第54話 とある双子の真実
俺と兄貴が家に帰り着いたのは、ちょうど昼過ぎだった。本当だったらもっと早くに帰り着いているはずだったのだが、これは兄貴の散歩が長引いた結果だ。
しかしそれはかえって、グッドタイミングでもあり、バッドタイミングでもあった。
「――千夜と一夜は、親の贔屓目なしにいい子たちでした」
母さんの声はいつも以上に平淡で、抑揚がない。しかも喪服のように真っ黒なワンピースを着ているせいで、その後ろ姿はまるで影そのものだ。
「千夜は少し抜けたところもありましたが、素直な優しい子でした。一夜はそんな千夜をいつも支えてくれて、しっかり者の賢い子でした」
目の前で自分たちのことをそのように形容しているところを見るのは、正直気恥ずかしいものがある。だがしかし、いちいち突っ込むことではないだろう。
「そんな我が子たちが、突然の事故で亡くなりました。しかも、よりにもよって私たち夫婦の結婚記念日に、です」
母さんは悲しげに――否、憎々しげな鋭い目付きで、目の前の人物を睨んだ。そんな母さんを見て、その隣に無言で立っている父さんが、ほんの少し動揺した。もちろん、睨まれた当の本人もだ。
「私は許せないんです。愛しい我が子たちの命を奪った人間が、殺してやりたいぐらい、憎いんです」
母さん以外の二人に、緊張が走った。俺はそれを予想していたから、大して驚いてはいない。兄貴はハラハラとした様子で、母さんと、その目の前の人物とを交互に見ている。
「……おい、かぐや。早まったことを言うなよ」
「ご心配なく。"相手"の出方次第では乱暴な手段を用いるかもしれませんが、今のところその気はありませんので」
父さんの忠告に、母さんは目線をそらすことなく答えた。しかし、誰一人として、母さんの言葉を信じることなどできなかった。
「私、ずっと考えていたんです。どうしてあの子たちが死なねばならなかったのか……ずっと、考えていました」
母さんはおそらく、俺と同じ考えにたどり着いているのだろう。いや、もしかしたら、俺よりも真実に近づいているのかもしれない。
「千夜と一夜を"殺した"のは、あのトラックの運転手ではありません。彼は被害者です。あの事故を引き起こしたのは、彼ではありません。別の人物です。それは――」
"その人物"は、顔を強ばらせた。まだ真冬だというのに、酷く汗をかいている。握りしめた拳は、確実に寒さ以外の理由で震えていた。
「――貴方だったのですね。私たちの息子たちを殺したのは」
そう問われた彼は、俺と兄貴はもちろんのこと、父さんや母さんだって知っている人物だった。
「……嘘、ですよね。まさか貴方が……」
父さんの声は、震えていた。それは怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか――俺には判断がつかなかった。
「山下敦さん、貴方ですよね。犯人は」
俺たちを死なせたその男の名は、山下敦といった。俺たち家族の、隣人だ。
「――何を、言ってるんですか」
山下は、ようやくそんな言葉を絞り出した。その顔は恐怖と緊張で歪みきっていて、普段の若々しい爽やかなご主人とは似ても似つかない。
「そんな、そんなわけないじゃないですか。僕が、貴女方の息子さんたちを殺すなんて、そんな……第一、動機がないじゃないですか……」
「ああ、申し訳ありません。先程の私の説明では、あらぬ誤解を生んでしまいましたね」
母さんは全く悪びれた様子を見せずに言った。
「私はあの事故が、故意に起こされたものだとは思っていません。あれは、不幸な――本当に不幸な事故でした。そうでしょう?」
「……」
山下は母さんの問いかけに答えなかった。ただじっと、自分よりも一回りも小さな目の前の女性を凝視していた。
「そもそも、山下さんのおっしゃった通り、貴方にはうちの息子たちを殺す動機なんてありはしません。そんなことは今はどうでもいいのです。重要なのは、なぜあんな不幸な事故が起こったのか――それだけです」
母さんはそうきっぱりと言い放つと、説明を再開した。
「話を戻しましょうか――私は、例のトラックの運転手さんに事情をお伺いに行きました。そこで、興味深いお話を聞いたのです。どんな話か気になりませんか?」
「……」
山下は無言だったが、母さんは構わず続けた。
「危険運転でトラックに突っ込んで来た車は、白色だったんだそうです」
それを聞いて、山下は明らかに「それが一体何なんだ?」というような顔をした。しかし、母さんは全く気にした様子を見せなかった。
「山下さん、貴方のお車は、確か白でしたよね?」
「……ええ。ですが、まさかたったのそれだけで私を……」
「まさか。いくらなんでもその程度のことで貴方を疑ったりなんかしません」
母さんは肩をすくめ、そして言った。
「私が貴方を疑ったのは、貴方の車が白色だったからではなく、その白い車を"見なくなったから"です」
「……っ!?」
山下は絶句した。母さんの傍らに控える父さんも、ここでようやく理解し始めた様子だった。兄貴にいたっては、口をポカンと開けて呆然としている。
「私は犯人の車が白色だと知ってからは、道行く全ての白い車を観察していました。そこで、やっと気づいたんです。山下さんの愛車を見ていない、と」
母さんの洞察力には俺も脱帽だ。実際に事故の一部始終を目撃した俺でさえも、そのことに気づいたのはついさっきだというのに。
「山下さん、貴方の愛車は、今どうしているんですか? なぜ乗らなくなったのですか? ここ三日ほどは、ずっと奥様の黄色い車に乗っておられるようですが」
「そ、それは……」
山下はしどろもどろになりながらも弁解を試みた。しかし、出てくるのはいずれも意味をなさない単語の羅列ばかりだ。
「しゃ、車庫に……」
「成る程。ずっと車庫に入れていたのですね。それは後程見せていただきます」
「え……?」
母さんの意外な言葉に、山下は目を丸くした。てっきり、今すぐ見せろと言われると思っていたようだ。それは父さんも同じだった。
「……いいのか? 今見せてもらわなくて」
「ええ、問題ありません。それよりも重要なことがありますので」
母さんの返答に、父さんは首を傾げた。兄貴も不思議そうな顔をした。
「次の問題に移りましょう。もし仮に、山下さんが犯人だったとして、なぜあんな危険運転をしてしまったのでしょうか?」
それは、あの事件の核心に迫りつつある問いだった。山下は微かに震えながら、母さんの次の言葉を待った。
「以前、貴方は自慢していらっしゃいましたよね。自分は今まで、一度も事故を起こしたことがないし、警察に捕まったこともない、と。わざわざゴールドの免許証まで見せて下さいましたね。よく覚えていますよ」
「は、はあ……」
山下は複雑そうな顔で頷いた。
「私はそれについて、こう考えています。貴方はおそらく、"飲酒運転"をしてしまったのだろう、と」
「え……」
思わぬ発言に、その場の全員が目を丸くした。俺でさえも、そこまでは考えていなかった。成る程、飲酒運転か。それなら、あんな大事故に繋がったのも頷ける。
「そう考えた根拠をご説明いたしましょう。――あの日は金曜日でした。サラリーマンの方々がよく飲み会にご出席なさる、平日最後の日です。あの日の朝、私はたまたま奥様からお聞きしたのですよ。貴方が飲み会にご出席なさる日だということを」
そんな些細な世間話をよく覚えているな、母さん。他人の個人情報はどこから漏れるか分からない。今回の場合は、お喋り好きな山下夫人からだ。
「で、でも……だからと言って、本当に飲酒運転をしたかどうかなんて……」
「分かりますよ。私は見ましたから」
「は……?」
母さんは、限りなく核心に迫った。
「お忘れですか? あの事故の後、私たちは"すれ違った"んですよ? "病院の中"で」
「……あ、ああ……」
あの日、俺と兄貴が事故で死ぬ少し前、ある"もう一つ"の事故が起こっていた。それは、俺たちの事故と比べれば、小さな事故だったかもしれない。だが、俺たちからして見たら、それは紛れもなく"大事件"だった。
「あなた方の次女――美佳ちゃんが、あの事故の少し前に、お亡くなりになりましたよね」
「……っ!!」
それは、不幸な悲しい事故だった――と、周りの人々が噂していた。
あの日、山下夫人とその幼い娘二人は、俺たちの事故が起こった場所のすぐ近くの公園まで遊びに来ていたらしい。あの交差点の横にも公園はあったが、それとは別の公園だ。なんでもあの近辺に夫人の実家があるらしく、たまたま三人で実家に帰っていたのだ。
「美佳ちゃんは、たまたま偶然、遠くまで飛んでいってしまったボールを追いかけた。母親の制止も聞かずに――」
追いかけたボールをやっと捕まえることができたのは、道路の真ん中まで飛び出したところだった。
「そして不幸にも、自動車に跳ねられ――亡くなった」
美佳ちゃんが搬送された病院は、これまた偶然にも、俺たちの遺体が収容された病院だった。
「私たちが千夜と一夜の元に駆けつけた時、貴方はすでに、美佳ちゃんの遺体の傍らにいらっしゃいましたよね。その時です。貴方が飲酒運転をしたということに、気づいてしまったのは」
母さんは、ずっと前からすでに、真実へ繋がるヒントを得ていたのだ。
「貴方はきっと、飲み会の前後に、美佳ちゃんの訃報を知らされたのでしょう。そのせいで気が動転して、自分が飲酒していることを忘れて――」
山下は途方に暮れた様子で、その場に膝から崩れ落ちた。その顔は気の毒なほど蒼白で、見るからに痛々しかった。
「貴方は、自分で運転すべきではありませんでした。せめて、タクシーを使っていたならば……あのような不幸な事故は起こらなかったでしょう」
「う、ううっ……」
母さんは不自然なほど感情を殺した声で、静かに言った。そして、すすり泣く山下を冷たく見下ろしながら、最後にこう告げた。
「早く――早く私の目の前から消えて下さい。でないと私――貴方を殴り殺してしまいそうです」
全てが終わった時、ようやく、兄貴が一言洩らした。
「やっと終わったね、一夜」
その言葉はなぜか俺の心に、すっと染み込んで、消え失せた――。