第29話 ドラゴンさんと帝さんの決意
『ラーワ殿この国をどう思う』
『……正直言うと、びっくりした』
帝さんが串をもてあそびつつ、問いかけてきたのに、私は素直な感想を漏らした。
この東和では、比較的魔物や幻獣の出現が多いバロウよりも、ずっと魔物の出現率が高い上、蝕まで現れる。だと言うのに、驚くほど豊かで、町の人の顔にも活気が満ちていた。
初めて見たときは、みんな、魔物や蝕への危険意識が薄いのかなって思ったくらいだ。
けれど、彼らは街の近くに魔物や蝕が現れた合図である鐘が鳴ったとたん、避難を始める。
朗らかに話しつつも緊張は帯びたまま、そして、討伐に行く守人や巫女、そして魔族にすら声援をかけて送り出すのだ。
魔族達も、人間達をそれほど邪険に扱っているようには見えず、見知らぬ人に声をかけられても気安く軽口を返す光景はなんだかすごく不思議だった。
彼らはどれだけ危険なものかわかっていて、その上で悲観もせずに笑って毎日を送っている。
それはきっと、この国が長い時間をかけて培ってきた気質と信頼の形なのだろう。
そんなふうに私がこの一週間で感じたことを口にすれば、帝さんは自慢げな顔でうなずいていたが、不意に雰囲気が変わる。
『だが、その繁栄が、柱巫女を贄としてなりたっておるとしたら?』
凍てつくような怒気がにじむそれに、私とネクターは面食らった。
『大社の巫女達は、神々達との折衝のほかに、この東和を守る結界を維持しておる。それは、これ以上妖魔をのさばらせぬために、その昔大社の神が張り巡らせたと言われておるものだ。だがときおり、それがほころびるのだ』
『ほころびる?』
淡々と語る帝さんに問い返せば、帝さんはうなずいた。
『ああ、百十数年に一度のことであるが、八百万の神々の語りによって、正確な伝承が伝えられておる』
そうしてちらと、帝さんが見れば、傍らにいたカルラさんは食べ終えた串を置いて、姿勢を正した。
『私は二度、ほころびた時期を経験しました。見渡す限りすべてが白の妖魔で覆い尽くされ、この世に存在しうる者が全て食い尽くされてゆくのです。よくもまあ、あの地獄を生き残れたと思います』
ぶるりと本気で震えるカルラさんに私は息をのんだ。
『我ら魔族は、この身を魔力で補っておりますから、無垢なる混沌に触れれば容易に身が削れ、浸食されます。あれほど無力を思い知ったことはありません。1度目のほころびの期、私は倒れた同胞の魔核を拾い集めることしかできませんでした。それでも、魔核が残った者は幸運で、魔核ごと消滅してしまった同胞の方が多かったのです』
カルラさんの褐色の表情が、硬質さを帯びる。
魔族である彼女が恐怖をあらわにするのが異質で、それだけのことが起きたのだと言うのがよくわかった。
『二度目の夜は、魔核に戻りこそすれ、消滅する同胞は少なかった。ですが、私は盟約者を失いました。当時はまだ盟約の術が不完全で、当時の私の盟約者は全ての力を私に与えて死にました』
深く悼む声音はカルラさんの本心で。
……ただ、シリアスなのはわかっているんだけど、口元にあんこがついていたりするのは教えた方が良いのかな。
『カルラ、まじめに話すだけ、口元にあんこをつけている滑稽さが際立つぞ』
『は、早めに教えてくださいよ!!』
『つけないように食べることを覚えれば良い』
案の定帝さんに指摘されてかああと、頬を赤く染めて再び手拭いでぬぐうカルラさんに、私は聞いてみた。
『それだけ恐ろしいものなら、どうして逃げなかったんだい? 魔族である君なら、一人で避難することはできるだろう?』
『け、結構えぐいことを聞くのですね』
引きつった顔になったカルラさんはだけど、ためらうそぶりも見せずに答えてくれた。
『あの竜と結ばされた契約があった、と言うのもありますけど、この東和はそれを差し引いても飽きないんですよ。楽しくて面白くて、ここを居場所にしたいって思ったんです。けれど、あれは違う』
明るかったカルラさんは、不意に表情をそぎ落とす。
『あの理不尽がこれからも襲ってくるなんて冗談じゃありません。断じて、あんなものが何度も来ることを受け入れるわけにはいきません』
『だから余は、そなたを選んだのだ』
怒りに燃え立つカルラさんに、帝さんは満足そうに笑う。
その強い意志のこもった黒の瞳が、私に向けられた。
『ほころびの期は、大社の巫女達の尽力と、柱巫女の尊い命によって治められる。犠牲によって守られることを民は知らん。それがいにしえよりの定めであった。それでつつがなく平和が保たれていた。だが、柱巫女も東和の民なのだ』
憎悪にも似た激情を燻らせて、帝さんは言葉を続けた。
『ああ、確かに、帝は八百万神と無数の民の命を守らねばならぬ。最小の犠牲で最大の守りを。それも上に立つ者に必要な決断だ。だが、何度も繰り返すのは下策中の下策である!』
机にたたきつけられた拳をぐっと握りしめ、帝さんは心をむき出しに言う。
『本当に命を犠牲にせねば納められぬのか。そもそもほころびを起こさぬ方法はないのか。以前のほころびの記録よりすでに100年以上たっている今、間違いなく余の治世のうちに柱の儀が執り行われるであろう。その場合、当代柱巫女である天城の娘が贄となる。歴代の帝が、何度も何度も何度も挑み破れ、それでも積み重ねてきたこの因習を、余の代で打ち破ると決めているのだ』
言葉が途絶え空間に、しんと沈黙が降りた。
東和を守る結界と言うものがどういうものかはわからないけれど、それを守るために、真琴が死ぬ。
もちろん、この話を鵜呑みにするのは良くないと思う。
真琴自身がそれを知っているのか。テンがなぜ、蝕を完全に封印せず、そんな儀式を繰り返しているのか、わからないことだらけだ。
だけどそれを止めるために、帝さんとカルラさんが本気で戦っているのは事実だろう。
『余の以前にも、打ち破るために策を練り、手法を考えた者達の積み重ねで、その方策はできあがりつつある。だが、どうしてもこれ以上は、大社の神と柱巫女の協力が必要なのだ。だと言うのに、再三働きかけても大社は耳を貸そうとはせず、今期の柱巫女が選ばれてしもうた』
帝さんは、不敵に、大胆に、笑って見せる。
『ならば、しかたがない。こちらから出向いてでも話を聞かせるまでよ』
そう締めくくった帝さんを、私は感嘆の想いで眺めた。
この人は、ただの人だ。
確かにほかの人族よりは武芸に覚えがあって強いけど、魔族と比べればそうでもないし、魔術も魔法も魔族より使えるわけでもない。
蝕の恐ろしさも理不尽さも理解しているのに、その上でこの国の全てを守ろうとしている。
その姿は傲慢で、無謀でしかないはずなのに、なんだか無性にまぶしかった。
仙次郎が慕うのも、この国の人が彼を敬うのもわかる気がする。
この人なら、本当になんとかしてしまいそうだ。
しみじみと思いながら、私がそっとネクターを見れば、ネクターも似たような表情をしていた。
《すごいね。こんな人族が居るんだ》
《ええ、希有な方だと思います》
《……どうする?》
《あなたの、望むままに》
思念話で、考えを確かめ合えば、見計らったように帝さんが問いかけてきた。
『これが、余の腹だ。そなた達の腹はきまったか?』
『うんわかった。それなら……』
『はあっ!?』
言いかけたとき、不意にカルラさんが大声を上げてびくっとした。
一斉にカルラさんを見れば、彼女はその目の焦点が合わない感じは、遠くの誰かから思念話を受け取っているようだったけど、思わず声を上げてしまったと言うことだろう。
視線が集中していることに気づいたカルラさんは申し訳なさそうにしながらも、緊迫した面持ちで言った。
『申し訳ありません。沿岸にいる同胞からですが、外部から来たらしい魔族が2体現れて暴れ回っているのだそうで、手がつけられないと連絡が入ってきました』
その報告を聞いた帝さんは瞬時に表情を引き締めた。
『外からの来訪は久方ぶりだな。できれば大社の神に見つかる前にどうにか宥めたいものだが、特徴は』
『1体は翅を持った巨大な海月で、巧みな幻術を使うと。もう1体は人型ですが、速度が段違いで雷撃を振るわれるとのこと。2体とも上位魔族と推定され、応援を求められました』
映像を送られているのかこわばった表情のカルラさんの報告に、だが私とネクターは珍妙な顔をせざるを得なかった。
なんか、ものすごーく覚えがあるって言うか、ええと、ね?
『この時期に損害を出したくはないか。しかたな……』
『あの、帝さん』
おずおずと手を上げて主張すれば、帝さんとカルラさんの視線が集まり、納得した顔になる。
『そうであった。そなたがいたな。頼めるか』
『あ、もちろん行くけれど、意味はちがってね。たぶんそれ、身内です』
二人がすごい顔をして黙り込むのに、何というか非常に申し訳なさを覚えて縮こまったのだった。





