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第33話 小竜は想いを垣間見る


 お茶を持って行ってくれる?という巫女のお願いを、アールは二つ返事で引き受けた。

 その持って行く先が、テンとそのお客様であると知ったからだ。


 こちらに来てから覚えた静かに歩く方法で廊下を歩けば、声が聞こえてくる。

 激しく言い争うような声は、テンと例のお客様のものだった。


「だぁーかぁーらぁー! ちゃんとやることはやってるじゃないかあ」

「確かに僕は君にあの竜が本物か確かめてくれって頼んだよ!? だけどどうしてそれが誘拐につながるのさ!?」

「うん、だからまこっちに無理を言って西大陸に出向いて会ってきた。いやあまさかまこっちの妹ちゃんがお世話になっているとは思ってなかったんだけどねえ。それでちょっと有望そうだったから、しっかり調べるためにこっちに来てもらうことした。迷いなく来て貰うためには悪者になった方が良いかなって思った。かわいい子が居たからさらってきた。ほらつながってる」

「うああああ全然わからない。話通じない……」

「ええー。方法は任せる、結果だけ聞かせてって言ったの君じゃないかあ。んでまだ審議中なの。おわかり?」 

「というかなんで竜に子供が居るんだよ!? そんな奇特なやつもう二度と居ないと思っていたのに……しかも精霊との子供だって、僕はどうしたら良いんだ」

「ヒトを奇特呼ばわりしたなあ! まったくひどいやつだ」


 ひどいやつ、と言いつつ、テンの声音はとても楽しげだった。

 自分のことを話していると気づいたアールは、ちょっぴりどきどきする。


「良いんじゃないの。半分はドラゴンでも、もう半分は君が大事にしている精霊じゃないか。あの子も君のこと慕ってるようだし、普通にかまってあげればよろこぶよ」

「僕も共犯なの、わかってて言ってるかい? というか、子供をさらったくらいであの竜がくるとでも?」

「来るよ。絶対。というか、たぶんもう来てる」

「っ……なんで、言い切れるのさ」

「あたしの転移に巻き込まれただろうから、っていうのもあるけどね。生き物の生殖本能ってやつとは全く無縁なドラゴンが子供を産むのは、よっぽどのことなんだよ。そんな気苦労背負って生み出したんだ。どんな困難があっても守り抜こうとするし、取り返しに来る」


 アールが引き戸の前でいつ入るか迷っている間に、引き戸が開けられた。

 上を見れば、テンがにっこり笑っていた。


「だから、後もうちょっと我慢して、あのお兄ちゃんに遊んで貰いな?」

「あ、え、あのお茶は」

「あげるあげるっあたしはおやつ食べられないしねー! みんなが気を使ってくれたんだよ!」


 言われてようやく思い出した。

 テンは巫女達の食事の場に同席しても、なにかを口にすることはなかった。

 霊体だから当たり前なのだが、あまりにも自然体でいるものだから忘れがちになってしまう。


「あ、そだ、今日はちょっと門の調子が良くないから、整うまでは使わないでね。それまで暇つぶしてよ。んじゃねー!」

「はあ? なんだよそれちょっと待て、あほ竜っ!」


 ごく軽い調子で言い残したテンが早業で去って行くのをアールがあっけにとられて見送れば、ばたばたと部屋から出てきた、淡い髪の青年と鉢合わせた。

 彼がたちまち気まずそうな顔になるのに、アールはひるんだけど、どきどきしながら声を出した。


「リュートさん、こんにちわ。あの、今日のおやつは水ようかんなんです。できたてがおいしいんだそうですよっ」

「……はああ、もう君も……なんでそう……」


 頭を抱えて深くため息をつくリュートから、次の言葉が発せられるまで、アールはじっと待っていたのだった。










「いいかい。僕は精霊なんだよむぐ……。だからこうやってものを食べる必要なんて一切ないんだから、はむ……まったく、豆を砂糖で煮ただけなのに何でこんなうまいんだ」

「おいしいお水を使うと、おいしくなるんだそうですよ」

「人は妙なところにこだわるなあ!」


 結局、リュートは文句を言いつつも、水ようかんをアールと一緒に食べてくれた。

 みるみるうちに小豆色のようかんがなくなっていくのは、見ていて気持ちが良いほどだ。

 どうやら甘い物は好きらしいと、アールは心のメモ帳にしっかりと書き込んだ。


 数日前、この大社にやってきたこの青年は、アールを見ると驚愕の表情を浮かべて、すぐさま出てきたテンと口論をし始めた。

 青年が一方的に詰問している状態だったけれど、予定が違う、とかテンを責める言葉だった。

 よくわからないことばかりだったけど、青年――リュートが精霊で、テンの仲間だと言うことだけは理解できたのだ。


 リュートはあの門を一人で起動させることができるらしい。

 時折、女性型の精霊を伴っていることはあるが、三日と空けずこの大社に現れてテンと騒々しい口論を繰り広げる光景は、見慣れたものとなっていた。


 最後のひとすくいまで食べきったリュートは決まり悪そうな表情をしていたが、さっと立ち上がった。


「どこ行くのですか」

「どこだって良いだろ。僕は君の面倒なんて見る気ないから」


 そう言い置くと、リュートは止めるまもなく、傍らにいていた楽器を背負ってさっさと部屋から出て行ってしまった。

 アールも急いで食べ終えて、お盆を台所へ返しおえたあと、外へ出る。


 花々が咲き乱れる庭に出れば、それとなく外で働いている巫女達が目についた。

 彼女たちとすれ違えば、期待を込めた眼差しを向けられたアールは、垣根の合間に作られた小道を行く。


 そうすれば、いくらも歩かないうちに、屋根のある小さな東屋にたどり着いて、その下にリュートが腰掛けていた。


 ふてくされた様子で楽器を降ろそうとしていたリュートは、息を弾ませるアールを見るなり、いらだたしげに声を荒げた。


「だから、なんで僕のところに来るかなあ!?」

「その。西大陸語でお話しできるから」


 もちろん美琴とは毎日西大陸語で話すのだが、やっぱり彼女はこの国のヒトだから、少し疎外感を覚える。

 だから精霊である彼からなじみ深い言葉が聞けると、なんとなくほっとしてしまうのだ。


「あとは、今日もリュートさんが弾くんじゃないかなって思って」


 わくわくと向かい側に座れば、彼、リュートは無意識にしていた調弦の手を止めて、目をすがめた。

 とたん、ひんやりとする空気にアールは少しひるんだ。


「僕は加害者、君は被害者、わかってる? 僕は君を利用して居るだけ。なれ合う気はないし、意味のない行為なんだよ」

「とうさまとかあさまを知っていても、ですか?」


 ずっと聞いてみたかったことを聞けば、リュートは酷薄に吐き捨てた。


「知っているからって仲良しこよしな訳がないじゃないか。僕がこの世で一番嫌いなのは、要の竜なんだから」


 リュートからしたたり落ちるのは、紛れもない負の感情で、本物だ、と言うのがわかって心にちくりと痛みが走る。


 負の感情を向けられるのは、初めてではない。

 学園で年長の集団に混じっていれば、影でいろんなことを言われているのは、うすうすわかるものだ。

 けれど、嫌い、と面と向かって言われたのは初めてで、アールはとっさになにを言ったら良いのかわからなかった。


「なんで、きらいなんですか」

「だれだって、大事なものが踏みにじられれば、嫌いになるだろう?」

「なにをされたんですか」

「聞いて、どうするんだい? 君なにかできるとでも? なんでも聞けば答えてくれると思ってるのは傲慢だよ」


 リュートが冷えた声音で言い放つのに、アールはきゅっと着物を握りしめる。

 それでも、その場にいれば、深く息をつく音がした。


「……だから子供は嫌なんだ。無知すぎて怒ることすらばからしくなる」


 視線を上げれば、リュートは無造作に調弦用のねじを回し、時折つま弾いて、調整をし始める。

 一つのねじに二本の弦が張られているから、つま弾かれるたびに二重に重なったような音が響いた。


「君の親、いくつなの」


 そんな繊細な作業に見惚れていたアールは、問いかけられたことに驚いた。


「え、えっと、どっちですか?」

「両方」

「とうさまは二百年に足りないくらいで、かあさまは五百年より多いくらいだったと思います」

「……そんなに若かったんだ」


 リュートは調弦の手を止めて、呆然と声を漏らした。

 アールにはリュートが驚く理由がよくわからなくて、首をかしげた。そもそもどちらのことを言っているのだろう。

 その疑問が顔に出ていたのだろう、あきれたように言われた。


「千年単位で存在するドラゴンの中では若いだろう?」

「ぼくが一番若いですよ?」

「まあ、その竜から生まれたんなら、そうだよね」


 はあと、また深いため息をついたリュートは無意識にだろう、構えた楽器の弦に、指を滑らせた。


「若ければ、知らないのも道理、か」


 つぶやかれた言葉は、アールに疑問をおいていくけれど、つま弾かれた音に耳を澄ませた。

 ただの調弦用の曲だとアールは知っているが、柔らかく、忍び寄るような切ない旋律は、美しい。


「ぼく、リュートさんの、演奏。好きです」


 ほろりとこぼれた言葉に、ねじを巻こうとしていたリュートが一拍、動きを止めた。

 形容しがたい表情でアールを見て、なにか言おうとして開いた口を、閉じる。

 不意に、ざらっと指がすべらされ、和音が響いた。


「一曲。だけだからね」

「はいっ」


 あきらめたようににつぶやくリュートに、アールは期待に胸を膨らませて姿勢を正した。

 暇があれば、彼がリュートを奏でるのは知っていた。


 初めて聴いたのは、初日。

 テンポの速い曲で、がつんと殴られるようなそれはアールの心を激しく揺さぶった。


 その次にはゆっくりとしたなめらかな曲。

 庭にふく風すらも静まるような柔らかさにうっとりと聞き惚れた。

 手が痛くなるほど拍手して、聴いていたことに気づいたリュートは嫌そうな顔をしても奏でることをやめなかったから、アールは遠慮なく目の前で聴いていた。


 ただ、それらはどれも歌詞のない曲だったのだ。


 けれど、今回は違った。つま弾くような旋律は普段に比べて主張は少ない。

 どこか哀愁の漂う和音に載せられたのは、柔らかく染み渡るような声だった。


 どこまでも澄みきっているのに、圧倒するような存在感を放つそれで紡がれるのは、古代語だった。


『水面に落ちるは 哀哭の雫 しかして気づく者はおらず

 悠久の夜が過ぎ去りしこの世にて 我は密やかに語る

 白き銀の艶めきと 深き蒼を抱くその者を 名を忘れ去られしかの者を


 天を愛おしみ 地を慈しみ 世を愛し育んだ 

 しかして その声は 天には届かず 地には響かず 世には知られず 

 眠りを脅かすものは無く 言の葉にのみ名残をとどめ

 晦冥(かいめい)の底へ 密やかに沈む』


 それは悲しい歌だった。

 痛くて胸が張り裂けそうな、寂しくてたまらない、そんな切なさがあふれるような歌だった。


 哀愁を帯びた一音が鳴り終えたとたん、アールの瞳から涙がこぼれる。

 頬をつたった雫は、透明な結晶となって膝へ落ちた。


「ふっ、く……」


 こらえきらずに嗚咽を漏らせば、リュートが複雑そうな表情で見つめていた。


「ただの歌だよ。何で泣く必要がある」

「だって、悲しいっ……忘れちゃってるなんてっ」

「……意味がわかってたのか」


 しくじったと言わんばかりに舌打ちをしたリュートに、アールは涙をぬぐいながら問いかけた。


「その後はどうなるの? その人は目覚められないの?」

「もう一度言うけど、これはただの歌だよ。感謝もされずに、誰からも忘れられて、それでおしまい」

「誰か、そばに居てあげられないの?」


 アールがすがるように問いかければ、リュートの顔がゆがんだ。


「……そのために、どうにかしようとしてる」

「え?」


 あふれそうになる感情に気をとられていたアールがぽかんと見返したが、リュートは荒々しく立ち上がった。


「帰る」

「リュートさん?」


 アールも立ち上がれば、小道を歩いてくる美琴が見えた。

 明らかに泣きはらしているアールに驚いた顔をした美琴は、尻尾を逆立ててリュートを睨みつけた。


「なにを、したの」

「その子が勝手に泣いただけ。門が使えるって、知らせに来たんだろ? 勝手に行くからその子がひっついてこないように見張っててよ」


 とっさに追いかけようとしたアールは、かばうように肩に載せられた美琴の手に阻まれた。


「あ、あのっまた!」


 別れの挨拶に答えはなく、リュートを負った背中は小道の向こうへ消えていった。


「アール、大丈夫? なにか嫌なことされたりした?」

「リュートさんの演奏が、すごく心に痛かったんです」


 うまく言葉にできずに尻つぼみになったが、美琴は安堵のため息をついていた。

 それでも、すぐに表情を引き締める。


「ねえ、アール。あの精霊は、テンの仲間だよ? どうしてそんなに近づこうとするの?」


 理解できないと困惑の色を浮かべる美琴に、アールはぼんやりと思い出す。

 彼の奏でる演奏はとても素晴らしいのだけど。


「なんだか、とても悲しそうで、つらそうだから」


 そこからいつも感じるのは、痛みと慟哭で。

 アールは気になってしまうのだった。


 さらに困惑を色濃くする美琴の隣で、アールは彼の歌を思い返す。


 一体、なにが苦しいのだろうか。



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