第51話 とある双子の挑戦
「――あ、一夜。僕たちがテレビに出てるよ」
「……」
兄貴はリビングのソファーに沈みこみながら、だらしがない姿勢で言った。右手にはテレビのリモコンが握られていて、たった今それで電源をつけたところだった。
俺たちが今観ているのは、昨日の夕方に起こった交通事故のニュースだ。被害にあったのは、下校中だった二人の男子高校生。そして、事故を起こした加害者は、大型トラックを運転していた四十代の男性。
「酷い事故だよねえ。トラックに跳ねられた高校生二人は、ほとんど即死だったんだってね――あ、でも運転手さんの方は、軽傷で済んだんだって。……良かったね」
「……」
兄貴は早口でまくし立てながら、ニュースに見入っている。俺はそんな兄貴の左隣に座って、ただ兄貴を見守っているだけだった。
実はこの不幸な事故には、もう一人の加害者が存在していた。俺や兄貴から言わせてみれば、そのもう一人こそが真の加害者で、トラックの運転手は、不幸な被害者だった。
「トラックの運転手さん、可哀想だよね。だって、運転手さんは信号もスピードも、ちゃんと守っていたのに」
「……」
兄貴の言葉に、俺は無言ながらも小さく頷いた。
そのトラックは、間違いなく交通規則を守って、あの交差点を直進しようとしていた。この目で見たのだから、それは確かだ。なのに、その通行を妨げた馬鹿な違反車がいた。
「あの車の人、まだ捕まってないんだって」
「……」
その車は、交差点を通過中のトラックに、対向車線から猛スピードで突っ込んで来た。はっきり言って、意味が分からない。なぜそんなことになったんだ。
「運転手さんは、頑張って避けようとしてたよね」
「……」
そしてそのまま、勢いあまって俺たちに突っ込んでしまった。余りにも一瞬過ぎて、気づくのが遅れてしまった、俺の人生最大の失敗だ。思い返すも腹立たしい、痛恨のミス。
「兄貴、俺――」
「いいよ、気にしないで。一夜は何にも悪くないから」
「……」
流石は兄貴と言うべきか。俺の言いたいことを見事に察している。そして、言われずとも返事をするところが兄貴らしい。
「あーあ、どうせテレビに出すなら、学生手帳の写真じゃなくて、最近の普通の写真にしてくれれば良かったのに。あの分じゃ、遺影まであれになりそうでやだなあ」
「……」
テレビに視線を預けたまま、兄貴はのんびりとした調子で言った。普通に見たら、兄貴はいつもとまるで変わっていないと誰もが思うだろう。
少し跳ねた黒髪も――まだどこか幼い中性的な横顔も――好奇心に輝く焦げ茶の瞳も――何も変わっていないように見える。
しかし、やはり何かが違う。どの角度から見ても、兄貴は兄貴であるはずなのに、まるで別人を見ているような気分だ。
「――ねえ、一夜。僕たちって、やっぱり」
「死んだんだよ」
どうしても兄貴には言わせたくなくて、遮るようにその言葉を奪う。すると、兄貴は一瞬だけ驚いた表情を見せて――儚げに微笑んだ。
「これからどうする?」
「兄貴のしたい通りにすればいい」
即答すれば、兄貴は珍しく真剣な表情で考え込んだ。そして、意外にも早く答えを出した。
「……復讐……とか?」
「兄貴がそうしたいなら、そうしよう」
「え、ちょっと、本気にしないでよ」
ごめんね、冗談だよ――兄貴は泣きそうな表情で、そう謝った。そしてまた、今度はもっと真面目な望みを口にした。
「父さんと母さんを、見守ってあげたいな」
「……分かった」
父さんと母さんは、今は家を留守にしている。理由は、俺たちの通夜に出席しているからだ。そもそも俺たちは、こうなってから一度も父さんたちの姿を見ていない。あまりにも恐ろしすぎて、俺たちはあの二人の現状から逃げていたのだ。
「心配だよね、父さんと母さん」
「そうだな」
「大丈夫かな。ちゃんとご飯食べてるかな」
「そうだな」
「昨晩はちゃんと寝れたのかな」
「……そうだな」
「心配だなあ……」
「……」
兄貴はテレビの中のアナウンサーの声をBGMにしながら、上の空で矢継ぎ早に呟いた。俺の相槌なんか聞いちゃいねえ。
「……一夜、父さんたち、いつ帰って来るんだろ……」
「……さあ、どうだろうな。明日は多分、葬式だろ。相当忙しいと思うぞ」
「だよねえ」
兄貴はリモコンの電源ボタンを押して、無意味なニュースを消した。すると、途端に重い静寂と真っ暗闇に包まれた。テレビ以外の光源が無いのだから当然だ。シャッターもカーテンも締め切っていて、外からの微かな光すらも遮断している。
「……静かだね」
「ああ」
「……暗いね」
「ああ」
「……寂しいね」
「……ああ」
「お腹空いた」
「……」
最後のは何だ。同意すら求めてねえじゃねえか。そもそも、幽霊は腹なんか空かせねえだろうが。
「一夜、お腹空いた。ケーキ食べたい」
「無理だろ。諦めろ」
「えー!!」
兄貴の無茶ぶりは笑えない。
「多分、冷蔵庫に昨日のケーキが残ってるはずだ! 食べようよ!」
「無茶言うな。今の俺たちが物に触れるのは奇跡に近い。食事なんか不可能だ」
「いいや! できる! 僕たちならできる!!」
「……」
勝手にしてくれ――そう言うと、兄貴はニヤリとイタズラに笑って――とは言っても暗くてよく見えないのだが――キッチンの明かりを点けると、真っ先に冷蔵庫に向かって行った。
……素早いな。生きていた頃よりも数倍早いぞ、兄貴。
「――あった! 一夜も食べようよ!」
「……」
いや、無理だろ。
兄貴が両手で高々に持ち上げたのは、白い箱に入ったショートケーキだ。甘党な母さんのために、父さんが特別に注文したもので、たっぷりの生クリームと大きな苺が惜しみ無く使われている……はずだ。これは本来、結婚記念日の母さんのためのケーキなはずなのだが――こうなってしまっては食べられることは無いかもな。
「ケーキ、ケーキ!」
「……」
死んで以来初めてのハイテンションな兄貴は、ノリノリで箱を開け、包丁を取り出した。
おいおい、マジで切るのか。
「投にゅ~う!」
「……」
ホールケーキを迷い無く四等分に切り分けると、兄貴はさっさと小皿に分け、フォークと一緒に俺に手渡した。
……俺は甘いものが嫌いなんだが。
俺の嗜好など全く気にせずに、兄貴は鼻歌を歌いながら自分の分も取り分けた。そしてキッチンに立ったまま、勢いよくフォークをケーキに刺し、そのまま口に豪快に運んだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……うまっ」
「……嘘だろ!!」
生前はほとんど大声を出さなかったこの俺が、死後初めて叫んだ。兄貴は幸せそうな表情でモグモグと咀嚼している。
なぜだ。一体どんな原理で食べているんだ兄貴!!
「……ごくん、一夜も食べないの?」
「……いや、どうせ食べられるなら魚肉ソーセージが食べたい」
「……はい」
俺の死後初めての食事は、魚肉ソーセージだった。そして俺たちは、父さんと母さんのために、あるサプライズに挑戦することになる。
それは――
「ご飯作ろっか、一夜」