表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
褐色耳娘さん。  作者: san
4/17

ルート ハゲ ターボ




 万年雪を頂く険しい山々の連なりを遥かに望む小高い丘の上で、エステルは手頃な大きさの岩を選んで腰をおろした。中天高く登った陽を仰ぎながら前髪をあげて額に滲んだ汗を手の甲で拭う。

 一年の間でごくごく僅かの期間――ひと月あるかなし――を占める暑期が終わりを迎えて数週間が経つ。それにも関わらず、今年の暑期は例年に比べて炎暑と呼ぶに相応しい過酷さであったが、その名残りからだろうか、降り注ぐ陽光はポカポカなどというには些か苛烈すぎている。

 忌々しそうに雲ひとつない空を睨みつけてから、縛ってある紐をほどいて水筒に口をつけた。すっかり温くなった水が流れ込んで褐色の喉を数度上下させる。

 

 鬱蒼とした森、などと表現するには少々無理がある雑木林程度の木々が点在するだけで、これといって視線を遮るものが見受けられないなだらかな丘陵がどこまでも広がっている。地の果てまでこの平原は続くのではないかと錯覚しそうなほどだ。

 その広大な黄緑色の平野を東西南北へと白い十文字が貫いている。比較的勾配の少ない所を選んで下草を払い、時には大きな岩を掘り起こし、森を拓いて敷かれた石畳の街道は一般に「大陸道」という大層な呼称を戴いていた。

 石畳といっても隙間なくびっしりと敷き詰められているわけではなく、むしろ所々を補強する意味合いで大小様々な石が埋め込まれている程度のものなのだが、これでも馬車が行くには他の街道と比べても遜色ないほど整備されていると言ってよかった。

 道幅は広いところで手を広げた大人が十人は並ぶ事ができるし、総延長は今では四桁キロに届くという長大さだ。届くというなどと仮定で話すのも、今なお街道の恩恵に与ろうと途上にある国々が、それぞれ勝手に整備工事を続行し拡張し続けているために、傍流ふくめて全容がどの程度なのか誰も把握しきれていないためだ。

 「前日なかった抜け道が、次の日の午前中には出来上がっている」巡業の商人が仲間内でそう諧謔を飛ばすほどなのだから、推して知るべしである。 


 五百年前から今なお拡張工事が続けられているという街道を、エステルは北から南へと、出発した街でもありホームタウンとしているバストール目指して歩き続けていた。

 そのバストールも進行方向の先、両手で足りる程度の斜面を上り下りした向こうに、薄ねずみ色の城壁と町並みが地平の向こうに透けて見えている。この調子でいけば今日の夕刻までには城門をくぐることができそうだ。

 


 街まで辿り着きさえすればこのストレスから解放される! きちんと味の整えられた暖かい食事。真っ新なシーツに……ああ、それに……それに人目を気にせずゆっくり手足を伸ばして眠れるし、旅の汚れもさっぱりと……

 


 地下迷宮の一室でまんじりとせず一夜を明かした二人が、寝不足で両目を真っ赤にしたまま遺跡を出発したのが六日前。半日で山を降りきって、麓の村で一泊して旅装を整えてから帰路についたわけだが、行きが四日程度で踏破出来た事を考えると、村での逗留を差し引いても一日以上遅れていた。

 遅延の理由はいくつかあった。ひとつにはこの季節外れともいえる残暑。暑熱に体力を奪われ距離を稼げないでいる。補給のために水場に立ち寄る回数も増え、それと同時に運ぶ飲み水も増えている。荷物が重くなれば歩みが遅れるのは当然だ。

 次に挙げられるのは自身の身体の変化があった。とにかく体力が落ちていたのだ。女は男よりも持久力があるだなんて嘘だろ、と休憩のたびに何度となく疲れきって棒のようになった二本の足を見つめて呪ったほどである。

 

 ――そして、直接的に遅延の理由とはならないだろうが、今回の旅で彼が最も消耗する事になり、先の二つの理由よりも苛立たせられた最たるものが、男性の身であっては体験し得なかった女性としての気苦労である。

 先ず、遺跡で過ごした一夜でエステルはいきなり思い知らされた。雇主でもあり、長年にわたって付き合いのあるアトロを信用していないわけではない。ではないが、事前になされたやり取りもあったし、それ以前に女好きという動かしがたい事実もある。夜中にアトロが寝言を言いながら寝返りをうつたびにぎくりとさせられて、お陰でエステルはほぼ一睡もしていない。

 また、汚い話になるが用を足すにも男だった頃のような気軽さはない。確実に危険度が増すとわかっていても、誰からも遠く離れて一人で無防備な姿を晒す必要があるのだ。本当に緊急避難的措置として危険だから目の届く範囲でやれ!と、命じられれば渋々ながらもエステルは従ったかも知れない。だが、そこに至るにはまだ幾分もあるように思える。だから、エステルは少しでも離れた位置へと移動するのだった。なぜこんなにも小用を足すという行為が恥ずかしいのだろうと、首をひねりながら。



 「あ、あー、アトロ。ちょっといいか?」


 「ん? どうした?」


 「んー、そ、その、なななんだ。ち、ちょっと向こう行ってくるから。あ、あー、いい、いい。お前は気にせずにここにいろよ?」


 「…………ふー、何度目だ、このやりとり。お前とわししかおらんだろう、いい加減素直にトイレと言え。事情を知らんわけじゃないんだから」


 「ばばばばばっ……ぶぁっか、おお、お前そんなのオ……オォォお……ぉわたしの口から言えるわけないじゃないか、恥ずかしい!」


 「……男っぽいかと思えば微妙に女らしくなるやつだな……妙な性癖に目覚めたらどうしてくれるんだ、まったく。責任取れるのか」


 「オ、ぉぉ、……わたしが知るか、そんなの!」 


 

 そんなやりとりの後、茹で上がって真っ赤になったまま草むらにしゃがみ込むエステルの口からは毎度呪詛が漏れるのである。


 さらにエステルには気の毒だが、生理現象だけに留まらず、輪をかけてその後もあらゆる面で緊張を強いられ続ける事になった。

 現在の自身の冒険者としての能力にもうひとつ信のおけないエステルが、護衛の人手を村で雇えないか、旅具も含めた装備全般にイフリートボトルを運ぶ人夫を雇えないか、そう考えて一両日を過ごすと決めたアスラク村だったが、そこで村人たちから受けた反応に戸惑う事になったのだ。

 

 アスラクは山々で取れる薬草や食用の野草、それに狩猟で得られる毛皮や獣肉以外これといって特産品といえるもののない山間の寒村だ。商業的な施設など皆無で、宿屋すらない。当たり前だが冒険者などいるわけもなく、条件に該当する人材といえば健康的な村人男性しかいない。朴訥然とした若い村人男性相手に交渉に臨む必要があるわけなのだが、二人目と話しだしたあたりでエステルの表情は曇りだした。

 場所が場所だ。都会の垢抜けた感じのない純朴な村人、そんな認識だったエステルは当初は彼らの反応に不審感を持っていなかった。――シャイだから。そう思っていたのだが、どうやらそれは違ったらしい。

 話かければ誰も彼も先ずぽかんと口を開ける。その後は、ある者は頬を赤らめて視線をそらして一向にこちらを見ようとせず、ある者は口の片方を微妙に釣り上げていやらしい笑みを作っていることに気づいたのだ。

 そして男ども全てに共通したのがエステルへと注ぐ視線だ。顔、胸、腰、そしてお尻と容赦なく多様な視線が突き刺さるし、女からは羨望や嫉妬混じりの視線――というよりも、これみよがしかと耳を疑うような囁き声が聞こえてくるのだ。

 一度など、四十絡みの農作業に疲れたといった風のいかにもな女性に面と向かって罵声を浴びせかけられたほどだ。


 ――色目つかって歩くなんて恥知らずな娘だよ! あたしの亭主にちょっかいかけたら容赦しないからね! と。



 「色目使った記憶なんて逆立ちしても出てこないし、なによりあんたの亭主がどこの誰かなんて知るわけないだろ!?」


 「お、お、おう、そ、そうか。いや、そうだろうな。うん。きっとそうだ。――ただな、エステルさん? 言いたいことがあるなら、わしじゃなくて当人に言えよ? ――いえ、言ったほうがいいと思いますですはい。――いや、やっぱり言うな! 余計なトラブルを招きそうだ! お前はとりあえず頭を冷やせ!」 



 宿屋という公共の宿泊施設がない村で、村長に頼んで一夜の宿と貸し与えられた離れの四阿に戻ったエステルは、開口一番アトロに対してそう爆発した。

 エステルの迫力に押されてながらも、アトロが「どうどう」とまるで馬を宥めるように両手を前に差し出す。浮かべた笑顔が恐怖で引きつっていた。

 

 色目に関していえばエステルに自覚がないだけだ。異性が魅入られる魔眼――もし、そんなものが存在するとすれば、ちらちらと妖しく光る金色の瞳がそうだと言えるのかも知れない。だが問題は当人に自覚があるかないかではない。この場合は村人たちの目にエステルがどう映るか、そこに尽きるのだから。

 エステルの女性としての人生は当然のことながら歴史が浅い。それだけに異性との距離感がおかしく、先にも挙げたが所作振る舞いが男らしくもあるがどこか女っぽい。全てにおいてギャップが感じられる事が多く、アトロの言う様に特殊な性癖の人間には受けるのかも知れない。

 ただ確実に言える事は、この内面的な女性としての未熟さと外面だけは完璧な美貌を誇るアンバランスさが、今のエステルの魅力と言えば聞こえはいいのだが、実際にはそれが村の男どもや女性たちにつけ入れられる余地でありスキを残していると言えるのだ。

 自覚できるにはまだまだ女性としての人生修行が必要なのだろうが、今のエステルがそこに気づくわけもなく。また、代弁するのであれば「気づきたくもない!」といったところであろうか。

 原因も、また解決策も見い出せるわけもなく、当面のエステルにできることといえば、文句をブー垂れながらも、女らしさの欠片もない冒険者としての責任を現状のままで果たすのみだった。


 明けて翌日。小さいながらも障害を乗り越えて、予定通りにエステルは多大な精神的苦痛と格闘しつつもどうにか交渉をまとめあげたプロ根性は見事と言う他はない。

 交渉中に鬱憤がたまりにたまってハラハラする場面もあったものの、どうにか相場の二割増という線で村の貴重な労働力である若者ばかりを五人借り出して護衛兼務の人足役とすることに成功した。

 五人にプラスしてエステルとアトロの食料に飲み水を余分を見て十日分。それに旅具を含めたイフリートボトル。これら全てを運搬するためにラグ――北方の山間部で家畜化された大型の山羊。騎乗できるほど大柄ではないものの、持久力に優れる。山間部での荷運びとして重宝されている――も三頭ばかり借り受けて彼らに引かせるというおまけ付きだ。

 こうして大人七人と山羊三頭に膨れ上がった一行は、その日のうちにアスラク村を発ちバストール目指して大陸道を南進しだしたのであった。 

 

 


 遠くにバストールの城壁をうかがって、気配を感じてエステルは振り返った。山羊を引いた五人の少し前を先導する形で進んでいたアトロが最初にエステルに追いついたのだ。

 広いおでこにもモチモチの頬にも何条もの汗の河が流れている。服の上から見てもわかるほど多量の汗をかいていた。首から胸、締めたベルトの上でたるんだお肉に至るまでべったりだ。冗談抜きで喘ぐように漏れたセリフが「ぶひぃ」だった。

 


 この陽気だ。旅慣れない上にその肉じゅばんでは辛いだろうな。……ぷっ。それにしても「ぶひぃ」だって「ぶひぃ」ぷくくくく……



 口元を隠して差し出された水筒にアトロはむしゃぶりついていた。ものの数秒で中に残っていた水の全てを飲み干すと、玉のような汗が吹き出してアトロのそこかしこを伝う。「水芸か!」思わず心の中で叫んだエステルは、笑いを咬み殺すのに必死だ。

 いつものアトロであれば不穏な空気に気づいて憤慨して見せるのだが、そんな余裕は今はないらしい。照りつける日差しが厚い脂肪と相まって、体内で温室効果を引き起こして体温が上がりまくっているようだ。真っ赤に火照った顔はまともに思考するのもめんどくさそうに、両手を膝に当てて上体を支えて、おろんとした眼差しを足元に投げかけているのみだ。 

 彼が人心地ついてまともに口を開くことができたのは、追いついた山羊の背から引っ張り出した水筒をさらにもう一本開けたあとである。 



 「ふぃー、大変な旅だったがあと少しだな。いや、半月も離れておらんのにバストールの城壁がこれほど恋しいとは思わなんだ」



 エステルの横に並んで同じ方向へ視線を向けたアトロが感慨深げに言う。そうだな、とエステルは無言でうなづいた。振り返れば村の男たちも座り込み、水に口をつけたり思い思いに休憩をとっている。

 エステルはアトロの荷物の中から刺繍の施された絹の手ぬぐいを二本取り出すと、水筒の水をふりかけた後に一本を禿げ頭へと巻きつけた。 



 「これで少しは涼しいだろ」

 

 「う、うむ。確かに」


 「まったく世話の焼ける雇主さまだ」

  


 「すまんな」そう短く礼を口にしながらアトロの視線は文字通り肉迫する二つの塊に釘付けになっていた。

 アトロの身長は百六十センチ。それに対してエステルは男性であった頃より縮んだとはいえ、未だそれより頭一つ分高い。その身長差でアトロのハゲ頭に手ぬぐいを巻こうと思えば自然と顔の前に胸がくる。幸い?エステルは手元に集中しているためにアトロのガン見には気づけていなかった。



 「ぐぬぬぬ、おのれ……昼の往来でなければこの手で揉みしだいてやったものを……」


 「――ん? 何か言ったか?」


 「あ、いや、なんでもない。いや、随分涼しくて結構なことだ、そう言ったのだ」


 「そうか? ――よし、これでオッケ。ほら、こっちのは首に巻け。そこを冷やせばもっと体温が下がるぞ」



 投げてよこされたもう一本の手ぬぐいを言われるままに首にかける。ほぅ、と嘆息がアトロから漏れた。



 「なるほど、こいつは良い」


 「だろ?」


  

  感心するアトロに目を細めてにっこりと微笑みかけるエステル。陽気な陽射しの似合う、どこか少年めいた笑みだ。アトロも釣られて相好を崩した。

 しばしの間満足げにエステルの笑顔を眺めやったアトロだったが、近くに誰もいないのを確認した後、うって変わって神妙な面持ちで問いかけた。「どうするつもりなのだ、これから」と。

 


 何を急に真面目くさって……しかも今ここで聞くか?



 アトロの真意を測りかけて、エステルは口ごもる。うん、まあ、と繰り返すだけで言葉らしい言葉が咄嗟に出てこない。

 これからの事を考えていないわけではなかったが、具体的にこうと掲げているわけではない。全ては街に着いてから。そう区切りをつけていたエステルだ。

 

 「強いて言うならアトロから報酬を受け取ってからどうしようか考えるさ、だから精一杯はずんでくれよ?」エステルがそう告げるや否や、意を得たりとばかりにアトロは短い指を突きつけて「そこよ」と切り込んだ。

 

  

 「報酬を得てそれからどうする?」

 

 「どうするって……だから、それから決めるって……」


 「ふむ……よし。まあ、ちょっとわしの考えを聞け。……確かに、わしのせいでお前はそんな有様だ。謝罪を兼ねてお前が望む程度の金銭はくれてやろう。だがそれも一時凌ぎの金だ。永劫とも揶揄されるエルフの一生全てを賄えるわけもないだろう」


 「う、うん、まあ、それはそうだろうけど……いや、まて、いくらなんでもエルフはそんな長生きじゃないぞ? ――や、すまん。今はそんな話をしてるんじゃなかったな……」


 「ふん、まあ落ち着け。――なあ、それでずっと考えていたのだが、お前が図らずも受けた呪いに対してわしが謝罪するとするならば、だ」


 「う、うん」


 

 真剣な雰囲気に飲まれて自然と表情が強ばるエステル。暑さのせいだけではあるまい、やたら乾きを感じて思わずアトロの手から水筒をひったくってそれに口を付けた。 



 「……お前を家に迎え入れるという事が妥当な責任の取り方だと思ったのだが、どうだ?」


 「ぶひゅうっ!?」



 唐突にそう告げられて、エステルは口に運んでいた水を盛大に吹き出した。宙をきらめく水しぶきが後一歩のところで虹になりそこねたほどだ。「汚いな、おい」とは苦笑いのアトロ。首の手ぬぐいを動かして、飛び散ったしぶきを拭っている。

 えらく冷静に状況を見つめているアトロとは違って、エステルはといえば混乱の極みであった。吹き出した後は「げぇーほげっほ」と、身体をくの字に折って咳き込んでいる。それが済むと今度はやおら、がばっ!と跳ね起きた。暑さで茹で上がったアトロ以上に、その小麦色の肌に目にも鮮やかな朱色がさしている。



 「お、お、お、おおおおおおおま、おま、おまえっ! な、なななに馬鹿なこと言ってるんだよっ! ……あー、あれか! 冗談か! そうだろ!? つまんないなー、おまえの冗談は! 相変わらず!」 


 「いや、冗談などではないんだが……」


 「しゃらぁーーーーーーっぷっ!」



 ばしっと両手でアトロの口の動きを封じにかかるエステル。なにやら得体の知れない汗をダラダラと流しており、いつもは魅惑的な金色の瞳も今は宙をぐるぐると泳ぐばかりだ。呼吸も短く浅い。



 「……い、いいか、アトロ? よく考えてから喋れよ? お、お、オ、オオ……わたしを家に入れるって言葉の意味は……つ、つまりそういうことなんだぞ? 人間的にもエルフ的にも」


 「わかっておる。それに、ずっと考えておったと言っただろうが。だからわしの―― 」


 「うわー! うわー! 言うなー! みなまで言うなー! オ、オ……あーもうっ! いちいちイライラするっ! なんつーか、今わたしの中で一瞬プライドやら何やらとお金持ちの家に入るって未来を天秤にかけちまったじゃないか、どうしてくれるんだ! ああもう死にたい! 今すぐに! 出来ることならパイケーキに全身埋もれて虫歯まみれになって死にたい!」

 

 

 神はなにゆえ我にこのような試練をー!などと、晴天に向かって錯乱する女ダークエルフの背中にジト目を突き刺しながら、アトロはぼそっと呟いた。


 

 「……お前、何か勘違いをしとりゃせんか? 家に入れるとは言ったが妻に迎えたいわけじゃないんだぞ?」


 「………………へ? 違うの?」



 半泣きで呆けるエステルの前で瞑目したまま、違うとアトロは何度か首を振ってみせた。



 「は、はは、はははは。な、なーんだ。違うのか。そ、そうだよね!そんなはずないよねー、そうじゃないかなーって思ってたんだよ、うん。オ、わたしはアトロを信じてた!」


 「なーにが、アトロを信じてた! だ。全く」


 「ま、まあまあ、過ぎたことを気にするのはよくないぞ? うん。気のせいだ、きっと。――あれ? でも、それじゃ家に迎え入れるってどういう意味なんだ……?」

 

 「ああ、うん、それだがな。お前さえよければなんだが」


 「うん?」

 

 「ダークエルフであるお前を正妻にすえるのは商売上よろしくない。そこで相談なんだが……お前、わしの第三夫人にならんか?」


 「……………………は?」


 「いやー、お前の才覚はよーく知っておる。読み書き算盤もできるし口もたつ。そして何より金銭感覚が申し分ない。さらに制限付きとは言え魔術の使い手だ。正妻に、とも思ったんだがダークエルフではなー。せめてエルフのままであれば、まだ体裁もつくんだが……」


 「……あんまり聞かない方がいい気もするが、ほんのちょっぴりの好奇心で聞くぞ? ……なんで第三夫人なんだ……?」


 「ん? 別に意味はないぞ? 何人だろうと女を囲う甲斐性ならあるつもりでな。――ああ、第三夫人という名称が嫌か? ならなんでもいいぞ? 第二でもなんでも好きな呼び名を付けてくれ。何しろ実質のところセフレ…… 」


 「いでよ! 名を呼ぶも厭われる仄暗さよ! このエロハゲの頭部に潔さのかけらもなくへばりついてる毛髪のことごとくを溶かし尽くしてしまえぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 「だーっ! やめろって! なにそのピンポイント攻撃!? ほんと! ほんとすいません! これ失ったら、わし、明日から比較的うつむき加減にネガティブに生きていけそうな気がするの!」



 つい先刻まで暑さにやられて火で炙ったラードのように溶けきっていた彼らの雇主である豪商が、バストールの城壁めがけて嘘のように健脚を飛ばしていく。そのすぐ後ろを鬼の形相でピタリと付けていく交渉役であった女ダークエルフ。

 「やれやれ、あれでは夫婦漫才だな……」

 そう断じた村の若者たちは腰をトントンとほぐしつつ立ち上がると、ラグを引いてのんびりと二人の後を追うのだった。





ノクタじゃないので多分ハゲ√はないです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ