第38話 とある双子の不幸
「あー、バスに乗り遅れちゃったよ……」
「……」
マイ携帯たちとサヨナラをしてから約十分後。僕たちはバス停の前でうなだれていた。
なんと、目の前でバスに乗り遅れてしまったのだ。……今日は厄日なのかもしれない。
一夜は相変わらず不機嫌なままだった。仕方がないと言えば仕方がないと思う。携帯壊れちゃったし。
「……ねえ、一夜。これからどうする? 次のバスまであと三十分もあるけど……」
「……」
一夜は何も応えない。ただひたすら時刻表を睨んでいる。
「……電車だ」
ところが意外なことに、一夜はあっさりとそう答えてくれた。
それ以上何も言わずにバス停に背を向け、最寄り駅に向かって歩き始めた一夜を、僕は慌てて小走りでついて行った。
***
「――あれ、あの人様子がおかしくないかな?」
駅に向かって歩き始めて五分。僕たちは、色とりどりの一軒家がひしめき合う住宅街を歩いていた。
この時の時刻は七時十五分過ぎ。この時間帯だと、人通りも車も少なく、なんだか寂しい道のりだった。
そんな中、僕たちはある歩道にお腹を抑えるようにしてうずくまるお婆ちゃんを見つけた。
そのお婆ちゃんはものすごく小柄で、ちょっとした衝撃でも折れてしまいそうなぐらいに細い、見るからにか弱そうな人だった。
ちょっと離れているけれど、微妙に荒い息遣いが聴こえる。これはまずい。非常事態だ。
僕は迷わずそのお婆ちゃんの元に駆け寄り、すぐ傍に膝を落として顔を覗き込んだ。
「お婆ちゃん! 大丈夫? 立てる? 救急車を呼ぼうか?」
「……はぁ、はぁ、お……ねが、い……」
僕の呼びかけに反応したお婆ちゃんは、しわくちゃで青白い顔を微かに横に向けて、かろうじてそう応えた。
これは大変だ。早く救急車を呼ばないと!
僕はそう思って制服のポケットをまさぐった。……けれど、そこで大事なことを思い出した。
「携帯壊れたんだったー!!」
「……」
僕は馬鹿か!! ついさっきのことなのに、もう忘れちゃうなんて!!
僕は頭を抱えてそう叫ぶと、心底呆れた表情の一夜に視線を向けた。
「一夜、この辺りに電話ボックスとかは「無い」ですよね!」
言い終わる前に否定された僕は、がっくりと肩を落とした。
最近、電話ボックスって滅多に見ないよね。駅とか病院とかだったらよく見るんだけど。
でも、いくら電話ボックスが無いからってここで諦めるわけにはいかない。幸いここは住宅街だ。どこか適当な家を訪ねて救急車を呼んでもらえばいいんだ!!
僕はそう自身を奮い立たせて、辺りの家々を見回した。
するとちょうどいいタイミングで、道路の向こう側からタクシーがやって来た。うわ、住宅街にタクシーなんて珍しいな。
「はーい! 運転手さん止まってー!!」
僕がそう大声で手を振ると、タクシーは僕たちの目の前で止まった。
「お客さん、どうしたんですかい?」
「病院まで急いでお願いします!!」
僕はお婆ちゃんを抱き上げて車内にそっと乗せると、その隣に乗り込んだ。一夜も助手席に素早く乗り込んだ。と同時に扉が閉まり、タクシーは走りだした。
「お婆ちゃん、頑張ってね。すぐ病院に着くからね!」
僕はお婆ちゃんの小さな手を握りしめながら、病院に着くまでずっと励まし続けた。
***
「――それにしても、お婆ちゃん命に別状がなくて良かったね!」
「……」
病院の真っ白な廊下を歩きながら、僕はそう一夜に話しかけた。すると一夜は、無表情ながらも少し安心した様子で頷いた。
結局、お婆ちゃんは軽い食中毒だと診断された。お腹を抑えていたのはそのせいだ。車内で吐かれることがなくて、本当に良かったよ。もしそうなったら、タクシーの運転手さんに迷惑かけちゃうもんね。
さてさて、お婆ちゃんの問題が済んだところで、僕たちはある重大な問題に直面していた。その問題とは――
「……お金、無くなっちゃったね……」
「……」
タクシーの料金、五千五百円。
「……電車賃すら無くなった!」
「……」
もうびっくりだよ。そう言えば、タクシーってものすごく高いんだよね。
しかもこの辺り、あんまりバスが無いんだよ! 定期も使えないし、学校も家すらも遠い!
「最悪だね、一夜」
「……」
深い溜め息をついてガックリと肩を落とす僕を、一夜は責めるように少し睨んだ。
ごめんなさい。元を辿れば、僕が携帯を水溜まりに落とさなければこうはならなかったのにね。
「……仕方がないから、もう帰ろうか。学校に電話しよう」
「……」
僕はそう言って、外来患者の人たちが密集する待合室を抜けて公衆電話の前にたどり着いた。
そして、ここでもまた問題が起きた。
「……小銭ある?」
「……」
本日の僕の所持金、二千円ジャスト。一夜の所持金、約三千五百円。
……僕はね、基本的に細かいお金は持ち歩かないんだよ。ちょうど昨日に、あの子猫のストラップを買ったから、気持ち良くジャスト二千円。
要するに、今の僕の所持金はゼロだ。……嘆かわしいけれど、これは事実だ。必然的に、公衆電話を使うためには一夜の残金に頼らざるえない。
僕が手を差し出すと、一夜は無言で小銭を僕の手に置いた。それを見て、僕は愕然とした。
「……たったの二十円?」
「……」
錆びたような茶色の十円玉が二枚、僕の右手に置かれていた。これはつまり、二回しか電話をかけられないということだ。もしくは通話時間延長しての一回分。
「……一夜、学校にかけるべき? それとも父さん?」
「……学校」
一夜の言う通り、僕は生徒手帳を頼りに学校に電話した。……そう言えば、父さんと母さんの携帯の番号は覚えてないや。
『プルルルル……はい、こちらはK高校職員室でございます。ただ今職員一同は不在でございま「何で!?」』
僕は思わずそう大声を出した。僕たちの後ろを歩いていた看護師さんは、一瞬迷惑そうな表情をしたものの、結局何も言わずに立ち去った。
僕は再び肩を落として受話器を置いた。これ以上はお金の無駄だと思ったからだ。
「先生たち、今職員室にいないんだって……。何でだろ?」
「……」
僕の言葉を聞いた一夜は、一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに元の無表情に戻った。そして何やら真剣な表情で考え込み始めた。
「……おそらく、あれだ」
「あれって?」
「抜き打ち避難訓練」
そうだったー!! そういえば、十一月になると、抜き打ち避難訓練が行われるんだった!!
我がK高校の避難訓練はかなり本格的だ。例えば理科室が火事になったという設定の場合、なんと理科室から煙を焚くのだ。その煙で火災探知機が発動し、生徒たち……特に一年生はパニックに陥るそうだ。
なかなかハードな訓練だと言えるだろう。
訓練が始まると、生徒のみならず先生たちも全員グランドに一斉避難してしまう。
運が悪いことに、その避難訓練の最中に電話をかけ、貴重な十円を無駄にしてしまった。僕はとてつもなく落ち込んだ。
「……もういい。早く家に帰ろう」
「……」
一夜は若干半泣き状態の僕の頭を軽く撫でて、力強く同意してくれた――