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褐色耳娘さん。  作者: san
12/17

騎士ドロテア

ご無沙汰致しております、sanです。ちゃっかり生きてました。

先ずは長期間にわたりまして更新が途絶えました事のお詫びを。拙い本作を見限らず読んで頂けます、またはました方々には深々と五体投地で。申し訳ないです、ほんとに。

さてはようやくプライベートな時間が取れそうな環境が整いつつありますので、リハビリがてらのひと更新となります。

と、短くはありますがご挨拶まで。また、今後とも適度にお付き合い頂けましたらありがた至極です。






 降ってはやみ、やんではまた降りしきる、小雨が草木を冷たく濡らす初冬の夜。群時雨の隙間をぬって顔を出した月光が眼下の旧バストールを青々と照らしていた。

 深海の海底にそそり立つ奇岩群のように漆黒に近い群青一色の闇から顔を出すのはかつての栄華を今に伝える廃屋たち。月へ向けて奇っ怪に伸びる尖塔や急傾斜の屋根がまるで節くれだった老人の指のようだ。

 傾く家屋を左右に従えて走る凱旋通りにはかつては何千人もの人々が往来したのであろうがそれも今や昔。瓦礫や生い茂る草いきれで見る影もないほど寂れてしまっていた。

 その凱旋通りをまっすぐに進むとがっしりとした台座の上にはすねから下しか残っていない、名前も忘れ去られた古の戦神像を中心にすえたロータリーに出ることができる。そこまで行ってようやく向かい合う勇壮な巨人戦士を描いた五メートルにも達する黄銅の門――魔王の在すの城内に到れる唯一の出入口である大正面門前に辿り着けるというわけだ。


 その無人となって久しいロータリーに宙空から滑るようにあらわれたものがある。

 不揃いなスパイクをそこかしこに生やした厳つい戦車にそれを引くのは長首の中程から先が喪失した二頭の悍馬。そしてその手綱を握る黒銀の甲冑を身に纏った御者も同様に肩から上には何もなく、真っ新なストールが夜風をうけてはためいているだけだ。

 では本来はそこにあるべき首はどこかというと、脇の下、手綱を操るのとは逆側の空いた左手に大事そうに抱え込まれていた。全身黒づくめで、幽鬼めいた意匠を凝らした甲冑姿がおどろおどろしくもあるものの、その首が収まっている一角だけが華やかで豪奢な白金色がゆるくカーブを描きつついくつも渦をまいている。

 中心に行儀よく収まっている表情はとても穏やかで、成熟した暁にはさぞや美しい女性となることであろう、見る者にそう期待を抱かせる容貌だった。

 だが惜しむらくはその薄いまぶたの奥、頑なに閉ざされた瞳が何色かを窺い知ることは永遠にできそうにないことか。鼻梁をまたいで左右両眼の目尻へと抜けるように白磁の肌を侵食して刀痕が醜く浮かび上がっている。

 

 盲ているのだ、彼女は。

 


「ドロテア、本当にありがとな」



 戦車から軽やかに飛び降りたエステルが黒銀の首なし御者を振り仰ぐ。

 ざあっと葉擦れの音がして、吹き抜けた夜風がエステルの黒髪と、ドロテアと呼ばれた首なし騎士の――魔王ベルナトッドと同じ白金の髪をかき乱した。

 騎士は謝辞を述べたダークエルフにかすかに応じてみせたようだ。変わらず瞳は固く閉ざされたままだが、やや眉尻が下がり口元がほんのりわずかにほころんでいる。


 この首なし馬に引かせた戦車を操る首なしの御者の名は『デュラハン』。攻守に渡る高い戦闘能力と凄まじいまでの魔法耐性を誇る最高レベルのアンデッドとして知られており、遺跡や廃墟などを専門に探索する冒険者にとっては文字通り悪夢のような存在である。

 しかも代名詞とも言うべき『フィンガー・オブ・デス』という凶悪極まりない能力まで備えている。これは指差した対象に速やかなる死をもたらすという強力な呪いの一種なのだが、これを打ち破る術が当のデュラハンを打倒するより他はない。つまりデュラハンに遭遇したが最後、自身もしくは仲間の命を人質に取られた状況で、制限時間内にこの首なし騎士を撃破する必要が生じるわけなのだ。

 

 そんなデュラハンを討伐できる実力を備えた者などそうはいないが、幸いなことにこの人型の災厄に遭遇するチャンスにもそう恵まれるものではない。何がしかの理由で生に執着した高名な騎士のみがデュラハンへと転生すると考えられているのだが、それだけに遭遇例は元より目撃報告すらあまりないのだ。

 しかも『名前付き』――種の中でもより強力で特殊な存在として認識されている、二つ名を冠した魔物の通称――となるとさらに個体数は少なくなる。

 この盲目の騎士はまさにそれであり、その上でエステルの現主である魔王の忠実な盾にして最大の理解者のひとりでもあった。


 『旗手ドロテア』。もしくは生前の名をドロテア・ラ=ブリューチェクといい、ベルナトッドの父である先大公が館に出入りしていた洗濯女との間にもうけた庶子の一人で、非公式ながらベルナトッドの異母姉となる。

 旧帝国においては女性には家督はおろか家名すら満足に継がせてはならないという因習があるために、大貴族ブリューチェク家の血を引いて生まれたにも関わらず彼女は人生のほとんどをただのドロテアとして過ごすことを強いられた。 

 赤子のうちに名もない下級貴族の元へと里子に出されたのだが、待っていたのは貴族とは名ばかりの食うや食わずの赤貧の毎日だった。女だてらにと馬鹿にされながらも生きてゆくために騎士として身を立てようと思い至ったのも必要にせまられてのようなものだ。

 だがそんな糊口をしのぐ日々にも心を折らずに研鑽を続けてきた彼女にも、その努力がついに報われる日がやってきた。彼女が正式に帝国騎士として叙勲を受けてすぐ、ブリューチェク大公として家督を継いだベルナトッドより帰参するよう言い渡されたのである。

 

 これを断る理由もなく、彼女はすぐさまベルナトッドのもとに馳せ参じて剣を捧げることとなった。

 以降、貴人女性にのみ許される氏前にラ=――○○家であったり、随伴する等の意味で用いられる――を戴いた彼女は死後も五百年以上にわたって愛する異母弟を守り続ける騎士となったのである。

 

 そのドロテアが敬愛してやまない弟の言によれば、彼女の目の前にかしこまるこのダークエルフは元は男性であったらしい。

 こんこんと内より闇が溢れ出す呪いを受けてより陰の力が体内で渦巻いているがために、大きくその性別が女性へと傾いてしまったのだそうだ。

 しかし生涯を剣に捧げてきた武辺一辺倒なドロテアである。魔道など畑違いもいいとこでそうと説明されてもちんぷんかんぷんだったし、酷薄と言われようが不遇の時代を女性として生きた身では「ああ、そうか、それはご苦労だったな。――で? 」程度の感想しかない。

 何やら知らぬが胡散臭い存在には違いない、それが正直なところだったのだ。



 だが――

 


 ドロテアはエステルを見下ろして静かに微笑んでいた。

 それを単純に微笑むというには些か危険な分子を含んだ類いのものではあったが。

 

 ともあれ、ドロテアはこのひと月ほどの間にこのダークエルフに対する評価に大きく修正をいれることにした。

 盲たドロテアは視力を失った代償に鋭い嗅覚や聴覚を手に入れた。近くであれば気配をすら察することできる明敏な知覚をもだ。

 その第六感とも言うべき知覚が長い月日の間にさらに研ぎ澄まされ、本当におぼろげではあるがサトリのように心を読む能力にまで昇華した。その何よりも今では頼りにしている感覚がエステルの中に確かに息づくある想いを察知しているのである。


 彼女の弟への純粋な思慕。

 理屈をこねて否定しようとする生来からの男性部分とは裏腹に、そうなりつつあることに喜びを見出しだし始めている別の部分。当人は頑なに口でこそ否定し続けてはいるが内包されるそれも彼自身なのは違いない。

 ドロテアにはそれゆえの葛藤が事あるごとにこのダークエルフの中に見て取れるのだ。そのせめぎ合いがどちらに傾くかは神のみぞ知るといった所かも知れない。


 少々いびつであると言えなくもないがはっきりとしたベルナトッドへ寄せる想い。自分に勝るとまではまだ言えないようだが、それも時間の問題であるように見受けられる。

 ドロテアにはそれだけで十分だった。

 異能ではあるが、弟を守らんとするまごうことなき騎士のひとりであることさえわかればそれでいい。



「じゃあ、さっきも言ったけど明日はよろしくな」



 折り目正しくぺこりと頭を下げるエステルにゆっくりと頷くドロテア。 

 頼まれるまでもない。

 愛する弟のため、迫りつつある危険を打ち払うべく、こんな時にこそ振るわれるべくして彼女の剣はあるのだから。



「ああ、了解した。お前と一緒に冒険者どもを出迎えれば良いのだな?」


「何時頃にやってくるか、何とも言えないんだ。長丁場になるかもだけどよろしく頼む」


「なに、構わんぞ。元々、門を守護するは我らの勤めであるからな。それに――」



 「休息いらずなアンデッドのこの身体は使い勝手が良いのだ。貧弱なお前と違ってな。遠慮するな、存分に使え」言い放つとドロテアはからりと笑ってのけた。一瞬目を瞬かせたエステルだったが、武辺者らしい湿り気のない笑いに思わずつられて微笑んでしまう。

 先述したように当初こそドロテアはこの新参者に壁を以て接していたのだが決着がついた今ではそんなものは微塵も感じさせない。元々がすっきりさっぱり拘らない性格のドロテアらしく、一度こうと決めたら一直線であるらしい。事あるごとに何くれとなくエステルに構い協力する様はまるで姉が妹に対するそれであった。

 さて、妹扱いに関しては思うところがありまくりなエステルなのだが、現在ベルナトッド以外にこちら側では気のおけない知己を得ていない弱みもある。ドロテアからの申し出はポジティブに解釈することとしてありがたく受けることに決めたエステルなのだった。



 「――それでだな」



 笑いを納めたドロテアが真面目くさって求めたのは明日にも到来するという冒険者たちについての詳細である。ひと月に渡って完璧といって良いほどに大正面門を一人で守り抜いたエステルが、今になってドロテアの助力を求めた。それ即ち、よほどの相手なのかと危惧したためだ。

 その問いにエステルは表情をあらためて真剣な面持ちで頷く。今回はちょっとまずいかも知れないと。



「冒険者の酒場で探索パーティが組まれてた。最終目標ははっきりしないけど、とりあえず城内なんだって」


「数は?」


「六人カケの三、最大で十八人予定だそうだ」


「ほう!」


「……嬉しそうだなぁ。ま、いいけど。――で、編成まではちょっと。でも、どれだけスペルキャスターを揃えられるかが鍵かな」


「やはり魔道士は希少か」


「遺跡探索のメッカ、旧バストールのお膝元とはいえ難しいだろうなあ。それでもよそよりは質も量も揃えられるだろうけど、昨日の今日だし。パーティに一人、ヒーラーを用意できたら上出来なんじゃないかな」


「やはり戦士たちが主力になるのだな! そうだろう、そうだろう。うむうむ! では数に頼んでひと息に圧殺してしまうという作戦どうだっ!」


「……どうだ!じゃないよ。何で顔がツヤツヤしてるんだよ……てゆか理解してるか? その作戦とやらで圧殺されるのわたしなんだぞ?」


「む、それもそうだ。いや、残念だ。折角、勇猛果敢な戦士たちの波状攻撃によって潰える悪辣魔道士という、それはそれは血沸き肉踊る素晴らしい絵図が展開されること間違いなしな案だと思ったんだが」


「……ドロテア、前からそうじゃないかなー、違うといいなーとは思ってたけど……ちょびっとだけ、脳筋だよな……それも、かなり残念な方に」


「む! 失礼な! 私は武人だ。だからこその堂々と正面からの突撃粉砕こそが本懐だというだけであろう。これこそ戦士の矜持と言うべきだ」


「……矜持か何だか知らないけどな、高位魔道士相手にバカ正直に正面から突ったら粉砕するの自分だからな。まして相手は巷で噂の魔剣士さまなんだぞ」



 巷で噂の魔剣士――そう自虐的に冗談めかしたあとでエステルは補足する。

 精霊魔術師であるエステル自身そうなのだが、元来スペルキャスターというものはロングレンジからの一方的な虐殺をこそが得手であるはずなのだ。というよりも基本的にそれしかできないと断言していい。近づいたら――近づかれたら、終わり。それが対魔道士との交戦ルールだ。

 ならばどうすれば良いか。戦いに身を置く者たちは大昔から知恵を絞り続けてきた。そして悩んだ月日に等しく互いにありとあらゆる対抗措置が講じあわれてきたわけだ。



「人的護衛でも魔術でもなんでもいいが、物理障壁を展開されて時間を稼がれたら大技飛んできてアウト。それがスペルキャスターとの戦いだよ」 


「全くもって気に食わん。だが確かにな。しかしそうか、こんな可愛い顔をしておいてそれほど凶悪だったか、このダークエルフの小娘は。えぇ?」


「痛い、痛いぃぃ! 耳をひっぱるなー、耳をー! ――あーもう、耳はエルフの急所だってこと知らないのか? あと何度も言ってるけど小娘じゃない、わたしは男だ。呪いで女になってるだけだって何度も説明しただろう!?」



 エステルの涙目の剣幕に「そう毎度毎度主張はするが、果たして男に戻る気があるのかどうか疑わしいんだがな……」口中で呟いてドロテアは表面上は薄く笑うだけでまともに取り合おうとはしない。なおも納得いかないとばかりに食ってかかるエステルを適当にいなしつつ、武装しているとは思えないほどの軽やかさで御者台から身を翻した。

 こうして並び立つとよくわかる。女性――と言えば未だにしぶとくエステルは全否定するが――としては大柄なエステルよりも指三本分は背が高い長躯。騎士姿も相まって、月明かりの廃屋跡で『傾城』のエステルと二人で収まるとまるで一枚の絵画のようでもある。

 これだけは騎士らしく優雅に上体を傾けてエスコートするとドロテアはエステルを伴って歩き出した。



「で、お前は私を盾に使おうというわけだな?」


「有り体に言えばそうかな。一秒でも多く時間を稼いで欲しい。そうすれば何とかできる……かも知れない」


「歯切れの悪い物言いだな。殿下のために必ず勝利します、くらいは言えんのか」


「勝敗は兵家の常って昔のお偉い人だったかが言ってたぞ……多分。勿論、最大限努力はするがその先の保証はなんとも」


「呆れたやつだ。私はそういう気概をもって臨めと言いたいのだ」


「気概や勇気ややる気で勝てるなら出し惜しみしないんだけどなー……睨むなよぅ。わかってるって。わたしもベルナトッドさまのためにも負けるわけにはいかないんだし。で、必勝を期すためにももひとつ頼みがあるんだ」


「? 欲張りな奴だな。だが良いぞ。何だ?」


「真っ先に敵のメインヒーラーをたたいて欲しい」


「有効だが常套手段だな。先ほどのお前の話と同じだ。それだけに相手もそうされないように対抗措置をとっているのだろう?」


「うん、間違いなく。イタチごっこになるんだけどやらないと。これが上手くいくかいかないかで全然違うからな。――で、作戦なんだが、まずは『旗手ドロテア』の力を……」 



 二人の目の前で重い軋みをあげて黄銅の大正面門が開かれてゆく。

 過去と現在の門の守護者は熱っぽく意見を交わし合いながら、夜闇よりもいっそう濃い旧バストール城内の最新部へと向かって歩を進めていくのだった。

 







 人が魔法を操れるようになってから二千年ほども経つが、その間には神魔の類いと比肩しうるほどの魔術の才に恵まれた者が幾人か誕生していた。

 中でもとりわけ有名なのが『いにしえの三賢人』と呼ばれる三人の大魔道士だろう。

 生まれた国も、時代すら異なる彼らではあったが、魔術を学び、探究心の赴くままに歩んだその先で迎えた結末は三人が三人とも同様であった。


 禁じられた外法によって人ならざる存在、超越者へと転生する――ビカム・アンデッドの儀式を成功させる、というものである。



 人類史上初の超越者となることに成功したのは、かつて大陸南方に栄えたとされる砂漠の王国の大僧正ザ・スーン。彼が外法を冒した理由は至極単純。『余す処なく知りたい!』――ただそれだけである。

 到達し得ることが可能か、そもそもそんなものがあるのかどうかすらわからない智慧の極み。その境地に至る日を夢見て勉学に励む彼だったが、書物に囲まれる日を過ごすほどにそれが人の身にあって大それたことであるように思え始めた。

 解を得るより新たな疑問に出会う回数の方が多いその作業の繰り返しに、焦燥は読み終えた本よりもうず高く募ってゆくのだ。

 


「定命の身であっては到底我が望みを叶えられようはずもない。金も地位も何もいらぬ。ただ、ただ、この身、この俺あるのみで良い」



 そう叫んで王国を出奔した男は広大な砂漠の果てに庵を構えて読書に明け暮れることとなる。

 それより月日が何百年も下った今もなお広大な砂漠の果てにザ・スーンはあり続けているという。自己と外界とを完璧に遮断した複雑怪奇な障壁を幾重にもその身にまとった不死王リッチへと変貌を遂げて。



 次なる超越者は教会において神学の徒であったレギオン。彼が懊悩の末にこれこそ至高であると定義したものは大宇宙が誕生して以来存在してきたあるルールである。

 それは何かに肩入れすることもなく、何がしかの感情にとらわれることもない。一切合切の個を排除した、無慈悲なまでの完全無欠な公平さをもってこの世界にあるもの全てに陽の光のように等しく降り注ぐもの。

 原始から取り決められているその当たり前の現象こそが神の手によってデザインされたこの世界の真の規則なのではないのか。貴賎も性も種族の別すらなく、等しく万物が従わざるをえない。この天地すらいずれは迎えるであろう最後の時――死という逃れ得ざるルール。

 


「生まれた瞬間から死にゆくのが唯一無二のルールであるなら、それをこそが尊ぶべきただ一つのものなのだ。神と呼ばれる存在ですらこれを無視できず、ならばこそ体現する者は完全なまでに公平な裁定者であらなければなるまい」



 「吾、天啓を得たり」そう確信したレギオンは歓喜のうちに肉体を捨て、自我を捨てた。これこそと考えるルール『死』をすべてのものに公平に振りまくべく、思考するエネルギー体へと転生したのである。

 こうして不老不死を得た彼は人間のレギオンであった頃の人格を変貌させ、偏狭といえるほどに自らが信じたルールに固執して時代を超えて世界の各地に出没する存在となっている。

 ある国の昔語りには王国を滅ぼした疫病を振りまく悪霊として。またある寓話には死を告げる死神として。

 


「――で、三人目が始祖とも呼ばれるはじまりの吸血鬼であるこのボクってわけなんだけど……」


 

 桃色の唇の間から発せられたぽつりとした呟きは音楽的な残響すら残して壁や天井に跳ね返る。

 もっとも天井のほうは今もその役目を担えているとは言い難い。アーチ状の骨組みがそこかしこに露出しており、差し込む朝日のおかげか重苦しいほどの空気が漂う城内にあってここだけは一転して開放的なオープンテラスのようで何とも清々しい。

 風が種子を運んだのだろう。部屋のあちこちに人の背丈ほどに雑草の類いが育ち、天井の隙間から注ぎ込まれるスポットライトを求めるようにその葉を差し伸べている。長閑な雰囲気すら醸しだして、漏れ落ちる光がどこまでも柔らかい。

 

 ひび割れた壁を緑のつたが縦横に走るその部屋の中央にぽつん、とひとつバスタブが置かれていた。

 白く濁った滑らかな湯に色とりどりの花弁を散らし、優雅に身を沈めるのは旧バストール城主ベルナトッドその人である。特徴的な白金を柔らかなタオルで包み込み、入浴中であるにも関わらず書籍を手にしているのはさすがは本の虫というべきか。

 時折鳥のさえずりが聞こえるほど静かで、それ以外では魔王がページを捲る音しか存在しない空間だ。


 ――十分、二十分、三十分。

 どれぐらいそうして緩やかに時間が経った頃だろうか。

 やがてコツコツと勢いよくヒールが石の床を削る音が近づくと、控えめなノックの後に彼の従者の入室を求める声が聞こえてきた。ベルナトッドは「どうぞ」と短く許可を与えただけで開いたページに視線を落としたまま上げようともしない。

 暫しの間をおいて、キィと押し開かれたドアの先でエステルが小さく息を呑む。ここに至って彼の主が入浴中であったと知ったからだ。「し、失礼しましたっ」慌てて回れ右をして扉の向こうへと消えかけた褐色の背中にようやく顔をあげたベルナトッドが呼び止めた。



「いいよ、気にしないで。もうあがろうと思ってたところだから」



 言うなり無造作にエステルの目の前で湯船から立ち上がった。頭にタオルを巻いただけの、一糸まとわぬ(?)姿である。

 あまりに線が細く儚げな、辛うじて女性ではないと言える中性的で未成熟な少年の姿がそこにあった。肌理が細かく、色素の薄い肌の上をいくつも水滴が伝落ちて陽の光を乱反射させる様は神々しさを感じずにはいられない。かつて、自身が所有していた見慣れた男性の身体とは似ても似つかない裸体に、エステルは失礼にあたることすら忘れてほぅと吐息を漏らして思わず見惚れてしまっていた。

 一方さすがにじつと凝視されていることに気恥かしさを感じたのか、立ち上がったのも束の間、ベルナトッドは頬を薄く染めながらその場へざぶんと座り込んでしまった。鼻の下まで湯に潜らせ、ぶくぶくと水中から遅まきながらの抗議の声をあげている。



「ぶくぶく……べ、別に珍しくもないでしょ、元は男だったんだから。つ、ついてるものは一緒だし」


「……ぇ? ……あ。あ、ああ! そ、それもそうですね、じゃない。そんなことないですよ! 比べ物にならないくらい、とってもキレイで可愛らしくて、思わず食べ……じゃなくてっ!? な、なな何言ってんだわたしは! 違う! 違うんです、ベルナトッドさま!」


「え? ……食べ、食べって……それってつまり……えぇぇええ!?」


「うわー! うわー! 誰かー、誰かータスケテー! いっそわたしを殺してぇぇぇ!!」



 可愛らしいのあたりで頭のてっぺんから湯気を上げてショートする魔王に、しどろもどろになりながらオーバーアクションで益体もない言い訳を並べたて、挙句あたまを抱えてのたうちまわるダークエルフ。

 そんな二人を見やりつつ、「このバカップルどもめ――とまあ、これはこれで見ていて微笑ましい光景ではあるんだがな」と苦笑混じりで次いで入室したドロテアが完璧なまでの敬礼を主に捧げつつ、同僚の背中を軽く叩いて背筋を伸ばさせた。



「何を埓のあかないことをしているんだ、お前は。時間があまりないのだろう? 殿下にお願いがあったのではないのか」


「――はっ!? そ、そうだ。そうだった! サンキュー、ドロテア」



 はじかれたように顔を上げると、エステルは首なし騎士の一言で落ち着きを取り戻した。ぐるぐると渦を巻いていた金色の瞳にもいつもの冷静さが蘇っている。居住まいを正して向き直り、城主の優雅な朝のひと時を騒がせた事を詫びると事務手続きを願い出た。

 書籍を含む物資搬入等々の目録の確認。それにアトロからの言伝や手紙、それら書類を手渡した後に巷間に流れている噂等々……玉石混交ではあるが夥しい量のバストール近辺での近況報告を受けるのが毎週月曜日の常なのだ。

 必要性と仕事量は魔王の方でも十分に理解しているのだが、「先ず着替えさせて……」と語尾を震わせて哀願されるとエステルとしてはただただ平身低頭するしかない。冷静になった頭で考えてみればいくら急いで耳に入れたいことがあるとはいえ、主に全裸のまま報告を受けろと強要できるはずがない。

 エステルとしてはおそらく数時間後の冒険者たちとの対決を考えるとこの間すらやきもきするところではあるが、これを否やと言える立場にはない。直後での執務室での仕切り直しの約束を取り付けると、ドロテアを伴って主の御前を辞するしかないのだった。






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