第29話 とある双子の驚愕
「本日から、毎週水曜日にカウンセラーとして貴校で勤務させていただくことになりました。姫宮かぐやと申します。以後お見知りおきを」
我がK高校に、数々の伝説を残したかぐや姫様が帰って来ました。
***
「――仕事の邪魔です。帰りなさい」
「えー!」
「……」
あの芸術コンクールから約二週間が経った。
時期は十一月上旬。いよいよ本格的に寒くなってきて、久しぶりに我がK高校の紺色ブレザーと再会を果たしたところだ。
最近の僕たちは、あの綾小路姉妹とそれなりに仲良くしていたりする。ただ、姉の美咲さんの様子がちょっとおかしいんだけど……まあ、一夜が気にするなって言うから気にはしてないけどね。
さてさて、今の時間は放課後である。今日の部活はたまたま休み。というわけで、先週の水曜日に学生カウンセラーに就任した心理学者――姫宮かぐや先生のところにお邪魔している。
まあ、僕たちの母さんなんだけどね。ここではややこしいので、かぐや先生と呼ぶことにしよう。
かぐや先生は、S大学心理学部の助教授である。普段はその大学で教鞭を取っているのだけれど、母校のよしみ(?)で週に一度だけ、カウンセラーとして働いてもらえるように校長が掛け合ったらしい。
ちなみに言うとあの校長は、父さんと母さんの元担任だったとか。いやあ、すごい繋がりだねえ。
そんな母さん……もといかぐや先生は、学生相談室の柔らかそうな椅子に腰かけ、ホットコーヒーを飲んでいた。なぜだかスーツの上に白衣を羽織っているのだけれど、何気に似合っていたりする。
……これが父さんだったら、絶対似合わないだろうな。
「いいじゃないですか、先生。どうせ誰も来ないんだし」
「……確かに、私のような者に相談することがないということは、非常に喜ばしいことです。しかし、」
かぐや先生は、鋭い目付きで僕と一夜を交互に見ると、至極真っ当なことを口にした。
「ここはプライベートな空間ではありません。相談があるのなら、家で受け付けます」
「うう……厳しい」
僕は手を顔にあてて泣く真似をしてみたけど、かぐや先生は全く動じていなかった。
「……一夜、千夜を連れて帰りなさい」
「……」
一夜は無言で頷くと、僕の左腕を掴んで無理矢理ソファーから立たせた。
――ちょ、痛いんだけど!
僕は顔をしかめて少しだけ抵抗してみた。しかし、悲しいかな。実はちゃっかり武道をたしなんでいる一夜には、素人の僕の抵抗など大したものではないらしい。おかげで難なく扉まで引きずられてしまった。
……兄としての威厳が……。
そう嘆きながらいつの間にか襟首を掴まれて引きずられていると、突然、一夜は何の前触れもなく扉の前で急停止した。
「ん? 一夜、どうしたの?」
「……兄貴」
「何?」
「隠れるぞ」
「え」
一夜は振り返ってそう言うと、迷わず僕をかぐや先生の仕事机の下に押し込み、一夜自身も一緒に入ってきた。
――狭い!
男子高校生二人が一緒に机の下に隠れる(?)なんて、普通ありえないよ!!
「……来ますね」
一夜の奇行を黙って見ていたかぐや先生は、ぼそりとそう呟いた。
そして次の瞬間、ドアがガラッと勢いよく開けられた。ノックも無し。
――何て失礼な客なんだ!
一体誰が訪ねてきたのかは分からない。何で隠れなきゃいけないのかは謎だけれど、今はこの客人のほうが気になる。僕は耳を澄ました。
「……こんにちは。いかがなさいましたか。秋本先生」
(あ、秋本先生!?)
(……)
なんと、失礼な客人は音楽教師の秋本千華先生であった(第3章参照)。意外な再登場である。
僕はなんとか叫びだしたい衝動を抑えて息を潜めた。
「久しぶりね。時村かぐや」
「……」
……ん? 時村? あれ? 母さんの旧姓って確か波城のはずなのに……。
首を傾げる僕に対し、一夜は不機嫌そうな表情で眉間に皺を寄せていた。
「ご用件は何でしょうか」
「分かってるくせに、しらばっくれてんじゃないわよ」
隠れてるせいで表情が見えないのが歯痒い! けれど、多分かぐや先生はいつも通りの鉄壁ポーカーフェイスで、秋本先生は馬鹿にしたような、見下した表情を浮かべているのだと思う。
「私と勝負しましょうよ」
「何のですか?」
「昔やってたのと同じ勝負よ。覚えてないとは言わせないわ」
……勝負って何の勝負ですか、秋本先生!! あんた誰に向かって喧嘩売ってんの!? 相手は通り魔を投げ飛ばすようなとんでも美人ですよ!?(王子シリーズ参照)
(秋本先生大丈夫かな……)
(……何で秋本の心配をしてんだよ)
双子ならでは(?)のアイコンタクト+小声で会話すると、僕たちは互いに溜め息をついた。
とりあえず今この状況で確実に言えることは、かぐや先生と秋本先生は因縁の仲だということだ。
「……それは構いませんが、いつどこでですか?」
「そうね……一週間後の放課後、あの場所でどう?」
「分かりました。お受けしましょう」
――受けてたっちゃった!!
僕の心の中のツッコミは、この二人には届かなかった。
秋本先生は、かぐや先生が勝負を受けたことで満足したのか、さよならも言わずに部屋を出ていった。
ドアが閉まる音がし、少し経ったところで僕は飛び出すように机の下から這い出てきた。そしてすぐに、
「一体どういうこと!? 勝負って何!? ていうか、秋本先生との関係は!?」
「……とりあえず、これを飲んで落ち着きなさい」
僕は言われるがままに、かぐや先生に渡されたマグカップに口をつけた。次いで吹き出した。
「ぶふっ!! ちょ、何これブラックなの!? 母さん甘党のくせに、コーヒーはブラックなの!?」
パニクり過ぎて、学校で母さん呼びしちゃったよ! って、そんなことはどうでもいいんだよ!!
「どうでもいいけど説明してよ母さん!!」
「……」
僕はブラックコーヒーが入ったマグカップを机に置くと、隣で心底呆れた表情の一夜を無視して問い詰めた。
かぐや先生……じゃなくていいや。母さんは全く表情を変えずに、淡々と僕の質問に答えた。
「確かに、私は甘党です。ですが、甘いものを食べた後は口直しが必要でしょう?」
「ああ、なるほど! だからコーヒーはブラック……って違うから!! その説明じゃないってば!!」
ああもう!! 空気読めよ!! 思わず乗りツッコミしちゃったじゃないか!!
「……秋本先生は、高校時代の後輩です」
「え、嘘!? じゃあ、意外にあの人年くってたんだね!」
「……兄貴、論点がずれてるぞ」
一夜に鋭くツッコミを入れられたものの、僕のテンションは全く落ち着かなかった。
「じゃ、じゃあ、勝負って何!?」
「それは……」
母さんは無表情ながらも短く溜め息をついて、こう答えた。
「料理です」