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褐色耳娘さん。  作者: san
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星降る夜に

 ちょいと短めの閑話っぽいお話と思わせつつ設定を語ってみる。




 真夜中過ぎ、ただ密やかに雪が降り積もる様子をあらわすのに「しんしんと」と、表現したりする。

 音もなく風もなく、ただしんしんと――

 

 あまり読書の習慣のないエステルでも、その程度の表現方法はすぐに思いついた。

 と、いうよりも真っ先にそれが頭に浮かんでしまって、それ以外なにも思いつかなくなってしまっている――それが正直な感想だ。



 でも、この場合もしんしんとって言うんだっけかな……



 エステルは空を振り仰いだ。

 金色の瞳いっぱいに映り込むのは、遥か稜線の彼方へ太陽を追いやって、今にも夜がその座を占めようとしている瞬間だった。

 手を伸ばせばそれを掴み取れそうなほど近く、薄闇に星々の群れが無限に広がっている。遥か彼方からかすかに耳に届くフクロウや狼の遠吠え以外なにもない静寂の世界。

 

 深々と。

 ただ、沈々と。

 ――静かに時間だけが降り積もる星のテラスに二人の姿があった。 

 


「寒くは――ない?」


  

 形の良いあごを引いて視線をおろすと、五歩ほども先。緩やかなスロープを登りきった先から、エステルを振り返った新しい主人にそう訊ねられた。青白い月の明りを少年の白金色が跳ね返して、ミスリル銀のような淡い燐光を放っている。

 束の間だったのだが、真紅の双眸をまじと見つめ返していた事に気づいたエステルは、気恥かしさからか慌てて目をそらした。「……いえ、大丈夫です」と、小さく頭をふると歩を進めて少年との距離を詰めた。

 静かすぎるのも考えものだ。瞬間的に跳ね上がった鼓動がエステルにはどこまでも耳ざわりだった。しかもその鼓動音は一向に収まる気配すら見せず、あろうことか一歩、また一歩と彼の主人へと近づくにつれ大きくなってゆくのだ。

 


 なんて、いまいましい……!



 舌打ちしそうになってエステルはすんででこらえた。

 肺に溜まった熱と冷たい外気を入れ替えるべく、小さくゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 


 この妙な熱を冷まさないと! この得体の知れない熱にうかれたままの状態じゃロクにものを考えられやしない! 

 


 どんな時であろうと冷静であれ。それがエステルが冒険者稼業をまっとうするために自らに課してきた条件であったはずだ。

 だのに現状はどうだろう。とっちらかって見当違いな言い訳めいたものを繰り返す脳みそに、それに振り回され続けているだけの心。視線は情けなくも下を向いたきりで、自分の爪先を眺めているばかりだ。

 この無様な体たらくはどうしたことだというのだろう、それでも精霊魔術師として名を売ったエステルか! 

 そんな風に悔しさから思わず自身を叱咤してしまうエステルだった。



 こんなだと言うのに

 


 きっとそうなるであろう、そんな予感が――いや、確信に近いものがあったにも関わらず、そうしてみたい欲求に駆られたエステルはちらりと少年の表情を盗み見た。

 頭髪と同じ、白金色の長い睫毛に縁どられた溶鉱炉よりも赤い、赤い瞳。ミルクのように滑らかで白い頬。ふっくらとした、赤子のように瑞々しい唇が「エステル」と、その名を紡ぐたびに……

 そこまで想像してしまい、下腹から脊椎を伝って駆け上がる感覚にぶるっとエステルは思わず身震いした。

 案の定、途端に動悸が激しくなって体温が上昇する気配を感じられて、エステルは己の愚かさにうんざりするのだ。

 

 

 くそ、くそ、くそっ! どうしたってんだ! 頭を抱えて、歯ぎしりして、この場でのたうちまわりたいぃ! もう、何がなんだかわからないけど、おれの中の何かがそうしたいって吠えてるんだけど何これぇぇぇ!

 

 

 アトロの命で魔王ベルナトッドの側仕えになって早一ヶ月あまり。

 なぜだか原因はわからないが、エステルはこの少年の傍にいると風邪にも似た症状を自覚することが多かった。

 それがために必要最低限の事務的なやりとり以外、会話はおろか、なるべくなら一定の距離を保つように済ませてきたつもりだ。

 

 それが何の因果か、ふとした折にエステルはある質問をする機会を得たわけなのだが、それが突端になってしまいかかる事態に陥ってしまったのだ。

 

 「ど、どうしたの?」と、冷や汗を一筋、怪訝な表情でベルナトッドが不審者さながらに悶絶するエステルを眺めやる今よりほんの数刻前のこと。

 

 ほんの好奇心。

 本当にちらっと脳裏をかすめた疑問を口にしただけだったのだ。



「魔王さまは……」


「――ストップ。ボクのことはベルナトッド、でいいよ」


「……では、失礼しまして。……べるなとっど……さまは」


「……ベルナトッド」


「……べるなとっど………………さま」


 

 エステルの語尾に「ふぅ」と可愛らしいため息がかぶさった。それから半分以上諦めの表情で、ベルナトッドが俯いて真っ赤になっているだけのダークエルフに先を促した。

   

 

「ベルナトッド……さまは、元帝国貴族であったと聞き及んでおります。大魔道士であったとも。――それは……それは本当なのですか?」



 少年魔王はかすかに微笑をたたえたまま、静かにエステルを見守っていた。

 エステルが口にしたそれは、旧帝国公文書には正式には記されていない、しかし真実なのではないかと言われている事柄だった。

 

 旧帝国の大貴族の嫡男として生まれ、その天をも覆う才に将来を属望されるも若くして病に倒れた大魔道士。

 病に瀕したために土壇場で下した決断だったのか、それとも病に蝕まれる我が身の将来を見越してこつこつと用意された結末であったのか。あるいは一般人の及びもつかない、途方もない理屈があったためなのか。

 何が理由であったかはわからないが、真実は吟遊詩人の歌にある通りなのではないのだろうか。

 帝国貴族であり、大魔道士であったベルナトッドは、今はもう失われて久しい、魔術師ギルドにも教会にも禁忌とされる秘術を用いてヒトあらざるもの――超越者――へと転生したのではないのか。

 

 そうエステルは考えていた。

 いや、もっと言えば魔術をかじった者であればそのほとんどがそう推測し、似通った結論に至れる。そう考えるのが自然であると思えるほどにだ。


 「従者の身でありながら出過ぎたまねを」ボフミール老がここにいたら、根性注入棒で後頭部を痛打された挙句に平伏させられていただろうなと、ちらりと無表情な大番頭の顔をエステルは思い出していた。

 それとわかっていながらもエステルは知的好奇心が欲求するままに、疑問に思っていた事の全てを目の前の主人に披露して見せたのだった。


 エステルの金色の瞳がまじまじと見つめる中、彼の主人は静かな微笑をたたえたままで鷹揚に頷いてみせた。



「ただし、ボクの知る限りにおいては、だけど。そうだったらしい、そうとしか言えないかな」

 

「ボクの知る限りにおいて? らしいって……?」



 魔王のもったいぶった物言いに満足できず、エステルは思わず更なる質問を浴びせた。それに対してベルナトッドは「フフフ」と意味ありげに笑うだけでひと欠片のヒントすら与えようとはしない。

 応える代わりにベルナトッドは、ほっぺたを膨らませてむくれるエステルの手をとって、テラスへの階段へと誘っただけである。





「勇者に倒され、暗くじめじめした迷宮の奥深くに封じられた魔王ベルナトッドが、どうして再び世に出て全てを欲しようとしないかわかる?」



 唐突にそう切り出されて、エステルは我に返った。少年の質問の意味を正確に把握しようとしたおかげで、とりあえずは思考回路を冷静に保つことに成功したようだ。

 

 そういえば、なぜだろう。言い伝えでは魔王が誕生したキッカケは純粋なまでの渇望であるはずだ。 

 余人の追随を許さない才を存分に発揮できる健康な身体を手にした後は、それを用いて人間が望みうる、ありとあらゆるものを貪欲に求めたはずだ。地位や名声、権勢といった俗塵にまみれたものから始めて、その先にはついに永遠の時間――不老不死すらも。

 それほどの飢餓感があったからこそ、人ならざる超越者になりえたのだ。

 だというのに、今目の前にいる少年からはおよそ生臭い欲望など微塵も感じられない。



 ま、まあ、多少えっちぃかったり、本の虫だったりするけど、そんな程度は誤差だ、誤差。可愛らしいものだし。しかし、そうなると……    



 頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首をひねるエステルに「ぶっぶー。時間切れですー」とベルナトッドが唇を尖らせた。

 ちくしょう、なんだこのかわいいのは。



「神様……なんだけど、エステルはどんなものがそうだと思う?」


「また急に……そう、ですね。月並みですけど、髭を生やして渋い顔をしたじーさん……何がおかしいんですか?」


「ふふ、ごめんごめん。可愛らしい発想だなって思って」



 なおも「ごめん」と口にこそするものの、ころころと笑う魔王。エステルは唇こそ尖らせて抗議の態度をとっては見せているがポーズだけだ、目元がほころんでいる。



「はー、おかしかった。あ、ごめんね。で、ボクはこう考えているんだけど、固有名詞だったり人格が備わったヒトガタとかではなく、こう、何と言うか……大宇宙に普遍的に存在する規則のようなもの。それが神様なんじゃないかなって」


「え、えーと……う、宇……宙……?」


「――あ、んーと、そうだね。神様の住まう天上界と解釈してくれれば良いかな。この空のずっと向こうにある世界」



 聞きなれない単語に小首を傾げると、ベルナトッドはニコリといつもの極上スマイルを浮かべて、エステルにもわかる単語でそう説明した。

 この頭上に広がる薄闇せまる群青色よりも更に上だと、華奢な指がさし示すその先へとエステルの視線が導かれる。



「神様のルールとでも言うべきかな。何びとであろうとも疑義を差し挟むことが許されないそれによればだね……」



 この世界はどんな小さなことでも、二つの拮抗する力からなる絶妙なバランスの上に成り立っているのだそうだ。昼のあとには夜が来るように。あるいはその逆に。この世の全てのものには表と裏が存在する。

 そしてそれらはどちらかに優劣つくことなく、あくまでも対の存在であるのだ。一定方向へと向かう力には、必ずその対となるべく同程度の質量を備えた力が存在するというわけだ。

 そしてその力が全くの互角で引き合ってる、そんな天秤が水平に保たれた世界を良しとするべく神様のルールが敷かれているのだという。

 それが今までも、そしてこれからも未来永劫に世界が朽ちるそのときまで変わることない絶対の規則なのだという。



「それに気付けていなかったボクはただ純粋に、望むままに力を求めたんだろうね。手に触れるものだけに留まらず、目に見えるもの全てを。果ては、この思考の及ぶ果てまでを」



 独り言のように呟く魔王。

 その薄い胸の内にどのような想いが去来しているのかはわからない。エステルは少年の外観に似合わない、大人びて苦笑する美しい横顔を黙って見守るだけだ。

 気遣わしげな金色の視線に気づいた少年の表情が穏やかなものに変わった。



「ボクのような存在はその天秤を大きく傾ける存在、つまり神様のルールにそぐわないイレギュラーなんだ。だから、ボクは五百年前に討伐されることになった」


「勇者が……ベルナトッドさまがおっしゃる対となる同程度の質量を兼ね備えたエネルギーであると?」



 「そうだよ、やっぱりエステルは飲み込みが早いね」ふんわりと微笑みながらエステルの艶やかな黒髪をさらさらと指先で弄ぶ。

 このひと月ほどの間で半ば習慣化しつつあるそれだが、いつしかエステルにとって精神安定剤のような効果を生んでいる。直接的な感覚などあろうはずもないが、ベルナトッドの触れたそこからじんわりと温かな熱が伝わるように感じられて、エステルには心地良い。

 気を引き締めないと。うっとりと瞼をおろしそうになるほど、その誘惑に抗うには全霊を傾ける必要性があるのだ。

 その事実がエステルには悔しくもあり、後で思い返して顔が熱くなるどころか、枕に突っ伏してベッドの上を転げまわるに至るわけなのだが。



「だから――だからボクはこう考えた。これからも許される限り生きていくためには目立たないようにするべきだって」


「それでずっと五百年もひっそりとこの地下迷宮にいようと?」


「出る杭は打たれる。なら、首を引っ込めて大人しくしていればいい。魔王は勇者によって旧バストールの地下深くに封印されている。封印は永く守られており、みだりにその禁忌を破らない限り再臨はありえない。それで良いんだよ」



 「それがボクに合った生き方でもあるしね」そう締めくくるも、どこか諦めにも似た微妙な表情で、線の細い立ち姿がいつもよりもずっと儚く見える。

 十五歳で人間であることをやめてまで求めたその先がどうであったかといえば、人並みの欲求を望むことすら世界から許されなかったわけだ。

 それが因果応報と言えばそうかも知れないが、辛辣にも程があるのではないだろうか。



「でも今のボクの心は人間そのものだからね、娯楽が全くないってのは耐えられないし。そういう意味ではアトロさまさまだよ、ほんとに。彼のおかげで随分と退屈しないで済むことになったし……それに……」 


「――それに?」


「それに、そのおかげでこうやってエステルとも友達になれたしね」



 ……また、だ。またこうやってこの少年はふんわりと微笑む。


 

 エステルは自分を見上げる深紅の双眸にいたたまれなくなってその場に片膝を付いた。むき出しの膝小僧に地下迷宮の石畳の感触が冷たい。

 気づけば、両腕を開くと自然と気持ちの赴くままに華奢な少年を抱きしめていた。

 エステルの右頬にベルナトッドの左頬。

 触れた頬からは超越者であるノーライフキングらしく人肌のぬくもりはひとかけらだって伝わってこず、それがエステルがこの少年に常に抱き続けているある気持ちに拍車をかける。


 戦災孤児だったかつての自分を重ねて同情しているのか、それとも単純に憐憫の情なのかはわからない。あるいは庇護欲に駆られているのかも知れない。

 ただ、夢幻のようなその白皙を初めて目にしたあの時から、簡単に言葉にできない何かを抱え込んでいるのは事実だった。

 

 心の中、あるいは頭の中でエステルの「彼」の部分はそれを理性的に、理屈で証明して湧き上がる感情を説得しようと試みている。いや、試み続けていた。

 だが、それらのごちゃごちゃした修飾をとっぱらって残ったものが事あるごとに、まさにこんな時に思うがままに四肢を動かそうと命令を出し続けているのだ。


 エステルはただ、腕の中にいる少年が愛おしかった――のだと思う。

 どんなに言葉を飾ろうと、今のエステルを一皮剥けばその気持ちで溢れているのは間違いないのだろう。

 

 超越者、あるいはノーライフキング。禁断の外法を用いて到達した先にある存在。

 真祖と呼ばれるはじまりの吸血鬼がその一角を占め、その魅了の魔眼に精神が侵されていたのだとしてもそれはそれで構わなかった。

 エステルの心の大部分を蝕んで占有しつつあるのは確かで、それをエステル自信が受け入れているのだから。


 エステルがいっそう力を込めて少年魔王を抱きしめると、か細く、可愛らしく非難の声が上がった。



「エ、エステル?くるしいよ……?」


「我慢してください、ベルナトッドさま。男の子でしょう」


「で、でも……」


「――もう少し。もう少しだけですから」


「でも、このままじゃボク……もう……もう……」



 少年の切なげな、上ずった吐息に長い耳をくすぐられたエステルが、辛抱たまらんとばかりに鼻息も荒げて、れっつルパンだーいぶ……






 長い、長い、断末魔にも似た悲鳴がこだまして。

 エステルはベッドの上で跳ね起きた。

 

 白色の魔法光のもと、肩ごと大きく上下させる胸の谷間といわず、身体のそこかしこに玉の汗が滲んでいる。

 聴覚をかき乱している荒い呼吸音が自分のものだと自覚するのに要したきっかり三分後。



「なんて夢を見てるんだってばだよぉぉぉぉぉぉ……もう生きていけないぃぃぃぃぃ……」 



 どこか切なげな、哀愁をすら帯びた後悔の念をたっぷり染み込ませたエステルの絶叫が響き渡ったのだった。





 このあと、エステルくんは目の幅の涙をとめどなく流しながら、部屋の隅っこで数時間に渡ってのの字を書き続けてくれることでしょう、ええ、そうだろうともさ。

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