第7話 湯けむり魔族様とドラゴンさん
湯船に足を滑らせていたリグリラは、ちらりと脱衣所を流し見た。
「……明かりが無粋ですわ。月がこんなにきれいですのに」
誘われるように見上げた夜の空には、満天の星々がきらめいて、浮かび上がるような大きな銀月があたりを照らしている。
これだけ光があれば、私達には昼間と変わらない視界だ。
何より風情があっていいだろう。
「そうだね。消そうか」
指を鳴らして魔力で灯していた脱衣所の明かりを消した私は、体の汚れを流してから、リグリラの隣に滑り込んだ。
「お風呂の水はなるべく汚さない」は、公衆浴場じゃなくても基本なのだ。
私こだわりの42度の湯温は、涼しい夜の気温でますますちょうどいい。
硫黄の匂いと、指先から染み渡るようなぬくもりと、溶け込んだ魔力が心地よくて、思わずはにゃーんと体を伸ばした。
「あーきもちいー……」
「伸びきってますわね」
「魔力が足りなくて、本調子じゃなかったからねえ」
あの騒動で枯渇寸前までいった魔力は、その後のレイライン整備もあって、今もフルチャージにはほど遠かった。
レイラインに潜り込めば数日くらいで回復できるけど、それをするには本体に戻らなきゃいけない。
そうしたらアールの春休みが終わっちゃうから、折衷案としてもこのヴィシャナ山脈温泉旅行は大事だったのだ。
「それで、骨休めを。それなら本体の方がいいのではなくて?」
「いや、本体のまま全身を浸すためだけに湖の水を温めるのは、さすがに環境破壊が過ぎるかなあと自重した結果だよ。あったかい温泉で体を伸ばしたかったからさ」
「全く妙なところで優しいんですから」
少しあきれた風なニュアンスで言ったリグリラは、いつも通りにもどっているようで、少しほっとする。
私は肩までつかりながら、岩の一つに腰掛ける彼女を見上げた。
今のリグリラは、金砂の髪を下ろしていて、巻髪は緩んでしっとりと首筋に張り付かせていた。
その胸から腰にかけて、女性として理想以上の曲線を描く肢体はもはや芸術の域だと思う。
エロい、そしてえろい(大事なので二度言った)。
長い足をさりげなく伸ばして、湯をかき混ぜる姿が実に様になっていた。
と、眺めていたら視線に気づいたらしい、リグリラの紫の瞳が向けられた。
「何ですの、ラーワ」
「いやあ、いつ見てもきれいだなあと思ってさ」
しみじみ言えば、リグリラは虚を突かれたように硬直した後、若干じと目になった。
「この体はわたくしの作品の一つですから当然ですけど。なんであなたはそう、いつもいつもさりげなく褒めるんですの」
「ええー」
なぜか文句を言われて不本意に思いつつ、自分の体を見下ろしてみる。
……うん。
平均並みに胸はあると思うけど、元が女子大生時代のままだから、見比べるもんじゃないな。
たぶん、頑張れば大きくしたり腰を細くしたりはできるだろうけど、まあ、ネクターがこれでいいって言うんだからいいよね。
リグリラは、いつから温泉にいたのか、ほんのりと肌が上気していて色っぽい。
彼女も私と同じように人族の嗜好品を楽しむときには、人族の体に近づけていることが多いから、そのせいなのだろうけど。
さらに、その表情は日中に出て行った頃よりずっとさっぱりしていて、どことなく上機嫌のようだった。
「仙さんとはどうだった?」
だから水を向けてみれば、リグリラは決まり悪そうに視線をさまよわせる。
見れば、金砂色の髪が落ち着かなさそうに揺らめいていた。
「まあ、それなりに」
その頬は、さっきよりも薔薇色に染まっている。
「それなりって、どれなり? 話は、できたのかい」
これは、悪かったわけじゃないな、と思った私がさらに踏み込めば、リグリラは湯の中に体を沈めてきた。
彼女はそれほど熱いのが得意ではないので、私が湯温を調整してぬるめにすれば、ほうと息をつく。
「別に、仙次郎がいろいろごちゃごちゃとしゃべっていましたけど」
「うん」
「……帰るつもりは、なかったと言われましたの」
手持ちぶさたに、リグリラはお湯をすくってはほどいた。
きっと、ほかにもいろいろあったのだろうけど、そう言う表情は安堵に包まれていたから、仙次郎はうまくやったのだろう。
「あんなに必死にならなくったって、帰るなんて毛ほども考えてませんでしたし。何よりわたくしに許可なく離れることなんてありましたら、全力で縛り付けますもの」
「でも、それはしたくなかったんだろう」
図星をついたようで、リグリラはちょっと言葉を詰まらせた。
「そうしたとしても、何も面白くはありませんし、そもそもわたくしが不満だったのは、あの娘の反応のほうで……」
言いかけたリグリラは、しまったという顔をして口を閉ざした。
あのときの美琴は仙次郎が故郷に帰らないことに怒っていて、それは意外なほど強情のように思えたけど、反応としては普通の範囲に見えた。
それが、何だというのだろう?
「いえ、何でもありませんわ」
リグリラは紫の視線をそらすと、片膝を抱えた。
少しの間、風と、湖からする水の音だけが響いていたけれどリグリラはぽつ、ぽつと話し始める。
「今まで、今の仙次郎がいればいいと、前世からここにいるのなら、それ以外を気にする必要があるのか、と考えておりましたわ。ですけど、あれにも血族がいて、わたくしの知らない一面が、過去があるというのが少し……」
「悔しかった? それとも寂しかった、かな?」
濁された言葉を代わりにつなげれば、案の定リグリラは、顔を赤らめたけど、開き直ったように言った。
「だから、仙次郎が覚えている限り、全て吐かせましたの」
尋問してきたみたいな言い方だったけど、思い出話をずっとしていたのだろう。
なんか、やりとりまで目に浮かぶようだ。
プライドが邪魔してうまく切り出せないリグリラの、精一杯の意思表示を仙次郎がくみ取って、一つ一つ語っていったのだろう。
もしかしたら、自分の過去に興味を持ってくれるのが嬉しくて、仙次郎の尻尾が揺らめいていたかもしれない。
「その結果、仙次郎は、延々と仙次郎だったということがわかりましたわ。わたくしはそれで十分でしたけど、仙次郎がわたくしのことまで聞きたがったものですから、ちょっと長話になりましたの」
まあ、東和の衣服事情はなかなか面白かったですわ、と続けたリグリラは澄ましていたけれどやっぱり雰囲気が明るい。
そこそこ心配だっただけに心底ほっとした私は、湯の中でめいっぱい手足を伸ばした。
懸念が一つなくなっただけで、だいぶ気が楽だ。
「ともかくよかったあ。仙さんはもう家に戻ってるの?」
「ええ、多少ふらついてはいましたけど、家に帰っているはずですわ」
……ゑ?
私がぱちくりと目をしばたたかせれば、それをどうとったのか、リグリラは肩をすくめた。
「今回は骨休めも兼ねていますから、決闘はしてませんわ。ちょっと詫び代わりに貰っただけですの」
い、いやいやいや、いったい何を貰ったんですかリグリラさん!?
意味深過ぎるその言葉に戦慄していれば、リグリラはじいっと私を見つめている。
正確には、私の胸元に埋まっている、赤い竜珠だ。
人型でいる間、余分な魔力が漏れ出ないように、竜としての魔力を封じ込めている魔力の塊は、今も胸の中央で赤く光をはらんでいる。
「ちょっと気になっていたのですけど、あなたの竜珠ってどんな感じですの」
「どんな感じって」
「たとえば、爪や髪のように外殻要素なのか、それとも皮膚や粘膜のように触覚があるのか、とか?」
思わず肩を震わせてしまった私の反応が完全にアウトだったのは、リグリラの紫の瞳が加虐と好奇心に染まったことで知れた。
「確か以前に言ってましたわね。人型でいる間に不要なものを概念として凝らせている、と。それってつまり、人の身には余る五感なども保管している、というわけではなくて?」
「い、いや、そんなことは」
あるのだけれど!
少々身の危険を感じた私が後ずされば、リグリラが妖しい光を帯びさせながら追いかけてくる。
「ラーワ、少し触らせてくださいませんこと? ええもちろん魔力が欲しいわけではありませんのよ? ちょっとつついたりはじいたりしてみたいだけで」
「リグリラわかって言ってるだろう!?」
「いいではありませんの、減るもんじゃありませんし」
「減るよ! 主に私の精神力が! それにネクターだけで十分だからー!」
「っ!? あの精霊なんてう」
「それ以上言わせないよ!?」
大声で遮りながらも、私は、嬉々としたリグリラの魔の手から逃げようと身を翻した。
あたりに盛大に水しぶきが立つ。
「逃しませんわよ!」
だが慌てていたものだから、悪いことにつるっと足を滑らせてしまった。
いや、ちがう、リグリラの金の髪が足首に絡みついたのだ。
なんでそこまでやるかな!?
と思っても体勢が立て直せるはずもなく、私は湯船へ倒れ込んだ。
勢いよく水しぶきがあがるなか、なんとか顔を上げれば、そこには心底楽しそうなリグリラがいて、顔を引きつらせる。
そのとき、がらりと勢いよく脱衣所の扉が開いて小柄な人影が躍り込んできた。
「ラーワ様っいったいなに、が!?」
それは、着の身着のままで杖を持った美琴だった。
険しく表情を引き締めて、あたりを警戒する彼女だったが、湯船の中でほぼ押し倒されている私とリグリラと目が合うと、ぶわっと狐耳と尻尾の毛を逆立てた。
「っっ~~~~!!!?!?!?」
もはや声もなく、顔をゆでだこのように真っ赤にする美琴が、一歩、二歩と後ずさるのに、盛大な誤解を感じた私は、リグリラを押しのけて湯から上がった。
このまま帰らせたら何かが絶対まずい気がする!!
「まって、美琴待って! お願い誤解だから、今駆け込んできてくれてすっごく助かったからこのままいかないで!」
「私は、別に、なにも、じょ、女性同士? でもラーワ様にはネクター様が」
「そこから違うからっ。なあ、温泉に入りに来たんだろう? 是非一緒に入ろう。いい月だよ!」
おめめがぐるぐるになっていた美琴をなんとか正気に引き戻そうと問いかければ、はっと冷めたような顔になった。
だけど、私の背後にいるリグリラを見たとたん、こわばった表情になった上、かぶりを振られた。
「いいえ、私は、またの機会にしま」
「わたくしはかまいませんわよ。はいればよろしいわ」
美琴の答えを遮るようにリグリラが言うのに、美琴は驚いたように耳を立てた。
私も少し意外に思って振り返れば、リグリラは水音を立てて上がると、浴槽の縁を囲む岩の一つに腰掛けた。
「涼むにはもってこいですから。その間、言いたいことがあるのなら、勝手にどうぞ。わたくしも少々言っておくことがありますし。この際解消してしまいましてよ」
胸の下で腕を組むリグリラに、顔をこわばらせていた美琴だったけど、挑戦的なまなざしに変わった。
「ちょっと、まって」
美琴は、そう言い残すと、脱衣所へ引っ込んでいった。
そこで、ようやく第2ラウンドが始まることを理解した私は、途方に暮れて浴槽の底に腰を落としたのだった。





