第1話 ドラゴンさん達の温泉旅行
おまたせしました。「東和国編」はじまりますっ!
私はドラゴンである。
たてがみと皮膜の赤に、鱗の黒、そして瞳の金色で彩られたこの体は、世界そのままの力が凝って形作られている。
ドラゴン一体一体には生まれたときに得意な性質があり、膨大な魔力と、世界の摂理をその身に宿した私たちは、それぞれ個性として持った事象を体現しているのだ。
星のきらめく夜に、流動する灼熱のマグマから生じた私は、闇と影、そして熱と火炎がもっとも得意とする分野だ。
もちろんそれだけではなく、レイラインの守護者として必要な、針に糸を通すような緻密で繊細な魔力操作に、レイラインをつなぎ直す際には忘れちゃいけない魔力圧縮も鼻歌交じりにこなしている。
森羅万象に関わる深い知識も標準装備。
魔力を操る技術も人族では想像すらおよばない超絶技巧を操れちゃう、めちゃくちゃ器用なドラゴン様である。
世界の理についてなら……まあ役に立ってほしいときに立たないけれども、たいていのことは知っているし、魔法も魔術にも使えないものはない。
さらに私は、別の世界でとはいえ人間だったし、話せる友達が欲しかったことも相まって、人族と関わるために、人族の言語も文化も魔術ももりもり学んだものだ。
そのおかげで、ドラゴンの中では若いけれど、人族に関しては随一詳しいから、人族関連なら私、というくらいには相談事も持ち込まれたりする。
まあそんな人族マスター(自称)な私でも、予想外のことは起こるわけでして。
*
春真っ盛りなバロウ国のヒベルニア。
……からは遠く離れた冷涼な空気の流れる山岳地帯。
ヒマラヤも目じゃない標高の山々が連なる私の生まれ故郷、ヴィシャナ山脈の麓にきていた。
さすがに自分の体ができた魔力だけあって、私にはものすごく居心地がいい。
まあその分、強力に成長した幻獣やいたずら好きの精霊なども元気だし、整地されていないから、人の足でここまでくるのは困難な場所なのだけど、そんな鬱蒼とした森の中に、明らかに人工的に整地された一角があった。
地面を平らにならされ、ついでに言えば家なんかも建っちゃっているそこの傍らにあるのは、静かに水をたたえた湖だ。
だが、ただの湖ではない。
ドラゴンの私が悠々と羽を伸ばしても余りある広さの湖にはところどころほのかに湯気が立ち上り、かすかに硫黄のにおいを漂わせる、つまり温泉である。
もう一度言おう、温泉である。
当時、私がこれを見つけたときの喜びを察してほしい。
だってドラゴンになったとしても、私は日本の女子大生だったころの記憶が残っていたのである。
当時は転生してから日も浅かったからより鮮明だ。
そうしたらね、そうしたらね。
入りたくならないわけないじゃないか!
実はこれを見つけた当初は、広さはともかく、私がようやく足を浸せる程度の水深だった。
どうせなら体ごとつかりたい。
その欲望を抑えきれなかった私は、豊富な湯量が近くの川にあふれ出している状況なのをいいことに、ドラゴンスペックを全力で駆使して拡張したのであった。
……チートの無駄使いなんて言わないで。木精のおじいちゃんにもあきれられたから。
趣味で作った温泉だけれども、ヴィシャナ山脈の麓なだけあって水にとけ込む魔力も濃く、魔力の回復にも最適で、レイラインの修復に疲れたときは時折入りにきていたのだ。
その効能は、木精のおじいちゃんに苦手意識を持っている、リグリラまで私に断りを入れて訪れるほど。
ネクターとくるようになってからは居心地よくするためにさらに改造を施し、休憩できる場所もほしいよね? となった結果、家まで建てたのはやり過ぎだったかなあと思いつつも後悔はなし。
泳ぐもよし、若干湯の温度を引き上げてまったりするもよし。
さらに、レイラインの条件さえよければ、タイムラグなしに家から別荘まで通じる転移陣も用意しているので、もう一つの我が家といっても過言ではない。
そういうこともあって、ヘザットから帰ってきた私たちは、残りの春休みを思いっきり楽しむために、ヴィシャナ山脈の温泉へやってきていたのだった。
私は皮膜の翼を広げて水面を移動しながら、目安になるように点々と魔術で印をつけていく。
最後の一つをつけた私は、岸辺にいる黄砂色の髪をした人影に思念話で呼びかけた。
《先輩、ここまでお願い》
今は、いつもの黄砂色のミニドラゴンの姿ではなく、男性の人型をとった先輩はこくりとうなずくと、片手を虚空へ差し伸べた。
とたん、膨大な魔力があつまると、波紋が生まれる水面を割って岩が飛び出してきた。
轟音を響かせながら、次々に現れる岩は私が印を付けたとおりに弧を描いていき、楕円形の浴場ができあがる。
あっというまに湖の片隅に現れた、大浴場の湯船に素足の私が降り立ってみれば、膝の上あたりまでお湯がきた。
湯の底はなめらかで、温い水をかき分けて歩いてみても、とがった岩一つ引っかからなかった。
かっぽーん。
というお風呂特有のアレは室内浴場で桶を落とす音だから、屋外のここではしないけど、完璧な温泉である。
真名を、「荒野に息吹きもたらし育む者」という先輩は、大地にまつわる魔法を扱わせたらドラゴンの中でも指折りの存在だ。
そんな先輩を昔はちょっと怖いと思っていた私だが、エルヴィーを通して人族の世界を垣間見て、数か月前に晴れて彼らと友達になった彼は、今ではすっかり過保護なドラゴンになっていた。
それでも魔力操作は健在で、さすが先輩、私のお願いと寸分たがわないきっちりとした仕事ぶりで、荒野の名前は伊達じゃない。
……ドラゴンのチートな魔法をこんな風に使ってもいいのかって?
楽しむためには自重しないのである。先輩もエルヴィーたちのためならと文句言わなかったし!
むふふ、と嬉しくなった私も、ぱっと腕を一閃した。
私の魔力によって、区切られた浴槽内の水が一気に温まり、水面から立ち上る湯気の量が増える。
人の体温よりも高め、ぬくぬく楽しめる温度になったことを自分の足で確かめた私が、岸辺を振り返れば、ちょうどネクターが地面に描いた魔法陣を起動させるところだった。
魔法陣から現れたのは、脱衣所にするつもりで買った小屋で、基礎部分ごと人里から術式で転移させてきたのである。
この近くに建っている家も同じ方法で持ってきたのだけど、このためだけにあの規模の建築物をゆがみもなく、正確に呼び寄せる術式を組んでくれたネクターには感謝するしかない。
「岩が、一気に……」
「というか、あの量の水が一瞬で温まるとか……」
「何よりもいきなり家が現れるってないわ、まじないわ」
相変わらずネクターの技術はすごいなあと思いつつ、私は再び翼を使って、岸辺にいるエルヴィーたちの前に降り立った。
「エル君、イオ君、美琴にマルカちゃんおまたせ!」
岸辺にいた彼らの反応は様々だ。
上から現れたことで驚かせてしまったのか、エルヴィーとイエーオリ君はびくっとしていてちょっと申し訳なさを感じた。
それは美琴もだったけど、彼女はどこか気もそぞろで、内心を表すみたいに黄金色のしっぽがそよそよ揺れている。
マルカちゃんは、ミニドラヴァスに戻った先輩が戻ってくると、きらきらと麦穂色の瞳を輝かせて飛びついた。
「ヴァスすごーい! あんなに岩がどーんって!」
「かあさまが付けた印ぴったりに岩を作り上げるなんてかっこいいですっ。あれだけ地面を動かしたのに、全然周囲の魔力も乱れてません!」
「この程度の魔法は初歩」
いつもと変わらぬ風を装いつつも、マルカちゃんとアールにほめられてどことなく嬉しそうなのが何とも微笑ましい。
魔法でほめられることなんて滅多にないからね、気持ちは良くわかる、と思いつつ私はぱんっと手を叩いた。
「はいみんな注目!」
一斉にこちらを向いたアールを含む魔術機械研究会の面々に、湖の向こう側を指してみせる。
「まず、見えると思うんだけど、この湖周辺と、湖のだいたい半分くらいには遮断結界を張り巡らせてあるよ。そこまでだったら危険な幻獣も魔物も入ってこないから安心して遊んでね。ただ、湖は足がつかないくらいには水が深いから気をつけることと、森を探索したいときは、私たちか、ヴァス先輩と一緒にいくこと。理由はわかるね?」
さっき、カイルと周辺を歩き回っていたときに、第二級クラスの幻獣に遭遇していたから、実感しているだろう。
もちろん、カイルがあっさりと倒して、本日の夕飯になる予定だ。
案の定、エルヴィー達が一斉にこくこくとうなずいてくれるのに満足していると、ずびしっ!と手を挙げたのは、美琴だった。
頭頂部の黄金色の狐耳もぴんとたたせて、期待と不安に満ちた表情を浮かべている。
「質問! お風呂は、何も着ないで入って、いい!」
エルヴィーとイエーオリ君がぎょっとするのも、美琴は眼中にないらしい。
「ちょっと待てミコト。温泉に入るんなら水着は着なきゃだめだろ」
イエーオリ君が驚いた声を上げるのにも美琴はひるまず、かたくなに首を横に振った。
「東和では、裸で、入るもの、なの!」
うん、その気持ち、よくわかるよ。
西大陸の文化では、公共の浴場というか温泉は、みんな水着着用だもんね。
私も人里に降りてから、よっしゃ温泉だー! と入りに行ったときにものすごく残念な気持ちになったものだ。
もしかしたら美琴も、こっちで悲しい思いをしていたのかもしれない。
だから、私は少し狐耳をしょげさせる美琴に向けて、ひとつ、うなずいてみせた。
「先輩が岩で囲ってくれた部分は、のぞき防止の魔術を施してあるんだ。脱衣所もこうして完備したし、何より、浴場のお湯の温度は人肌より若干高めに設定! ぬっくりほっこり楽しめるようにしているよ!」
何せ私が入りたいからね! と親指を立ててみせれば、美琴はぱあっと表情を輝かせた。
いつもはそれほど動かない顔いっぱいに喜色を浮かべて、狐耳は元通りにぴんとたち、珍しいくらい激しく尻尾が揺れている。
その喜びようにエルヴィー達は驚いていたけれど、それでも彼ら、彼女らの顔は、程度は違えど期待に満ちていた。
「アールは腕輪をはずしていいよ。でもちゃんと、みんなのことを考えて使うこと」
「はあい!」
表情を輝かせたアールが早速腕輪をはずせば、ふわりと亜麻色の髪が魔力をはらみ、赤の房が現れた。
「ほかに質問は?」
ぶんぶんと、首を横に振った彼らに、私はもう一度ぱんっと手を叩いて見せた。
「じゃあ、着替えて楽しんで行ってらっしゃい!」
「着替えだ着替えっ。まずは泳ぐぞ!」
「イエーオリ、持ってきたアレ試してみようぜ!」
「ぼくもやりたいですっ」
「わたし、あんまりうまく泳げないの」
「提案、我が水面に浮遊し、支えとする」
「えっいいの!」
「私が、水練、おしえてあげる」
「ヴァス、ミコトさんありがとうっ」
子供たちが興奮した調子で言葉を交わしながら走っていくのを、私は微笑ましく思いつつ見送ったのだった。





