第24話 小竜は静かに日々を待つ上
アールはぱちりと目を覚ました。
知らない板張りの天井は、この十日で慣れ親しんでしまった光景だ。
ほんの少しだけ落胆して、布団から起き上がる。
直接床に敷く様式の布団には、びっくりしたけど、寝相が悪かった時に転げ落ちて起きてしまわないのは良いのかも知れない。
アールが起き上がれば、すでに美琴は布団をたたみ、着替えていた。
白い、袖のたっぷりとした上着に、袴と呼ばれるひだが寄せられた赤い下穿きをはいた美琴は、アールが起きたことに気づいたのだろう、ふさりと尻尾を揺らして振り返った。
「アール、おきた?」
「おはようございます、みこさん。ちょっと寝坊しちゃいましたか」
「大丈夫、まだお務めには時間がある、から」
アールは美琴と言葉を交わしつつも、素早く布団をたたむと、枕元においていた美琴と同じ着替えを身につけていく。
ひもだけで着付ける東和の衣装に最初は戸惑ったものの、今では慣れたものだった。
しっかり身につけたアールが、髪をひもでまとめれば準備は完了だ。
最後に手首にはまった腕輪をきゅっと握りしめる。
両親が丹念に編み込んでくれた術式が、まだ生きていることを感じて力を貰い、外に出ていた美琴と合流した。
『では、行きましょうか』
『はい!』
気合いを入れるために、東和国語に切り替える。
そうしてアールと美琴は連れだって、板張りの廊下を早足で歩いて行ったのだった。
*
今日も奥向きの一角でアールが四つん這いでぞうきんがけをしていたら、聞き慣れたハイテンションな声が聞こえた。
『おっはよー! 今日も元気にお仕事してるね!』
『……おはよう、ございます』
複雑な心境のアールが手を止めて挨拶を返せば、今日も派手な小袖を身にまとったテンが困ったように眉尻を下げていた。
『そんな顔しないでくれよう。かわいい顔が台無しだよ?』
『無理矢理つれてこられれば、だれだってこういう顔になると思います』
テンの軽口にはもうだまされないと、アールがつーんとした態度をとっていれば、そよりと空気を揺らして、服から髪から肌から全身白づくめの少女、真琴もあらわれた。
『そうでございますよ、テン。わたくしたちはかどわかしの下手人なのですから、仲良くしようなんてどだい無理な話なのです』
『ええーでもさあ、かわいい子とはやっぱり友好的でいたいじゃないか! ほかの巫女とは仲がよさげだからなおさらに!』
堂々と正論を言い切る真琴に、テンがひどく情けなさそうな顔になるのに、アールはさらに言った。
『だって、巫女さん達はみんな良くしてくれるもの』
『あたしたちの共犯者なのに? 不公平だよ不公平!』
ぶつくさと抗議するテンの言葉が、ほんのちょっぴりアールの胸に刺さった。
あの日、アール達の連れてこられたのは「大社」と呼ばれるところで、そこでは年齢も種族も様々な女性が共同生活をしていた。
朝は日が昇るのと同時に起きて、お掃除や、食事作りなど作務と呼ばれる当番制のお仕事をこなしていく。
その後に全員そろって朝ご飯を食べて、それぞれ割り当てられた仕事へ行き、夕方には社内にいる全員が集まっての食事の後、交代で風呂に入って就寝、といった規則正しい生活を送っていた。
アールと美琴も数日前から、そんな彼女たちに混じっていた。
彼女たちは、突然来たアールと美琴を快く迎え入れてくれたのだが、初日に、テンは彼女たちにあっけらかんとこう紹介したのだ。
『なんやかんやあって拉致ってきた。しばらく一緒に暮らすからよろしく!』
丁度朝食の場だったのだけど、、その時の巫女達の剣幕はすさまじかったと、アールはしみじみ思い出す。
なにせテンを床の上に正座をさせると、この大社にいる数十人の巫女達全員で囲んでこんこんとお説教をし始めたのだから。
床は植物で編み込まれた「畳」と呼ばれる、比較的柔らかいものとはいえ痛そうだった。
実際、お説教が終わった頃にテンさんはうまく立てなくなっていて、アールと美琴はちょっぴり胸がすく思いがしたものだったが。
彼女たちがとがめたのは、アールと美琴を巻き込んだことに対してで、それが必要だったというテンの言葉には誰一人として文句を言わなかったのだ。
彼女たちはよくしてくれても、アールと美琴を外へ出る手助けはしてくれない。
抜け出せないかと頑張ってみているが、アールのドラゴンとしての能力をフルに活用しても、出ることはかなわなかった。
なによりここを抜け出したとして、巫女達やテンの追撃を逃れてラーワ達と合流できると思えない、と話し合った結果、二人はこの大社で期を待つことにしている。
ただ、逃げ道を教えてくれないという以外、巫女達はアール達を家族のように迎えてかわいがり、いろんなことを教えてくれた。
大社、というのは東和中にある巫女の家系から一番優秀な巫女がお務めに出てくる……と、言われている。
けど実際はテンが見えて、彼女自身が気に入った巫女だけが残り、ほかは分社へ行くこと。
テンが割とセクハラをすること。でも愛はあること。
大社の巫女の役目は、周辺に出現する、とても強い魔物を倒すこと。
そして、とても大事なものを守っていること。
彼女たちの話の端々には、テンを慕う感情が透けて見えた。
『ごめんなさいね。テンに教えても良いって言われているのは、ここまでなのよ。あとは自力でたどり着いてって』
そう言って、一番年長の巫女は申し訳なさそうな顔をする。
それでも彼女たちは、こぞって文字や、風習や文化、さらには巫女達の使う魔術まで教えてくれた。
なぜ、そこまでしてくれるのかよくわからない。
けれど、向けてくれる好意が本物だというのはわかったから、アールは彼女たちと普通に話せるのだ。
だから、テンに返す言葉は決まっている。
『皆さんは怒ってくれましたから別格です』
『ええーん。まこっち、子竜ちゃんがいじめるよう』
アールが真顔で言えば、テンは涙目で真琴に抱きつこうとしたが、彼女は尻尾を流れるように動かしてその手を避けた。
『当然ですから、触るのは禁止です』
『これがあたしの癒やしなのにぃ』
盛大に嘆くテンに、近くで清掃作業をしていた巫女達がくすくす笑っていた。
テンが尻尾や耳を持った獣人だけでなく、巫女達全員に同じことを持ちかけるのをアールは知っている。
アールはテンと彼女たちの間に流れる、気安い関係が不思議だった。
いちおう、敬うという姿勢はあるのだが、何処か家族のような親しみがこもっている。
あれ以降、テンはアールを名前で呼ばない。
拉致をしたのに、そういう気づかいをするのも不思議でよくわからない。
ただ、少なくともアールと美琴を手厚くもてなすのは確からしい。
それよりも、真琴が起き上がっている、ということが気になっていると、とっとっとっと軽い足音が響いた。
『お姉ちゃん、ここにいたんですか!』
廊下の角を現れたのは、ぴん、と黄金色の狐耳を立たせた美琴だった。
『あら美琴、おはようございます』
『おはようございます……ってそうじゃなく! また診察をほっぽり出しましたね。呪医が困り果ててました。ちゃんと受けてくださいよ!』
つい、素に返って返事をした美琴だったが、当初の予定を思い出して目尻をつり上げた。
ああまたかとアールは、にこにこと微笑む真琴に視線をやった。
『自分の霊力の調子くらい、自分でわかりますもの。もう大丈夫ですのに、みなさん心配しすぎです』
『丸三日寝込んでいた人が言いますか!?』
『それは霊力の大量消費が原因でしたと言っているじゃないですかもう』
唇をとがらせる真琴に、美琴がもどかしそうにさらに言葉を紡ごうとした矢先、テンが割って入った。
『真琴、診察は受けるって約束だろう? 君を心配してるんだから、その気持ちはくみ取ってやらなきゃ』
『むう、テンまで言いますか。しょうがないですね』
打って変わって真摯な眼差しのテンに見下ろされた真琴は、ゆるりと頭を下げた。
『お騒がせしました。では、後ほど朝餉で』
『お大事に』
アールがそう言葉をかければ、真琴は穏やかな笑みを一つ残してテンと共に去って行ったのだった。
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