第34話 とある双子の夕食 中編
「やっぱり、こうなったのね……」
そう呟いて涙を流した秋本を見て、父さんはもちろんのこと、兄貴まで焦りだした。
うろたえた様子で必死にフォロー……もしくは弁解 を試みようとするものの、気のきいた言葉が見つからずにあたふたしている。なかなか滑稽な光景だ。
「……冬夜さん、千夜」
あわてふためく二人に、母さんが怒りのオーラを纏ってそう呼びかけた。おそるおそる母さんを見た二人 は、母さんの怒りに圧倒されてその場に縮こまった。
「……いや、その、何ていうかな……あはは」
「な、なかなか個性的な味だったな……なんて。あはは……」
言い訳の仕方もそっくりだな。
兄貴も父さんも冷や汗を流しながらそう苦笑いを浮かべた。
それに対し母さんは、鉄壁のポーカーフェイスに滲み出そうなぐらいの怒気を見せながら溜め息をついた 。
そして未だに涙を流す秋本にハンカチを差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
秋本は小さな掠れた声でそう礼を言って、そのハンカチを受け取った。
……意外に仲いいんじゃないのかあの二人。
俺はふとそう思ったが、面倒なので指摘はしなかった。
「――よし、食おう」
「……え、父さん?」
突然、父さんは何かを決心したかのように気合の入った声をあげて、再び箸を手にとった。そして、まだ 二切れ残っている秋本のハンバーグを口に入れた。
「……んぐっ」
父さんは顔を思いっきりしかめ、しかしまた吹き出すようなことはせずに、必死の形相で咀嚼し、飲み込んだ。
「……よし」
そんな父さんの様子を見て何を思ったのか、兄貴はそんな声をあげて箸を手に取った。そして父さんの皿にのっている、最後の一切れを口に放りこんだ。
「うっ……」
兄貴は若干目尻に涙を浮かべながらも、水と一緒に流しこんで食べきった。
――さて、兄貴と父さんのこの一連の動作を見ていた俺たち……というか主に綾小路姉妹と秋本は、あまりの衝撃に固まってしまっていた。
姉妹ははしたなくも口をあんぐりと開けて。秋本は涙が止まるぐらいに驚いていた。
「よくできました」
この状況にも全く動じていない母さんは、のんびりとマイペースな調子でそう言った。どうやらその一言は、兄貴と父さんに対する誉め言葉であり、労いでもあるらしい。
「……あ、ありえませんわ」
「よく食べたわね……」
姉妹は驚きとショックが混じった声をあげた。
「……ふう、なんとか食ったぜ。ごめんな秋本、ちょっと驚いちまってさ。でも昔と同じように、ちゃんと完食したぜ」
「は、はあ……」
ニッコリと王子スマイルを見せた父さんに、秋本は気のない返事を返した。驚きすぎて突っ込むことすらできないようだ。
「さてさて、改めていただきまーす」
ここでまた出てくるのは、言わずと知れたエアクラッシャーの兄貴だ。
兄貴はたった今クソ不味い(らしい)秋本のハンバーグを食べたばかりにも関わらず、いつもの調子で手を合わせ、今度は母さんのハンバーグに手をつけた。
「……うん、美味しい!」
表面が全く見えなくなるまでケチャップをかけられた、冷めてしまったハンバーグを咀嚼しながら、兄貴は満足そうな声をあげた。
「……空気読めよ」
父さんのその突っ込みは、嬉しそうに笑顔で食事を続ける兄貴には届かなかった。
「あ、そうだ。美咲さん、美波さんも、早く食べなきゃもったいないよ? せっかく母さんと秋本先生が作ってくれたんだから、味わって食べなきゃ!」
「……これを、ですか?」
「うん」
兄貴のKYっぷりはまだ止まらない。
あろうことか、ほとんど食欲を失ってしまっている綾小路姉妹に対し、食べろなどとぬかしている。
……大した根性だ。そのハングリー精神(?)をもっと他のところで発揮してもらいたいものだ。
「……わかりましたわ。食べます」
兄貴に促されてか、美咲は一大決心をしたかのように真剣な表情でそう言った。
無言で再び手を合わせ、秋本のハンバーグに箸をつけた。それを食べやすいように一口サイズに割ると、ためらいながらもその一切れを口に入れた。美波も美咲に続いた。
『う……』
姉妹は同時に顔をしかめたが、それでも必死に箸を進める。
「ちょ、ちょっと綾小路さんたち、無理して食べなくてもいいのよ?」
姉妹の気の毒なぐらいの奮闘には、流石の秋本も心配になったらしい。目を泳がせながら止めようとした。
しかし、姉妹は一度も手を止めることはなかった。ただただ無言で食べ続け、最後の一切れを口に入れたところですぐに水を流し込んだ。
『ごくごくっ……ぷはあっ……』
全く同じ動作でそう一息つくと、姉妹はなんとかいつも通りの表情を作って秋本にこう言った。
『……美味しかったです』
……無理があるだろう、それは。
姉妹のその説得力の欠片もない感想に、秋本はひどく悲しげに顔を歪めた。……また泣きそうだな。
「……皆、何で正直に言ってくれないの……? 不味いって、はっきりと言ってくれたほうがスッキリするのに……!」
やたらと気遣う父さんたちに、秋本は今までずっと心の中に抑え込んでいた本音を吐露し始めた。
その目は泣きすぎて赤く充血し、頬を涙がつたっている。
そんな秋本を見て、父さんはばつが悪そうに苦笑し、綾小路姉妹はどう慰めるべきか悩んでいる。……兄貴もあたふたとうろたえながら必死に弁解しようともがいている。
……俺はと言えば、ひたすら無言で傍観者の役にまわっている。今さら俺が口出しすることもないだろう。――それに、秋本を慰めることができるのは、この中じゃ一人しかいない。
「――そんなことはありませんよ」
先程からずっと黙って傍観者に徹していた母さんが、やっと口を開いた。
相変わらずの無表情ではあるが、それでもどこか強い意志が宿っているような、そんな目で秋本をじっと見つめていた。
「秋本さん、貴女は勘違いをしています」
「な、何をよっ」
母さんの言葉に、秋本は不満げに問い返した。
「料理とは、味付けが全てではありません。本当に大事なのは、作る人と食べる人の¨気持ち¨です」
「……気持ち……?」
秋本は困惑げに首を傾げた。それでも母さんは表情を変えることなく、ただ頷いて話を続けた。
「貴女は、確かに料理が得意ではないかもしれません。昔からそうでしたね。――ですが、貴女はその分努力をし、どうにか美味しく食べてもらおうと気持ちを込めたはずです」
「それでも! それでも¨美味しい¨とは言ってもらえなかったじゃない……!」
秋本は悲痛な声でそう反論した。だが、それに対して母さんは首を横に振った。
「いいえ。貴女はまだ勘違いをしていらっしゃいます。私はこう申し上げたはずです。¨作る人と食べる人の気持ち¨が大事なのだと」
「……どういうこと……?」
母さんの言葉の意味が理解できない秋本は、ひどくもどかしげに顔を歪めた。綾小路姉妹も同様に理解できないのか、互いに顔を見合わせて考え込んでいた。
「分かりやすく、私の作った料理を例に挙げましょう。私のハンバーグをもう一度ご覧になって下さい。どう思いますか?」
母さんにそう言われ、この場の全員が母さんの作ったハンバーグを見た。
良くも悪くも普通のハンバーグだ。大きさは直径二十センチ程度で、形は楕円形。表面は程よく焦げている。
俺はうち以外の家庭のハンバーグは見たことがないが、これはおそらく一般的なハンバーグだと思う。もちろん、味はともかく見た目はレストランなどよりも少し見劣りするだろう。
――母さんのそんなハンバーグを改めて見たものの、全員がその意味が理解できずにいた。
「……普通のハンバーグ……じゃないのか?」
母さんの問いかけに答えたのは、困惑げな様子の父さんだった。
恐る恐るといった感じの父さんに対し、母さんはさして気に障った様子を見せずに頷いた。
「その通りです。私は決して料理が飛び抜けて上手というわけではありません。きっと綾小路さんたちが食べてみても、普通……もしくはそれ以下の感想しか言えないでしょう。――ですが、」
ここで母さんは一旦言葉を区切り、なぜか兄貴を見た。それに釣られて、他全員も兄貴を見つめた。
当の兄貴は、驚いて目を見開きうろたえている。
「――千夜、貴方は私のハンバーグを¨美味しい¨と言いましたね」
「……え、うん。美味しかったよ?」
兄貴はそう返した。それを聞き、母さんは満足げに……とは言っても表情には出ていないが、また頷いた。
「千夜が私のハンバーグを美味しく感じた理由……それは、私の気持ちだけでなく、千夜の気持ちも入っていたからです」
「……はあ?」
秋本はそう間の抜けた声を出した。ここまで言われても理解できていない様子だ。
俺はこの辺りで何となく母さんの言いたいことが分かってきた。だが、他全員は未だに分からない様子で困惑している。
「もっと理解しやすいように申し上げましょう。千夜がそれを美味しい感じた理由は、ハンバーグが美味しかったからではなく、¨私が¨作ったハンバーグだったからです。味の問題ではないのです」
その言葉で、俺以外の全員がはっとしたような表情を見せた。
「千夜だけでなく、冬夜さん、一夜も同じです。彼らが私の料理を好むのは、私が彼らの¨母親¨であり、¨妻¨であるからです。他人が作った料理よりも、知人……もしくは親しい人が作った料理のほうが、きっとより美味しく感じられるのは普通だとは思いませんか?」
母さんのその言葉に、兄貴と父さんは力強く頷いた。俺も何となく頷いた。
「……先輩の言いたいことは理解したわ。……でも、私の料理が美味しいと言ってくれる人なんて……」
秋本は涙ながらにそう言って肩を落とした。悲壮感漂うその様は、見れば誰しも同情するだろう。
そんな秋本をどう慰めるべきかと悩む兄貴と父さん、そして綾小路姉妹を尻目に、母さん突然動きだした。
「……あれ? 母さん?」
いち早く母さんの動きに気づいた兄貴は、首を傾げてそう呟いた。釣られて全員が母さんに注目した。
母さんは無言のまま、秋本が使っていた調理場に向かった。そこはまだ片付けが済んでいないらしく、使用済みの皿やボウル、フライパンなどが置きっぱなしだ。
母さんはその中のフライパンに手を伸ばした。よく見ると、まだハンバーグが一つ残っている。それを皿に移してラップをかけた母さんは、レンジに入れてチンし始めた。
「おーい、かぐや?」
「……」
父さんのそんな呼びかけにも、母さんは無言だった。父さんに見向きもしない。
「……そろそろですね」
「はあ?」
レンジの前に立って腕時計を見ながらそう呟いた母さんに、父さんは困惑げな声を出した。
時刻はすでに七時を回っている。もうすっかり夜になってしまい、電気がついているのはこの家庭科室と職員室ぐらいなものだろう。
今日は文化系部活は全体で休みのはずだから、校内には俺たちと教師たちしか残っていない。
そんな中で、母さんは¨ある人物¨がこの場に現れるのを待っていた。これに関しては、不本意ながらもこの俺がセッティングさせられたから間違いない。
そうこうしている間に、一分ほどしてレンジが鳴り、母さんはハンバーグがのった皿を取り出した。それを空いているテーブルに置き、ラップを外してその前に新しい箸を置いた。
――さて、準備は整った。あとは¨あいつ¨が現れるのを待つだけだ。
「――秋本さん、貴女は先程こう仰りましたよね」
「え?」
「¨私の料理が美味しいと言ってくれる人なんていない¨と。そんなことはありません。だって、ほら――」
母さんはそう言って、この教室の後ろ側の扉に視線を移した。
それに促され、全員が後ろに振り返った。そこにいたのは――
「――遅くなりました、すみません」
我が校の体育教師であり秋本に絶賛片想い中の男、岩本雅士であった――