第36話 ドラゴンさんは先輩に問う
テンの手を取った瞬間、意識が間延びするような、不思議な感覚を覚えた。
空間転移に似ているけれど、微妙に違う。
「場と場を繋げて移動してきたんだよ。ここはレイラインも通っていない、あたしの領域だから。こういうこともできるってわけ」
視界が蜃気楼のように揺らいだとたん、西大陸語に切り替えたテンの言葉通り、そこは、すでにあの庭ではなかった。
ただ、むき出しの地面と、青々とした空だけがあるその場所は、恐らく別の異空間だ。
そうして、その場にただ一つあるのは、石組みの祭壇だった。
表面のなめらかな石を隙間無く組まれて創られた平舞台の上には、地球時代の朱塗り鳥居に似たものが七つ、円を描くように立てられている。
さらに、石畳の上にはびっしりと東和の呪文字が刻まれていた。
シンプルで、だからこそ、厳かさと静謐さを感じさせるその場所に、私は知らずに息を呑んだ。
「さあ、君はあたしの願いに応えてきてくれた。なんでも聞いて良いよ」
軽やかな足取りで祭壇に上ったテンを見上げて、私は小さく息を吸った。
「ここに来て、見て、出会って。東和のいろんな一面を見た」
日常的に魔物が出る土地柄なのに、明るく日々を過ごす人々。
さらに西大陸では忌み嫌われていると言って良い魔族達と、協力し合い国を守っていた。
それは、私達があれほど手こずった蝕を倒すほど。
「この国はまるで楽園のように楽しそうだ。すごく居心地が良い場所、だと思った」
「だろう? あたしの一番の自慢だよ」
ふふんと、たちまち得意げな顔をするテンに、私はじれる心のままにぶつけた。
「ならなんで、完全に守ろうとしないんだい? あれほど完璧なレイラインの調整ができるのであれば、今以上に魔物が出てこない環境にすることも可能だろう?」
そう、この国に対する違和感はそれにつきるのだった。
この国は、私達ドラゴンが理想とすべき細密さでレイラインが整えられている。
にもかかわらず、あえて魔物が生まれやすい環境を維持しているようにしか思えなくて、私がもどかしいと感じる所以だった。
「大社の神としての君は、東和の歴史上に現れるたびに、良い方へと導いていった。この国にとても愛着を持っているように思える。なのに住みやすい環境にできるにもかかわらず、それを放置しているのは」
「決まっている。これが最善だと考えたからだよ」
にっこり笑って言ったテンは、両手を広げて軽やかに続ける。
「あたしはこの国が好きだ。この国に住む動物も植物も獣人も、人も、全部愛おしくて、全部守りたかった。だからあたしは、5000年前のあの日。同胞と縁を切った」
5000年前。またその単語に出会った。
蝕について知ろうとするほど、その年数に縁がある。
「5000年前に何があったんだい? ドラゴンの誰に聞いても知らなかった蝕を知っているのはどうして。無垢なる混沌って蝕ってなんなんだい? そもそも、どうして実体で出てきていないんだい」
聞きたいことは山ほどあって、でも未だに警戒が解けないのはそれだった。
彼女は、この場所に来ても、霊体、つまり実態のない幽霊みたいな状態なのだ。
ドラゴンみたいに魔力の固まりだからできることだけど、早々やるような技ではないし、やる意味も無いことだ。
なにせ、魔力が強い人じゃないと見えないんだから。
帝さんが見えていたのは、きっとカルラさんとの盟約のおかげだろう。
「いいや、この精神体が今のあたしそのものだよ。君を信用していないから実体で出てこないわけじゃない」
穏やかに言うテンに、私はさらに重ねようとしていた言葉をのみこんだ。
「うん。集約すると、その4つだね。順を追って答えていこう。それに、あたしは誰かに、いいや、同胞にずっと自慢したかったんだ。ざまあみろ、あたしは守り切っているぞ! ってね」
きらりと黄金の瞳をきらめかせて。テンは軽い足取りで祭壇を歩く。
その言葉で、確信した。彼女は本当に、ただ私達を……正確には私をここへ招くためだけにアール達をさらったんだと。
その姿を追って私も祭壇に上がれば、テンは朱塗りの鳥居の前で胸に手を当てて言った。
「まず、一つ目。なんで実体じゃないか。理由はあたしの実体はすでに機能していないからだ。この東和を襲った蝕を封印した時に、消滅したからね」
テンの表情には、後悔も怒りも、嘆きもなく、ひたすらに晴れ晴れとしていた。
きっと、東和という国を守った誇りから来るのだろうけど。
「うそ、だろう? だって、蝕はドラゴンに影響がないもののはずだ。そうじゃなきゃ、私は……」
ここには居ないはずなのだから。
世界の分体であるドラゴンが呑まれるのであれば、世界が消滅していなければおかしいのだ。
事実、私が呑まれなかったことで、ネクターと私は、この「蝕」という現象が世界の新たなバグという見方を有力視していた。
けれど、テンの実体が消滅しているのであれば前提が崩壊してしまう。
「やっぱり、君は触れても大丈夫だったんだね」
私が動揺を顕わにしていれば、テンはひどく納得した表情をしていた。
やっぱり触れても大丈夫?
それはまるで、私とテンが違うもの、のような言い方じゃないか。
けれど、テンはそのことには深く触れずに話柄を変えた。
「あたしは当時からずっと、ドラゴンたちの姿勢には疑問を持っていた。って言うか直接介入せずに、遠巻きに見守るべき、とか馬鹿じゃない? こんな楽しい生き物たちと一緒に楽しまないでなにを楽しむんだい! 辛気くさいレイライン調整は全部世界とそこに住まう生物のためならっ! その子達を眺めて愛おしんだ方がやりがいが生まれるだろうに!!」
と、思いつつ、テンが全力で力説するのには、思わずうなずいてしまった。
というか、全面的に賛成だ。
人という生き物は、目まぐるしくて、鮮やかで、全く飽きる暇が無い。
関わっているだけで、自分も生きてみよう頑張ろうって思えるんだ。
「だから、あたしはこの国を徹底的に守ることにした! そのときそのときで好きな子ができたら子供も作った! その子達が幸せで居られるように一生懸命考えた結果が今の東和だ。おかげですんごく良い子ばかりだようちの子達超かわいい!!」
「え、ええと?」
超きらきらとのたまうテンに、私はちょっぴり引いた。
だけど、テンはその反応が不満だったようだ。
「えー君だって子供もうけてるじゃないか。それと一緒。あたしが愛した人族達は、男でも女でもすぐに死んでしまうからね。頼み込んで土下座して、大切にするって約束して、子供を残してもらったんだ。そうしたら、いつまでも血族を愛していってやれるだろう? おかげで、みんな良い巫女として戻ってきてくれるし、大社はいつだって賑やかだ!」
からっからと笑うテンの表情には曇りひとつ無い。
つまり、もしかして……。
「巫女達って、みんな君の子孫なのかい!?」
「主だった巫女の家系はみんなそうだよう。5000年もたっちゃうとだいぶ薄まってるけどね。まこっちもみこっちゃんも良い巫女になったよなあ。えかったえかった」
心底嬉しそうなテンには私は言葉を失うしかない。
その昔、私がネクターにやろうとした、「子孫を見守っていこう」を国規模でやっていたという、スケールの大きさには、あんぐりと口を開けるしかない。
……一体何人と子供を作ったの? と下世話なことがよぎったのは気にしない方向で行こう。
巫女の家系が確か両手にあまるくらいあったはずだから……うん。
というか、ちょっとまって、男でも女でもって言った!?
「あ、そこ、あたしは愛があふれてる系のドラゴンなだけだからな? みんなそれぞれの良いところを全力で愛した結果なのだよ?」
にっこり笑うテンの迫力に気圧されて、私が黙り込むしかなかった。
カルチャーショックにぐるぐるしつつも、でも、と思わざるを得ない。
「なら、どうして、柱巫女制度なんてものを作ったんだい」
百数十年に一度、封印を強化するために捧げられるという柱巫女。
愛した人の子孫であるなら、なぜむざむざ犠牲にするようなことをしているのか。
そこまでしても、蝕は定期的に現れているのはなぜなのか。
そう聞けば、初めて、テンの表情がゆがむ。
「……五つに増えたね」
絞り出すような声音には、深い悔しさがにじんでいた。
はっとしているうちに、テンはぱっと指を二本立てた。
「二つ目。なぜ、完全に守らないか。これはもう、あたしの過失でしかない。この国を脅かした蝕は、一度は収められたけど、封印は完全じゃなかったからだ。5000年たっても未だに蝕は時空の向こうに揺蕩っているんだよ」
「え……」
目をまん丸にして見返せば、テンはさっきとは打って変わって、至極真剣な眼差しで言った。
「5000年前、あたしは東和を襲った蝕を退けようとした。けど大陸を半分持ってかれて、それでも、全部倒しきるまでには至らなかったんだ。だから実体を犠牲にして封じるしかなかった」
「ネクターと私は、君の属性は時ではないかと推察していた。時の流れを自在に操れるのであれば、きみが、精神体でいられる理由も、独力で封じられたのにも説明がつくけど……」
ドラゴンには私みたいに物質的な属性を持つものから、思念など概念的なもので顕現するものもいる。
彼女の高速移動が、時の認識をいじっていた結果であれば、私達が反応できなかったこともうなずける、と考えていたのだ。
霊体であるテンはたぶん、自分を現世とは違う時の流れに置くことによって、消滅を免れているのだろう。
そうすると、全く違う流れの中にいるわけだから、現世へのアクセスもものすごく面倒なはずなのに、全くタイムラグなしに会話ができるのは、すさまじいとしか言いようがないけれど。
「うわあ、もうそこに気づいているのか」
苦笑しつつも悲しみをにじませたテンは、深く深く、息をつく。
次の瞬間、黄金の瞳を炯々と光らせて続けた。
「封印と言っても、あたしができたのは現在に現れないよう先送りにするだけ。必ずほどけて蝕があふれ出すのは決定的だった。だからあたしは、いつか必ず来る災厄に、自分達で立ち向かえるように。あたしの子らを鍛え上げることにした。子らが理不尽を討ち果たす力を得るまで」
その強靭さと迫力に、私は圧倒された。
「まずは妖魔に慣れさせた。蝕は魔物を呑めばある程度は消滅する。けれど常時あふれさせるには危険が高すぎるし、子らが討ち果たせなくてはならないから。それから蝕の脅威を忘れさせないために、定期的に封印を緩めた。少しずつでも蝕を減らすことで、負債を無くしていく目的もあった。全ては子らが生き延びられるように」
いっそ冷徹さすらはらむテンの話だったが、そこから彼女の苦悩が伝わってくるような気がした。
愛でて甘やかすだけが、優しさじゃない。
たぶん、大社の神がドラゴンであると明かさないのは、頼らせないためだ。
決定的な部分で助けることができないから、自分達でなんとかしなきゃいけないと言う意識を持ってもらうために。
本当はひっくるめて守りたいけれど、それができないから、できる限りのことをする。
その形があの不自然なレイラインの整備の仕方だったのだと理解して、私は言葉を失ったのだった。





