛のように思い出した。
「あれから、どうなったんだい?」
表情を引き締めて問いかけたのだが。
ぐううううう~~~~~~っ。と、どこからか怪獣の鳴き声のような音がした。
…………………ごまかすのはよそう。
私である。数百年間、鳴ったことなんてなかったというのに!
この腹の寂しさというか、空っぽ感はそれか。おなかがすいていたのか!
まじめな話をしようと思っていたのに、どうしてよりにもよってこのタイミングで鳴るんだばかっ!
と、あっという間に火を噴いてしまいそうなほど赤くなった顔で震えていれば、軽い足音とともに、ひどく懐かしい魔力の気配がした。
「リュートとやらに、弱体化の呪をかけられた影響が残っておるのじゃろうて。巫女のお嬢さん方が食事を用意しておるからの、もらいにゆけば良かろう」
さらっと現れたおじいちゃんは、東和の着物を当たり前のように着流していた。
白髪の髪に褐色の肌で東和国の人とは違うのに、やったら似合っているのが不思議である。
「おじいちゃん……」
私はさぞや形容しがたい表情をしていただろう。
けれどひょうひょうとしたおじいちゃんは、肩をすくめるだけだ。
再び声をあげようとした矢先、またおなかの音が主張する。
と、いうか今気づいたけど魔力もほぼ枯渇状態なんじゃ……?
道理で体に力が入らないわけだと現実逃避をしていると、ネクターとアールが立ち上がった。
「今、ちょうどお昼時なのですよ。私たちの分も持ってきましょう」
「うん、かあさままってて! 二膳で足りるかな?」
収まらないおなかの音に情けない気分になりつつ、ネクターとアールが嵐のように去って行くのを見送ったのだった。
しょうがないので、ネクター達が持ってきてくれたお昼ご飯を囲んだ。
小さいテーブルみたいな箱膳で出されたご飯は、お肉も魚も野菜もたっぷりの結構豪華な献立でびっくりした。
「近くの農民と巫女達からの感謝の気持ちのようですよ」
なんでも、禁域から外へ出て行った白の妖魔はわずかだったけど、レイラインからの魔力の過剰供給で黒の妖魔は大量発生していたらしい。
その妖魔達から近隣の村を守った巫女と、守人に感謝を込めた寄進物という名の支援がこのお肉やお魚で、それを出してくれた巫女さん達は白の妖魔の大元を絶ってくれた私へ、ささやかなお礼の気持ち、なのだそうだ。
ちょっぴりどころではなく、うれしいのだけど……恐ろしいことにその豪勢さでも私の腹の虫は収まらない。
見かねたネクターのお膳のおかずをもらい、さらにはご飯の入ったおひつを空っぽにする勢いで箸を進める。
みんなの唖然とした視線にいたたまれなさを感じつつも、食べながらあれからのことを教えてもらった。
ここは、リュートが襲撃してきた分社で、華陽から一番近い位置にあるのだそうだ。
私が意識を失った原因が弱体化と魔力の枯渇だったから、少しでも魔力の濃い場所に身を置いていた方が回復が早いだろうというおじいちゃんの提案によるものらしい。
正直、びっくりした。
意識を失うなんて何百年ぶり?というか、これまで意識的に休眠状態になったこと以外なかったから、迎撃モードに移行して迷惑をかけずにすんだのは奇跡かも知れない。
というか、急速に魔力を回復しようとするから、周囲の魔力を枯渇状態に追い込むんじゃと今更真っ青になっていると、おじいちゃんがめちゃくちゃにやついた顔になっていた。
「人族の呪がかかっておったのが怪我の功名であったのじゃろうが。弟子かアールがそばにおる間はおとなしいものじゃったで被害はないぞ。子供のように頭をすりつけてまあかわいいものだったわい」
やっぱり魔力を枯渇させる勢いで自動的に迎撃術式をくみ上げかけたのだが、ネクターが呼びかけて触れた途端、全部解除されたらしい。
アールでも同じ現象が起きたものだったから、落ち着くまでは二人が交代で私のそばにいてくれたのだという。
「うわあ、その、ごめん……」
いたたまれないのと、無性に恥ずかしいので顔が真っ赤になるのを抑えられなかった。
箸を止めていればうつむいていれば、ネクターは柔らかく微笑むばかりだ。
「まったくかまいませんよ。あなたが無事で良かった」
「いいってことなんだよっ」
にっこり笑うネクターはなんだかやに下がっているというか、すんごいうれしそうな表情だし!
アールはふんすといった感じで思ったより元気そうだしいいかあ。
「あまり気にする必要はないぞ。そなたの寝顔を眺めてやに下がっておったからの」
「御師様っ! のぞきはよくありません!」
ネクター突っ込むのはそっちなのかい。
……って、今更気がついたけど。
「おじいちゃん、西大陸語が話せるのかい!?」
「わしがこやつに杖をやってから、何年たったと思うておる」
当たり前のように言うけどね、それを今まで毛ほども匂わせなかったのはちょっとお茶目というか、なんというか。
「全く不都合がないものを強いて言う必要はなかろうて」
呆れつつも、肩をすくめるおじいちゃんはいつものことなのであきらめて、続きを聞く。
根幹とも言うべき蝕竜が大社ごと消滅したことで、この東和にはびこっていた蝕は8割以上消滅したらしい。
七つある分社はなんとか持ちこたえた。
だけど大社が崩壊する衝撃で結界が壊れてしまったところもあるようで、そこから若干の白の妖魔と蝕の霧が流失したそうだ。そうでなくても黒の妖魔は多数目撃情報があり、余力のある盟約者の魔族と人で討伐に出ているのだという。
ちなみに、リグリラと仙次郎は華陽からはかなり遠い分社に行ったのだが、白の妖魔の最多討伐記録を樹立したらしく、余力も十分あるので妖魔の討伐しつつ、諸国を漫遊してから合流するそうだ。
『人が一級クラスの魔物を相手にするのはこんな気分かしら。あんな楽しいおもちゃがいるなんて、東和は楽しいところですわね!』
という、リグリラの伝言を聞かせてもらった時には笑ったけど。白の妖魔を倒すのがおもしろいと称せるリグリラはやっぱすごいと思った。
帝さんとカルラさんは蝕の流出のあと、陣頭指揮を取り、蝕と連動して出てきた大量の妖魔を討伐。
終わった後はそのまま、被害のあった村々への救援と復興のための算段を精力的にこなしているらしい。
なのに、私が倒れたと聞くなり、華陽に預かっていたアールを、カルラさんを護衛につけて連れてきてくれたのだった。
「カルラ姉さまには今度、西大陸のお菓子を作ってあげるねって約束したんだ」
アールは短い間だったけど、狙い違わずカルラさんを骨抜きにしていたらしい。
帝さんのところに必ず顔は出すつもりだけど、復興支援の采配が殺人的に忙しそうだから、あとにしよう。
真琴は最後にテンを降ろしたことが負担になったものの、一日眠り込んだだけで起き上がり、今は美琴とともに救護の必要な近隣の村を回っているのだそうだ。
「テンは?」
「……ここにいるよ」
その声に振り返れば、障子の向こうに隠れるように座る人影があった。
けれども、ちょっと待て。なんか障子に映る影はちっさいし、どことなく声も幼いような?
と、思っていたら、立ち上がったアールが障子の向こうへ歩いて行った。
「テンさん、そこじゃお話しづらいです。こっちに来ましょうよ」
「わ、わかったよ! わーもーまだこの体に慣れてないんだっ」
アールにつれられて、きまり悪そうに障子から現れたのは、すごく小さいテンだった。
緑色の髪と黄金の瞳はそのままだけど、背はアールよりも小さくて、全体的にぷにぷにしている。
大体5,6歳くらいだろうか。要するに幼い。
けど、どこも透けておらず、感じる気配も限りなく実体に近かった。
「一体全体何があったんだい」
「その、だね」
どこから驚いたらいいのかわかんなくて、思わずそう聞けば、テンは決まり悪そうに頬を掻いた。
「蝕竜を消滅させたことで、封印していた蝕の大半が消えたから、もうあたしは必要ない。結構好き放題にやってたからね。恨みも買ってるから、あらかたの事後処理が終わったら消滅するって、大社の子たちに言ったんだよ」
なんだって、と私は気色ばみかけたが、テンは決まり悪そうに頭に手をやった。
「そしたら真琴に、ダメって言われてさ。封印の要になっていたあたしの竜珠を押し付けられちゃったんだよね」
あんなに怖いと思ったことはなかったと、震えるテンだったけど、その表情は恐怖ではなく、困ったような嬉しいような。そんな感情が複雑に入り混じっていた。
まあ、テンが弱体化したことは遠からず魔族たちに知れ渡るのだ。今までテンが魔族たちを抑えていたが、それがなくなれば、血気盛んな魔族たちがお礼参りにをするために何をするかわからない。 おとなしく消滅したほうが迷惑はかからないと思うのは無理もないだろう。
けどテンはそれを打ち明けた瞬間、病み上がりの真琴に正座詰めでお説教されたのだという。
そりゃそうだ。役目が終わったとたん、はいさようならなんてあんまりにも薄情すぎるのだ。
だから巫女達は、分社で封印の要にしていたテンの竜珠を超特急で回収し、テンはそれを取り込みなおすことで、精霊もどきみたいなポジションに落ち着いたらしいのだった。
テンは簡潔にまとめたけど、いろんなやり取りがあったことは想像に難くない。
「とりあえず、今はこの姿だけど、ほかの分社に残った竜珠も回収すれば、もうちょっと成長できるはずだ。あたしの扱いをどうするかは今代の帝くんと話し合わないといけないだろうけど。もうちょっとだけなんとかしてみるよ」
テンはいろいろと吹っ切れた様子でそう締めくくった。
私はテンを下ろしてある程度記憶を共有したから、彼女が大社と分社の一部分でしか姿を保てないこと。5000年の間、ずっと巫女たちの話や、水鏡でしか東和の国を見ていないことを知っている。
今のテンではアールと同等かそれ以下の魔力しかない。
けれど、霊体ではできなかった飲み食いや、人とのふれ合いや、街の活気を直接味わうことができるのだ。きっと巫女達は彼女にそれをまた味わってほしいと願ったのだから、こぞってテンを街へ連れ出すにちがいない。
これからの身の振り方も、守り抜いた国を見て回ってからでもいいはずだ。
私たちはさんざん彼女に振り回されたけれども、テンと真琴の絆を垣間見た私は素直にそう思えた。
……まあ、それとこれとは別なこともあるんだけど。
「というわけでこのとおり! 今のあたしはほぼ無力だよ。煮るなり焼くなり好きにするが良い。君にはなんでも要求する権利がある」
いつもの軽い調子で空気を変えるように、けど覚悟を決めたようなたたずまいになったテンに、私は自然と箸を置いて居住まいを正した。
彼女がアール達を拉致したのは許せることじゃない。
それにテンが、リュートとつながっていたのは、あの短いやりとりで明白だった。
ネクターがぴりっとするのも感じた。だってテンの一言で、今度は私が攫われかけたんだからね。
私も覚悟を決めて口を開こうとした矢先、おじいちゃんが立ち上がったことで虚を突かれた。
おじいちゃんはそのままテンの元へ歩いて行くと、なんと、その頭をはたいたのだ。
見た目幼女だというのに、思いっきり首がしなってその力加減の容赦なさがわかり、目が点になる。
「ひんっ! なにするんだ!」
「テンペスターレ。お前が言い訳せぬたちなのは百も承知しゃが。まず、言うべきことがあるじゃろうて。こやつらが協力したから、おぬしの好きなものが守れたのじゃろう?」
「だって、加害者に言われたって、うれしいこともないだろう?」
「お前は、はじめから気を回しすぎる。たとえ喜ばれずとも筋を通すのが礼儀と言うものじゃろう」
おじいちゃんに静かに一喝されたテンは、うろうろと視線をさまよわせていたが、その黄金の瞳を私たちへ向けると、深く頭を下げた。
「東和を助けてくれて、ありがとう。それから、ひどいことしてごめんなさい」
すごくシンプルで素直な言葉で、本当に感謝をして反省しているのが感じられたけど、それよりも。
「あの、もしや、お知り合いですか」
ネクターも私と同じことを考えていたようだ。
二人のやりとりは今、初めて会ったとも思えないほど気安いもので、そう考えるしかないのだけど。
案の定、テンはきょとんとした表情になった。
「あれ、フィセル、話してない?」
「まあ、話す前にお前さんが来たからの」
「うへえ、そっかあ」
「ちょっと待って、フィセルって」
耳慣れない名前に、私が面食らって聞き返せば、テンはきょとんとしていた。
「待つも何もただの名前だよ?」
「誰の?」
「こいつの」
「え」
「え?」
私たちのめんくらった表情でテンは理解が及んだらしく、さっきまでの殊勝な態度を一変して心底呆れた顔でおじいちゃんを見た。
「君こそ、名前を教えてなかったってどうかと思うぞ!? 昔っからものぐさだっけど、ものぐさ過ぎるんじゃないかなあ! この子、君の養い子だろう!?」
「特に必要を感じなかったからのう、こうなし崩し的にじゃな」
「というか、あたしより若いくせにじいちゃん言葉を使うのがきしょい! めっちゃきしょい! じじい顔もどうせふりなんだろう」
「お前こそ、若作りが過ぎるであろう。年食うどころか精霊もどきになりおって」
一歩も譲らずに応酬を繰り広げる二人は、息が合っていてどう見ても知り合いだった。
いや、まさかおじいちゃんに竜の知り合いがいるとはなあ。
「おじいちゃん、お名前があったんだねえ」
「そうだねえ」
ほへーと、感心するアールとともに二人の言い争いを見ていたののだが、ふと横を見てみれば、ネクターが怖いくらい驚いた表情で固まっているのに気づいた。
こう、まさか、というか信じられないという感じで。
「どうかしたかい? ネクター」
「……っあ、いえ。なんでも」
まったくもってなんでもない、という雰囲気ではないのだけど、ネクターが深く考え込んでしまったので、それ以上聞くのはあきらめた。
「まあ、ともかく! フィセルとは古い知り合いなわけ。出不精でものぐさなこいつがまさかこんなところまで来るとは思っていなかったけどね」
やれやれという感じのテンに、おじいちゃんは肩をすくめてみせた。
衝撃の事実がさらっと明かされていろいろ吹っ飛びかけるけれど、私は改めて幼女なテンに向き直った。
「とりあえず、外見が10代くらいになったら一発殴らせて」
怒りと言うよりは、けじめの一発に近いけど、さすがに今の姿じゃ殴りづらい。
……おじいちゃんは思いっきりやってたけど。
「うん。それはもちろん。君の旦那君と小竜ちゃんにはもう聞いたから君で最後なんだ」
思わず二人のほうを見れば、ネクターは黒くあいまいに微笑し、アールはどこかすっきりした様子で胸を張っていた。
「きちんと誓約していただきましたから」
「うん。ぼくもすっきりだよ」
「二人ともなかなかえぐかったデス」
テンが片言になるなんて、二人とも何を要求したんだよ。
戦慄したが、ネクターはおろかアールまでイイ笑顔で教えてくれそうにない雰囲気だったので、聞くのはあきらめた。
その後、テンは誓約の精霊を介して私に殴られることを誓ってくれた。
まったく、そんな律儀なところがあるから、憎み切らせてくれないんだよなあ。
それに東和を守るまっすぐな姿勢は尊敬出来て、人族とかかわりあい、触れ合いながらレイラインを整えていった姿は私の目標とも言えてしまうんだから。
最後まで振り回されたばかりだ、と思いつつも5人前はあったおひつご飯を空にして、ようやくおなかが落ち着いた。
たぶん、リュートにかけられた呪の影響が残っていて、魔力不足が空腹に感じられただけだから、魔力を回復しない限りまたおなかが減るだろう。
でも今は十分に元気が出た。聞きたいことも、受け入れる気力も十分だ。
「それで、テン本題だけど……」
私は気を引き締めて尋ねかけたのだが、どたどたと複数の足音が聞こえてきた。
「ラーワ様っ!」
『ラーワ様、起きられましたか』
そうして、美琴と真琴が、カイルとともに現れたことで、和気あいあいとした近況報告となり、テンとの話はひとまず置いておくことにしたのだった。