嵐の前には
大店を中心とした商店が並ぶ賑やかな目抜き通りを抜けて、バストール公爵が在す尖塔をいくつも備えた居城を眺めつつ右に折れると、色とりどりの丸石を敷き詰めたデザインの石畳が続く閑静な高級住宅街へと至る事ができる。
城壁の内側、中央南東寄りにあるバストール公の居城の近く。貴族や神官たちの邸宅だけが存在する事を許される一画において、あとにも先にも市民で唯一屋敷を構えているのがアトロである。
長身のリヒャルトよりも背の高い白塗りの壁が三百メートルも続くその先で、アトロを訪ねた者を出迎えるのは、向かい合って伸び上がる雌雄の獅子を象った、実物代の彫像をそなえつけた豪奢な正面門だ。さらにそこから本宅玄関へと辿り着くには、手前に広がる一辺百メートルもある前庭を横断しなければならない。この前庭は瀟洒な邸宅だけに限らず、厩舎、厠、藏、使用人が過ごす別宅にも通じており、人を迎え入れるためだけに留まらず、荷物を運び入れるスペースとしても役立てているというのがアトロらしい。
さらにはこの前庭をぐるっと本宅沿いに迂回すればさらさらと小川のせせらぎも耳に心地良い、そんな中庭にこしらえた客人用の離れがあるのだ。外観だけでも嘆息ものだというのに、本宅の部屋数や夜会毎に食卓を彩る贅沢を極めた料理、さらには古今東西から集められた夥しい調度品や遺品のコレクションを目の前にした人は、「バストールの豪商アトロの噂に違いなし! 」と感嘆しきりとなるわけだった。
リヒャルトがその絢爛ぶりを他人の家だというのに満足そうに何度も頷いてみせるのに対してエステルは、「人が生きていくだけなら板の間ひとつで十分」と臆面もなく言い放つのだった。
初心を忘れるな! 足元をすくわれるぞ! 清貧こそ旨とせよ! と、誇らしげに胸をそらすエルフをどうからかってやろう……もとい、明後日の方角を向いている思考回路をどう修正してくれようかと常々リヒャルトは機会を伺っていた。
そんなエステルだが、何もお金に対して格別に敵愾心を燃やしているわけではない。むしろ、リヒャルト以上に友好的でありたいと願っているほどだ。ただ、貧乏が板につきすぎて少々ケチくさいのが鼻につく。起こるかどうかわからない未来のもしもに備えて無駄は少しでも省いて余力を残したらどうだ、などという考えが根本にあるのである。いつまでも儲け続ける事ができるわけないだろう、と。
「人の懐事情まで心配してやる必要はないさ。――は? 起こるかどうかわからない不幸の心配? なんだそれ、そんなくだらない事で頭を悩ませているお前の頭の中身をこそオレは心配するね。――あ、そこのキレイなおねえちゃん、エールおかわり。ついでにここ座ってかない? 優しくしちゃうよ?」
過去に一度だけ夕食を伴にした双璧の片割れは、そう言って口元の泡をぬぐった。エステルにしたら、意を決して打ち明けてみた相談だったのだが、それを歯牙にもかけなかったわけだ。女の尻を追いかける態度にあきれ果て、エステルはそれ以来二度と彼に考えを聞かせた事はなかった。
それでも贅沢な……と納得いかず唇を尖らせるエステルに対して、「ま、馬鹿らしい事ではあるが、商売にはハッタリも必要なのだ」と実年齢でいえば下であるアトロが、年長顔をしてそう言いくるめたものである。
さて、そのエステルに贅沢の限りを尽くした、と、そう評されたアトロの邸宅の前庭には、薄闇の領域を少しでも追いやろうといくつもの篝火が明々とたかれていた。パチパチと火が爆ぜるその中を、戻った館の主を迎えに出た使用人たちが所用を抱えて右往左往している。その中でも一際人が集まっているアトロの出迎えの輪からやや距離を置くようにして、その隅で自分の荷解きをしていた時、エステルの耳に皆の注意を喚起する声が届いた。
出迎える者、イフリートボトルをはじめに旅具やら何やら運ぶ者、戻った主人のためになんやかやと細々と働く者。皆が皆、手を止めて一様に彼らの主人を見つめている。
およそ商会に在籍する耳目が全て集まっている良い機会と踏んだのだろう。アトロは突き出たお腹をゆすって、リヒャルトほどには通らない声を大きく張り上げた。
「あー、ごほん。皆の者、ちょっと手を休めてよく聞いてくれ。実はだな、皆もよく知っているエステルだが……」
そこで一度区切って居並ぶ顔を左右に見渡すアトロ。続くアトロの言葉を固唾を飲んで待つ面々。一語すら聞き逃すまいと真剣な面持ちのその中から、それでもちらほらと「そういえば、同行したはずのエステル殿の姿が見えないな……」だの「もしや、旅の途中で……」などと想像力たくましい者たちのヒソヒソ話がそこかしこで交わされていた。
その様子を視界におさめつつも勿体つけて沈黙を守るハゲ頭を、リヒャルトは長身を壁に預けながらニヤニヤと眺めやっていた。エステルはといえば表情を完璧に消し去って、無機質な美貌を篝火の明かりの下に晒しているだけである。尤も、リヒャルトに言わせれば「どこから見ても完璧なジト目」となるのだが。
「そのエステルだが……実は……」
「……ごくり……」
「わしの不手際で女の子になっちゃいました、てへ」
「てへ、じゃないだろおぉぉぉぉぉぉ!」
脊椎反射だけでエステルは手にしていたナップザックを投げつけていた。ごしゃり、と嫌な音をさせて寸分の狂いなく古ぼけたナップザックがアトロの顔に吸い付いていた。それは遺跡だけではなく、バストールの地においてもエステルのナップザックは宙に見事な弧を描いて、雇主を射倒すという栄誉に属した瞬間だった。
「いずれ説明は必要であったにしろ、なんだその説明は! ありえないだろ!」と憤慨するエステルの横でリヒャルトがこいつはたまらんと身をよじって悶えている。やがて顔の上半分にナップザックの跡も赤くアトロが再び立ち上がると、「すまんすまん冗談だ」とやたら一本調子で憤懣やるかたないダークエルフを宥めつつ後を続けた。
「――まあ、そんなわけなので」
「だからどんなわけだよ! きちんと説明しようよ!」
「あー、めんどくさいやつだな。いいか、そこで何かわめいてるのが新エステルたんだ。詳しい話は各々で直接根掘り葉掘り聞くなりなんなり好きにしてくれ。――以上だ。手を止めさせてすまなかったな、作業に戻ってくれ」
「うわ! なにそのいい加減なの! 肝心の説明は当人に丸なげなわけ!? ありえなくない!?」
聞く耳持たず、人さし指でこめかみの上辺りトントンと指し示したアトロは、ニッコリと極上の笑顔をその場に残してさっさと本宅へと消えていったのだった。
「あぁ、こいつは随分と毛の事で恨まれたもんだな」そんなリヒャルトのつぶやきを耳にしながら、エステルは歯噛みしていた。
確かに残ってた毛を全部溶かしたのはオレだけど、そもそもがアトロが悪いんじゃないか! おのれ、ハゲトロのくせに! いまにみてろ!
負け犬の遠吠えまんまのセリフを背景に拳を握るエステルだったが、今は雇主の意趣返しに復讐心をたぎらせる時ではなさそうだ。はっと気づけば、百人近い使用人の群れがエステルを半包囲していた。どの顔にも好奇心が張り付いている。
「うをを……これまじでエステルなの?」「なにこの美人」「やべえ、なんかおれドキドキしてきた……」「おれ、三日ほど風呂入ってないんだけど、いいよね……」
……いや、訂正しよう。好奇心などという生易しいシロモノでは済みそうもない。何やら不埒な欲望を滲ませて、妙に上ずった声が人壁から漏れ聞こえてくると、エステルはたまらず引きつった笑顔のままあとじさった。二歩、三歩と後退を重ねると、小さな肩が後背の壁に突き当たる。絶望に囚われたエステルが視線を彷徨わせた先で、見慣れた笑顔が目にとまった。
「りり、りひゃるとっ! リヒャルト! たすけて! なんとかしてこれ!」
エステルの哀願を真っ向から受けてとめて、髭面が満面の笑みを誇示したまま涼やかに突き放す。「一文の得にもならんというのに、なんでオレが?」と。
「こ、こいつ、足元見やがってぇ!」いくらエステルが激してみせたところで、分厚いリヒャルトの面の皮を一ミリだって傷つけるなどできはしなかった。確かに彼の言い分はもっともで、大体がエステルもリヒャルトも利で動く冒険者だ。「他人はいざ知らず、我らは利のみで動く」。それが冒険者のモットーだったはずである。
この髭面に思いっきり一発叩き込んでやりたい!そう夢想しないでもないが、その瞬間すら惜しまなければならないほど包囲の輪は迫りつつある。先頭でワキワキと手を開閉させているのが、どれも若い男ばかりなのに底知れない恐怖を感じた。真剣に身の危険を感じたエステルの口から、知らず小さく「ヒィ」と悲鳴が漏れていた。
どのような経緯が二人の間にあろうが、今はそれを飲みこんでこのリヒャルトの助け舟に期待するしかないのだ。
「わわ、わかった、わかったよ! 銀貨十枚でどうだ! ――だめか? なら二十枚ならどう!?」
「安すぎるな。傭兵王リヒャルトを馬鹿にしてるのか?」
「誰が傭兵王だ、誰が! 戦場で敵の首を取るより、女の子に突撃した数の方が多いくせに! ――いえ、すいません。お気を悪くなされたのでしたら謝ります。謝りますのでどうか……」
「……一晩つきあえ」
「…………………………は?」
「一晩つきあえ! 何度も言わせるな! それで手を打とうと言っている!」
「何を馬鹿な事を真顔で言ってんだ! ……えーぃ、いい年したおっさんが髭面で頬を染めるな気色悪い! 照れるくらいなら言うんじゃない! 全く……だいたい、どこの世界にハイエナの群れから逃れるために獅子の口の中に隠れる馬鹿がいるんだよ、本末転倒だろ!」
「水臭い事を言うやつだな。オレとお前の仲じゃないか! 優しくエスコートしてやるというのに!」
「ど ん な 仲 だ よ !? っていうか、いらんわ! そんなエスコートなんて! だいたい……」
「……ぐだぐだ喋ってていいのか? エステル、前、前」
「え? ……ああぁぁ、待て! 話せば、話せばわかる! ……ちょっ、まってまってって……どこ触って……ぁぁぁああ! いやぁぁぁ! おたすけぇぇぇぇ!」
漫才を遠巻きに見守っていた使用人たちの群れだが、やがて待ちきれなかったのか次々に褐色の肌へと手を伸ばしていた。
頭上で鋭く欠けた三日月の下、閑静であったはずの高級住宅街に長く長くエステルの断末魔が響き渡るのだった……。
バストールに本店を構える豪商アトロの経営するアトロ商会。
正確には経営者であるアトロの姓をとってドラペグ商会と表記するのがより正しい。しかし目下の者が相手であっても気取らない、気さくな人当たりの良い性格のおかげで、皆が親しみを込めて名であるアトロの方で呼んでいた。
当人もそれに異を唱えないどころか、積極的に自らアトロ商会の……と公言してはばからないために、すっかりそのように市井で定着してしまっていたのだった。
バストールでは、というよりもこの世界では一般的には名前だけしか持っていない人間の方が圧倒的に多い。姓は王や貴族、聖職者といった限られた地位にある者だけに許されているのだが、アトロはそれを金銭で文字通り買い取ってしまったのだった。
アトロ・バス=シレ・ドラペグ。これが公な場においての彼の名前である。名前のあとに続くバス=シレはバストール市民という地位にある事を表しており、このように名と姓の間にはその人物の地位や出属を証明する名前がつけられるのが一般的だ。
またその姓についてだが、基本的にはその領地の実力者に対して功績が大なる者に称号として送られる場合がほとんどだ。わかりやすい例としては騎士の称号などがこれにあたる。そこからも能動的に姓を買えるということ自体がアトロの実力を、またバストールにおける影響力を示しているのだった。
現在、そのバストールの有力者アトロを筆頭に、商会内において実力者として名を数えられる者が五名いる。
経営者であり創始者でもあるアトロ。その彼の懐刀であり大番頭としてアトロ不在の折には矢面に立って辣腕をふるうボフミール老。その娘でアトロの私財の全てを管理し、また彼の私生活における全ての采配を任されたベラヤーナ嬢。実力行使を伴う武断の象徴、二百を超える荒くれ者を束ねる私兵団長リヒャルト。そして、アトロの極々プライベートな面での護衛兼相談役兼エトセトラエトセトラ……な、エステル。以上この五人である。
「ま、格好つけて言えばそうなるが……お殿様に老執事に女将さんに用心棒に……ふむ、エステルは何だろうな……いいとこ、小間使いあたりか?」
「うっさい!」
「ああ、もう! また始まった! 子供かい、あんたら!」
指おり数え上げてそうからかうリヒャルトに食ってかかるエステル。頬の筋肉ひとつ動かさず憮然と見守るボフミール老に、ため息をつきながらも仲裁に入るベラヤーナ嬢。そんな風景がいつものアトロ商会であった。
――で、あったはずなのだが。各々の得意分野において微妙な力のバランスの上に成り立っていた関係が、この先も続けられる保証は最早どこにもないとエステルには思えた。
雇主であるアトロに頼まれて半ばお忍びで訪れた地下迷宮で呪いを受け。精霊魔術師としてその実力のほとんどを封じられ。極めつけはこの女体化だ。
お陰でアトロには愛妾になるよう薦められるわ、微妙に仲が悪かったはずのリヒャルトなぞはあからさまに舌なめずりをして寄ってくる始末。かつてのエステルは消え去ってどこにもなく、心身ともに痛めつけられて弱体化してしまった女ダークエルフが残るのみだ。
それが現実。それを踏まえた上で自分はこの世界を――アトロ商会で生き延びる方策を模索しなければならない。
そう決意を固めていたはずなのだが――
「……で、何この状況……」
エステルはわけがわからないまま背中を押されて通された本宅の奥、その一室でぽかんと佇んでいた。
押し込まれた直後、すぐ背後からピシャリとドアを閉める音がした。それを合図に、というわけでもないが、視線をおろすと左手にはいつのまにかラーナ ――繊維質が多く食用にあまり適さないが、乾燥させて加工すると垢擦りにもなる果実――に、香油を収めた木桶を抱え込まされており、さらには何枚もの無地の大きな手ぬぐいがなぜか右手にあった。
どれだけ首をひねっても自分がなぜここにいるかわからない。前庭で使用人たちにもみくちゃにされたところまでは記憶があった。矢継ぎ早に質問という名の尋問を浴びせかけられ、好奇心の赴くままにまさぐられた。ほっぺをつねられ、頭を撫でられ、長い耳をいじられ、下へと伸びた手がその豊かな胸を……
「ああああああっ、もうっ!」
思い出すだけで何やら熱くほてってくる。羞恥に駆られてエステルは一声ほえると、妙な考えを振り払った。
とにかく状況を整理しよう、うん、そうしよう!
そう結論づけたエステルは訝しげに目を細めて周囲を伺った。
百七十センチ近いエステルの全身を映し出す事ができる金縁で装飾された大きな姿見(鏡は高級品)に、床一面に這わせてある東方から取り寄せた高級木材のパーウェン檜のパレットなど、目に付く全ての調度品がエステルが逆立ちしても到底買えそうもない高級品である。
自分が入ってきたドアの対面には、これまた高級品である極彩色に色付けされた大きなガラス製のドアがあった。
正直いえばエステルはこの場所に見覚えがあった。一度見ただけではあるが、今いるここが脱衣場と呼ばれる衣服を脱ぐ場所で、あのガラス戸のむこうにはアトロ自慢の大浴場があるはずだ。
南方出身のアトロはとにかく風呂好きだ。というか彼に限ったことではないのだが、南方地方の人々は湯場へそれこそ頻繁に汗を流しにいく風習があるのだ。聞けば、街の中に何十人も収容できる公衆大浴場すら存在するという。
だが、北から流れてきたエステルにはそれがない。凍期には湯に浸した手ぬぐいを用いることもあるが、体を清めるといえば水浴が専らなのだから。これは慣習だから、とも言えば容易いが、実際には暖かい湯につかるなどといった行為には金銭がつきまとうため、といった側面の意味合いが強い。
そういうわけで、このアトロ浴場は彼専用のスペースとなっているのである。
しかし、それらを把握できてもそれが今のエステルのおかれた状況に結びつかない。手桶を抱えたまま、いくつものクエスチョンマークが頭上に消えては現れるばかりである。
「――あきれた。なんだい、まだそのきったならしい服着たままだったのかい」
腕を組んで思案にふけるエステルの背中に、聞きなれたメゾソプラノが跳ね返った。
振り返ると癖のある蜂蜜色の髪を頭の上で高く結い上げた、アトロと年の似通った中年女性がいた。ドレープをきかせたカーテンのような貫頭衣を豊かな胸が押し上げているのだが、その下にあるおなかという部位などは胸以上に豊かだったりする。
「ガハハ!」などという豪傑笑いすら似合いそうな、この肝っ玉母さんこそ、炊事に洗濯の家事全般からアトロの私財の一切合切を一手に管理している女傑、ベラヤーナ嬢そのひとである。
――余談になるが、初対面で「ベラ母ちゃん」とからかったリヒャルトは、なぜか次の日以降から完璧なまでの礼儀に則って彼女に接している。ベラヤーナ嬢なる呼称もリヒャルトがいいだしっぺだ。
ともあれ、その無駄口リヒャルトすらおし黙る我らがベラヤーナ嬢だが、ドスドスドスと足音も勇ましく脱衣場へと足を踏み入れた。鼻息荒くエステルに肉迫すると、真っ白の赤ちゃんのようにぽちゃぽちゃの手を伸ばして――
「よいやさっ!」
と、気合もろともエステルの服をひっぺがした。片手で襟首をつまんだだけだというのに、一瞬の間に長旅で汚れ切ったエステルの上衣が、知恵の輪のようにするりと脱げてベラヤーナ嬢の手にしっかと握られている。
あまりの突然の出来事に目を白黒させたエステルであったが、自分の胸元とベラヤーナ嬢の手にある見慣れた衣服との間に視線で架け橋を作ると、「何してくれてんのぉぉぉぉ!」とたわわに実った果実を両手で抱いてへたり込んだ。
「何って……あんた、服着たまま風呂に入る気だったのかい?」
「風呂入るって……え? ここアトロの風呂だし……」
「そのアトロの言いつけなんだよ。可愛い可愛いエステルたんを磨き上げといてくれとさ。大変だったんだよー? もみくちゃのずたぼろのあんたを引っ張ってくんのは。あのままだったら、あんた、貞操の危機だったかも知れないねえ、アハハハハ」
「……え? ……え?」
「まあ、あのエステルだってわかっててそんな事する勇気あるやつがうちにいるとは思えないけどね。……ああ、一人いるか、あのエロ髭のことを忘れてたわ」
そう言ってからからと笑うベラヤーナ嬢。混乱するエステルはそれを耳にはしているものの、言葉としてはちっとも頭に入ってこない。
……え? ……え? アトロの命令って……体を磨き上げとけって……それって……もしかして、冗談ぬきで本気も本気のド本気なんじゃ……
「ええぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!?」
「ああ、うるっさいね! いきなり叫ぶんじゃないよ!」
「でもっ……でもっ……アトロがそんなの命令するってことはだよ? ……ソレしかないじゃないかっ!」
「知らないよ、あたしがそんなこと! ――あぁ、ほら、とっととその下履きも脱ぐんだよ。自分で脱げないってのなら股ぐらに手ぇつっこんででもひんむくからね!」
「ままま、待って待って! ベラ! このままじゃ、オォお、わたしほんとに危ないかもしんない! 貞操の危機がでんじゃーで洒落になんないかもしんない!」
「誰にだって等しく貞操の危機が訪れるものなんだよ。このあたしにだって訪れたし……ちょっとなんだい、その目は! こら! 目をそらすんじゃないよ! ああ、いらいらするね! ――ほうりゃさっ!」
掛け声と共に高々と掲げられたベラヤーナ嬢のたくましすぎる手に握られるは――最後の砦にして、かつては男だったことの証でもある男物の下着だった。「討ち取ったりー!」そんな雄叫びすら聞こえそうな満面の笑みのベラヤーナ嬢。その人さし指と中指に挟まれた下着は室内にも関わらず風をはらんではためいている。
左手で胸を。右手を下にあてて、少しでもベラヤーナ嬢の視線を遮ろうとする、リンゴより赤く頬を染めたエステルの絶叫が脱衣場を揺るがした。
「なんでそんなにパンツ脱がせるのうまいんだよぉぉぉ!」
だってベラヤーナ嬢は脱衣王。