第40話 とある双子の言い訳
「――と、いうことがあって学校に行けませんでした! ごめんなさい、先生!」
時刻はすでに午後一時半。とっくに昼休みが始まっている時間帯だ。
俺と兄貴は、警察署のとある一室にいた。教室よりも一回りほど小さなその部屋で、俺たちは十分ほど前から姫宮先生……つまりは父さんと向き合っている。
兄貴は苦笑いのような表情で手を合わせて拝むように謝っている。だが、父さんはそれに対して腕組みして眉間に皺を寄せ、見るからに不機嫌そうな表情をしていた。
「――朝家を出て携帯を水没させ、バスに乗り遅れ、駅に向かっているところで具合の悪そうな婆さん見つけてタクシーで病院に運んで、金が無くなって、公衆電話で学校に電話をかけたが誰も出ない。
挙げ句の果てには帰宅中に寂れた神社見つけてゴミ掃除してたら不良に絡まれている可哀想な少年を見つけて助けて警察行き……」
父さんは、兄貴が説明した今日の俺たちの災難をぶつぶつと復唱すると、頬をひきつらせた。眉間の皺がピクピクと動いているように見えるのは気のせいだろうか。
「と……先生……とりあえず、落ち着こうか?」
兄貴はうろたえながらも父さんにそう言った。流石の兄貴も、父さんの怒りは恐ろしいらしい。
普段怒らない奴ほど怒ると恐い。
「お前らな……」
父さんはゆっくりとパイプ椅子から立ち上がった。そして両手で思いっきり机を叩くと、ギロリと殺気立った目で俺たちを睨んだ。
「馬鹿か? 馬鹿なのか? お前らのその不幸っぷりは、元を辿れば千夜が携帯を水没させたのが原因じゃねえか」
「うぐっ……それは、まあ……そうだけど……」
父さんの的確な指摘に、兄貴は少し身を引きながら言い淀んだ。
「だって……小石に躓いちゃったんだもん……」
「これはギャグ漫画じゃなくてリアルの話だぞ? 大体、普通は小石に躓いたぐらいで携帯落とすなよ! しかも、その目の前に水溜まりがあるなんて、どんなミラクルなんだよ!!」
それに関しては同感だ。父さん。
兄貴は父さんの突っ込みに、半ば半泣き状態でうつ向いた。とは言っても、本気で泣くことはないだろうが。
「……ところで、一夜。お前は何でたったの一人で不良三人に向かって行ったんだ? 下手したら大惨事だぞ?」
父さんは、今度は俺に矛先を向けた。だが、そんな父さんの表情は怒りよりも心配の色のほうが濃かった。
「……俺が負けるとでも思ったのか?」
俺が若干不機嫌気味な声でそう問い返すと、父さんは苦笑して首をやんわり横に振った。
「まさか。千夜はともかくとしても、お前は母親譲りの武道の達人だからな。――でもな、まさかお前が千夜に言われるまでもなく自ら進んで不良を撃退するなんて、意外だと思ったんだよ」
「……」
父さんのその言葉に、俺は何も返さなかった。
確かに、父さんの言う通りだ。俺は余程のことが無い限り、面倒ごとには関わろうとしないからな。
それなのに、俺が誰に言われるでもなく動いた理由は――
「……兄貴が――」
「……え? 何だって?」
俺の小さな呟きが聞こえなかったのか、父さんは驚いたように聞き返した。
俺はもう一度、今度は父さんにはっきり聞こえるようにこう言った。
「あのままじゃ、兄貴が飛び出して行きそうだったから」
「……」
「……」
俺の言葉に、兄貴も父さんも絶句してしまった。兄貴にいたっては、驚いて顔を上げて、俺の顔を凝視している。
……そんなに妙なことを言ったつもりは無いんだがな。
「……一夜、キミ……」
「一夜、」
兄貴と俺の左側から、父さんは俺の正面から身を乗り出すと、二人揃って俺の肩を掴んだ。
……地味に痛いぞ。
だが、そんな文句を口にする前に、二人は同時にこう言った。
『一夜、キミ(お前)は本当に良い弟だね(な)!!』
「……」
そりゃどうも、とでも言っておこうか。正直言って、そんなことはどうでもいいと思う。実の兄貴を守ろうとすることの何がおかしい。寧ろ、当然のことだろう。
俺はそう思ったが、あえて口にはしなかった。
兄貴はなぜか涙ぐんでいるが、それも無視しよう。そうこうしていると、俺と兄貴の背後にあるドアがカチャリと開いた。入ってきたのは、制服を着た警官だった。
「……あの、先生ちょっとよろしいでしょうか……?」
まだ三十そこらの幼い顔立ちのその警官は、妙に控えめな仕草で言いにくそうにそう言った。
それに父さんは、はっと我に返ったかのようにして慌てて立ち上がった。
「はい、大丈夫です。もう生徒たちは帰せますか?」
「あ、はい、もちろんです。ですが、そちらの生徒さんたちとお話をしたいという方がいらっしゃっています」
警官はそう言うと、ドアを大きく開いて道を空けた。そこから入ってきたのは、先程俺が助けた少年と、よく知った顔の我がK高校校長――滝沢修平であった。
その少年はともかくとして、なぜわざわざ校長が出てくるんだ。
「――あ、あの、ぼっ僕、N中三年の滝沢弘人といいます! 先程は助けて下さってありがとうございました!」
真っ黒な学ランをキチッと着込んだ、見るからに気弱そうな少年――滝沢弘人は、おどおどとしながらもしっかりそう礼を言った。
そんな滝沢弘人を見た俺の感想はと言うと――
「……あ、もしかして、キミは滝沢校長先生のお孫さんだったり?」
兄貴は手をポンと叩いてそう言った。
……兄貴、たまには頭の回転いいじゃねえか。
「そうなんだよ、姫宮くん。うちの孫を助けてくれて本当にありがとう」
グレーのスーツを着た恰幅のいい滝沢校長は、丸々とした柔和そうな顔で笑った。
「いえいえ、助けたのは弟の一夜ですから、そっちに礼を言って下さいよ」
「ああ、そうだったね。うっかりしていた。ありがとう、一夜くん」
「……いえ」
流石に校長相手に無言なのはどうかと思ったので、一応返事して軽く礼をした。すると、校長は次に父さんのほうに視線を移した。
「いやあ、それにしても、¨あの¨波城さんと¨王子¨くんの息子たちがここまで立派になるとは……びっくりだよ」
「ちょ、滝沢先生! それはどういう意味っスか!? ていうか、その¨王子¨っていうのはいい加減にやめて下さいって!」
快活そうに笑った校長に、父さんは照れた様子でそう反論した。
そういえば、滝沢先生は父さんと母さんの高校時代の元担任だったな。
「うわ、父さんが¨王子¨って呼ばれてるとこ初めて見た。あんまり違和感が無いとこは流石父さんだよね~」
「おい、千夜! 俺の黒歴史を蒸し返すんじゃねえ!!」
和やかな表情な兄貴に、父さんはすかさずいつもの突っ込みを入れた。父さんはとにかく¨王子¨という呼び名を嫌っている。気持ちは痛いほど分かるけどな。
「まあまあ、いいじゃないか¨王子¨くん。なかなかそう呼ばれることなんて無いのだから」
「そりゃあそうでしょう! 普通の高校生が¨王子¨と呼ばれるなんて、ちょっとやそっとじゃ体験できないんスから!」
相変わらず柔和な笑顔を浮かべている校長に宥められたものの、それでも父さんは嫌そうに顔をしかめた。
そんなふうに、微妙に和やかなムードが漂い始めたところで、兄貴がはっと我に返ったような表情で父さんを見た。
「……あ、そうだ。僕、父さんにお願いがあったんだよね」
「何だ? 先に言っておくが、明日の放課後は吉永先生に頼んで補習授業だからな」
「えー!!」
父さんの無慈悲な言葉に、兄貴はあからさまに文句ありげな声をあげた。だが、それでも兄貴はめげずに父さんにこう言った。
それは、俺も父さんに言おうとしていた言葉だった。
「父さん、スマホ買って」
第8章終わり