第18話 ドラゴンさんと緑の嵐
『だ、誰です……?』
いきなり真琴が見知らぬ女性に変わるという事態に、美琴が呆然とつぶやいた言葉は、この場にいる全員の心情を表していたと思う。
驚くことが多すぎて頭の整理がつかないでいる間にも、現れた緑髪の女性は感心したように。
『いやあ、知ってはいたけど、魔語ベースで変化した言語なんだねえ。ちょっと意外だったよ。っと、これじゃわからない子もいるんだったね。なら「これでわかるかい?」』
突然、なめらかな西大陸語を話し始めた女性にアールが目を丸くする。
「西大陸語をしゃべれるの!?」
「ふっふっふ、その通りだよ、子竜ちゃん。そんじょそこらの竜とは違って、あたしは日々の学習を忘れないからねえ。読みも書きもばっちりさ!」
アールのことを子竜と呼び、やったらハイテンションで胸を張った女性は、服の裾を翻しつつくるりと私達を見渡した。
「まずは自己紹介が必要だね。あたしは【螺旋を描く嵐の刻】。気軽にテンさんって呼んでくれ。以後よろしく今の竜たち!」
「今の竜?」
まくし立てられた私は混乱の極みにあった。
こうして目の当たりにすれば明白だった。彼女は間違いなく私の同胞であるドラゴンだ。
金色の瞳も、魔力の気配もそうだと結論づけている。
だけど、私は彼女に出会うのは初めてだったのだ。
ドラゴンたちはドラゴンネットワークで緩くつながっているから、ほぼ全員が顔見知りだ。
名前を知らなくとも、魔力の気配を知らないなんてことはあり得ない。
だというのに、この【螺旋を描く嵐の刻】と名乗った竜のことは記憶になかった。
「嬉しいもんだ。まだ新たな竜が生まれてくれるとは。しかも記憶を制限していない上にかわいい女の子の姿! なぜかあいつら、おっさんばっかり選んでたからねえ。いいねいいね最高だよ!」
テンさん、と呼んで欲しいらしい竜がはしゃぎながら近づいて来るのに、私はなんだか不穏な気配を感じて一歩引きかけた。
だけどその前にネクターが割り込んできてくれる。
「恐れ入りますが、ぶしつけすぎるので距離は保っていただければと」
「おや、残念。というか、旦那持ちなんだよねえ。ますますすごい」
ネクターに剣呑なまなざしを向けられたにもかかわらず、テンさんは全く動じず、むしろ嬉しそうに表情を緩ませるばかりだ。
背にかばわれた私が、ちょっぴりきゅんとしつつ様子をうかがっていれば、後ろで魔力の揺らぎを感じて振り返った。
そこには、なぜか人型をとったヴァス先輩がいて、滅多に見ないほど驚きの表情をあらわにしていたのだ。
普段全く表情を変えない先輩だ。すごく珍しい。
テンさんも先輩に気づいてきょとんとしていたけど、一気に表情を輝かせた。
「と、思えばおやおや? ヴァス坊じゃないか! 頑固一徹だった坊やが人里にいるなんて珍しい! 時はずいぶんたつものだねえ……」
「ヴァス坊」という呼称が、先輩に対してのものだというのに目が点になった。
ちょっと待て、私が親しい中で一番年上のはずの先輩を坊や呼ばわりなんて、いったいこの人は何なんだ?
テンさんは嬉しそうに頬を緩ませていたのだが、先輩の方は全く友好的じゃない。
どころか、厳しく金の瞳をすがめてその手に魔力を凝らせ始めたのだ。
「告、汝の正体を明かされたし。汝が【螺旋を描く嵐の刻】であることはあり得ない。直ちに回答がない場合、敵性として拘束する」
「え、待って先輩、そんないきなり!」
今にも攻撃を加えようとする先輩にびっくりして止めようとした私だったけど、その前にテンさんが進み出てきた。
「ああそうか、君は忘れなきゃいけないんだったね」
ちょっと寂しそうな声音で言ったテンさんは、ヴァス先輩に近づいていく。
「だけど今はだめなんだ。ちょっと退場していてくれよ?」
「……決裂と判断、拘束する」
とたん、先輩から膨大な魔力があふれ出す。
すると、木製の家具が緑を取り戻して、テンさんに向けて一斉に襲いかかったのだ。
この家は全力で防護術式と隠ぺい術式を張り巡らせているから、外には漏れないとはいえ、命のない木を擬似的にでも生き返らせるなんてめちゃくちゃだ!
なのだが、テンさんは焦ることもなく、ぴんと、指をはじいただけだった。
「たかが端末で、あたしに勝てると思ってるの?」
刹那、彼女の四肢を拘束しようとしていた木々は、しおれて力をなくしたのだ。
それでも、さらに動こうとしていた先輩だったけど、肉薄したテンさんがその額にデコピンをかましたとたん、ミニドラゴンに戻ってしまう。
「先輩!?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと眠って貰っただけだからさ」
空中から落ちていこうとする先輩を受け止めたテンさんを、私達はただ見守るしかなかった。
美琴は急激に上がった魔力濃度に真っ青になっているし、仙次郎はさらにテンさんの体術にうなっている。
私も彼女がいつ動いたのか、全く見えなかった。
しかも危害を加えたにもかかわらず、テンさんは優しくすらある手つきで先輩をソファに横たえている。
先輩がどうしてあんな行動に出たのかはわからないし、そんなこともあって警戒しきることも出来ず、結果的に立ち尽くさざるを得なかった。
「さてと。ところで君たち、東和に来たいんだって?」
室内にただよう微妙な空気を気にした風もなく、テンさんは無造作に問いかけてきた。
私たちはどう返答しようか迷って、無意識に顔を見合わせたけど、代表して私がうなずいた。
「そう、だけれども」
「それは”蝕”について知りたくて?」
あんまりにもあっさりとその単語を投げかけられて、一瞬理解が遅れた。
「何で蝕のことを!? そもそも何で私達がそれを知りたいって」
「ふっふっふ。それはまあ、女の秘密ってやつさあ」
意味深に微笑むテンさんのつかみどころのなさに面食らうけど、これほどいい機会はない。
先輩にやった暴挙は忘れていないから、少々警戒しつつもテンさんを見据えて問いかけた。
「蝕について知っているのなら、教えてくれないかい?」
「そうだねえ……」
テンさんは含むような雰囲気で考え込んだかと思うと、不穏な気配が立ち上った気がした。
「教えるのはやぶさかではないのだが、ただで、というのもつまらないなあ。それに、忘れてないかい? あたしは悪事を働きに来たんだよ」
「……なんだって?」
金色の瞳が表情豊かにきらめいたとたん、ふわっと、テンさんの姿が消えた。
「ふえっ!?」
どこへ、と視線を巡らせれば、アールの驚いた声が聞こえてふりかえる。
そこには驚きに目を丸くするアールと、その腰に腕を回して、いっそわざとらしいまでにあくどく笑うテンさんがいたのだ。
「いきなり何するんだい!?」
「なにって拉致だよ。さあこの子は預かったあ! 蝕について教えて欲しくば、この子を取り返してみるがよい!」
すがすがしく宣言したテンさんに、私達はあっけにとられた。
こんなことをする意味が分からなくて、でも現にアールはテンさんの腕に囚われている。
こんなの悪ふざけだろうと、たちが悪すぎる。
驚きは一瞬で、こみ上げてくる怒りのままに姿勢を低くした。
「アールを離しなさい!」
そう叫んだネクターが魔術を走らせるのと同時に、私はテーブルを踏み台に飛びかかった。
ネクターが魔術でテンさんを拘束し、そのすきに私がアールを取り戻す。
それくらい、思念話を使わなくったって通じ合えた。
無詠唱の捕縛術式がテンさんを捉え、それが破られる前にテンさんへ肉薄する。
そこまでほんの数秒足らず。
だけど、
「甘いよう?」
あともう少しでアールに手が届くというところで、にやりと意地悪く唇をつり上げたテンさんが、消えた。
「なっ……かふっ!?」
「くっ!?」
首筋に衝撃が走り、受け身もとれずに床に転がった。
テンさんが首に触れた時、ほんの少し魔力を流されたと思ったら、体内の魔力がかき乱されたのだ。
気は失わなかったものの、体を動かすための魔力の流れまで乱されていてまったく動けない。
「かあさまっ!? とうさま!?」
アールの悲鳴のような呼びかけで、ネクターも似たような状況に追い込まれたことを知った。
「ふはははあたしに勝とうなんて5000年早いわー! にしても、悪役って楽しいもんだあ!」
私はあふれかける焦燥を押さえて、自分の乱された魔力を超特急で整え始めたが、それでもすぐ動けない。
だけど、ぐらぐら揺れる視界の中で、灰色の影がテンに迫るのが見えた。
おそらく仙次郎が、容赦なくテンさんに槍を振り下ろした。
テンさんは無手の上、片手はアールでふさがれている。
だというのに、鋼と鋼を打ち合わせたようなすさまじい衝撃音が響いた。
「我が国の神よ! なぜかような狼藉を働く!」
「おっと! 危ない危ない。いいねえ、あたしの民はここまできたか。でも……」
『祓い給え、浄め給え!』
テンさんが嬉しそうに笑うのを遮るように、美琴の魔術が室内を満たす。
その効果か少しは楽になったけど、私もネクターも起き上がるまでは回復しなかった。
「っ!」
予想外だったのだろう美琴が息を呑むのと同時に、重い打撃音がして仙次郎が部屋の端まで吹き飛ばされていった。
「仙にいさま!」
家具や雑貨が壊れるのに、アールの悲鳴のような呼び声がする。
「心配しなくても、君のおかあさんとおとうさんはちょっと魔力酔いしているだけだし、うちの民も頑丈だからこれくらい平気だよ。だからおとなしくしててね、“アール”」
魔力を込められて名を呼ばれたとたん、アールが動けなくなっていた。
驚いた顔のまま硬直するアールに、焦燥で体の中が焼け焦げてしまいそうだった。
三半規管を全力でシャッフルされているような吐き気と頭痛の中でも、魔力を整えようと躍起になるが、ひどくもどかしい。
あとちょっとなのに!
「けどまあ、一人じゃ寂しいか。よっと」
「っ!?」
だけど、テンはアールを腕に拘束したまま消えると、今度は美琴の傍らに現れてその方に手を置いた。
「うんよし、君も久々の里帰りついでに付き合ってくれよ。はー! にしてもこのもふもふはいつさわっても至高だなあ」
「ひゃんっ!?」
驚く美琴が、尻尾をなで上げられてくたりと力をなくし、テンさんの腕に体を預けてしまっていた。
なんというテクニシャン……じゃないっ!
「んふふ。じゃあ、東和で待っているよ!」
腕にアールと美琴を抱えたテンは、心底楽しそうに高笑いしながら、魔法陣を展開した。
空間転移の予兆だ。
おそらく東和国につながっているだろうあれで飛ばれたら、アールの居場所は容易にはつかめなくなる。
私は、何もできないのか!?
あきらめかけたとき、今にも泣きそうなアールの表情が見えて、全部の思考が吹っ飛んだ。
明日も更新します。





