第42話 ドラゴンさんと嘆きの精霊
「ラーワに何をするのですか!?」
驚く気力もない私の代わりに、ネクターが叫ぶと、すぐに杖を構えて飛び出してこようとする。
けれど、その前に大柄な体格に見合う剣を持ったバスタードと名乗っていた男性型の精霊と、もう一人、見知らぬ白い服を着た女性型の精霊が阻んだ。
「っ!」
「久しぶりだねネクター。ただ僕はテンみたいに優しくはないから、何をするかわかんないよ」
「……なぜ、あなたがここにいるのですか」
「たぶん、それを一番に聞くものだと思うんだけどなあ。そんなに、この竜が大事?」
苦笑したリュートが、私を引き寄せたのを見計らって、刃のように鋭くした爪をリュートに突き立てようとする。
だけど、その前に耳元へささやかれた。
『汝は人 柔らかき肌と弱き四肢の者』
不思議な抑揚のつけられた古代語が、耳に滑り込んだとたん、私の指から爪が消えた。
どうっと体が重くなって、今度こそ立っていられなくなる。
なに、をされた? 四肢の頼りなさが増して、思うように動かなかった。
その間に腕の関節を極められ、身動きがとれなくなった結果、リュートへ体を預ける形になってしまう。
私は思い通りにならない体に焼けるような焦燥を感じながらも、少し離れた場所にいるネクターを見返すしかなかった。
ネクターは指先が白くなるほど杖を握りしめながら、リュートをにらみつけていた。
「なにをしましたか」
「人の身体能力になるように、呪いをかけただけ。だいぶ魔力が枯渇してるようだから、動けないだろうけどね」
リュートは深くため息をつくと、ネクターの後ろで膝をつく真琴へ視線を向けていた。
「なあ、テン。どうだった。この竜は代わりになる?」
正確に彼女の中にいる者に呼びかけたリュートに、真琴が口を開く。
「なるよ。条件を満たしていた」
真琴の声だったけれど、それは紛れもなくテンの言葉だった。
テンもひどく消耗しているのだろう。
けれど、テンとリュートが仲間だったという衝撃と、条件を満たしていたという言葉に対する疑問符に混乱するしかない。
その返答にリュートはわずかに瞑目すると、決意を宿して私を抱える手に力を込めた。
「そう。ならいい。じゃあ連れて行く」
連れていく? あれほど嫌っていた私を? なんのために?
「パレット、ベルガは来そう?」
「今向かってきてる」
「じゃあバスタード、こいつをよろしく」
「行かせません!」
頭が真っ白になっている間に、リュートからバスタードへと渡されかけるが、ネクターが魔力を練り上げて立ち向かおうとする。
相手は三体の精霊だ、無茶だ。と言おうとしても、全然声にならなかった。
代わりに、リュートが複雑そうな雰囲気で、ネクターを向くのがわかった。
「ほんとに、君はこいつが大事なんだな」
「当たり前でしょう!? 私にとっては、その人が唯一なんです!」
「なら、君も来ればいいよ」
ネクターは虚を突かれて、繰り出されようとした魔術は不発に終わった。
「これは僕の望みを叶えるために必要だから譲れない。だけど、ついてきてくれたら理由を教えてあげる」
リュートは平静に淡々と語っているように思えるけど、それは内側に押し殺された感情がわかるような声音で。
それで、私にもリュートが本気だとわかった。
ネクターにもわかったのだろう、さしのべられた手に薄青の瞳が揺れる。
このままだと、ネクターは来るだろう。知ることに貪欲で、何より私のことだから。
でも、
「だめ、だ……」
リュートの目的がわからない中でネクターを危険にさらしたくないし、アールを一人にしてしまう。
それは避けなきゃいけない。
だというのに声が出ないし、私の意志に反して意識を保っていることすら億劫だった。
魔力もからっぽで、体も全然動かない。
なすすべがないのはわかっている。でも、誰か。
何か……!
「なんともまあ、情けない姿だのう。不肖の弟子よ」
そんな穏やかな声が聞こえて。
石畳の隙間から、草木が溢れた。
「なっ!?」
石畳を持ち上げる勢いで氾濫する植物たちはネクターと精霊達はおろか、私とリュートすらも孤立させる。
リュートが体勢を崩したことで、私の拘束が緩み、急成長する植物たちの海に飲み込まれかけた。
だけど、その前に、ごく気軽に背中を支えられた。
「黒竜や、ずいぶん無茶をしたのう」
いくつも年を得たのがわかる深い声色は、この世界で一番なじみがあるもので。
だからこそ、私は信じられない心地でその人を見上げた。
褐色の肌に深いしわの刻まれてもなお、だからこそ味わい深く美しいともいえる顔に、艶のある白の髪をなびかせている。
さらにバロウ国風のしゃれた旅装に身を包んで、美老人ぶりに拍車がかかっている木精のおじいちゃんだった。
木精のおじいちゃんは、まるで本体の精霊樹から出てきたかのような気軽さで、ひょいひょいと、枝葉を飛んで安定した地面に降りてくる。
その間、私を抱えてだ。
今、私は一切体重をいじっていないから、それなりの重さがあるにもかかわらず、である。
意外と腕力あるんだな、と場違いなことを思っている間に、おじいちゃんはネクターの傍らに降り立つ。
とたん、ネクターの腕に囲われた。
「ラーワ、よかった……!」
ネクターの体温に安堵しつつも、驚きと混乱は収まらず、ひょうひょうとした態度で傍らにたたずむおじいちゃんを見上げるしかない。
「不肖の弟子よ、いちゃいちゃするのにかまけて、修行を怠っていたのではあるまいな」
「くっそんな、ことは。それよりも御師様。なぜ……」
「なんでお前がここにいる!?」
ネクターの問いかけをかき消す悲鳴のような声音に振り返れば、成長の止まった草木の間から現れるリュートだった。
だが、その表情にはさっきまでの余裕なんてかけらもなく、驚愕と、動揺に彩られている。
そんな彼に対しおじいちゃんは、いっそ違和感があるほど落ち着き払っていて、ただ厳しく目をすがめて呼びかけた。
「おぬし、あの自動演奏器の精霊じゃな。可能性としては考えておったが、自律思考まで得るとはわからないものだの」
私とネクターは声を上げないのが不思議なほど、驚いた。
おじいちゃんはリュートのことを知っている?
よくよく考えてみれば、リュートの反応も顔見知りに会ったような反応だった。
そこで植物の間から白づくめの女性も出てきて、一瞥したおじいちゃんはさらに厳しい表情になる。
「やはり、自動筆記具の精霊も一緒か。だがおぬしらには晦冥の封印を任せておったはずじゃ。なぜ現世に出てきておる」
「うるさい! あのヒトをなかったことにした癖にっ!」
おじいちゃんの詰問口調に青ざめたリュートだったが、そう叫んだ。
あのひと、って誰?
かいめいのふういんてなに。
だけど、そんな疑問をはさむ余地がないほど、二人の間には侵しがたい空気が流れていた。
「仕方なかろう。忘れるしかなかったのだ。忘れなければ守れなんだ」
「っ、仕方ないなんておかしいっ。どれだけあの人が悲しんでいるのか知らないのか!」
「なに……?」
そこで初めて、おじいちゃんの顔色が変わったけれど、リュートが顔をゆがめて叫んだ。
「僕はあのヒトを、アドヴェルサを忘れない! アドヴェルサを殺した世界なんて知るものか!」
「……何を言うても聞く耳は持たぬか」
息をついたおじいちゃんは、炯々とその緑の瞳を光らせて続けた。
「じゃが、これだけは言うておこう。あやつの封印がほどけかけておるぞ」
リュートの反応は、劇的だった。
「なん、だって……」
「おぬしの役割を思い出すがよい」
限界まで目を見開いて、それきり言葉をなくす彼に、おじいちゃんが近づいていく。
矢先、激しい破壊音とともに、光の帯が私たちとリュート達を分断した。
「リュート! 間に合ったっ!?」
飛び込んできたのは暗い色合いの服に身を包んだ麦穂色の髪の娘さんで、どう見ても若い頃のベルガだった。
あったはずの建物をぶち抜いたのは、彼女の周囲に浮いている魔術銃の束だろう。
私たちの前に立ちはだかるように陣取ったベルガは、真っ青な顔をしているリュートを振り返った。
「足止め、してるからっ!」
「っ!」
そこからは劇的だった。
目を見開き、何か言いかけるリュートを、突如現れた大柄なバスタードがさらう。
ベルガが開けた大穴からは雷がはじけさせながらカイルが現れ、ベルガに杖を振り抜き、交戦状態になった。
雷鳴と発砲音が響く中、逃がさないとばかりにおじいちゃんが腕を振るう。
瞬間、ふたたび植物が精霊たちをとらえようと動き出した。
それらはリュートを抱えたバスタードが、片手で軽々と大剣を振り回し、一つ残らず切り飛ばして無力化され足止めにしかならない。
『水穿弾』
けどネクターは神速で魔術を構築し、いくつも水の弾丸をはなった。
バスタードたちに触れる矢先、にじみ出るように壁が現れ軒並み阻んだ。
壁はすぐにぼろぼろに崩れ去ったが、パレットが手に構える絵筆を振りぬけば、あふれだす色彩から奇妙な生き物たちが現れ、ネクターとおじいちゃんを足止めする。
リュートが不安定な中でも楽器を構えて弦をならすのが見え、たちまち転移の魔法陣が現れた。
あれで逃げられれば、また話が聞けない。
「ラーワっ無茶を」
『影踏っ』
ネクターの静止の呼びかけを無視して、私は最後の力を振り絞って影を走らせたが、いつもよりもずっと弱い。
それでも、リュート達に向けて複数の帯となって襲いかかる。
バスタードが再び剣を一閃したものの、帯を一つ消滅させただけで残りが殺到した。
けれど。
寸前で気づいたらしいベルガが、虚空の銃をすべてこちらに構えて一斉掃射した。
光によって一切の視界が塗りつぶされれば、私の影も弱体化する。
手応えが消え、魔力が動く気配がして。
魔力光が収まった後には、カイルの腕の中で意識を失うベルガがいた。
あの光の中で、肉薄し、一気に意識を刈り取ったのだろう。
体内の魔力を意図的に乱すことで、そういうこともできるのだ。
けれど、荒れ果てた空間にはリュート達の姿はない。
また、聞くことができなかった。と思いつつも。
限界を迎えていた私の意識は、暗い闇へ滑り落ちていったのだった。





