商会が誇る双璧の片割れは……
左右に田園風景が広がる道を一行は黙々と歩き続け、やがてバストールの城壁北側に辿りついた頃には随分と日は傾いてしまっていた。沈みゆく陽の光を灰白色の城壁が赤々と照り返している。
灰白色の城壁は、東に隣接して流れる大河バルトシュの上流域の採石場より切り出して船で運ばれた、バストールの特産のひとつとしても挙げられるバルトの白石を幾重にも整然と積み重ねたものである。それは領主であるバストール公の居城を中心に周囲数キロにわたって囲いこんでおり、高いところでは高さ十メートルにも及ぶ。過去にあった幾度かの戦においても寄せ手の全てを凌ぎきったその堅牢さは、吟遊詩人の歌の中でも栄誉をもって名を称えられているほどであった。
ただし、その堅牢さは城壁の内側――バストール公をはじめ貴族や神官、及び金銭で地位をあがなった一部の富裕層を守るためにのみ発揮される限定的なものだった。農民に代表される金銭的に余裕のない者、及び社会的地位の低い冒険者や奴隷、新しくバストールに流れてきた新参の移住者は総じて囲いの外に住居を構える事となり、その恩恵には与れない。
安全はただではないのだ。城壁を拡張するには莫大な費用がかかるし、それを守護する人的資源にも限りがある。それゆえに衛兵たちの警らの範囲が城壁以内に傾倒しており、範囲外のエリアはお世辞にもあまり治安が良いとは言えないのだ。
それでも人々は多少の不満は飲み込んで大陸中央部に栄えるバストールに群れ集う。少しでもこの灰白色の城壁に近づこうとでもするかのように。
そして増え続ける移住者たちに、古参のバストール市民たちはこう投げつけるのである。「文句は城壁の内側に住めるようになってから言え!」と。それがバストールにおいては公式見解であり、暗黙の了解のひとつなのである。
幼い頃に戦災孤児としてこの地に流れ着いた時は、この白く輝く城壁を本当に頼もしく思ったものだけどな……
肩からかけた防寒用のボロ布を、小さな手で握り締めたかつての自分をエステルは苦々しく思い起こしていた。
――あれから百余年。エルフとしては懐かしむほどですらない期間を、世の不条理と不公平を相手に椅子とりゲームをして費やしてきたエステルだ。今の彼にならこの城壁こそが不平等を体現したものである事もよくわかっていた。
だからといって、不満だからと悪態をつくばかりであったり、我が身の不幸を嘆いていてもしょうがない。駄々をこねていても、誰もどうにもしてくれないのだから。
オレはオレのやれる事で壁の内側に値する人間になってやろう!
そう決心したエステルは精霊を友に冒険者として危険と隣り合わせの日々に埋没してゆく。そんな矢先に目の前に現れたのが若き頃のアトロであり、それは僥倖というべき出来事であった。
若僧とはいえエルフであるエステルの半分にも満たない年かさのこの人間は、商人としては非凡であったらしく、あれよあれよという間に事業を成功させて城壁の向こう側へとおさまっていた。
まさに瓢箪から駒となったわけだが、思いもよらない人間の友人を得たために、エステルは短期間のうちに冒険者として他人が聞けば羨むような成功をいくつも成していったのだった。
そうして知り合ってから十数年。運動不足で肥え太り、頭髪が本人の哀願を無視して寂しくなった人間の友人に、エステルは手を引かれた形で今日までは人並み以上にうまくやってこれたわけである。
帰路へとつく者が多いのであろう。夕刻の人でごった返す城門前で、鉄鍋をひっくり返したかのような兜をかぶった衛兵から検分を受けているアトロを見て思う。
これまでのアトロはエルフの精霊魔術師としてのエステルを買ってくれていた。いや、多少うぬぼれてもいいのであれば、実力以上にエステル自身を買ってくれていた、そう確信している。
果たしてそれが友情なのか何なのかはわからないが、それも精霊魔術師としての実力があったという上での話だ。
暮色が刻一刻と迫る中、エステルは視線を足元に落とした。薄い鉄をはりつけて、補強されたブーツの爪先から地面に長く伸びるシルエットが目につく。手折れそうなほど細い腰から続くラインはどこまでも魅力的な丸みを帯びていて、細い腕も豊かな胸も、目に入る全てのものがエステルに自身が女性であるという現実を嫌というほどつきつけていた。
女性へと変貌を遂げた。その事実に直面するたびに、迷宮の地下で聞いた甲高い宵闇の女王の呪詛が脳裏で反響していた。全ての精霊力は頂く、闇のみを友とせよ、と。
長く伸びた黒髪を揺らす夜風が寒さを運んできたせいばかりではない。自身の先行きの不安を思って知らず抱いた肩がぶるっと震えた。
口でこそアトロには支払いの心配だけしてろとは言ったものの、本音を言えば金銭だけが問題ではない。現実はエステルの身体のことこそを、そしてその将来についてこそ心配すべきなのだ。
「――エステル! エステル!」
呼ばれてエステルははじかれたように顔をあげた。「どうした? ぼーっとして」そうアトロが心配げにエステルを覗き込んでいる。
エステルは不安をねじ伏せるとこわばった表情で無理矢理笑みを作ってみせた。
「なんでもない。気にするな」
「しかし……」
「いいから。――で、なんだ?」
ぶっきらぼうに一方的に打ち切って、話の先を促すエステルにアトロは不満げに唇を尖らせた。どこか子供じみた仕草に、ふっとエステルが失笑する。
意図したものではなかっただろうが、その瞬間、確かにエステルの中にたまっていた悪い空気が体の外へと少し抜けたように感じられた。
小さなことではあるが、自分はこんな風にこの人間に救われてきたのかもな。そう思えると作り物だった笑顔が自然なものへと変わるのだから、心というものはささやかな切っ掛けをいつも欲しているのかもしれない。
「いい年したおっさんがすねてもかわいくないぞ?」
「ふん。ほっとけ。……まあ、いい。衛兵の検分は無事終わった。これで荷物を屋敷に運んで一息つけるわけだが、それはそうとだな……」
この後どうするかと打ち合わせをしようとするアトロの言葉を遮って「アトロさま、アトロさま! おかえりなさい、お待ちしておりました!」と、時刻を告げる半鐘に張り合えるようなよく通る大声が二人の耳に届いた。
そろって振り返れば、開かれた大きな鉄扉を抜けた長躯が目に入った。周囲の誰よりも――警護に携わる衛兵よりも――頭ひとつ分、ずば抜けた長身の男が人懐っこい笑顔で駆け寄ってくる。
夕暮れどきの混雑する雑踏の中においても、一語一句違えることなくはっきりと聞き取れる大声の持ち主の名はリヒャルト。エステルと同じくアトロの知遇を得て成功をものにした傭兵出身の男で、五年ほど前からずっと「今年で丁度三十歳になりました!」と図々しく言い張り続けている男だ。
ハレの日だったのだろう、濃いくすんだ浅葱色の平服に腰にシミターを吊るしただけの軽装で、黒髪の下で陽に焼けたニコニコ笑顔と白い歯が好対照だ。やや童顔に見える顔を本人が嫌ってのことか、頬とあごに髭をたくわえていた。
アトロに見出されて使われるという境遇こそはエステルと一緒だが、決定的に違う点がリヒャルトにはある。というよりスタートの境遇のみが一緒である、という方が正しいか。
均整の取れた、二メートルに届きそうな体躯を今も折り曲げて、雇主であるアトロになんやかやと伺候しているのがまずそれだ。傭兵出身という荒事を生業にしているわりにリヒャルトというこの男、細かい性質とでもいうか、世渡り上手なのである。しかし、やや行きすぎた感のあるそれがエステルには必要以上のおべっか使いに見えて気にいらない。
いつだったかエステルが「いい年した男が情けない、太鼓持ちか! 堂々としろ! 堂々と!」と半ば吐き捨てた事があったのだが、それを聞いた第三者がおせっかいにも当人の耳にいれた事がある。「役立てれるものはなんでも利用させてもらうのさ。それが例え神様だったとしてもね」涼しい顔で平然と言ってのけるものだから、筋金いりの根性の持ち主と言わざるを得ない。余談だが後日それを耳にしたアトロは軽く目を見張って「ほ、そうか」と一言、愉快そうに頬を緩めただけである。
そうした横着さが気に入らないエステルも、決して恵まれた出自ではないのだからリヒャルトの強かさは理解できなくもない。生きてゆく上で自分の進む道をより広くしようと思えば必要なことだ、とも理解している。それでもここまで露骨だと流石に引いてしまうのである。プライドはないのかと、この男の所作を見るにつれ眉間のしわが深く刻まれるのだ。
そういう経緯もあってエステルとリヒャルトの仲はお世辞にも良好とは言えない。厳密にいえばエステルの方が一方的に嫌悪しているだけで、リヒャルトの方はそれほどでもなかったりもする。むしろそんなエルフの反応を意地悪く楽しんでいる様子すら伺えるのだが、それがエステルにしたらなお小面憎い。
ともあれ、アトロも二人の微妙な仲を承知しているようで、有能な部下二人に同じ仕事を頼むことはなかった。あの二人が揃ってアトロから仕事を受けた時、それは商会の危急存亡の今であるに違いない!そうアトロに使われている者たちの間で冗談混じりに噂されるほどである。
「予定の日よりも随分と遅れたご到着に心底キモが冷えました。心配するあまり水の一滴も喉を通らないほどです。あのような者が供であっては何かとご不便があったことでございましょう。どうか次からはこのリヒャルトにお任せいただけませんでしょうか。恥ずかしながら、必ずやアトロ様のご要望に十分そえるものと自負しております。何しろ、傭兵として百余りの戦場を……」
――よくもまあペラペラと。傭兵より弁説師にでも鞍替えしたほうがいいんじゃないのか、こいつ。
苦虫を何十匹もまとめて噛み砕いたエステルは、眉尻がピクピクするのを押さえつけて同僚の長口上にしばし耳を傾けていた。見ればあのアトロですら妙な汗をにじませながら「お、おう、そうだったか。心配かけたな」などとありきたりに返答するばかりで閉口気味だ。
出迎えの歯の浮くような挨拶に始って、途中で供をしたエステルをさらっとけなし、最後にさりげなく自慢を兼ねた自己の売り込みに至った下りで、エステルの堪忍袋の緒が切れた。両手を腰へ、女体化後は心持ち背を丸めるように隠してきた胸を誇らしげとさえ言えるようにつき出すと、リヒャルトの前で仁王立ちになって指をつきつけた。
「黙って聞いてれば好き勝手言いやがって。何が心配のあまり水が喉を通らないだ。鯨飲馬食のお前のことだ、どうせアトロがいないのをこれ幸いに酒場か妓楼へでも入り浸ってたんだろ。まったく、ゴマすりと女を口説く以外にその滑らかに動く舌を有効活用できないか少しはない知恵をしぼれ。それと、剣を振るしか能がない脳筋なお前に任せられる仕事なんてそうそうないって事もいい加減に自覚しろ!」
肩を怒らせて一息に言い切ると、頭が二つ分以上も上にある髭面を下から睨みつけた。がるるる……と噛み付かんばかりの剣幕のエステルに、リヒャルトはというと二、三度目を瞬かせたまま硬直していた。
「なんとか言えよ!」と、なおも食ってかかるエステルに反応を示す代わりに、人さし指を突きつけたまま顔だけアトロに捻じ曲げて
「……なんです、これ?」
ぽつり、とそう呟いた。尋ねられたアトロといえば「あはははー」と力なく笑みを浮かべたままである。あー、そうか、そこからか、説明するのめんどくさいなー、そう顔にはっきり書いてあるようだった。
リヒャルトにしてみれば目の前の女ダークエルフがエステルとイコールである、などとは夢にも思わない。リヒャルトのこの反応はしごく真っ当であり、思えば姿かたちがすっかり変わってしまったエステルを初めて見たときのアトロもこれと同様だった。
普段のエステルであれば二度目となるこの手の反応に、自身に起こった事に対しての説明をしなければならないと考えが至ったのだろうが、この時は少々頭に血が上っていた。長口上に辟易したというのもあるにはあるが、そもそもがこのリヒャルトがキライなのだ。さらに言うとそのリヒャルトに無視された上、その口からたった今生まれた言葉「なんです、これ」というおよそ人扱いされていない言い方に無性に腹が立った。
ざわり、と猫のように黒髪を逆立てると、ほとんど反射的にエステルはその長い脚をしならせてリヒャルトのむこうずね目掛けて爪先を飛ばしていた。
瞬間沸騰からのコンマ数秒の出来事。にも関わらず、エステルのブーツは狙いを大きく外して空を切った。遥か上から伸びた大きな手が、ぺちっと可愛らしいとさえ言える音と共にエステルの足をはたき落としたのである。
勢いを殺さないまま、エステルは一回転した後「ぐぎぎぎぎ……」と歯を食いしばって見上げると、事も無げだと言わんばかりに鼻をひとつ鳴らして見下ろすリヒャルトと視線がぶつかった。
――なめられてる!
リヒャルトのその態度でさらに怒りの火勢を強めたエステルは、今度こそ容赦なしに大きく振りかぶった右拳を自身の顔の横から水平に解き放った。ごうっという風切り音が耳の横を駆け抜ける。
直後、確かな手応えが伝わると残忍に口の端を笑みの形に歪めたエステルは、さらに勝利を確実なものにしようと返す刀で左の拳をも放った。それからさらに右、左、と無呼吸のまま続けられる限り拳をにっくきこの男へとうちつけてゆく。
ごす!どすん!と肉をうつ音がエステルをさらに危険に酔わせていた――
…………というのがエステルが見ていたと分類される彼に都合の良い妄想の世界である。では、エステル以外の者から見た現実世界はどうであったかというと次のようなものになる。
リヒャルトは今もなお「ぽかぽかぽかぽか」と小さな拳で彼のあつい胸板をノックし続ける女ダークエルフの頭頂部を憮然として見下ろしていた。本人はほっぺたを膨らませて顔を真っ赤に拳を打ち付けているつもりだろうが、小ゆるぎもしないとはまさにこの事だ。衝撃の全てが胸筋に吸収され、わずかに広い肩が揺れる程度で痛みなど感じようもない。エステルのこの一連の攻撃はいわゆる巷で言うところの「駄々っ子ぱんち」である。
声にこそしないものの、再び「なんです、これ?」とジェスチャーで彼の雇主である壮年の男を振り返る。厚顔無恥が服をきて歩いているようなリヒャルトでさえ扱いに困った様子が意外で、アトロは小さく吹き出していた。
「ど、ど、どうだ……思い知ったか……はー、はー、あーきっつー……ってゆーか、むぅ……手……痛いぃ……」
ふと気づけばすでに殴りつける事に飽きたのか、手を止めた女ダークエルフが肩を大きく上下させてリヒャルトと距離を置いていた。思うがままに打ち付けた両拳を撫でつつさすりつつ、熱いスープを冷やすようにふーっふーっと何度も息を吹きかけている。
「ちくしょー、なんて硬い胸だよ……」そうぼやきながらもまだ興奮冷めやらぬのか、忌々しそうにリヒャルトを見上げている。ほんのり上気した顔の中で、金色に妖しく煌めく瞳にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。
この場に居合わせた者の中で何人がその音を耳にしただろうか。また、その落雷にも似た音と、衝撃の凄まじさをあますところなく言葉にして伝えるとするならばどんなものが相応しいのだろうか。
花鳥風月を愛でる詩才を持ち合わせていない、一介の傭兵であるリヒャルトには適当な表現など思い浮かぶはずもない。ただ、少ない語彙を総動員して彼なりに言葉を紡ぐとするならば――
「……ズキューンと胸を射抜かれた……」
と、相成った。
幼児並みの国語力ではあるが、武辺一筋で生きてきた彼なりに精一杯の表現方法であったらしい。
節くれだった男らしい大きな手を、そこにしか居場所はないと言わんばかりに自らの鼓動を抑えるべく胸へと押し当てたリヒャルトは、我を忘れてエステルを凝視していた。
バジリスクのように見つめる、そんな言葉がこの地方にはある。見るもの全てを石へと変える魔眼をもつ魔物になぞらえた言い回しで、その意味するところは、燃えたぎるような熱意でもって相手を見つめ続ければ必ず相手は変わる!というものだ。
まことにもって一方通行な想い入れも甚だしいが、その気持ちに嘘偽りがないことを証明するかのように、まるで魔力よ我が眼差しに宿れ!とばかりなリヒャルトの熱視線だった。
何やら不穏な空気を敏感に感じ取ったエステルが、上目遣いに一歩、また一歩とあとじさる。
「ど、どうした? ……リヒャルト……? な、なんか目つきが怖いんだけど……?」
「…………可憐だ…………」
「………………は? おま、何言って……うぅぅうおおぉおぎゃあああァ!」
エステルの口から絶叫がほとばしっていた。
ようやく三メートルほども距離を開けた頃。一秒にも満たない瞬間で距離をゼロに詰めたリヒャルトが、アトロにしたよりもさらに深々とその長身を屈めて、片膝を付いた姿勢でエステルの右手を奪い取っていた。逞しい熊のように大きな手につつまれた刹那、エステルの脊椎を怖気が駆け上がる。
じゃり、ひちゃ。
柔らかで薄い手の甲の皮膚を通して伝わるのは剛い髭の感触と。そして生暖かなナメクジを押し付けられたようなそれは、紛れもなくいいカッコしいの上流階級の男どもが淑女にするアレ――手の甲への挨拶のキス――であった。
自分の身に起きた事象が現実のものである、そう理解できたエステルは半狂乱に陥ってリヒャルトの手の中から自らの手をもぎ取った。遠ざかる手を名残惜しそうにリヒャルトの視線が追う先で、右手を胸へとしまいこんだ涙目のエステルが、これが人類の言葉であるのかと疑われるような何語かを口走っている。
「おぉぉおおぉぉぉぉおおまっ! おまっ! ななな、なにしてんだよっ!」
「――何って……キスですが、それがどうかしましたか、美しい人よ」
「はァァァァァ!? おおおお、おま、ななな何言って……」
「ああ、すいません。申し遅れました。私はリヒャルトと申す者。よろしければ御名をお教え願いませんでしょうか、愛しの君よ」
「いや、お前何言ってんだって……ぅぅううわああああああああ! いちいち人の手をとって撫でるなぁぁぁぁぁ!」
エステルの右手を巡ってリヒャルトとの間に熾烈な攻防戦が繰り広げる中。はじめは面食らって唖然として経緯を見守っていたアトロだったが、ついにたまらんとばかりに腹を抱えて笑い出した。
「何わらってるんだよ!助けろ!っていうか、こいつを何とかしろよ!」と急接近しようとするリヒャルトの唇を、あらん限りの力で押しやってエステルが青ざめて叫ぶ。「そうだな」と笑いながらも応じたアトロだったが、仲が悪かった二人の今のこの姿をもう暫く見ていたいとでも思ったか、なかなか仲裁に入ろうとはしない。
そんな様子にエステルの瞳に殺意に似た危険なものが混じりだしたのを気取ったアトロは、思わず両手で産毛まで喪失したつるつるの頭を抑えた。もしこのまま、興味が赴くままに事態を見守って、事がエステルの意にそぐわない方向で推移でもしたら、今度はどこの毛を溶かされるか知れたものではない。
「……アトロ、いい度胸だ。次は……そうだな、断腸の思いで 下 の 方 を い っ と こ う か 」
美しい顔を邪悪に歪めてにじり寄るダークエルフを脳裏に思い描いたアトロは、禍々しい未来予想図に首をすくめた。それから慌てふためいて二人のもとへと駆け寄ったのである。
「おい、リヒャルト、やめろやめろ。そいつはエステルだ…………」
バジリスク。わからない人はwikiをどうぞ、じゃあんまりかなとも思いましたので、この世界におけるバジリスクの大まかな説明など。
成体の体長は三メートルから五メートル。作中にあるバルトの白石のような灰白色の体色をもつ六本足のオオトカゲ。睨みつけた対象を任意で生ける石像に変える魔眼をもつ。 主に山岳地帯や礫砂漠のような荒野、及び地下迷宮や遺跡に生息する。あくまでもトカゲなので高い知能は有していないが、その石化能力やそもそもの図体も相まって、高レベル帯の冒険者ですら必要に迫られない限り近寄ろうとすらしない。
……と、ま、こんなとこでどうでしょ。