第16話 ドラゴンさんは鼻高々になる
私は、青ざめたイーシャが落ち着くまで待った。
あの蝕の負の思念はほぼカットしたけれど、それでも堪えたみたいだ。
お茶を一口、二口呑んで、深く息をついたイーシャは口を開いた。
「ええ、よく。わかりました。あれが何なのかは現在調査中。ということでよろしいのですね」
「うん。ちなみに、バロウ国内にある迷宮にはセンドレ迷宮と同じ施設はなかったよ。だから今すぐにあれがバロウのどこかで吹き出すと言うことはないから、安心して欲しい」
ヘザット国内の迷宮も調べたが、同じ施設も封印陣もなかった、と告げれば、イーシャはひどく安心した顔をした。
それは、そうだろう。
自分たちの力では対抗できない、未知の現象を目の当たりにしたのだから。
イーシャは魔術師長として国防の重要な位置を占める人で、その肩にかかるのは国民全ての命だ。
取り乱さなかったのは、褒められるべきことだと思う。
イーシャは考えるようにゆっくりと問いかけてきた。
「それで手がかりは、魔道具強盗の一派だと言うのですね」
「ええ、実行犯にカイルの妻であるベルガ・スラッガートの魔術銃を持った精霊がいました」
ネクターが言葉を選べば、気にすることはないとでも言うようにイーシャが首を横に振る。
「それは元師長から直接明かされています。精霊となった奥様が、操られて犯人達と行動を共にしている、と」
カイルはそこまで説明していったのか。
私が軽く驚いている中、イーシャは室内に持ち込まれていたティーワゴンの引き出しから、いくつか紙の束を取り出した。
「元師長から願われた、調査の報告書です。ベルガ・スラッガートの魔術銃については、約半年前には紛失が確認されていたにもかかわらず、その事実を貸与先の研究所が秘匿しておりました。そのほかにもいくつか魔道具が盗まれていたほか、不正な金銭の流れが発覚しましたので、彼らは懲戒免職ののち司法にかけられます」
ほんのりと妖しく微笑んだイーシャだったが、すぐに表情を曇らせた。
「ですが、実は同時期に王城の宝物庫に侵入しようとした輩がおります。老師が当時考案、自ら設置した防衛術式群のおかげもありまして、我が国は難を逃れましたが……おそらく、他国では破られているところもあるはずです」
イーシャが苦々しげな面持ちなのは、そこで捕まえられていれば、という悔恨だろうか。
でもネクターの防犯魔術が、あのリュートの魔法にあらがいきったのはさすがとしか言い様がない。
私が感嘆のまなざしを向ければ、ネクターは照れたようにしていたけど、すぐに表情を引き締めてイーシャを向いた。
「それで、カイルが頼んでいった調査とはなんでしょう」
「そのものずばり、迷宮の探索です」
イーシャは、もう一部の分厚い紙束のほうを差し出した。
「今までバロウで発掘、探索された迷宮の資料内を精査して、古代人が滅びた理由、あるいは封印に関すること。そしてその迷宮がどうして作られたのかを可能な限り調べるようにと。自分は魔道具泥棒の足跡を追ってくると、部下も何人か引っ張られてしまいましたわ」
なぜ、カイルがそう願ったのかはすぐに理解できた。
リュートが方々の魔道具を集めているのなら、盗まれた場所を結んでいけば、行動が追えると考えたのだろう。
それを調べるにはカイル一人では限界があるから、人手を借りたのだ。
イーシャさんは困ったように言うけれど、魔術師長である彼女が命じなければ、人員は動かせないから、それは有効だと考えたに違いない。
「お恥ずかしながら、迷宮は過去の資料というよりも、その中に眠る魔術資材ばかりに目が行きがちで、考古学的な部分はおざなりであることが多いのです。これを機会に専門部署を作ってまとめてみましたら、出てくるわ出てくるわ新事実が。元師長には感謝ですわね」
苦微笑を浮かべつつ、イーシャは分厚い資料の束をテーブルに置いた。
具体的に言うなら、人差し指一本分くらいの厚みがある。
ちなみに付け根から指先までね。
「では、老師、読み込みをお願いいたしますね。それから元師長に渡してくださいな。よろしければ、見解をまとめたレポートをこちらに送付していただけると助かります」
渡されたネクターは興味を隠せない様子ながらも、微妙な顔で受け取った。
「もちろん読みますが、私は考古学については趣味程度にしか触ったことがありませんから、期待しないでくださいね」
「何をおっしゃいますか。当時、あなたは国内の魔術に関連するほぼ全ての資料を網羅していたと聞いております。何より万象の賢者が健在の今、その貴重な英知をお借りすることで、作業が早まると確信していますわ」
「……なんだか良いように使おうとしてませんか?」
「とんでもございません。それに、黒竜様の役に立つことを、夫である老師に願うのは一番だと思ったのですが」
少し伏し目がちに言ったイーシャに、微妙だったネクターの表情が一気に輝いた。
たちまち頬を緩めて、得意げになる。
「え、ええ。私はラーワの夫ですから。……少々お待ちを、ざっと読みます」
「ご入り用な資料がありましたら、おっしゃってくださいね。ほかの論文と一緒に月一で送りますので、よろしくお願いいたします」
そうして、その人差し指の厚みがある紙束をものすごい勢いでめくり始めたネクターへ、イーシャが澄ました顔で付け足す鮮やかな手際に、私はあっけにとられた。
ネクター、助かるけど結局思いっきり良いように扱われているよ?
ちょっと表情を引きつらせてイーシャさんを見れば、いたずらに成功したような茶目っ気のあるウインクをされた。
「元師長に教わりましたの。こう言えばしっかり働いてくれるぞ、と」
案の定というか何というかカイルの入れ知恵だった。
そうか、興味のある物に片っ端から手を出すせいで、むらっ気のあるネクターの研究がはかどっていたのは、カイルの裏側の努力があったんだなあ。
しみじみ思っていると、ティーカップを傾けたイーシャさんが言った。
「有史以来未だに解明されない謎を解き明かせ、と言われたときは元師長の無茶ぶりに少し首を絞めたくなりましたけど、今回の黒竜様のお話で納得いたしましたわ。これは、無理を通さなければならないことなのですね」
イーシャさんって、結構過激だったりするのかなあと、思いつつ私はうなずいた。
「そうだね。蝕があそこだけ、という可能性もなくはないけど、そうじゃなかったときに何もしていなかったら、大事な人たちをなくしてしまうことになる。時間のあるうちに、調べておくこしたことはないと思うんだ」
「ええ、少なくとも、全く未知というわけではございませんものね。古代人は知っていた」
「その通り。それに、私も、手がかりになりそうなものを見つけているから」
軽く目を見張るイーシャさんに、東和の「白の妖魔」について話せば、彼女は口元に手を当てていた。
でも、ちょっと思っていたのと様子が違う?
驚いているのはそうなんだけど、思ってもみなかった物が重なった、みたいな感じだ。
「あの、黒竜様は東和の民とお知り合いなのですか」
「うん、まあ一応は」
「その方達は、白い尾と耳をされていましたか」
もちろん、仙次郎も美琴も白ではないので首を横に振ると、イーシャさんはほっとしたような落胆したような息をついた。
「なにか、あったのかい?」
「いえ、私自身は知りません」
首を横に振ったイーシャさんは、ですが、と続ける。
「黒竜様なら問題ないと思いますけれど、他言無用にしていただけますか」
「言わないでくれって言うんなら」
私の返答に力を貰ったかのように、イーシャは語り出した。
「少し前のことです。陛下が、奇妙な夢を見た、とおっしゃられたのです。『必死になにかを訴えられたが、なにかは忘れてしまった。ただ、白い獣の耳と尻尾を携えた娘だった』と」
「……ええと。それは、王様の個人的な願望とかでは」
「ご安心ください。今代バロウ国王は、王妃様を愛しておられますし、夢を見るのであれば獣耳の娘より、黒竜様の黒い鱗の夢を見るはずですわ」
バロウ国王は代々、黒竜様にあこがれて成長なさいますから、と言われて、思わず変な感じに顔がゆがんだ。
あの王様君のやつ、まだ続いているのか。
私の反応をおかしそうに見ていたイーシャさんだったがすぐに表情を引き締めた。
「それに、わずかですけれど、その朝の陛下には魔力の残滓が残っておりました。信じがたいことですが、陛下に張り巡らされている防護をすり抜けて、魔術的な方法で、陛下の夢の中に現れたのだと推測されます」
「ふむ、それは興味深いですね、術式は不定期にパターンを変更しているのでしょう」
隣を見れば、ネクターが紙束から顔を上げていなかった。
ページをめくりながら、魔術と聞こえたから耳に入れたのだろう。
いつも通り器用な耳だ。
「ええもちろんですよ、老師。なのにすり抜けてきたんです。術式が無効化されたわけではなく、害意がなかったためにたどり着いたようですが。それでもすさまじい技量です」
「それは、是非現場で見てみたかったものですね……紙をくださいませんか」
「ええどうぞ。ただ、私どもとしては、対応に苦慮しているのですよ。今回は害意がありませんでしたが、そう簡単に夢枕に立たれてしまうと困りますし。まあ物理的に侵入してくるよりは、ずっとましですけれど」
私は揶揄されているように思えて、曖昧に微笑んだ。
物理的に侵入したのは、ずっと昔のことだし、あんなザルな防衛網じゃ入ってくれっていってるようなもんだったんだよ?
それでも私に向けられた視線にちょっと居心地の悪い思いをしつつ、うなずいてみせる。
「わかった。教えてくれてありがとう。彼女たちにも心当たりがないか聞いてみる。ただ、こっちに来て何年もたってるからね、そんなに期待はしないでくれよ」
蝕関連には無関係だろうけど、それでも外交問題になって東和に行きづらくなったら困る。
「ありがとうございます」
イーシャが軽く頭を下げたところで、紙になにやら書き込んでいたネクターが顔を上げた。
「とりあえず、ざっと見た限りですが、このあたりを詳しく知りたいので、優先的にお願いします。あと、おそらくですが古代語の翻訳が間違っていますね。原文そのままでください」
なにげなく受け取ったイーシャは、内容を読んで目を見張っていた。
「あれだけの資料を、この短時間で網羅されましたか?」
「たしかにこれは、放置していたのが悔やまれる宝の山ですね。魔術ばかりに目が行っていましたが、古代人の生活全般で魔術を利用していたのであれば、そちらから新たにわかることもあると、もっと早く気がつけばよかったです」
微妙にかみ合ってないことを残念そうに言うネクターに、イーシャさんの顔が引きつった。
「……老師の底力を甘く見ておりました。というか、老師は古代語は誰よりも堪能でしたね」
すごく頭が痛そうな感じでこめかみに手をやるイーシャさんには申し訳ないけど、私はにやにやしてしまう。
うん、ネクターはこっち方面ではめちゃくちゃ頼りになるんだよ。
イーシャさんは、息をついて気持ちを切り替えたのか、ティーワゴンに載せてあったベルを振った。
りぃいんと、不思議に響くベルの音には魔力が乗っていて、遠くまで届く仕組みなのがわかる。
「まとめた物を送付するつもりでしたが、持ち出してもいい資料、全て持って行ってくださいな」
「ああ、助かります。ついでに翻訳もしておきましょうか」
挑むような半眼で言ったにもかかわらず、ネクターにむしろ嬉しそうに返されて、イーシャはため息をついた。
旦那がすごいって言われるのは嬉しいなあと思いつつ、ふと思いついた。
「古代語の翻訳なら私もできるからやろうか。魔術言語に利用している単語だけだと、読みづらいものもあるだろう?」
目を見開いて固まってしまったイーシャさんに面食らった。
なんだかネクターの時と反応が全く違うぞ?
「だめだったかい?」
「え、いえいえ! とてもありがたいのですが、黒竜様にそのような雑務をさせてしまうのは少々気がとがめると言いますか」
「これは私が頼んでいるようなものなのだし、できることがあるのなら手伝うのは当然だろう?」
「ですが……」
途方に暮れた顔をするイーシャさんが言いよどむと、ネクターが微笑んでくれた。
「助かります。分担すれば、早く終わりますしね。なかなか面白いですよ」
「うん、実はちょっと面白そうだなって思ってたんだ……と、言うわけで任せてくれないかい」
ちょっとお願いするように見てみれば、イーシャさんは脱力した。
「わかりました。お願いいたします。黒竜様」
「あ、それもなんかこそばゆいから、黒竜様じゃなくて良いよ。ラーワでよろしく」
「承りました。では私もファーストネームでお願いしますね」
あきらめたような、吹っ切ったような苦笑だったけど、イーシャが了承してくれたところで、執事さんが扉を開けて現れたのだった。
そうして、イーシャから大量の資料をもらってさて帰るか、と思った矢先、なぜかヴァス先輩から思念話が入った。
《報告、美琴の姉が学園内に来訪中》
ドラゴンさん4巻の刊行が決まりました。
この物語を応援してくださった皆様、ありがとうございます。
引き続き、ドラゴンさんをよろしくお願いいたします。





