第31話 とある双子の状況説明
――母さんが秋本先生から宣戦布告を受けて一週間後の放課後。
「――逃げずに来たのね」
「逃げる理由はありませんから」
「……お前ら、なんか恐いんだが」
「……父さんは黙ってて」
「……」
僕たち姫宮兄弟は、K高校家庭科室にて睨み合う母さんと秋本先生を少し離れた場所から見守っていた。睨み合っているとは言っても、実際に睨んでいるのは秋本先生だけだ。
当然と言えば当然だけど、もちろん父さんもこの場にいる。……隅に縮こまってびくついているけど。
そして、実は僕はスペシャルゲストを呼んでいたりもする。それは一体誰なのかというと、
「……これはどういう状況なのかお聞かせできるかしら?」
「……何この修羅場」
僕たち姫宮兄弟の良きライバル、綾小路姉妹である。
彼女たちは教室に入るなり、この不穏な雰囲気に顔をしかめ、僕にそう聞いた。
「いやあ、実はお二人さんにお願いがあって」
「何ですか?」
「今から姫宮かぐや先生VS秋本先生の料理対決をするんだけど、お二人さんにその審査員をしてもらいたいんだ」
「はあ? 何で私たちが」
僕の頼みに、妹の美波さんはあからさまに嫌そうな表情をした。
「本っ当にお願い! 父さんと僕たちじゃ公平な審査ができないんだよ!」
「……父さん……とは、一体どういうことなのですか?」
姉の美咲さんは、至極真っ当な質問をしてきた。微かに困惑していることが、その表情から見てとれる。
「周りの皆には一応秘密にしておいてよ? 僕たちは、世界史の姫宮先生と、カウンセラーのかぐや先生の息子なんだ」
「……かぐや先生が貴方たちのお母さんだってことは知ってたわよ。入学式で見たし」
「あ、そうだっけ」
僕は苦笑してそう呟いた。綾小路さんたちは呆れた顔をしている。
「じゃあ、もう説明はいらないよね?」
「いいえ。まだ説明が不十分ですわ。なぜ貴方たちのお母様が、秋本先生と料理対決をすることになったのですか」
美咲さんは不満げに眉間に皺を寄せてそう聞いてきた。僕はそんな彼女を見て、思わずこう口走った。
「駄目だよ美咲さん。そんなに眉間に皺を寄せたりなんかしたら、せっかくの美人が台無しだよ」
「なっ……!」
僕がそう注意すると、美咲さんはなぜか顔を真っ赤にしてしまった。……どうしたんだろ。
「……」
あれ、なんか一夜にものすごく睨まれてるんだけど。ついでに美波さんからの視線もなんだか痛い。
「姫宮弟、貴方の兄貴をどうにかしなさいよ」
「……」
なんだか微妙に不機嫌そうな美波さんは、一夜にそう言った。けれども一夜は無言で首を横に振った。どうやら無理だと伝えたいらしい。
「よく分かんないけど……説明始めてもいいかな?」
「……は! そ、そうでしたわね! 早く説明して下さい!」
「? うん。説明するよ?」
美咲さんははっと我に返った様子でそう催促してきた。僕は不思議に思って首を傾げたけど、一夜と美波さんの視線がものすごく痛いから、余計なことは言わずに説明することにした。
「えっと……実はあの三人はこのK高校の卒業生なんだ。それで、えーと……なんて説明すればいいんだろ?」
「……」
自分で説明し始めておいて、なぜだか混乱してきた僕は、隣で無言の一夜に視線で助けを求めた。すると一夜は大きな溜め息をついて、手元の学生鞄からスケッチブックを取り出した。
……ん? 何でスケッチブック?
僕が再度首を傾げていると、一夜は無言のままそのスケッチブックの一ページ目をめくった。それを見た瞬間、僕と綾小路姉妹は思わず、
「はあ!?」
「えっ」
「うわ」
……というような驚きの声をあげた。なぜ僕たちは驚いたのか。それは、一夜のスケッチブックに描かれていた絵が原因だった。
「まさかとは思うけどそれって……紙芝居?」
「……」
僕の問いかけに、一夜は無言で頷いた。
スケッチブックには、父さんと母さん、そして秋本先生の高校時代の姿がリアルに描かれていた。実際に目にした光景ではないから、これは多分一夜の想像だろう。
うわあ……昔はセーラー服と学ランだったんだ。最近じゃあの制服は少なくなってきたよね。
「……」
あ、一夜がなんか睨んでる。多分、ちゃんと見ろって言ってるんだと思う。
僕は改めて一夜のスケッチブックを見た。
一ページ目に描かれていたのは、父さんと母さん、そして秋本先生の人物紹介……というか、相関図みたいなもの。おお、見事に三角関係が出来上がっている。
「……なるほど。姫宮夫妻は当時から付き合っており、その間に姫宮先生に好意を持っていた後輩の秋本先生が入ってきたわけですね」
「姫宮先生、今も昔もあんまり変わらないのね」
綾小路姉妹は突っ込みは諦めたようで、一夜の紙芝居を食い入るように見つめていた。
一夜は二ページ目をめくった。次の絵は、母さんと秋本先生が料理対決をしている場面だった。間に挟まれている父さんが妙に可哀想に見えてくる。
でも、二人が作ってくれた料理を食べて嬉しそうにしているから、そうでもないかもしれない。
「高校時代からお二人は料理対決をしていたようですね」
「貴方たちのお父さん、本当に天然タラシなのね。姫宮兄にそっくり」
「ちょっ美波さん! それは聞き捨てならないよ!」
「何よ。本当のことじゃない」
美波さんは不愉快そうに僕を睨んだ。
……なんだか、今日は僕に対して風当たりが強いような気が……。
僕ががっくりと肩を落としていると、一夜はそれを無視してまたページをめくった。
三ページ目は、父さんが料理対決の勝敗を決めている場面だった。
母さんと秋本先生に向き合っている父さんが、母さんのほうを指差している。母さんの頭上には¨win¨、秋本先生の頭上には¨lose¨と書いてあるから、勝敗は一目瞭然だ。
母さんの顔は相変わらず無表情に描かれているけれど、秋本先生の顔は悔しさでいっぱいだった。
……よく表現したね、一夜。でもその紙芝居は秋本先生には見せたら駄目だよ。何て言われるか分かったものじゃないからね。
僕は未だに母さんを睨みつけている秋本先生をチラッと見てそう思った。
「……つまり、今回の料理対決は秋本先生のリベンジと考えてもよろしいのでしょうか?」
「うん。大体そんな感じでいいと思うよ」
僕がそう答えると、美波さんは大げさに溜め息をついた。
「紙芝居のお陰で分かりやすかったわ。姫宮兄の説明じゃ絶対に分からなかったでしょうし」
「……美波さん。もしかして君、僕のことが嫌いだったり?」
「さあ? それはどうでしょうね。ご想像にお任せするわ」
「……」
美咲さんは優しいのに、美波さんは恐いよ。
僕は思わず肩を震わせた。
「……それで、わたくしたちは一体どうすればいいのですか?」
「それは今から全体で説明するよ」
美咲さんの質問に僕はそう答えると、睨み合う母さんと秋本先生、そして隅で縮こまっている父さんに向かって呼びかけた。
「三人ともー! 今から全体説明するからこっちに向いてー!」
すると、三人はやっと僕たちのほうに向いてくれた。
「……大体、何で生徒たちまでいるのよ」
「修羅場を回避するためですよ、秋本先生。これは秋本先生のためでもあるんですから」
苦々しげな表情の秋本先生に、僕はできるだけいつもの調子で答えた。そして、ルール説明を始めた。
「えーと、今回は我らが音楽教師秋本千華先生と、学生カウンセラーの姫宮かぐや先生の料理対決となります。お題は皆大好きハンバーグ! 制限時間は一時間。時間内に、自分で用意した食材で作って下さい」
僕はここで一旦言葉を切った。そして軽く深呼吸をして続けた。
「審査員は三名! 我らが世界史教師姫宮冬夜先生と、美術部期待の双子! の綾小路姉妹です! この三名に食べていただいて、投票をしていただきます。あ、ちなみに料理に変なものを入れていないかの判断は我が弟一夜にお任せ! って感じです。何か質問ある人ー!?」
僕は説明を終えると、皆にそう尋ねた。
「特にありません」
「好きにしなさい」
「いいんじゃねえの?」
「わかりましたわ」
「仕方ないわね」
「……」
上から母さん、秋本先生、父さん、美咲さん、美波さん、そして一夜である。
僕は一応全員が納得してくれたみたいなので、少しホッとした。それから、鞄からタイマーを取りだし、一時間にセットした。それを高く上げて、僕はこう言った。
「それじゃあ……料理開始!!」
戦いの火蓋が切って落とされた。