第5話 ドラゴンさんと東和のあれこれ
話し合いを提案したものの、この険悪な雰囲気では無理かもしれないと思ったけど、仙次郎も美琴もなんとリグリラまで同意してくれた。
というわけで、当事者+私とネクターは居間に集まって顔をつきあわせることになった。
エルヴィー達はただならぬ様相にこれはまずいと思ったらしく、マルカちゃんやアールとともに外で遊んでいる。
安全面も先輩がいるから大丈夫だろう。
初顔合わせの仙次郎やリグリラが気になっただろうけど、今は穏便に紹介できる気がしないから、それは正解だ。
何せ今の不機嫌まっただ中のリグリラは、アールですら困ったように視線をさまよわせたのだから相当だ。
むしろよく隣に座ってくれているな、と思うし。
ただ、どうしてこの席順になったかなあと思わないでもない。
何せ、私を挟んで右隣にはリグリラが腕を組んでそっぽを向き、左隣には、服に着替えた美琴が全身に殺意をみなぎらせて座っていて、私を緩衝材に異様な緊張が漂っているのだ。
若干涙目になりながらも、向かい側のネクターも真ん中で、仙次郎とカイルに挟まれているから似たようなものだし、こうするしかなかったとはいえ、かなりつらい。
「……それで、仙次郎。そっちの狐娘とどういう関係ですの?」
さあ、これからどうしようと悩んでいると、当のリグリラが口火を切ってくれた。
「彼女はそれがしの遠縁の従姉妹にござる。だが、同じ里で兄弟のように育った故、家族も同然でござるな」
視線を合わせないながらも、話しかけてくれてほっとしたらしい仙次郎が答える。
それで、仙次郎と美琴の魔力波が全く違うことに説明が付いた。
さすがに魔力波でわかるのは兄弟とか、親子とか、近しい血縁だけだ。
何世代か隔てればそれだけわかりづらくなるから、仙次郎と美琴ではそれなりに遠いのだろう。
「獣人は、別の種族とつがって、子ができても、どちらかの種族になる。けど、同種族か、似た種族の方が、できやすい。だから狐人と狼人は行き来が多い」
美琴が堅い声音で補足したのに、ネクターが薄青の瞳をきらめかせた。
「別種族と婚姻をして子を産んでも、新たな種族が生まれるわけではないと」
「ゆえに先祖の血筋が強く出て、父母とは違う種族の子供が産まれることもまれにあってな。それがしの里にも、狼人の夫婦の間に生まれた鹿人の子供がおったりした」
苦笑した仙次郎は、次いで鋭い視線でネクターを挟んで隣にいるカイルに視線をやった。
「で、カイル殿。美琴とのなれそめはどのようなものでござろうか。短い間でござるが、ともに時間を過ごして、なかなかの好人物であると感じておるが、事と次第によってはそれがし、そなたを斬る」
灰色の瞳の鋭さといい、声の重みといい、仙次郎の本気が垣間見える。
さっきも思ったがひどく意外だ。
知り合って一年ぐらいになるが、仙次郎はいつも泰然としているから、悲しみや怒りという負の感情をほとんど見たことがない。
私の知る限りでは、リグリラに振り回されるときだけだ。
カイルが途方に暮れたようにしつつも口を開こうとしたが、その前に美琴が割り込んできた。
「それよりも、そちらの荒御魂と兄の関係。おしえて」
据わった目でにらむ美琴を、仙次郎が眉をひそめて見返した。
「カイル殿とおまえの話が先でござる」
「私が、先」
譲らない二人をどうしたもんか思ってると、カイルが意を決したように声を上げた。
「とりあえず、彼女と俺の件を話そう。センジロウに誤解されたままじゃ、俺が殺されそうだ。その後にラーワ殿」
「なんだい?」
「あなたから仙次郎とリリィ殿の関係を話してくれ。本人達からでは客観的な話はできないだろうからな」
「う、うん」
と、言うわけで、若干駆け足でカイルの魔族化にまつわる諸々と、リグリラと仙次郎の出会いと前世の因果を話した。
聞き終えた二人は、何となくぼうっとした風で沈黙をしてたけど、不意に仙次郎が動いた。
「カイル殿、我が妹を救っていただいたにも関わらす、無礼な振る舞い、まことに申し訳なかった」
狼耳をぺたりと伏せて深々と頭を下げた仙次郎に、カイルは苦笑を返す。
「いや、いいんだよ。俺も彼女に助けられた身だからお互い様だ。ただ、どうしてああも怒ったんだ」
当然の疑問に、仙次郎は狼耳を伏せたままためらいがちに言った。
「その、だな。東和には、八百万の神々、こちらで申す魔族や精霊より、お力をお借りする技があり申す」
「美琴がカイルを助けるために使ったのや、さっき使ったやつだね」
私が言えば、仙次郎はうなずいて、ちょっぴり気まずげに続けた。
「だが、な。東和の巫女や守り人は数多くの神を奉じるが、その身に宿らせ力を借りる神は一柱のみなのだ。多くの神は、嫉妬深いでな。ほかの神のお手つきとなった者には力を分け与えたがらぬ」
彼ら、東和国の人々が、八百万の神々と称する魔族達とうまく付き合っていくために、様々なことをしているのは前々から聞いていた。
さっき見た美琴の術は、カイルの力の一部を借りていたけど、それでもしんどそうだったから、物理的にも、魔族達の性質からしても仙次郎の説明は納得できた。
「それゆえに、自らに降ろす神を定める際は、伴侶を選ぶがごとくといわれている。神々が我らに求めるのは、縁と霊力、といわれている。ゆえに幸運にも神の力を借り、縁を結ぶことができたならば、その者は生涯その神に身を捧げるのだ」
「……つまり?」
なんとなくいやな予感がしつつも促せば、仙次郎はがっくりと肩を落として言った。
「美琴はカイル殿を和御魂として奉じ、すべてを捧げると決めた。なにをしても逆らわない。逆らえないのでござる」
つまり、カイルと美琴が主従契約を結んだことになっているってことかい!?
美琴は肩までの黄金色の髪に黒目がちな大きい瞳がかわいらしい女の子で、カイルは縦も横も美琴の倍近くはある大男だ。
その二人が主従関係なんて言われたらシュール以外の何物でもない。
一斉に視線が向けられたカイルは、焦った様子で首を横に振った。
「いや、確かに必要だと彼女と契約を交わしたが、あれは救命活動の一環だろう!? ノーカウントなんじゃないのか?」
私はあのとき、美琴がカイルを下ろす場面を見ていたわけじゃなかったから、彼らの間にどんなやりとりがされていたかは知らない。
だけどその言葉からして、カイルには思い当たる節があるらしい。
「……私は、あのときから、覚悟を決めてる。あなた様にお仕えする」
「いや、君も抵抗すべきだ。ほぼ初対面の俺を助けてくれたのには感謝するが。知らなかったとはいえ、君がそんな代償を支払う物なら、簡単には受け入れなかったぞ」
沈黙していた美琴にまっすぐ見つめられながら言われたカイルは、大いにうろたえていた。
そりゃあ、年頃の女の子にひたむきな表情をされたら困るのは当然だろう。
ただ、ここでカイルがあっさり受け入れたり、喜んだりしないことがわかっているから笑っていられるけど、何も知らない人が聞けば、少々犯罪臭を感じるかもしれない。
「こちらの言葉にするのであれば、魔族たちと契約する代償に魂を捧げる、ということになりますか。ですが、それにしては、少々何かが……?」
考えるようにつぶやいていたネクターは、だけど仕切り直すように息をついて、隣のカイルをじと目で見た。
「とりあえず、このような若い娘さんに手を出した上、責任をとるつもりがない、なんてひどい言い草じゃありませんか」
「おいネクター。それわざと言ってるだろう?」
「私は事実しか言ってませんよ。省略はしましたが」
「そのはしょり方がひでえって言ってんだ!」
ぎろりとカイルににらまれたネクターだったけど、どこ吹く風である。
だけどそれでちょっとは落ち着いたらしいカイルは深くため息を付くと、美琴に向き直って言った。
「ミコト、でいいか」
「はい」
「とりあえずな。俺はただの人……じゃなくて、ただの魔族だ。神として奉じられるとか全然わからん。君には助けてもらったんだから、捧げるとかそう言うことは無しにしよう、な」
「でも、応じていただいたからには、契約が、成立、してる。したからには全うするのが、巫女の矜持です」
かたくなな態度に、カイルが天を仰いでいたけど、私は少し考える。
「美琴、ちょっとごめんね」
言いつつ、私が彼女にふれて精査してみれば、確かにカイルと美琴の間にはパスがつながっていた。
だけど、
「なあ、カイル。これまだ仮契約だから、すぐにでも解除できるんじゃないかい」
術式としては、私とネクターがやった使い魔契約よりは断然軽い。
ついでにカイルに有利に設定されているようだから、美琴からは無理でも、カイルからならできるはずだ。
「そうか! よし、ミコト、後で解除するぞ」
今にもやらんばかりのカイルに、美琴が傷ついたように表情を沈ませた。
「……私、では力不足、ですか」
「そうじゃねえよ。一方的な隷属関係がいけ好かないってだけだ」
その重い言葉に、私ははっとした。
カイル達は、形は違っても隷属契約によってずっと国に服従を強制されていたことがある。
どんな苦汁をなめたか、どんな痛みを経験したのかは推し量れないけれど、そんなカイルなら、隷属するのもさせるのも、我慢ならないのはよく理解できた。
「どうせならちゃんと選べる状況で、対等の契約をしよう。いきなり呼び出されるのは勘弁だが、助けが必要なら、俺でよければいくらでも応じるぞ」
「は、い……」
カイルの真摯な言葉に、美琴はしぶしぶながらうなずく。
そうして浮かない顔ながら、仙次郎のほうを向いて言った。
「……とりあえず、私もわかった、です。仙にいが運命のヒトを見つけたのだ、と。まさか、荒御魂とは思わなかったです、けど」
ちらりと伺う美琴の視線に気づいたのか、リグリラが悠然と腕を組んだ。
「先ほどから聞き慣れぬ名称を使いますけど、わたくしは魔族ですの。アラミタマ、などと言うものではありませんわ」
「東和では人に奉じられておらぬ神々のことを『荒御魂』と表していてな。『和御魂』は人に奉じられる神のことを申すのでござる」
「ふうん? つまり、同じモノなのに人の役に立つモノを勝手にそう呼んでいるだけですのね。人の区分に勝手に当てはめられてそのままにしておくなんて、そちらの国にいる魔族は何を考えているのかしら」
「八百万の神々は、東和の妖魔を倒してくれる、ありがたい、存在。でも人里に来て迷惑もかける。ただの区別」
「あら、威勢のよろしいこと」
リグリラの余裕たっぷりの紫の瞳で流しみられた美琴はきゅ、と唇をかみしめたけど、負けじとみつめかえす。
そんなにらみ合いに困った顔をしていた仙次郎だったが、ふと気づいたように声を上げた。
「それにしても、美琴はずいぶん西大陸語が堪能でござるな」
「あたり、前。留学するためにいっぱい勉強した。仙にいこそ、語尾が変」
「それがしは里の書物で学んだのでござるが。……そう言えば、少々違うような? ラーワ殿、どこがおかしいのでござろうか」
狼耳をひくりと動かした仙次郎に聞かれて、完全に気を抜いていた私は少々慌てた。
「ええとね、たぶん文法の使い方がちょっと古いんだと思うよ。どれくらいかは――」
「おそらく100、200年前の西大陸語ですね」
ネクターが補足すれば、仙次郎は納得したようにうなずいた。
「なるほど。それがしが学んだ里の書物は、百数十年前に漂着した大陸人によって編纂されたものであったはず。どうりで、行く先で妙な顔をされると思うた」
「仙にい、気づくの遅い」
「うむ、だが意志の疎通は問題なくできるぞ。何せ5年も方々をふらふらしてたでな」
「ふらふら、は自慢できるところじゃない!」
美琴がいらだたしげに声を荒げれば、仙次郎はかえって嬉しげな顔になった。
「おおう、久しぶりでござるな。美琴に怒られた」
「よろこぶな!」
「真琴と話している時も、よく怒られたな」
「どんどん違う方にいって終わらない、から! 日が暮れる!」
「うむ。そうでござった。いつも美琴に世話になっていたな。おまえが居ると、あっという間に話がまとまって助かっておったなあ。懐かしい」
思い出すように灰色の目を細める仙次郎に、美琴が顔を赤らめて口をつぐむ。
その気安い感じに、私がわー本当に家族なんだと感心していると、リグリラが椅子から立ち上がった。
私の角度から見えたその表情は、ひどく面白くなさそうにむっつりとしている。
「どうしたんだい、リグリラ」
「飽きましたから、湖にでも泳ぎに参りますわ」
「っまだ、話が終わってない!!」
美琴が立ち上がってかみつくように言うと、歩いて去ろうとしていたリグリラは、金砂色の巻き髪を払いつつ振り返って、傲然と笑ってみせた。
「あら、わたくしがあなたに何を話す必要がありまして? 仙次郎の知り合い、というだけのあなたに?」
「っ……」
「では失礼いたしますわ」
美琴がひるんでいる間に、リグリラはさっさと歩いて行ってしまった。
まあ、潮時かな。
と思いつつも一抹の不安を感じていると、リグリラの背が扉の向こうへ去って行くのを震えながらにらんでいた美琴は、仙次郎に詰め寄って東和国語でまくし立てた。
『仙にい。なぜあんな荒御魂と契約をしてしまったのです!?』
『いや、彼女はあれで、かわいいところも――』
『私が留学してきた理由の一つは仙にいを見つけて、連れ戻すことです! 里も、お姉ちゃんも仙にいの帰りを待ってるんです!! 東和に帰りましょう、仙にい!』
仙次郎は美琴の顔に何を見たのかは、美琴が身を乗り出しているせいでわからなかったけど、仙次郎は穏やかな表情で言った。
『それはできない。俺は、リグリラの隣にいると決めたんだ』
『まさか、契約で強制されているとか!』
『じゃねえよ、本心だ。ガキの頃から、焦がれて焦がれて焦がれぬいたヒトが目の前に現れてくれたんだぞ。契約なんぞなくったって離れたくねえよ。そもそも、彼女は強いぞ。俺ですらまだ偶然で一太刀入れるのが精一杯だ』
『なん、と』
勢いがそがれたように立ち尽くす美琴に、仙次郎は手を伸ばし、狐耳の間にぽんとおいた。
『ごめんな、美琴。俺は、帰らない』
『っ……!』
その申し訳なさそうな、でも覚悟を決めてしまったような表情の仙次郎に、美琴の尻尾が逆立った。
私とネクターは、聞き取るだけなら不自由はないから、美琴の言葉でだいたいの事情は理解してしまったし、カイルはきっと東和国語はわからないだろうけど、雰囲気で察しているはずだ。
下手に慰めることもできず、うつむく彼女に、誰も声が出せない。
沈黙が下りる中、ふいに美琴の黒い瞳が光る。
瞬間、美琴の右拳が仙次郎のあごをえぐっていた。
なかなかいい音がして仙次郎の頭が跳ね上がったのには、思わず腰を浮かせたほどだ。
『……もう、仙にいなんて知りません。荒御魂に魂まで食われちまえばいいのです』
その目尻に涙が溜まっていたのは、ここにいる全員が気づいたことだろう。
吐き捨てた美琴は、呆然とする私たちを振り返って一礼すると、小走りで去っていったのだった。





